連絡
寒風に体を撫でられ身を震わせると、雄人は目を覚ました。
「さむっ!」
家の窓は全て開け放して有り、今迄寝ていられた方が不思議なくらいだ。時計を見て時間を確認する。だが、その針はあらぬ場所を指していた。
「はれ? なんで九時なんだ?」
周りを見回す。と、別の時計が目に入った。そちらはなんと十一時半を指している。
「どうなってんだよ……」
雄人は知らなかった。刻結が時計を全て狂わせてしまった事を。家中を駆け回り、全ての時計を確認するが、その全てがそれぞれ違う時間を指していた。溜息を付くと、彼は電話機の元に行き、受話器を上げ、一一七番を押した。呼び出し音がほんの少しだけ鳴り、直ぐに時報サービスが時を告げた。
「もうすぐ三時か、道理で寒いわけだ」
外はまだ明るさを失ってはいないが、それも時間の問題だ。彼は今の内に、と、家の窓を全て閉めて回る。閉め終わると元の部屋に戻り、転がった刀を袋に仕舞い、外出の準備を始めた。
準備が終わり玄関に向かおうとした時、携帯が呼び出し音を奏でる。着信画面を確認すると、それは真沙子からだった。
「はい、雄人です」
流れて来たのは確かに真沙子の声、なのだが、それは何時もの明るい声ではなく、悲しみに沈んだ、すすり泣く声だった。
「もしもし!? どうしたんです?! 何か有ったんですか?!」
何時も笑顔を絶やさぬ真沙子しか知らない雄人は、驚きで、思わず声を張り上げてしまった。
「ご、ごめんな、さい、雄人、くん……。アレ、クを、引き止めて、置けなかった、の……」
アレクを引き止めて置けなかった? 彼には一体、何の事だか分からない。
「どういう事なんですか? 引き止めて置けなかったって」
彼が静かに問い掛けると、震える声で真沙子は事情を話した。それを聞いているうちに、彼の表情は、怒りとも、悲しみとも付かない表情に、変った。
「知らせてくれて有り難うございます。アレクは俺が必ず連れ戻してきます。だから、待っていください」
携帯を切ると、険しい表情を浮かべ、急ぎ、自分の部屋へと向かった。
「――まさか、一昨日上がって来たばっかのやつを、こんな寒空で初乗りする事になるなんてな……」
愚痴る雄人の手にはヘルメットが、そして、上着は普段着るものから、冬用のライダースジャケットに変っていた。だが、反対の手に持った刀は離してはいない。
「おい、刻結。出て来い」
「なんだね、騒々しい」
姿は無いが、気だるげな感情が含まれた声だけが聞こえる。
「お前のお陰でとんでもない事になったぞ」
「何か問題でも起こったのかね?」
まるで他人事、と言わんばかりの態度に、雄人は切れ掛かった。
「問題が起こったのかね? じゃねえよ! 何、人事みたいに言っちゃってんだよ! ちゃんとアフターフォーローしろよな!!」
「あふたぁふぉろお? とは、なんぞ?」
「横文字通じないのかよ……、めんどくさい奴だな……」
溜息を付くと、その話は諦め、次の話に移った。
「確かお前、願いが叶うまでは、災厄から守るんだよな」
「無論だ」
「なら、今すぐアレクを助けろ」
「それは出来ぬ」
「何故だ!」
「まだその身に危険が及んでおらぬ」
雄人は舌打ちをすると、身を翻し部屋を出て行く。向かった先はガレージ。その片隅に有る物の側に行くと、掛けて有るカバーを引き剥がした。その下から現われた物は、大型のアメリカンタイプのバイクだった。
「さて、どれ位パワーを絞り出してくれたかな……」
