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2nd Game「運命の奴隷達」


以前、友人を食卓に招いた時に言われた一言がある。

まさか罪深きバビロンの巨塔をこの時代に見ることになろうとは。


芝居がかった口調で馬鹿にされたが、要はいつ崩れるかわからないほど高く積み上げられた料理の巨塔に驚かれたということだ。食卓に座ると、向かい側にいる相手の頭が完全に隠れるくらいの山盛り料理の塔。しかも、そんな巨塔がテーブルの所狭しに建造されている。

エンゲル係数が九十九パーセントに達する凪家の食卓は、世界最高峰が軒を連ねるヒマラヤが吃驚するような山盛りだった。しかし、これでも実は二人分しかないというのだから驚きだ。


凪修二は、姉である凪桜と二人暮らしだった。

旧市街の一角にある小さな一軒家に暮らしている姉弟には両親がいない。母は修二が物心付く頃に病気で亡くなっていた。父は数年前、海外出張に事故に巻き込まれて亡くなったと聞いた。


昨日、鎌足亜紗から父は殺されたと聞いたが、修二は父の遺体を実際には見ていなかった。海外の事故に巻き込まれ、遺体そのものが見つからなかった。だから、今でも父が死んだということに実感がなかった。


父は本当に殺されたのか。

姉はその事実を知っているのか。


修二の頭の中でその疑惑が延々と回り続けていた。だが、内容が内容だけに簡単に切り出すことが出来ず、夕食もまともに喉を通らなかった(それでもヒマラヤは半壊して高尾山程度の高さになっていた)。


「なぁ、姉さん」

「なぁに?」


食器を洗っていた修二の姉、桜は手を止めて振り返った。

修二は姉のすぐ側まで行き、食器棚に背を預けて小さく深呼吸をした。父親との想い出が少ない修二にとって、父親の話をするのは少しだけ緊張する。


「聞きたいことがあるんだけどさ……」

「勉強でわからないことでもあった?」


「いや、それはない」


勉強でわからないところが無いという訳ではない。勉強は初めから諦めているので、その質問自体が無いのだ。


「聞きたいのは、親父のことなんだけど……」

「お父さんのこと? 修二がお父さんのことを聞きたがるなんて珍しいね?」


桜は泡立たせたスポンジで皿を洗いながら微笑んだ。


「…………殺されたって本当か?」


ガッシャァァンッ!!

桜の手から落ちた皿が甲高い音を立てて割れた。桜が予想以上の動揺を見せたことに、修二もまた驚きを隠せなかった。

これは嘘を見破られた時の反応だ。ずっと一緒に暮らしてきた家族の勘がそう告げていた。


「そ、その話、どこから……?」

「……半信半疑だったけど、本当だったんだな」


「ち、違うわ! そんな訳ないじゃない! お父さんが殺されたなんて、そんな恐ろしいことがある訳ないでしょ!」


「……姉さんがそう言い張るなら、それ以上は聞かねぇよ。俺は姉さんを困らせたくはないからな。それに、俺は別に親父が死んだ理由なんて、正直どうでもいい」


修二にとって父親とは、名前だけの透明な存在だった。

親子という血縁関係だとう認識はあっても、家族とは思えない。


だが、それも仕方ないことだ。修二は父と会った記憶がほとんどない。会えたとしても甘えるどころか、会話すらほとんど出来なかった。父親の写真を見ても親近感を覚えることはなかった。

だから、父が死んだ時はまるで他人事のように思えた。殺されたと知っても、驚きはしつつも、それ以上の感情は起こらなかった。


だが、姉も父と同じように殺されるかもしれない。


たとえ、冗談であっても、それだけは絶対に看過出来ない。修二にとって桜は姉以上の存在だ。母代わりであり、父代わりであり、絶対的な神にも等しい存在だ。桜のためならば、修二は喜んで命を差し出す覚悟があった。


