重み
大垣は応接室に着くと扉を開ける。
「二人はこちらへ、お前達はお茶の準備を頼む」
二人を中へと促し、男達にはお茶とお茶菓子の準備をする様に指示を出した。
雄人は実夏を先に入らせ、その後から扉を潜ろうとした瞬間、彼の脳裏に声が響く。
「主よ。我は先に行かせてもらう」
その一言で解った。アレクの命が危機的状態に置かれている事を。だが、表情は一切変えない。変える必要も無い。何故なら、刻結は言ったからだ。命の危機に際しては守る、と。だから、雄人は声に出さずに刻結に言った。
――アレクを殺そうとしていた証拠を俺の所まで送れ。それからが俺の仕事だ。
「承知」
手に握られた刀の存在が消え、包んでいた布だけが、雄人の手からぶら下る。そのまま静かに室内に入ると、その事に気が付いた実夏が小声で話し掛けた。
「刀、どうたの? どこかに中身を置いてきた?」
一瞬だけ、雄人は不敵な笑みを浮かべる
「この事はあいつらが気付くまで黙っててくれないか?」
何か考えが有るのだろうと思い、実夏は小さく頷いた。
「そこに掛けてくれ。今、お茶を持ってくるから」
二人は大垣に示された場所に座る。その向かいには大垣が腰掛けた。
「いや、それにしても突然来るとは驚かされたよ。何か急用でもあったのかな?」
白々しいとはこの事だ。だがすでに、雄人はこの男が惚けているのではないか、と疑っていた。しかし、ここでおかしな行動を取られても困る。なので、実夏を見て頷くと、用件を実夏から話させた。
「今日の夕方、父が狐を連れて来たと思うんですが、連れ出された後に掛かり付けの獣医さんから連絡があって、あの狐にエキノコックスが寄生していた事が解ったんです。たぶん、皆さんが油断しているんじゃないかと思いまして、こうして急ぎ、知らせに来た次第です」
だが、これは嘘だ。しかも、この様な研究所では、感染に対して厳重な予防対策を取る。その証拠に大垣は笑っていた。
「心配してくれたのか。でも大丈夫。ここでは感染予防がしっかりしてるから、その程度は問題にならんさ」
「そうでしょうね。この程度で慌てふためく様であれば、生化学研究所ではありませんよね」
雄人が笑顔で返すと、大垣が、その通り、と大きく頷いた。
「そういえば、その格好からすると、バイクで来たのかな?」
「そうですよ」
「それじゃ、だいぶ冷えただろう」
「あたしは大丈夫でしたよ。雄人にくっ付いてましたから」
実夏が見せた表情は普段、彼には見せないような余所行きの笑顔だ。こんな顔も出来るのかと、雄人は少々驚いていた。その笑顔に騙された訳ではないだろうが、大垣は目を丸くした後、大笑いする。
「そうかそうか。雄人君が風除けか。それじゃ、君の方が寒かっただろう?」
「背中全体にカイロを背負ってる様なものですから、それほどでもなかったです」
別の理由も有るには有るのだが、その事を言う訳には行かない。言ったが最後、実夏に半殺しにされてしまう。だが、半分、事実でも有る。二人乗りで後が密着していると、意外と冬場でも暖かいものなのだ。もっとも、後が男ならば流石の彼も遠慮したい所だったが。
またもや大垣は目を丸くした。この男、やたらと驚くのが好きな様だ。
「なるほど、それじゃ……」
雄人を手招きして顔を近付けると、何やらひそひそと話している。それを聞いて雄人は、ニヤリ、と笑い、大垣に向かい親指を立てて見せた。
「やっぱりそうなのか……。俺もバイクの免許を取るかな……」
元の場所に戻ると腕を組んで呟いていた。しかし、実夏はこれだけで何を話していたのか察し、二人を睨み付けた。
「もう! 二人して何て話してるのよ!」
微かに頬を染めながら怒りを露わにするその表情も、顔の造作が良いだけに、大垣には、それもまた、美しく見えた。
「美人さんはどんな顔しても綺麗だねえ」
睨まれていても平然と微笑み、臆面も無くそんな言葉を吐く。亀の甲より年の功とは、良く言ったものだ。実夏は怒る事も忘れて呆気に取られた後、更に頬を染め、俯いてしまう。それを見て、雄人は感心してしまった。
「どうした? 雄人君はそんな顔をして」
「先ほどの様な返し方もあるんだな、と感心してた所なんです」
「君だってその顔だ、結構もてるだろう? このくらい朝飯前なんじゃないのかい?」
雄人は腕を組み、頭を捻ると、考え込んでしまった。
「おいおい。まさか、告白とかされた事、無いのかい?」
雄人が頷くと、実夏は静かに笑い出した。大垣はそんな彼女を少々困惑気味に見詰める。
「去年のあれを見ちゃったら、誰も告白なんて出来ません」
