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悠久の時の彼方でⅠ  作者: 春岡犬吉
第六章
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同じ者

 その部屋には何も無かった。いや、正確にはテレビとパソコン、壁際に敷かれた布団以外、と表現すべきだろう。普通ならば個人の部屋、といった所なのだろうが、生憎とここの住人は人ではなかった。その者はテレビの前に陣取り、一心不乱に画面を見ている。そこには、日本人ならば誰もが知っている時代劇が流れていた。素性を隠して諸国を旅して周る隠居老人が、お供の者と共に悪行を働く代官達を懲らしめる、というあれである。その時代劇がちょうどクライマックスに差し掛かった頃、部屋に設置して有るスピーカーから、声が漏れてきた。

「ゼロツー。入るぞ」

 ゼロツー、それが今の呼び名。正確には被検体ナンバー〇二番、その番号の部分を取り、ゼロツーと呼ばれていた。だが、その名前は嫌いだった。ある時、名前が無くては可哀想だ、と言ってくれた人が居た。その人は、君は二人目の成功例だ、と言ってくれた人。他の人達は二匹目と言ったが、彼だけは二人目と言ってくれた。何故かその言葉が無性に嬉しかったのを覚えている。だから、彼がくれた名前が自分の名前、と決めていた。その名は――。

 扉が開くと男が一人入ってくる。彼はテレビに映っている物を見て、呆れた顔をした。

「お前も時代劇好きとは、変ってるよな。ま、俺も嫌いじゃないけどな」

 脇に立つと、その肩を軽く叩き、男もテレビに目を向けた。だが、叩かれた者は目すら向けようとはしない。男は分かっていた。下手に動かせない事を。だから、見終わるまで待つ。

 エンディングが流れると、ようやく男の方に顔を向けた。

「ちょっと来てくれ。お前が居てくれると助かる事態が起こった」

 自分が居ると助かる? 何の事だかは分からないが、一応、寝食を世話してもらっている恩義もあるので、とりあえず頷いた。

「よし、それじゃ、行こうか。お前の好きなお菓子もたっぷり用意してあるしな」

 これを聞いて、目を輝かせる。何時もお菓子は決まった時間にしか食べられない。それがこんな時間に食べられる。なんて運のいい事が起こったのか。それなら早く行こう、と男を急かした。

「現金な奴め。そう慌てなくともお菓子は逃げないぞ」

 お菓子は逃げなくても、無くなる事はある。だから、暢気(ゆうちょう)に構えてなど居られなかった。

 廊下に出ると男の後を着いて行く。途中、微かに嗅いだ覚えの有る匂いがしたが、お菓子の誘惑には勝てず、その事を知らせる必要も無いだろうと、思い、そのまま歩いて行った。

 男は応接室の扉の前まで来ると、ノックをして開ける。

「大垣さん、連れてきました」

 そこにはすでに、雄人と実夏の二人も居た。だが、彼等を呼びに言った畑田が何故、その後で立って居るのかが気になり、怪訝な表情を見せるが、後から巨大な圧力が男の背に加わり、中に押し込まれた。

 二人はそこに現われた姿を見て、驚いた。まさか、こんなのを連れて来るとは思っても居なかったからだ。そこに現われたのは(ひぐま)だ。羆としてはまだ、親離れしたばかりの年齢だが、その体躯はすでに人間よりも大きかった。そんなものがのそのそと入って来たのだ。驚かない方がおかしい。羆は入って来るなり一声鳴いた。だが、その鳴き方は彼等が知っている鳴き方だ。それを聞いて、もしや、と顔を見合わせる。すると、大垣が言った。

「紹介しよう。ゼロワンに遅れること三年、二匹目の被検体、ゼロツーだ」

 大垣はまるで物でも扱う様な発言をする。雄人は眉を僅かに釣り上げ、その事に怒りを覚えた。

「ん? どうしたのかな? 何を怒っているんだい?」

 小馬鹿にした態度で接し始める。雄人はそれならば、と思い、大垣を無視し始めた。

「おい、そこの熊。お前、ちゃんとした名前ないのか?」

 大垣はてっきり、何か反論して来るものだと思って居たのだが、反論どころか無視をされ、その表情に憤りを浮かばせた。

 初めて会った人間に行き成り声を掛けられ、自分の名を問われる。それは熊にとって、初めての経験だった。その事に熊はほんの少し困惑したが、反面、嬉しく思い、自分の名を言った。だが、それは普通に人にとっては単なる奇妙な鳴き声でしかない。現に、大垣は笑っている。