「姉さん……。俺、少し出かけてくる」

「ちょ、ちょっと修二! 待ちなさい! 修二!」


桜が制止の声を上げた時には、すでに修二はリビングを飛び出していた。走り出した弟は絶対に止まらない。それを知る姉は伸ばした腕をそっと下ろし、弟に余計な真実を教えたであろう少女を呪った。


「亜紗、貴方は修二まで巻き込むというの……?」











飢えと渇きに苦悶していた時間が長ければ長いほど、垂らされる蜜の甘さに酔いしれる。たとえ、その蜜に毒が仕込まれると知っていても、それでも舐めることを止められない。


リーズ・ベルナールは屈服後、一糸纏うことも許されず、犬のように首輪に繋がれて四つん這いで歩くことを強要された。少しでも反抗的な態度を見せれば、屈辱的かつ淫靡的な拷問を強いられた。

だが、そんな屈辱を甘んじて受け入れられたのは、屈服後に会いたくて堪らなかった最愛の妹と再会することが出来たからだ。


リゼット・ベルナール。どんな時でも常に味方でいてくれた双子の妹。

この甘美なる餌がリーズの頑なだった心に楔を打ち込んだ。


元々、リーズ・ベルナールは自らの血と運命に翻弄され、過酷な地獄を幾つも味わってきた。それゆえ、この程度の屈辱には慣れていた。最愛の妹を守れるのならば、たとえどれだけ自らが穢れようと構わなかった。すでにとっくに穢れきった卑しい身体だからこそ、静夜に穢されて屈辱を味わわされることにも諦めが付いた。


屈辱を受け入れたリーズの目的はただ一つ、最愛の妹を守ることだけ。

再会して思い知らされたのは、リゼットがすでに身も心も完全に静夜の奴隷と化していたことだった。先に静夜が言っていたように、今のリゼットは静夜のために命を捨てるくらい平気で実行するだろう。それほどまでにリゼットは黒き王に心酔していた。

今、リゼットの身を守るためには静夜に従う以外に方法はなかった。


黒き王、風間静夜が何かの決戦に備えていること、その決戦の手駒としてベルナール姉妹を引き入れたことは、すでに彼の発言から察していた。だからこそ、その決戦の時こそがチャンスだろうと思っていた。その戦いで一瞬でも静夜に隙があれば、必ず殺してやると決めていた。


「……いいぞ、その内に秘めた貴様の殺意。そうでなくては面白くない。あっさり屈服するような穴の緩い女では楽しめない。何度踏み躙られても屈しない強さを、折れて砕けて自ら股を開くようにするまで嬲り潰してこその愉悦だ。

 強く、強くあれ。もっと強くあれよ、リーズ・ベルナール。貴様を従順な下僕にする方法など幾らでもあるが、俺の愉悦に耐えられるほどの玩具は貴重だ。俺の真の目的を達するまでの手慰みとして、存分に苦しみもがけ。

 ほら、どうした、リーズ・ベルナール? 俺を殺したく堪らないと訴える心を抑えてつけたまま、屈辱的に俺の靴を舐めていいのか? その激情のままに吼えて噛みついて来たらどうだ?」


本革のソファに深く腰掛け、首輪に繋がれたリーズの顔面に靴を突きつけながら、風間静夜は尊大に言い放った。彼女が抵抗出来ないと知りながら、彼女の抵抗が彼女の最愛を殺すと教えておきながら、嬲るように言い放った。


「……それは誤解です。ボクは君に忠誠を誓っています。リゼットが従う限り、ボクも君に従います」


「口は相変わらずつまらんな。奉仕は一向は上手くはならんし、貴様の口は本当に無用な長物だな? いっそ引き千切ってしまおうか?」


「んぐぅッ!?」


静夜はつまらなさそうな表情のまま、靴の爪先をリーズの口の中に突っ込んだ。華奢な少女は咽び蹲り、暴君はそんな少女の頭蓋を躊躇いなく踏み躙った。


「さて、今日はどうしてやろうか? 壊し過ぎて使い物にならなくなっても困るが、これだけ嬲り甲斐のある玩具で遊ばぬ手はない。壊し過ぎず、完全に屈服はさせず、この俺が充分に楽しめる蹂躙となると、なかなか難しいな。ワンパターンに犯すのも芸がない。ふむ……、どうしたものかな?」