生徒手帳から一枚の写真を取り出し、大垣に見せた。そこには、彼女と比べても遜色ないほどの美しい女性が映っていた。その面立ちは彼と良く似ているが、この女性と彼がどういった関係なのか、良く分からなかった。
「この女性と何か関係あるのかな?」
笑顔を向けると、さらりと言った。
「それ、雄人ですよ?」
あまりの驚きに言葉を失い、茫然自失の表情で写真と雄人を見比べる。扉が開き、先ほどの二人がお茶を持って入って来た所に、大垣の絶叫にも似た驚きの声が重なり、お茶を零しそうになってしまった。
「お、大垣さん! 一体、どうしたんですか!」
慌てて二人は声を掛けるが、呆けた表情を向ける大垣に、二人は困惑した。そして、彼は二人に、雄人の女装写真を向けた。
「この綺麗な女性が何か……?」
ゆっくりと大垣の腕が上り、雄人を指差し、二人が首を傾げた時、大垣が呟いた。
「そこに写って居るのは――、彼だ……」
今度は二人が、言葉にならない驚きを上げる番だった。
「まったく――、そんなの何時まで持ってるんだよ……」
溜息と共に雄人は言葉を吐き出すが、彼女は相変わらず笑っていた。
「別にいいじゃない、持ってても。だってこれ、相当な数出回ってるのよ? 同じクラスの男子なんか、別の学校の友達に、告白したいから名前を教えて欲しい、って言われたのも居るって聞いたわよ。それに、女のあたしから見ても嫉妬するくらい綺麗なんだもん、これじゃ、並みの神経してたら告白なんて出来ないわよ」
実夏の話を、大の大人の男三人が呆けながら聞いて、なるほど、と頷いていた。
「そこで納得しないでください」
諦めを含んだ声で抗議をする雄人だが、それが聞き入れられたかは、甚だ疑わしかった。
「そうか、なるほど、良く分かった。女性の立場からの意見がそうならば、そう言う事なのだろうな」
腕を組んで何度も首を縦に振る大垣を見て、雄人は大きな溜息を付く。そして、二人の前にお茶を置いた男も、納得をしている表情だった。
「それにしても、これは、メイド服? とかいうやつかな?」
実夏が、そうですよ、と言うと、理由を話した。
「去年の文化祭の時、雄人のクラスはメイド喫茶をやったんです。それで雄人が客寄せに使われたんですよ。あたしは直ぐに気が付いたんですけど、他の生徒は誰一人気が付かなかったくらいでしたから、その変り様ったら半端ないですよ。しかも、雄人ったら、ちゃんと裏声まで使って、お帰りなさいませ、ご主人様、ってやってたんですから」
実夏は半分呆れながら笑った。そんな彼女に向かい、雄人が口を開こうとした時、左手に痛みが走り、顔を顰めて、小さくぼやいた。
「ったく……、あの馬鹿、なんて事しやがる……」
隣に居る実夏がそれを聞き逃すはずは無く、怪訝そうな表情を浮かべた。
「突然どうしたのよ?」
此方を向く彼女に雄人は目配せをすると、先ほどまでとは表情を一変させ、大垣を射抜く様な視線を向けた。実夏にも彼の変化が分かり、緊張から表情が強張る。大垣達も場の空気が一瞬にして変化したのを感じた。今までの柔らかく暖かな空気から、まるで、地吹雪が荒れ狂う雪山に迷い込んだ、そんな気がした。
「大垣さん、今日、ここで何が行われているか、知ってますね?」
行き成り雄人は切り出す。だが、大垣にとって、この程度の質問は何でもない。
「知っているとも。それが何か?」
知ってはいる。が、その事は何時もと何も変らない、といった態度で応じる。しかし、雄人の口元が微かに笑った。
「ここの創始者、及び、風巻家の先々代、この二人が何と言ったか、ご存知ですよね」
その事は大垣も聞いてはいる。だが、それが何だというのか。
「それは聞いている。しかし、その事で君が何をするというのかな? 君は研究所の運営に関わっては居ないはず。違うかな?」
更に雄人の笑みが濃くなり、大垣はその事が少し、気になった。
「そうですね、直接――、は関わっていません」
怪訝な表情を浮かべる。今彼は〝直接〟と言った。直接関わっていないのなら何が、とそこで思い直し、目を見開いた。
「まさか……、間接的に関わっている、というのか……」
その言葉に、雄人は頷いた。間接的、即ち、表には出て来ない形で関わっている、という事。それは、今もまだ、研究所は風巻の影響下で運営されている、という事実に他ならない。
「もう一度聞きます。何をしているのですか?」
大垣は額に汗が浮かべ、生唾を飲み込んだ。他の二人も同様だ。緊張からか、それとも恐れからか、その身を微かに震わせていた。
「そ、それは……」
大垣達が雄人に感じたもの、それは、若かりし日に初めて見た源一郎と同じ、恐れにも似た、畏敬の念だった。




