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悠久の時の彼方でⅠ  作者: 春岡犬吉
第三章
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義母

 総一は自宅の側に車を止めると、急いで家に駆け込む。玄関の扉を開け、靴を脱ぐのも(わずら)わしげにその場に放り出し、短い廊下を走って居間に入って行った。

「真沙子! アレクは……」

 どこだ、と言おうとしてソファーで眠るアレクが目に入った。その側では、真沙子が優しくその背を()で、けたたましく入って来た総一に顔を向けると、指を口に当てて静かに、と合図を送った。

「アレクが話したって、本当なのかい?」

 幾分(いくぶん)、声のトーンを落とし、聞く。彼女は我子に向ける様な眼差しをアレクに(そそ)ぎながら、ゆっくりと頷いた。

「なら、すぐに起こして研究所に……」

 真沙子は首を振り、拒絶の姿勢を見せた。

「だけど!」

 再び声を荒げる総一に、(とが)める様に視線を送ると、静かに口を開く。

「今は駄目。この子、泣き疲れて眠ってるから……」

 また、視線を眠るアレクに戻す。

「なら、何故、僕に電話してきたんだい?」

 真沙子が一瞬、寂しげな表情を見せた。

「それは……、この子に言われたから。でも、わたしはしたくなかったのよ。こうなる事が分かってたから……」

 顔を上げ、総一の目を見る。彼女のその瞳には、やりきれなさが(ただよ)っていた。

「あなたの仕事は分かっているわ。だけど、この子はわたし達の家族なのよ。姿形は違ってもわたし達の子供よ。その子と二度と会えなく成るかも知れないなんて、母親としてそんなの、許せる訳がないでしょう?」

 まさか彼女がこの様な事を言うとは、総一も予想だにしていなかった。真沙子の言う事は分からないでもない。自分とて辛いのだ。出来ればこのままずっと、とも思ってはいる。だが、彼にはアレクを研究所に連れて帰り、詳細を詳しく分析して報告する義務が有る。それを(おこた)ればどうなるかは、火を見るより明らかだった。

「だけど――、それでも僕は……」

「分かっています。あなたも辛い事くらい……。でも、実夏や雄人くんが知ったらどうすると思います? たぶん、雄人くんなら研究所まで行きますよ? 風巻の名前を出されたら、職員の人達も困るんじゃないですか?」

 風巻、この名前は総一が勤める研究所にとって、非常に重要な名前だ。何故なら、この研究所の創始者は、雄人の曽祖父だからなのだ。もし、彼が来てその名を出せば、施設に入る事を断る、という事が出来ない。実際、彼の祖父が存命中は、研究所のトップにその名を連ねていた。当時は、年に数回程度の訪問しかしていない様だったが、それでもその発言は絶大で、少しでも倫理に(もと)る、と判断された場合には研究を許可された事がなかった。現在、風巻の名前は残っていないが、それでもその威光は未だに消えていないのが実情だった。

 苦りきった表情を見せる総一に、真沙子は少し、同情を覚えた。彼の言う事は正しい、その事は理解している。しかし、頭では理解出来ても、感情はそうもいかない。だからと言って、困らせるのは本意ではなかった。

「総一さん、約束してください。アレクは必ず返すと。それも、傷一つ無く、今と変らない姿で帰すって。それともうひとつ」

「もうひとつ? 約束は二つなのかい?」

 頷く真沙子を見て、総一は何を聞いても怒るまい、と思った。

「アレクが雄人くんと会うまで待ってもらえませんか? でないと、この子が可哀想ですよ。挨拶も出来ずに居なくなるなんて……」

 限りない優しさをその瞳に湛えて総一に訴えかける彼女は、まさしく、子を思う母親のそれだった。

「分かった。雄人君が来るまで待とう。そして、研究所では出来る限り手を尽くしてみる。だけど――、もしもの時は……、許してもらえるかな?」

 それが総一の精一杯の答え。必ず、とは言えない事が、(たま)らなく辛かった。

 二人はそれ以上話事も無く、沈黙を続けた。時間にして数分、その沈黙を破ったのはアレクだった。

『ありがとう。あたしの為にそこまで言ってくれて。だけど、行くなら今連れて行って。でないと別れるのが辛くなるから……』

 その身を起こし、総一を見詰める。アレクは真沙子と総一の話を最初から全て聞いていたのだ。だから、二人に迷惑を掛けまいと、自ら総一に頼んだのだった。

「全部、聞いていたのね……」

 ゆっくりと頷くアレクを見て、真沙子は目を伏せた。

「本当に話せる様になっていたのか……」

 驚きを隠せぬ表情で、呟く様に言う総一の足元にアレクは動き、真沙子に顔を向けた。

『今日まで有り難う。さようなら、もう一人のあたしのお母さん。それと、実夏と……雄人、わたしの大好きな人にもちゃんと伝えてね。今までありがとうって』

 目に涙を溜め、気丈にも笑顔を浮かべるアレクに、真沙子も笑顔を向ける。だが、その瞳からは涙が零れ落ちていた。

「さようなら、アレク。あなたの事、絶対忘れないわ」

『総一、もう行きましょう。これ以上ここに居ると、もっと、真沙子を悲しませてしまうから……』

 アレクは背を向け、居間から出て行く。総一は、すまない、と一言残すと、笑顔で涙する妻に背を向け、伏目がちに居間から出て行った。玄関の扉が閉まる音が微かに響くと、真沙子はその場に泣き崩れた。


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