邪悪な王はサディスティックな笑みを浮かべながら、一糸纏わぬ少女を舐めるように見下した。

もはやこの少女の身体で穢していない部分はない。今や少女自身よりも彼女の身体を知り尽くしている魔王は、これまで彼女がもっとも忌避した行為を思い返しながら、どうやって少女の尊厳を踏み躙ろうか考えを巡らせた。


だが、静夜の邪悪な企みを阻むように、無粋に扉をノックする音が響いた。


「入れ……」

「……失礼します。静夜様、お食事の準備が整いました……」


「り、リゼット……」


静夜の部屋に入ってきたのは、メイド姿のリゼット・ベルナールだった。

リーズは最愛の妹の姿を見て、嬉し涙が溢れそうになった。この絶望の中では、妹の姿を見られるだけで心が満たされた。


「本日は、最後の一人の解体となります。さぁ、断末魔の叫びを聞きながら、その血肉を切り分けましょう。私、またお刺身が食べたいです。新鮮なうちでなければ、人肉の刺身は食べれませんし」


「……なっ、何を言っているの、リゼット……?」


リーズは妹の発言に耳を疑った。

今、彼女は何と言ったか断片的にしか理解できなかった。

カイタイ、ダンマツマ、チニク、サシミ、シンセン、ジンニク、タベル……。


そこから想像できることは一つしかない。実に単純明快な事実だ。だがしかし、そんなおぞましいことを口にしたのが、最愛の妹だとは決して受け入れられなかった。


「……あら? リーズ、いたんですか?」


リゼットはたった今、リーズの存在に気付いたようだったが、彼女の瞳には唯一の肉親に対する情など一切含まれていなかった。まるで親の仇を見るような憎しみさえ感じた。


「リーズ、また貴方だけが静夜様の寵愛を賜っていたんですか? 私がどれだけ望んでも賜れない静夜様の寵愛を……、貴方一人だけが享受しているなんて……。本当に忌々しいです。殺してしまいたい……」


今まで見たことがない憎悪と嫉妬の瞳だった。優しかった妹の面影はどこにもない。双子だからこそ感じ取れてしまう嘘偽りない本気の殺意。


「り、リゼット……。ち、違うよ! ボクは……、そんな……、寵愛だなんて……」


「静夜様。こんな雌豚、他の連中のように豚肉と一緒にミンチしてしまいませんか? 私、ハンバーグを作るのは得意なんです。この雌豚をグチャグチャに潰した肉は、きっと卑しく惨めな味がするはずです。静夜様が大好きだと言っていた絶望の味のハンバーグの素材には、丁度いいと思います」


リゼットはハンバーグを作るのが得意だった。リーズはいつも妹が作ってくれるハンバーグが大好きだった。

温かくて優しい味のするハンバーグだった。それなのに、今のリゼットはきっとリーズが大好きだったハンバーグは作ってくれないだろう。


「……あ、あぁ……、リゼ……ット……。君は……、本当に……、リゼットなの……? ボクの知ってるリゼットは……、こんな……、こんな……。こんなのって……」


リーズは信じられなかった。唯一信じ、愛していた肉親の口から、こんな暴言を投げ付けられるなんて。

これまでどんな残虐で屈辱的な仕打ちにも耐えられたのは、たった一人の最愛がいたからこそ。心の拠り所があったからこそ、最後の一線だけは守り通すことが出来た。


だが、今、リーズの中で何かが切れた。

まるで糸が切れた操り人形のように床に突っ伏し、涙を流すことさえ忘れて絶望に呑まれていった。真の絶望に出会うと、もはや何も感じなくなってしまう。何かを感じる心を壊されてしまう。


