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悠久の時の彼方でⅠ  作者: 春岡犬吉
第五章
20/52

進入

この季節の日は短く、すでに建物の影は長く伸び、雲は茜色(あかねいろ)に染まっている。昼間は太陽の恩恵を受け、それなりの暖かさを提供していた空気も、今は逆に暖かさを奪い取ろうとしていた。道行く人々はコートの(えり)を立てたり、マフラーを巻き直す、首を(すく)めるなど、様々な方法で少しでも暖かさを保とうとする。そんな中、怒号を上げて走り去る一台のバイクがあった。それを見た人々は一様に、元気だな、と思うのだった。

 雄人は焦っていた。連絡をもらった時こそ、途中で追い付ける、と思っていたのだが、それが希望的観測だった事に、ようやく気が付たのだ。実夏の家から研究所までは普通に走って一時間ほど。しかし、途中で学校に寄ったのがまずかった。学校からだと一時間半ほど掛かる事を忘れていた。更に言えば、実夏の家から学校までは歩いて二十分。車やバイクならこの半分で行けるが、それを加味しても、学校に着いて実夏を連れ出すまでに、大幅な時間ロスをしていた。

 頭の中で時間を計算する。連絡を受け、自宅を出たのが三時、実夏の家を出たのは三時二十分頃、そして学校を出たのが四時を回っていた。真沙子が電話をして来た時点ですでに家を出ていたはずで、その時間を二時半あたり、と仮定すれば、学校でひと悶着(もんちゃく)やっていた時には、すでに向こうは到着していた事になる。もしも解剖されるとすれば、様々な検査の後では無いか、そんな気がした。というより、自分がその立場ならば必ずそうする。先に遣ってしまうと、実際のデータなどが取れ無いからだ。とすれば、検査の時間や自分達が研究所に入る事を考えると、ギリギリになる可能性が高い。それと、道路が徐々に込み始めている。このままでは間に合わないかもしれない、と思うと、更に焦り、もう少し時間が欲しい、と思った。

 実夏には雄人の焦りが伝わって来ていた。それほど切迫していたにも関わらず、自分は察する事さえ出来なかったのだ。謝って済むのならば謝りたかったが、それをすれば彼は確実に怒る事を知っていた。だから、謝らない。その代りに信じる。絶対間に合うと信じる事。その事を伝えなければ成らないと思った。

「雄人! もっと飛ばして! あたしの事は気にしなくていいから!」

 雄人の背にしがみ付き、ヘルメット越しに大声で叫ぶ。だが、その背中から彼女の事を心配する気配が伝わってくる。だから、

「あんた、かあさんに約束したんでしょ! 必ず無事に連れて帰るって! だったら、その約束守って見せないさい! 昔、あたしを守ってくれた様に、今度はアレクを守って!」

 力の限り叫ぶと、雄人から漂う気配が変り、彼女を包み込んだ。それを感じた実夏は、やっと本気になったわね、と思った。

「しっかり捕まってろ! 振り落とされたら置いて行くからな!」

 彼女が回した手に力を加えると同時に、雄人はギヤを一段落とし、アクセルを大きく開ける。エンジンは大量に流れ込む混合気に歓喜し、回転を急激に上昇させ、それに呼応(こおう)して後輪も強大な力を路面に伝え、バイクを急加速させた。実夏は歯を食いしばり力の限り雄人にしがみ付く。彼は彼女を信じてスピードを更に上げた。そして、前を行く車たちは、彼等の行く手を(さえぎ)る動くパイロンと化す。それを途方も無いスピードで右から左からと(かわ)し、時には僅かな隙間を()って前に出て行く。その様子はまるで、狂気に取り憑かれた者の暴走だった。

 突如として後方からサイレンが鳴り響くと、辺りを赤色の光りが染めあげた。それは誰しもが良く知る、公権力の塊であるパトカーだ。

「前のバイク、左に寄って止まりなさい」

 お決まりの文句が流れる。と、雄人はバックミラーに一瞬目を向け、後方を確認すると、口元に笑みを浮かべて、アクセルを更に(ひね)った。

 急速に離れていくバイクを追い掛ける為に、パトカーも猛然と加速する。しかし、それは一台の高級車に(さえぎ)られた。その車は車内で大音量の音楽を流していた。只でさえ外の音が聞こえ難い車で、大音量の音楽を流していれば、サイレンなどまったく聞こえない。しかも、後を確認する為のバックミラーでさえ、あさっての方向を向いていたのだから尚更らだ。もっとも、雄人達にとっては幸運な事だった。お陰でその姿は直ぐに小さくなり、見えなくなって行った。