「君は何馬鹿な事を聞いてるんだ。人間と会話なんか出来る訳ないだろう?」

 だが、実夏は知っている。雄人には分かる、という事を。

「マルスっていうのか。ローマ神話の軍神と同じ名前だな。お前にはぴったりじゃないか」

 マルスに向かって笑顔を向ける雄人を、大垣ともう一人の男は唖然とした表情で見ていた。それもそのはず、熊の名前は誰一人として言っていない。しかも、その呼び名は所内では取手しか言わないし、その取手でさえ、所外では話していないと聞いている。それを何故知っているのか。それとも本当に言葉が分かっているのか。それならば、ここにゼロツーを連れて来たのは間違いだったのではないか。そんな思いに駆られ始めていた。そんな彼等の中にあって、畑田だけは違っていた。戻る途中の僅かな時間だが、彼の事は話を聞いたからだ。だから、もしかして、という思いがあった。だから、驚く事もしなかった。

 マルスは感激していた。初めて自分の言葉を理解してくれた人間に会えた。それだけでも奇跡なのに、この名前が自分に合っている、とまで言ってくれた。そして、自分を恐れるのではなく、笑顔を向けてくれる。余の嬉しさに、涙を流し、歓喜の雄叫びを挙げた。

 その行動に大垣達は驚き、狼狽(うろた)えているが、あまりにも大きな声に実夏が怒った。

「マルス、静かにしなさい! 嬉しいのは分かるけど、ここでそんな大声上げちゃ駄目じゃない!」

 マルスの頭に軽く拳骨(げんこつ)をくれる。すると、済まなそうな表情でマルスは鳴いた。

「分かればよし!」

 笑って頭を撫でる実夏を、雄人は満足そうに見る。そして、マルスは気持ち良さそうな顔でされるがままに成っていた。

 二人のそんな姿を見せられては大垣達は何も言えない。用心棒のつもりで連れてきたはずの熊が手玉に取られた。そんな思いが廻っていた。

 呆ける大垣達に向かい、マルスが鳴く。その声に身を振るわせ我に返ると、またマルスが鳴いた。

「お菓子を早く寄こせ、って言ってますよ」

 雄人が通訳をすると、男が慌ててお菓子を用意し、マルスの前に置いた。だが、雄人はそれを見て、入れ物ごとテーブルの上に置きなおす。

「人の言葉が理解出来る者の食事を床に置くとはね。貴方達は少し、性根を叩き直す必要が有りそうですね」

 雄人は向かいの二人をその瞳で射抜く。その余にも凄まじい気配に二人は震え上がった。

「雄人がそんな目で凄んだら、話が出来なくなっちゃうじゃない。もっとこう、なんて言うの? こんな感じで見ないと――」

 蔑む目線を実夏は向ける。

「ふ、ふざけるな! 馬鹿にするのも対外にしろ! お前等のよ……」

 顔を真っ赤にして怒鳴る大垣の言葉を遮り、畑田が叫んだ。

「大垣さん! 馬鹿にしているのはどっちですか! 彼等には私が全て話をしました! もう、こんな事止めましょう! 元々この研究所に集まった人達は、ここの趣旨に賛同して来た人達ばかりのはずです。それを林さんの口車に乗せられて、自分達に都合がいいように変えて、ましてや賛同しない者達を廃除しようなんて、烏滸(おこ)がましいと思いませんか?!」

 先ほどまで自分に従っていた者が、突然、何を言い出すのかと、大垣は呆然としたが、直ぐに我に返り、畑田に向け怒鳴った。

「畑田! 貴様は裏切るのか!」

「確かに一度は裏切りました。でも、私は二度と裏切りません。裏切ったのは大垣さん、貴方達です」

 何訳の分からない事を、と困惑した表情で畑田を見る。二人の遣り取りを静かに聴いていた雄人が、口を開いた。

「畑田さんの言っている意味が分からないのなら、大垣さんはもう、ここに居る資格は無いようですね」

 一瞬憤る。が、冷静に成って考る。

――畑田は裏切ったが、二度と裏切らない? そして、俺達が裏切り者? 俺達から見れば畑田は裏切り者、しかし、風巻の立場ならば、違う?

「そうか、そういう事か!」

「分かったようですね。ここは俺の曽祖父が作った場所。そしてその趣旨に賛同した人達が集まった場所。すなわち、貴方達はこの研究所の裏切り者、という事です。なので、居る資格が無いと俺は言ったんです。そして、畑田さんはその事を悔いた。だから、もう二度と裏切らない、と言ってくれたんですよ」

 一点の曇りも無い蒼く澄んだその瞳を彼等に向けて、淡々と話す雄人は、大垣にとっては、すでに子供ではなく、自分たちと対等の存在として映り始めて居た。だが、これだけ時間を稼げば十分だ、という思いもあり、声を上げて笑った。