「くっ……、あっははははははッ!! ふははははははッ!! リゼット、なかなか面白いことをしてくれるではないか! さすがは我が花嫁としてベニーニが仕立て上げた逸材だ! 本当に笑わせてもらったぞ、リゼット! 褒美だ、今日は存分に可愛がってやろうではないか! 貴様が望むように、貴様が力尽きまで嬲り続けてやろう!」


黒き王は声高らかに嘲笑った。

人間の絶望を心の底から愉快そうに嘲笑った。

この純然たる悪の化身は、憐れみや同情を感じることが出来ない。人が絶望する様子に対して、愉快という感情以外は湧かない。

だが、それは無慈悲ではない。無垢なのだ。風間静夜は純粋なる悪であり、そういう風に生まれついてしまった存在だった。


「風間、静夜ァァ……。お前が……、お前のせいで……、リゼットは……、リゼットはァッ!! ボクの知っているリゼットを返せェェェ、風間静夜ァァァッ!!」


リーズ・ベルナールは金色の髪を振り乱し、獅子のように激しく吼えた。

今の彼女は獣だった。理性という人間性を全て捨て去り、臓腑の底から煮え滾る殺意に身を任して吼える獣。己の身だけを武器にして、ただ獲物に食らいつこうとする姿には、どこにも人間らしさはなかった。


だが、獣は必ず狩られるものだ。

無慈悲なる銃弾によって。


リゼット・ベルナールの二挺拳銃から放たれた弾丸は、獣となった姉を躊躇なく貫いた。何発も、何発も、唯一の肉親の身体を撃ち抜いていく銃弾の嵐。


数多の銃弾に貫かれたリーズは血塗れになって床に転がった。呪われた血の力によって、リーズは心臓が破れるほどの重傷を負っても死ぬことはなかった。今も心臓に数発銃弾で貫かれたが、まだ死ねない。だが、死ぬほどの痛みは感じる。


「静夜様に手を上げようとするなんて許しがたい暴挙よ、リーズ」

「り、リゼットぉ……」


痛い。

貫かれた心臓の痛みよりも、家族に裏切られた心の方がずっと痛かった。


「静夜様。この反逆者を殺してしまってもよろしいですか?」

「それは許さん。だが、殺さない限りはどんな危害を加えても構わん。愉快な悲鳴を上げさせられたら、褒美をくれてやろう」


「はい♪ ですが、それよりも先に食事にしませんか? あまり待たせ過ぎると、恐怖の鮮度が落ちてしまいます。焦らし過ぎて感情が固まってしまっては、楽しい悲鳴は聞けません」


「それもそうだな。貴様の仲間だったクルキアレ殲滅部隊の最後の一人だ。趣向を凝らして、じっくりと嬲ろう。残った物は、これまでのようにリーズの餌にでもするか。そうだ、貴様お得意のハンバーグを振る舞ってやれ。さぞ、喜ぶぞ。はっはははははは!」


「……ッ!?」


今の言葉を聞き、リーズはこれまで口にしてきた食事の内容を思い返す。ほとんど疑問も抱かずに食べてきた肉料理の数々。あれは全てかつての仲間達のなれの果てだったというのか。


あまりの衝撃で嘔吐感が込み上げるが、今の身体では胃の内容物を吐き出せる力さえなかった。ただ、怒りや悲しみだけは止め処なく湧き上がり、絶望に沈みかけていた心を浮かび上がらせてくれた。


「悪魔め……ッ!! 悪魔め……ッ!! 悪魔め……ッ!!