 街灯も無い真っ暗な山道に入ると、流石の雄人でも如何(いかん)ともし難い。元来、アメリカンタイプのバイクは直線はいいが、曲りくねった道ではその性能を発揮出来ないからだ。しかも、一人ならば如何様(いかよう)にでも出来るが、二人乗りともなれば後に掛かる荷重が大き過ぎて、後輪を滑らせる事も(まま)ならない。滑らせたが最後、制御する事は至難の業だ。その為に、ペースは大幅に落ちていた。しかし、此処まで来れば研究所は目と鼻の先、焦って事故を起こすのは愚の骨頂と言える。なので、事故だけは起こさぬ様、慎重な走り方に変っていた。

「後もうちょっとだからがんばれ!」

 彼女の気が抜けないように声を掛ける。実夏はそれを聞いて気を引き締め、

「分かってる! 雄人も気を抜かないでね!」

 お互いに声を掛け合い、二人ともヘルメットの中で微笑んでいた。

 更に五分ほど走ると、前方に建物の明かりが見えてきた。二人が、やっと着いた、と安堵したのも束の間、バイクのヘッドライトに老年の守衛の姿が照らし出され、雄人は慌ててブレーキを掛け、止まった。守衛は二人の方に走り寄って来ると、雄人に向かって声を掛けた。

「この先は一般車の立ち入りは禁止だよ。看板見えなかった?」

 相手には見えないが、ヘルメットの中で苦笑をすると、守衛に向かい、雄人は少し大きな声で言う。

「俺達、ここに勤めてる人の関係者なんです。訳有って尋ねて来たんですよ」 

 守衛の表情が僅かに(いぶか)しげに変る。極稀(ごくまれ)に、関係者を装い入うとする者が居るからだ。

「誰に用が有るんだい?」

 実夏がリヤシートから降りると、ヘルメットを脱いで、相手を真っ直ぐに見て真剣な表情で言った。

「あたし、取手総一の娘で実夏と言います。今日の夕方、父が狐と一緒に、戻って来たと思うんですが、その狐の事で父に直接話したい事があるんです」

 これは、事前に雄人と打ち合わせをしていた事。何故なら、出来る限り風巻の名前を出さない様にする為だ。風巻の名前を出すのは最後の手段、と、二人は決めていた。

「身分証は有るかな? 見たとこ学生さん見たいだから、学生証があれば直ぐ確認が出来るけど?」

 はい、あります、と言いながら、ポケットから学生証を取り出し、守衛に渡す。守衛はそれに懐中電灯を当て、名前を確認した。

「確かに。それじゃ、待っててくれるかな? 一応、中に連絡して許可を取らないといけないからね。あ、それと、バイクはそこに寄せていいよ」

 守衛室の脇を指差すと、走って戻って行く。雄人は言われた場所にバイクを移動させ、エンジンを止めた。

「物分りのいい守衛さんで助かった」

 安堵している彼の側で、実夏も首を縦に振っている。

「だね。これが頑固者だったら、大変だったよね」

 顔を見合わせ、二人して笑う。

 程なくして守衛が二人の下に戻って来るが、その表情はどこか、心苦しそうに見えた。雄人は、もしかして、と思ったが、此方から聞く事はせず、守衛の言葉を待った。

「ごめんね。取手先生は今、手が離せないらしいんだ。それと、家族でも部外者だから、って突っぱねられちゃったよ」

 これは何かあるな、と直感した雄人が目配せをすると、彼女は即座に頷いた。

「誰が突っぱねたんですか? 取手先生より偉い人って、今のこの時間は居ないって、前に聞いた事あるんですけど?」

 守衛は、うーん、と唸るばかりで、何も言おうとしない、と言うより、何か口止めされている感じがした。雄人は短く息を吐くと、姿勢を正し、真剣な表情を向ける。守衛もその態度に何かを感じたのか、僅かに首を傾げながら聞いた。

「どうしたのかな?」

「俺、風巻って言います」

 守衛の目が見る間に開かれていく。それは見ていて面白い程だったが、雄人は不安に駆られた。守衛でこの驚き様では、中で働く人達はどんな態度になるのかと、心配に思ったからだ。しかし、今はそれを表に出すべき時ではなく、(むし)ろ、最大限利用して、何とか中に入らなければ成らなかった。

