始まり
研究所に向かう車の中から、アレクは静かに車窓を眺めている。総一は、そんな様子のアレクを時折横目で見ながら車を走らせていた。
「二人に何も言わずに来たけど、本当に良かったのかい?」
総一の問い掛けにアレクは反応する事も無く、ただひたすら流れ行く景色を眺める。何を思い、何を考え外を眺めているのか、その事は誰にも分からない。総一は、初めて研究所からアレクを連れ出した時の事を思い出していた。車を怖がるアレクを宥め、乗せるのに苦労した事。乗せてからは、車内ではしゃぎ回るアレクを微笑ましく思った事。そして、家に連れて行ってから、今日までの事。我知らず総一の口からは謝罪の言葉が漏れていた。
「済まない、アレク。こんな運命を背負わせてしまって……。本当ならもっとあそこに居たかっただろうに……。だから、恨むなら僕を恨んでくれ。全ての責任は、この僕にあるのだから……」
それでもアレクは総一の方を見ようとはしない。が、突然、寂しげに呟いた。
『来た時と景色が違うのね』
沿道沿いの景色は今もそのほとんど四年前と同じだ。しかし、アレクには違って見えた。取手家に行く時は、気持ちが高揚して、見るもの全てが眩しかった。だが今は、同じ物が沈んで見える。それは、今のアレクの気持ちその物を映す鏡。だから、違う景色に見えた。アレクのその一言で、総一は何も言葉を掛ける事が出来なく成ってしまった。そして、総一は前を見て車を走らせ続け、アレクは外の景色を見続ける。その後二人は、研究所に着くまでまったく言葉を交わす事は無かった。
研究所の門前で車を一旦止めると、総一はそこに立つ守衛に職員証を提示した。そして、柵を開けて貰い中に入り、駐車場に車を止めて降りると、助手席に回りドアを開け、アレクを降ろして中に入って行った。
そこには林の他、数名が待機をして居り、総一とアレクが入って来るなり声を掛けた。
「お帰りなさい、先生。準備はすでに整っています」
総一は僅かに眉を顰めると聞き返した。
「準備? 何の準備だい?」
林は肩を竦めると、僅かに片頬を引き攣らせ、総一はその表情に何か嫌なものを感じ、不安を覗かせた。
「忘れてもらっては困りますよ、先生。解剖に決まっているじゃありませんか。人の言葉を話すからには、声帯も調べてみないといけませんからね」
ニヤけながら肩を竦めて言う林の真意は図りかねたが、およそ動物の命など、塵芥と同じにしか思っていない様な言い草に、総一は怒りが込み上げ、思わず怒鳴ってしまった。
「そんな決定、僕はした覚えはないぞ!」
声を荒げる総一を見た林はその様を鼻で笑った。それは更なる怒りを彼に与えるものだった。
「何を怒っているんですか。現場判断、というやつですよ。もっとも、解剖は各種検査が終了してからですけどね」
怒りを押し殺し、総一はなんとか平静を保つと、林から視線を外した。
「わかった、検査準備も出来ている、という事だね」
頷き、他の職員に目配せをすると、アレクに近付いて行く。
「久しぶりだね。覚えているかな?」
見下した表情で話しかける林を、アレクは馬鹿にする様に鼻でせせら笑い、嫌味な笑みを向けた。
『あんたみたいなのって、そこいら中にゴロゴロしてるから、覚えてなんか居られないわ』
眉を吊り上げて、頬を痙攣させ、強く拳を絞めて体を震わせると、林はその表情に悔しさを滲ませた。
『総一。早く行きましょ』
完全に林の事など眼中に無い、といった風情で総一に話し掛けると、自ら奥に歩いていってしまった。総一は林に一瞥をくれただけで、ゆっくりとアレクの後を追い掛けた。
二人の姿が見えなくなると林は息を吐き、気持ちを落ち着けて、呟いた。
「精々今の内に気勢を吐けばいいさ。どうせ、最後は俺の玩具なんだからな」
声を押し殺し、含み笑いを漏らす林のその表情は、普段、他人に見せる柔和な顔ではなく、醜く歪んだ醜悪なものだった。