 必ず……、必ず……、ぶっ殺してやる……ッ!!」


魔王への憎悪、それだけが少女の心を支える唯一の力だった。憎しみに身を焦がしてなければ、正気さえ保つことが出来なかった。












風城市鎌足神社。

祭神は建御名方神の系譜に連なる地主神であり、風神としての信仰が篤かった。元々風城市は強風被害に遭いやすい土地であり、風の平穏を祈るために鎌足神社は建立された。


強風地域の民俗信仰では風に悪霊が潜み、災厄を招き寄せると信じられていた。疫病を撒き散らし、農作物の生育を妨げ、家屋さえも破壊する風に対して強い恐れを持っていたのだろう。

そうした風害の多い地域では風の悪霊を祓うために風切鎌を立てる習慣があった。これは建御名方神の御神体が薙鎌であることからだと推測される。


風城市は元々強風地域であり、古くから住んでいる農家などでは風切り鎌を立てる習慣が今も残っていた。ただし、急激な都市化によって旧家の数も減り、風切鎌を立てる家も少なくなっていた。


そんな急激な都市の変化の中であっても、鎌足神社は昔と変わらぬ姿を維持し続けていた。


「ようやく来たわね、凪修二」


鎌足神社は、鎌足亜紗の生家だった。

修二は一度も亜紗の家まで訪れたことはなかったが、神社までくれば必ず亜紗に会えると思っていた。


「それで、返事はもらえるかしら?」


どんな強風にも決して折れぬ重厚かつ低頭の石鳥居の上に不遜に腰掛ける少女は、石段の下に佇む少年を嘲笑う魔女のように見下した。

少年は決意を秘めた眼差しで少女を見上げた。


「全部話せ。話はそれからだ」


「……全てを知ってから、考えを決めるのでは遅いわよ。知れば否応なく死の運命に引き込まれる。覚悟は今、ここで決めなさい」


「覚悟もクソもねぇよ。姉さんに危険が迫っているなら、その全てを叩き潰す。ガキの頃からずっとそうしてきた。今更、そんな中二的な脅しで退けるかよ。死の運命、上等。覚悟なんて、とっくに決まってる」


「とんだシスコン野郎ね。まぁ、操りやすくて助かるわ」


亜紗は魔女のように微笑み、石鳥居から飛び降りた。

その瞬間、修二は驚いて目を見張った。亜紗は発育不良気味の虚弱少女だ。あまり背の高くない鳥居とはいえ、亜紗が簡単に飛び降りられるとは思えなかった。


修二が声を上げそうになる瞬間、それは起こった。

光を孕んだ竜巻が巻き起こり、地上へと舞い降りる少女を包み込んだ。淡い光の風は漆黒の闇を照らしながら、そっと亜紗の身体を地上に降ろし、まるで泡沫のように儚く消えた。


「……な、何だ、今の……?」


「魔術、この世界の裏側に存在する陰の力。まぁ、細かい説明なんてしても無駄だから省くけど、この世界にはこういうものが存在している。まずは理解出来た?」


「す、すげぇ……。それ、俺にも出来たりするのか?」


修二はまるでマジックでも見せられたような驚きをした。実際、彼は今の奇怪な現象が本気で魔術だと思った訳ではなかった。何かタネか仕掛けのあるマジックではないかという考えが無意識の中に残っていた。


亜紗もこの程度の魔術で一般人の認識を変えられるとは思っていなかった。だが、常識を覆すような出来事というものは、心を殺し得る劇薬のようなものだ。一度に与えれば、対象の心を壊してしまう。

だから、これは劇薬に慣らすための甘い毒。心を壊してしまわないようにする小さな配慮だ。


「無理ね。貴方の本質は、これじゃない。それより、話が聞きたいなら付いてきなさい」


「はァ? 何だよ、それ?」


亜紗の言葉に首を傾げる修二。

そんな彼の様子など意に介さず、亜紗は身を翻して境内の方へと歩き出した。亜紗に話がある修二は慌てて彼女を追って、石段を駆け上がった。


鳥居を潜り抜け、亜紗に追い付こうとすると、境内にもう一人の人物がいたことに気付いた。夜闇の中に燦然と輝く鬼火のような怪異的な気配を纏った長身の少年だった。


静林学園付属中学の制服を着ていることから、おそらく年下だと思われる少年。ひょろりと細長く、百八十を超える修二よりも長身。今時、漫画の中でも滅多に見られない瓶底眼鏡を掛けている。

