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悠久の時の彼方でⅠ  作者: 春岡犬吉
第三章
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言葉

 次の日の朝、実夏が起きた時にはすでに雄人の姿は無く、何時帰ったのか、と聞いてもその事は母も知らず、父はすでに出勤していて、知っているはずのアレクも答えようとはしなかった。ただ、アレクのその態度からは、全員が寝静まった深夜に、何かがあったのではないか、と思わせる素振りはあった。彼女も登校時間が迫っていた為、その事に付いて問質す余裕も無く、慌しく家を出て行った。

 朝食の片付けが終わると、真沙子は洗濯に掃除にと忙しく家の中を行き来している。そんな中、ふと気が付くと、アレクが開け放たれた居間の窓から、ジッと外を眺めているのが目に止まった。お気楽でいいわね、と思いながら、その事をさほど気にする様子も無く、てきぱきと家事をこなしていく。一通り終わり、一息付こうと居間に戻ると、アレクはまだ外を眺めていた。大分時間が経っていた筈だが、見掛けた時と変らぬ姿勢で、外を眺めている。今日の様な小春日和の日などは、柔らかな日差しを浴びながら寝ているのが常だったアレクが、先ほどとまったく変らぬ姿勢で居るなど、初めての事だった。

「アレク?」

 声を掛けても動かない。それどころか、聞こえても居ないようだった。不思議に思い近寄ると、再び声を掛けた。

「何か面白い物でも見えるの?」

 一瞬、びくっと身を震わせると、顔を上げ、アレクは安堵の息を吐いた。

『なんだ――、真沙子か……。びっくりさないでよね』

「あら、あなたがぼーっとして……」

 驚愕で真沙子の目が徐々に見開かれてゆく。アレクが人の言葉を話した。彼女の思考は、あまりにも突然の事に追い付いていかない。昨日まではまったく人間の言葉は話せなかった筈なのに、何時の間にか話せるようになっている。有得ない、自分の聞き間違いだ、そんな考えだけがぐるぐると廻っていた。その余の衝撃に、微動だにしない彼女を見たアレクは溜息を付き、また顔を外に向けた。

『そりゃ驚くわよね。行き成り話せるようになったんだから……。あたしでも信じられないくらいなんだし……』

 やはり聞き間違いなどではない。普通に話をしている。真沙子もこの事は事実として受け入れざるを得ないが、アレク本人も相当戸惑っている様子だった。それもそうだろう。話せる様に、と、懸命に努力していた時でさえ、その言葉を理解出来た者は、只一人、雄人だけで、他の人は出来なかったのだ。それが突然話せるようになるなど、本人でも信じられる訳が無い。

 目を瞑り、胸に手を当て、真沙子は何度か深呼吸をする。最後に、ほんの少し息を止めた後、ゆっくりと吐いた。

「ねえ、アレク。聞いてもいいかしら?」

 外に顔を向けたまま、アレクは頷く。

「何時から話せる様になってたの?」

『今朝よ』

「今朝の何時ごろ?」

『雄人が何時の間にか居なくなったのに気付いた時よ。しかも、初めての第一声が〝何所行ったの?! 雄人!〟だもの、今思うと笑っちゃうわよね』

 力なくアレクは笑う。真沙子にはアレクの気持ちが痛いほど判る気がした。アレクが彼の事をとても気に掛け、大切に思っていたのは見ていて良く分かっている。それが、居なくなった事にも気付けず、本人は何時の間にか話せる様になっていた。本当なら、最初の言葉は、おはよう、と言いたかったはずで、そして二人で驚き、(よろこ)び合いたかったに違いない。

「あなた、やっぱり……」

 その先の言葉は飲み込んだ。今のアレクにはとてもではないが、言える事では無いからだ。

 アレクの体が心做(こころなし)か震えて見える。すると、微かに震えを含んだ声で彼女の名を呼んだ。

『ねえ、真沙子』

「なに?」

『……あたしは、何故――、狐に産まれ付いたかな……?』

 真沙子はアレクの不可解な質問に、困惑し、眉間に軽く皺を寄せていたが、その後に続いた言葉に声を失った。

『どうして――、人の言葉が解る様になったのかな……? なんで――、今頃話せる様になったの……? 神様は、なんで――、どうして――、あたしと雄人を出会わせたの……?』

 アレクは真沙子の方に振り向いた。

『どうして……、あたしは、人を好きになったの……? ねえ――、教、えてよ……』

 振り向いたその表情は、痛ましいほど悲しみに満ちた笑顔だった。アレクの瞳からは、涙が止め処なく溢れ出し、その口からは、やり場の無い感情が溢れていた。

 真沙子もそんなアレクを見て涙する。そして、側に膝を付くと、優しくアレクを抱き寄せ、囁いた。

「あなたが狐に生まれたのも、人の言葉が理解出来るのも、話せる様になったのも、みんな、神様からの贈り物なの。そしてね、そんなあなただから、雄人くんと出会えた。だから――、信じなさい。自分の想いを」

 自分を思うその優しさにアレクは実母の姿を重ね、声を上げて、泣いた。そして、真沙子は泣き止むまでずっと抱きしめ続けた。

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