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悠久の時の彼方でⅠ  作者: 春岡犬吉
第六章
25/52

分裂

 大垣たちは焦っていた。二人が出て行った後、手術室に連絡を入れようと内線を掛けたのだが、一向に出ない。誰も電話機の側に居ないのだろう、と一瞬思ったのだが、それは絶対にあり得ない事なのだ。何故なら、室内にも着信音は流れるからだ。

「くそっ! どうして誰も出ないんだ!」

 荒々しく受話器を置くと、大垣は喚き、側に居た男達に指図した。

「仕方ない。風巻を連れ戻せ! 何をしたのか聞き出してやる。それと、お前はあいつを連れて来い! あいつが居れば風巻も下手な事は出来ないからな」

 二人は廊下に飛び出していく。一人は雄人達の元へ、もう一人は奥へと向かって行った。大垣はソファーに腰掛けると、胸ポケットからタバコを取り出し火を付け、紫煙を燻らせて、天井を見上げた。

「くそ……、あいつの言う通りになんか成りゃしねえじゃねえか。ったく、見通しが甘すぎるぜ……」

 雄人と実夏は出入り口に差し掛かり、彼は苦悩の表情を浮かべた。このまま出てしまえば、言った事を確実に実行しなければならず、お世話になった取手家に恩を仇で返す事に成りかねない。何よりも、自分の事を思い、一緒に居る、とまで言ってくれた実夏が不幸になってしまう。だから、出来る限りその事は避けたい、そう思ってはいても、現実はそう簡単にいかない事を彼は知っていた。そんな表情を浮かべる彼の手を、実夏は強く握り返し、顔を向ける。雄人も握られた手に伝わる温かみを感じて、顔を向けた。彼女はその瞳に、後悔の欠片も無い光を宿し、雄人の目を見詰めていた。

 雄人は落ち込む気持ちを奮い立たせる。ここで諦める訳にはいかない。諦めたらそこで全てが終わってしまう。今、自分の隣に居る女性を不幸にさせない為に、そして、風巻の影響をこの世から無くす為に、一縷の望みに賭ける。そして、前を向き、更に歩を進めようとした時に、後ろから声が掛かった。

「済みません、お話が有るので、真に申し訳ないのですが、戻って来ていただけませんか?」

 歩みを止め、やっと来たか、そう思いホッとする。が、そんな表情を表に出す訳にはいかない。あくまで冷厳に徹しなければならない。その為、時間を賭け、ゆっくりと振り向いた。

「此方には、何も話す事などありません」

 平然と切り捨て、前を向き歩き出そうとする。しかし、そんな彼等を慌てて男は引き止めた。

「大垣が聞きたい事が有るそうなのです。お願いですから、戻ってください!」

 雄人は鼻で笑い肩越しに一瞥をくれる。その瞳に射抜かれた男は一瞬怯んだが、彼も引き下がる訳には行かなかった。連れて戻れなければ、自分の身もどうなるか分かった物ではないからだ。

「どうか、この通りです! お願いですから、お戻りください!」

 彼等の前に回ると、男は必死に食い下がり、土下座までして懇願した。二人は男を見下す。だが、彼は床に額を擦りつけ、どうか、どうか、と繰り返していた。

「雄人、こんなのほっといて行きましょ。子供だと思ってまともに取り合わない人達なんてどうでもいいわ」

 自分の父にも関わる問題なのに、それでも冷徹な態度を貫く。それこそ、彼女の心の痛みは雄人の比ではない筈。なのに、その様な素振りは、噯にも出さなかった。

 取手の娘が、まさかこんな事を言うとは男は思いもよらず、つい、驚きの余に顔を上げた。そこには汚物でも見るかの様な視線を向ける、実夏の冷徹な瞳があった。これで終わりか、男の脳裏にそんな思いが過ぎる。その時、天恵にも似た閃きが舞い降りた。彼等の訪問理由、それはあの狐の事。その事を話せば助かるかも知れない。男は自分が助かりたい一身で口を開いた。

「実は、口止めされていたのですが、お話したい事があります!」

 二人が、やっと辿り着いた、そう思っていると、男が話し出した。アレクの解剖の事、それと林の考えていた事。二人を憤らせたのは、その林の考え。全ての動物は人間の為に有る。だから、人間の為に開発する医療技術の実験は、どれ程の動物を犠牲にしても構わない。そんな驕り高ぶった考えなど認める訳にはいかなかった。

「良く話してくれました。貴方の身は、風巻の名に置いて保障しまします。もし、その身に何か危険が及んだ場合、家を尋ねて下さい。たぶん、まだ住所はここで調べられるはずです」

 微笑み、手を差し伸べる。男は雄人の手を取ると、目に涙を浮かべ、何度も礼を言い、自らの行いを悔いた。

「あ、そうだ。貴方の名前聞いてませんでしたね」

 笑顔で聞く雄人には先ほどまでの冷厳さは無い。自分の過ちを悔い、全てを話した男に対してまで、冷厳に振舞う必要は無かった。

畑田(はただ)――、畑田聡(はたださとし)と申します」

「畑田さんですね。覚えておきます。本当に何か有った場合は家を訪ねて下さい。ご家族が居るのなら、皆さんで来て頂いて結構ですよ。(うち)、べらぼうに広いですから」

 畑田は再度、礼を言うと何度か深呼吸をして気持ちを落ち着け、言う。

「あまり遅くなると怪しまれます。急いで戻りましょう」

 だが、実夏が首を振った。雄人にはその理由は分かったが、あえて言う事はしない。

「それは駄目。ゆっくり行きましょう。で、畑田さんは憔悴(しょうすい)した顔でお願いします」

 雄人は軽く笑う。自分が思った事と同じ事を言ったからだ。学校の成績は良くないくせに、こういった事には良く頭が回る。そんな彼を見て、実夏は肘で軽く小突いた。

「分かりました。では、私は憔悴した顔をしましょう」

 笑顔で言う畑田に、二人は静かに笑い、釣られて、彼も笑った。

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