一目で変な奴だ、という印象を受けた。だが、それだけでは済ませられない不気味な威圧感があった。例えるなら、だらしなく寝転がっているライオンのような存在感だ。


瓶底眼鏡の少年は、修二が境内に入ってきたことに気付くと、まるで牙を剥くライオンのように微笑んだ。


「ようこそ、この世の地獄へ。一切の望みは捨てたかな? 生憎とこっちの地獄の入口には、ご親切な注意書きはないよ。もう引き返せない。生きるか死ぬかは、己次第だよ」


「……っていうか、お前は誰だ? その制服、ウチの学園の後輩か? 敬語を使えよ、クソ眼鏡」


体育会系全開の修二に対して、クソ眼鏡と呼ばれた少年は小馬鹿にするような笑みを浮かべた。


「そいつはさーせん。僕は佐渡逸樹。付属の三年に転入予定ッス。よろしくッス、センパイ♪」


すでに名前を知られていたことに修二は少々面食らったが、おそらく亜紗から聞いたのだろうと納得した。それより、どことなく人を小馬鹿にする逸樹の態度に苛立った。


「ちっ……。てめぇの相手なんかしてられっか」


逸樹を無視して亜紗を追うと、何故か彼も付いてきた。


「てめぇ、付いてくるなよ!」

「まぁまぁ、僕も亜紗姉に呼ばれてるんスよ。一緒に行きましょ♪」

「近ぇよ! 離れて歩け、お前!」


修二は隣に寄ってきた逸樹を追い払おうと腕を振るうが、あっさりと避けられてしまった。ムカついて何度か殴ってやろうとしたが、それも全て綺麗に避けられた。

そうして半ば一方的に喧嘩をするような形で歩き、亜紗を追っていく。質素な拝殿の脇を抜け、裏手の森側に向かう。すでに夜も更けた時間帯のため、森の闇も一段と暗くなっていた。


街中の小さな神社の裏手の森。だというのに、まるで世界から切り離されたような不可侵的な雰囲気があった。

夜の森には人間が本能的に恐れる闇が潜んでいる。

あの闇に満ちた場所で人間は、かつて人間の祖となる者達は餓えた獣達に食い殺されてきた。危険な場所だと潜在的に恐れる場所なのだ。


まともな明かりもない夜の森を少し進むと、鎌足神社に祀られている薙鎌が突き刺された御神木の下に辿り着いた。


「来たわね、二人とも。では、ゲームの話をしましょうか?」











手術台の上でリーズ・ベルナールは目を覚ました。

いつの間に手術台に乗せられたかは覚えていなかった。何をされたかも全く記憶になかった。だが、だからとって取り乱すこともなかった。


今更この程度のことで取り乱すような真っ当な人生は送っていない。呪われた血を発現させてから、実験や研究の名目で散々身体を弄られた。この程度の仕打ちは今更過ぎて、リーズにとって動揺に値することではなかった。


そもそもリーズが所属していたクルキアレ殲滅部隊には、人権という考え方はない。彼らは皆、異端者を殺すために集められた異端者であり、魔術や悪魔をいかに効率よく殺せるか研究するための実験動物だ。リーズが実験体として非人道的な仕打ちを受けたのは一度や二度ではなかった。


「おはよう、リーズ。身体の調子はどうですか?」

「リゼット……」


久し振りに見る優しいリゼットの微笑みを見て、リーズは涙が込み上げてきそうになった。


リゼットはこれまではどんな時もリーズの側にいてくれた唯一の肉親だったが、もはや彼女はかつての優しかったリゼット・ベルナールではなくなっていた。あの忌まわしき悪魔の手によって、考え方そのものを変えられた存在になっていた。