呟きながらヘルメットを被り、手にはグローブを嵌め、ガレージのシャッターを開けてバイクを外に出すと、シャッターを閉める。そして、キーを差込みセルボタンを押す。大きな車体は一瞬だけ震えると、大排気量V型二気筒特有の弾ける様で、それでいて、地を這う重低音を響かせ、エンジンが目覚めた。雄人は刀を括り付けるとバイクに跨り、左手でクラッチをゆっくりと握る。左足でギヤを一速に叩き込み、アクセルを大きく開けながら、荒っぽくクラッチを繋いだ。急に強大な力を加えられた後輪は溜らず悲鳴を上げ、空転を始める。だが、彼はお構いなしにアクセルを開けると、バイクは尻を左右に激しく振り出しながら、スキール音と共に進んで行った。
風切り音がヘルメット内部に聞こえてくる中、刻結の声が鳴り響く。
「なんだ? この乗り物は」
「お前、バイクを知らないのか?!」
「ほう、これは、ばいく、と言うのか。なんとなく馬に似ておるな」
「そりゃ、似てるだろ。なんせ、鉄馬って言われてるくらいだしな!」
雄人の口から笑みが零れる。何時もこうだ。バイクに乗ると気分が高揚する。何故、高揚するのか理由など分からない。しかし、今日はまだ此れからだ、という気分になった。
「主は嬉しそうに見える」
当たり前だ、そう思った。もしかすると此れから一暴れするかもしれないのだ。しかも、曽祖父が作った場所で、だ。こんな面白い事は無い。曽祖父の作った場所をその曾孫が壊す。これほど滑稽な事が何所に有る。
「お前、俺の心が分かるんだろ! なら、何故だかも分かるよな!」
叫び、更にアクセルを捻り上げた。彼の意思を右手がアクセルに伝える。それは、エンジンに伝わり、更にそこから後輪へ伝わると、強大な力で地面を蹴り飛ばす。そして、弾かれるようにバイクは前へ、前へ、と加速していく。何時しか彼は、ヘルメットの中で声を上げて笑っていた。
「そうだ! ちょっと実夏の家に寄るぞ!」
刻結に言ったのだろうが、返事は無く、その事を彼も気にする風も無い。
取手家に向かう為には、今の道を逸れて脇道に入る必要があった。その脇道へ入る交差点が近付く。ただ、そこは交差点、といっても、優先道路から脇道に入る場所で、信号の類は一切無い。雄人はその交差点の手前でバイクを傾けながらシフトダウンをすると、リヤブレーキを強く踏み込み、後輪を振り出した。そのままの速度では曲がり切れずに路地の対向車線側の壁に激突してしまう。だが彼は、あろう事かアクセルを大きく開けたのだ。すでに滑り出している後輪がそれを受け止められるはずも無く、虚しく地面を掻き毟り、周囲にはゴムが高熱で溶かされた時特有の匂いが立ち込めた。バイクが横に滑ったまま交差点が近付いてくる。雄人はカウンターを当てているハンドルを少し戻すと、アクセルをほんの僅かばかり緩めた。すると、今迄激しく空転していた後輪が地面を捉え始め、前に進み出す。その瞬間を見逃さず、車体を起こし始めると、後輪は更に地面を掴み取り、出来る限り与えられた力を叩き付け、三百キロを超える車体を前へと押し出し始める。彼はハンドルに軽く手を添えるだけで力を入れず、自らの全体重をシートに預け、さらに後輪を地面に押し付ける力を増やした。雄人の体重など車重に比べれば大した事はない。だが、その僅かな加重で完全に路面を掴み取った後輪は空転する事を止め、ありったけの力を地面に伝える。前輪は僅かに浮き上がり路面から離れ、虚しく宙を舞う。それを感じ取り、彼がアクセルを更に大きく捻ると、エンジンは怒号を上げ、その猛勢を注ぎ込まれた後輪は、バイクを弾き飛ばしていく。
「ヒャッホー!」
「主、性格変わって居らぬか?」
良く有る話だ。人間、大なり小なりハンドルを握ると性格が変る。ただ、彼の場合は変化が大きいだけだ。
「あと少しだ!」
刻結には答えず、取手家が近い事を告げた。