「か、風巻って……、もしや……、貴方様は……」

「はい、俺は風巻(かざまき)源一郎(げんいちろう)の孫で雄人と言います。ここの創始者の源太郎(げんたろう)は、曽祖父です」

「か、風巻の若様! こ、これは、気が付きませんで、た、大変失礼いたしました! し、しばらくお待ちください。今すぐ開けますので!」

 慌てて走り出す姿を見て、雄人は複雑な気分で溜息を付いた。そんな雄人の肩を、実夏は軽く叩いて、片目を瞑って見せた。差し詰め、結果オーライ、と言いたいのだろう。

 息を切らせる距離でもないのだが、守衛は息を弾ませ二人の下に戻って来る。その態度は先ほどまでとは一変して、厳粛(げんしゅく)な姿勢になっていた。

「お、お待たせ致しました! お入りください!」

 その余にも豹変しすぎる態度に、雄人は今更ながら、ここでの風巻の名の重みを実感した。

「有り難うございます。お手数をお掛けして済みませんでした」

 雄人が丁寧に挨拶をすると、守衛は最敬礼で返した。

「いえ! 此方こそ失礼いたしました! 中の者にも話を通しておきましたので、どうぞお入りください」

 一礼すると道を開け、二人を門の中へと(うなが)す。雄人はバイクに括り付けた刀を解くとそれを手に、軽く会釈をして実夏と共に中に入って行った。

 その頃、研究所内の一室では大騒ぎに成っていた。守衛からの最初の連絡は林に言われた通りに対応したのだが、その次の連絡には許可を出さざるを得なかった。まさか、創始者の一族が来るなど想定していなかったからだ。実の所、林はアレクの一件以来、取手の事を(うと)ましく思い、自分の立場を利用し、密かに自分の考えを所員に浸透させていたのだが、風巻の名前がこの研究所に取ってどれ程の重みが有るかなど、まったく知らなかったのだ。しかも、総一も雄人と面識が有るなどという事は、一度も所内で口にしていなかった。その為、想定外の事態に対応を任された者は慌てふためいて居た。

「くそっ! どうなってやがる! 何で取手の娘と……!」

 守衛の二度目の連絡を聞いて、苦りきった表情でどづくと、彼の側にいた男が、提案をした。

大垣(おおがき)さん、ここは林さんに、連絡して……」

「お前は馬鹿か! 連絡なんかしてみろ! これから行われる事は全て中止だ! それにもし、倫理規定に引っかかる様な事をしようとした、なんて事が風巻にばれてみろ! どうなるか分かったもんじゃない!」