「しかし、もう遅い。解剖はすでに終わったはずだ。残念だったな。そうだ、葬式を出すのなら死体は渡してやろう」

 実夏は不安に駆られたが、隣の雄人を見て安心した。彼は笑っていたのだ。そして、大垣に対する態度を一変させた。

「今のあんたの話を聞いたら、もう、敬語を使うのが馬鹿らしくなったよ。あんたさ、何寝言抜かしてんだよ。俺がここに来て言った事まったく信じてないだろ。あんたが時間を稼げば稼ぐほど、俺に有利な状況になるって事位、いい加減分かれよな。もしかしたら、解剖する側が解剖されてるかもしれないぞ。おい、マルス」

 名を呼ばれ雄人に顔を向けて、首を傾げる。さしずめ、なんだ? といった感じだ。

「ここに来る途中、何か匂わなかったか。お前の鼻は人間なんかとは比べ物にならないはずだからな」

 ゆっくりと左右に首を傾げながら、思い返す。そして何度目かで首の動きが止ると、雄人に向かい何か話すように鳴き出した。

「そうか、やっぱりな。おい、おっさん」

 突然タメ口に成ったのもだが、目上の者に対しての、この言い方。頭にきた所の話ではない。感情的になりソファーから立ち上がると、雄人を見下ろして怒鳴った。

「貴様! なんだその言葉遣いは! 目上の者に対する礼儀が欠けてるぞ!」

 彼にとって、今、目の前に居る大垣は塵屑同様だ。そんな輩に対して、礼儀を尽くす価値も無かった。

「なら、あんたは社会人として、最低限の職場の規約守れてんのかよ。それが出来ない奴に礼儀なんて見せる義理はないね」

 大垣は言葉に詰まった。守れている、とは言えないからだ。しかも、今の状況は積極的に破り、既成事実を作って変えてしまおうとしている段階。そんな事をしている時点ですでに守れてなどいないのだ。

「ほれみろ。何も言えないじゃないか。要するにあんた達は、今の法律が気に入らないから、既成事実を作って変えてしまおうとしてる輩と同じって事だ。極端な話を言えば、今の法律だと拳銃所持は禁止されてる。だけど、それを自衛の為って事で有耶無耶にしちまおうとしてるのと一緒さ」

 流石にこれは極端な話。しかし、これと似た様な事は幾らでも有る。だが、大垣は開き直った。

「それの何所が悪い。規約など、時代に合わせて変えて行く物じゃないのか?」

 雄人は大笑いし始めた。それを見た大垣は不愉快になった。

「何が可笑しい! 今の規約が合わないから変えようとしてるんだぞ! それを笑うとは何様の積もりだ!」

 雄人は彼の言い分を鼻で笑う。そして、睨みつけると言い放った。

「あんた、何寝ぼけた事言ってんだよ。ここの規約はかなり時代の先を行ってたはず。それが今の時代に合わないだ? ふざけろ! もっと国際法を勉強して来い! ついでに言うとな、あんた等みたいのを三流って言うんだよ」

 そう、動物実験をやるにしても、守らねばならない国際法があり、そして、それにそって国内法も制定されている。いわば、彼等のやろうとしている事は、その法律を犯す行為だった。そんな事をされれば、幾ら風巻の名を出そうとも、研究所の閉鎖は免れない。しかも、そこの所長で有る惣一の責任は重大で、法的処罰は免れないのだ。その事をいい事に、林たちは総一を所長の座に据えたまま事を運ぼうとしていた。そして、大垣達の誤算は雄人だった。法律の事もそうだが、大垣達がやろうとしていた事、そして、その事を些細な事実から読み取る洞察力、しかも、間接的に運営に関わっている事など、彼の事を知らな過ぎた。どんな戦いも情報不足は敗北に繋がる。それは、この小さな研究所という世界でも、同じ事だった。

 苦りきった表情で雄人を睨み付けているが、まだ、諦めてはいない様だった。だが、次の一言で大垣はその表情を一変させた。

「そうそう、マルスがさ、手術室の前を通った時、血の匂いを微かに嗅いだんだってさ」

 済ました顔で雄人が放った言葉は、大垣の焦りを呼んだ。通常、手術室から匂いが漏れ出る事は無い。細菌等の感染を所内に撒き散らさない造りになっているからだ。それがたった一匹の解剖で出る血が漂って来るはずは無い。それが漏れた、という事はそれこそ換気処理が追い付かないないほどの大量の血が流れている、という事に他ならない。

「おい! すぐ内線をしろ! 俺は見に行く!」

 男が頷き、電話機に駆け寄って内線をする。しかし、先ほどと同じで一向に出る気配が無い。

 大垣は部屋を飛び出すと、急いで手術室に向かった。

 雄人は畑田の方を僅かに見て頷くと、実夏には、ここに居ろ、と声を掛け、自分は彼を伴い、ゆっくりと部屋を出て行った。残された実夏は心配そうに雄人を見送り、マルスはお菓子を頬張りながら、不思議そうな顔で見送った。

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