 彼が男を怒鳴り付けている所に、また別の男が大垣に声を掛けた。

「あ、あの、今は出迎えに……」

「そうだな――、今は機嫌を損ねないようにするしかないな――。よし! 行くぞ」

 彼等を出迎える為に、大垣を先頭に、三人は部屋を出て行った。

 雄人と実夏は街灯の僅かな明かりの中を、建物に向かい歩いている。実夏は上を見上げながら雄人に話しかけた。

「所々、消えてるわね。これも節電ってやつなのかしら?」

「そうだろ。今のご時世、節電、節電って五月蝿いからな。もっとも、俺は言った覚えもなけりゃ、やった事もないけどね」

 実夏はブツブツと何かを言っているが、雄人はそんな事、どうでもいい様である。

 入り口の明かりが見えて来ると、その中に、男達が姿勢を正し並んでいるのが見えた。実夏にもそれが見たのか、キョトンとしていた。

「ねえ、あれ、何してるんだと思う?」

「俺達のお出迎えだろ。なんせ俺は、風巻の若様だからな」

 肩を竦め、自虐気味に言った。

「若様ねえ――。あたしから見ればただの悪ガキって感じなんだけど? でも、一応、ここではそうゆう事にして置いてあげる」

 実夏も失笑する。そして、お互いに顔を見合わせ、声を上げて笑いあった。

 入り口では白衣姿の男三人が緊張の面持ちで立っていた。三人とも雄人の姿を目にするのは初めてなので、僅かばかりでは有るが、興味はあった。

 先ほど、大垣、と言われた大柄な体躯をした男の右隣に居る男がチラリと顔を向け、声を掛けた。

「若様――、風巻のご子息とは、どういった方なのでしょうね。とりあえず、応接室に連れて行きますか?」

「そうだな、そうするか。それとお前達は何もしゃべるなよ、まだ子供とはいえ、仮にも風巻だ。何か有れば大問題だからな。俺が対応する」

 両隣の男達は首肯して、また前を向いた。

 入り口から外に漏れる僅かな光に照らされる人影が二つ。ゆっくりと近付いて来る。足元から光に照らし出され、徐々にその輪郭を露わにした。その姿を見た三人は一瞬、女二人なのか、と見間違えたほど、雄人は美しかった。その髪は、光を受け銀色に輝き、瞳は蒼く澄んだ空の様で、その瞳を有する目は鋭く、まるで獲物を狙う獣のそれに見えた。綺麗に通った鼻梁は控えめに主張し、唇にいたっては、まるで女性のそれを見ているようだ。それぞれのパーツだけを見ても美しいのだが、それらすべてを納めた顔立ちは見る者を陶然(とうぜん)とさせるほどで、これぞ正しく、美麗(びれい)と呼ぶのに相応しかった。そして、その見事なまでに均整の取れた体躯は、服の上からでも想像が出来るほど無駄が無い事が見て取れる。彼のその目鼻立ちは何所から見ても日本人には見えないが、唯一(ゆいいつ)、その身長だけが日本人の平均を保っていた。それとは対照的なのが、その隣の少女だった。典型的な日本人、と言えば普通に聞こえるが、腰まで届きそうな(つや)の有る黒髪を後で束ね、瞳は全ての光を吸い込み、その黒さを一際(ひときわ)輝かせている。目元は意思の強さを表す様に微かに上り、すっきりと通った鼻梁はその下にある唇を際立たせる。その唇は見るからに柔らかそうで、僅かに赤みを帯びて、若さと美しさを強調していた。そして、首から下の肢体は見事なカーブを描き、男なら思わず抱き寄せてしまいたいほどだった。そんな二人を男達は恍惚とした表情で見詰め続けていた。

 自動ドアが開く音が微かに響くと、男達は我に返り、慌てて腰を折る。

「お待ちしておりました」

 二人に対して深々と腰を折る姿を見て、雄人は苦笑を漏らし、ここでも風巻の名の重みを実感したが、それとは別に、もう昔とは違う、と言う思いが頭の片隅を過ぎり、何とかしなければ、と思った。

「お疲れ様です。面を上げてください」

 男達の緊張が伝わってくる。やはりこのままでは何かと遣り難い。まず手始めに、この状態を変える事から始めた。

「何も分からない若輩者ですので、そこまで(かしこ)まられるとこちらが緊張してしまいます」

 面を上げると、彼の笑顔を見て、僅かに緊張を緩めた。そして、大垣が口を開いた。

(わたくし)、ここで副所長をさせていただいております、大垣、と申します。以後お見知り置きを」

 その(こうべ)を垂れ、(うやうや)しく自己紹介をする大垣は、岩のようにごつい顔に無精ひげを生やし、大柄な体躯は白衣でなく、ガテン系の衣服を着せて鶴嘴(つるはし)でも持たせれば、さぞ似合うだろうと思えた。だが、雄人はその大垣の挨拶にも眉を(ひそ)めた。

「本当に畏まらないでください。自分より年上の社会経験豊富な方にその様な事をさせては、風巻の名に傷が付きます」

 これでどうだ、雄人はそう思った。相手もまさか、風巻の名で畏まるな、と言うとは思わないだろうと考えたからだ。

 大垣は驚いて面を上げ、声を上げて笑い始める。両隣の男達は心配そうな表情をしていたが、雄人と実夏が顔を見合わせ、息を付いて笑顔になっているのを見て、ほっとしていた。

 笑いを収め、咳払いを一つすると大垣は、

「いや、失敬。まさか風巻の若様が、こんなに砕けた方とは知らなかった。いや、これは参った!」

 その豪快とも言える笑顔は、これが先ほどまでの男か、と思うほどの変り様だ。その変化があまりにも大き過ぎて、雄人は呆気に取られ、それを見た大垣はニヤニヤと笑っているが、嫌味のある笑顔ではなかった。

「……、若様、と呼べばいいのかな?」

 自分の事だ、と認識するまで、ほんの僅かだが時間が掛かる。その間も大垣のニヤけた表情は、彼を捉えている。雄人は一度、目を閉じて気持ちを落ち着かせ、見開いて、言う。

「雄人でいいです」

「そうか。では、雄人君、ここでの立ち話では何だし、奥で訪問の用件を聞くとしよう」

 その顔が研究者のそれに変る。そして、白衣を(ひるがえ)し、奥に向かって歩き出した。他の男も大垣に着いて行く。雄人と実夏はお互いの目を合わせると、その後に着いて行った。

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