「まだどこか異常のある部分がありますか?」

「あっ、ううん……。むしろ……」


問われて身体の調子を確認すると、数時間前にリゼットに撃たれた銃痕が消えていた。リーズは呪われた血の力により、常人とは比較にならないほど回復力があるが、あれだけ滅多撃ちにされた傷が数時間で完治するほどのものではない。


だが、傷跡は全く残っておらず、意識を失うまで重症だったことが嘘のように快調だった。むしろ、意識を失う以前よりも確実に力が増していることを感じ取れた。


指先から爪先まで力が漲っていた。今なら花を手折るように鋼鉄に砕くことが出来そうな気がした。見た目に変化は全く見えなかったが、物理的な肉体の強度が明らかにこれまでとは異なっていた。

変化は肉体強度だけではない。魔術師が魔術を生み出すための霊的器官にも明らかに能力が向上していた。むしろ、霊的器官の変化の方が著しいくらいだった。


魔力炉から創造される魔力量が、魔術回路を迸る魔力の奔流が、何もかもが異次元のレベルまで引き上げられていた。魔術を発動させていないので、魔術をこの世に顕現させるための霊的器官である魔術機関の調子は確かめようがないが、おそらく劇的な変化があるだろう。


「……な、何これ? 今なら……」

「俺にも勝てそうか、リーズ・ベルナール?」

「せ、静夜……様……」


うっかり忘れていたが、ここは風間静夜のホームだった。この変化はおそらく静夜の意図で間違いないだろう、とリーズは固唾を呑んだ。


「ま、まさか……。ボクの力程度では、静夜様には到底……」


と謙虚に言いながらも、リーズは冷静に静夜との実力差を測り、今ならば静夜を上回っているだろうと判断していた。隙さえあれば必ず殺すと虎視眈々と息巻いていた。


「……リーズ、まさか俺より強くなってしまったことに後ろめたさを感じているのか? ならば、気にする必要はない。貴様には、それだけの力を与えた。それでもなお偽るというなら、俺は貴様にこう命じよう。『リーズ・ベルナール、今後一切、俺に対する虚言を禁じる』」


「……ッ!?」


血が、血の中で何かが、激しく脈打った。

絶対的な強制力がリーズ・ベルナールの血肉が隷属の理に縛られた。

得体のしれない何かによって、リーズの意志とは関係なく静夜の命令に対して絶対服従を余儀なくされた。


意味がわからない。頭が混乱する。リーズの魂は未だに反抗の意志を保っているというのに、身体は完全なまでに魔王に従属していた。口が勝手に隠そうしていた真実を漏らしてしまう。


「……そ、そうだ。今のボクは……、静夜……、貴様より強いッ!!」


「ふむ。虚言を禁じたせいか敬語も出来なくなったか。まぁ、貴様はそれくらい跳ね返っていた方が嬲り甲斐があっていい。……んっ? ということは、これまで必死で感じてない風を装っていた貴様の可愛い我慢顔を見られないということか? それはそれでつまらんか? まぁ、正直な貴様の反応というのも面白いか?」


「くっ……。ふざけるな、変態野郎! お前の思いどおりになってやるものか! 必ず寝首をかいてやるからな!」


「無理だ。貴様はもう俺の駒だ。俺には逆らえない」


悪意に満ちた笑みを浮かべた静夜は、手術台に磔にされているリーズの胸元を人差し指でなぞった。ゾクッとするほどの快感が走ると共に、リーズの胸元から異質な何かが生えてきた。


黒い駒。チェスの黒王妃クイーンだった。

何故こんな物が身体の中から、と一瞬だけ疑問に感じたが、容易に答えに気付いた。あの邪悪極まりない男がリーズの体内に仕込んだ。


「……何だよ、これは?」


「言ったろ? 貴様は俺の駒だ、と。これから行うゲームにおいて貴様は俺の駒になってもらう」


そうして風間静夜は語り出した、終わりの始まりに繋がる物語を。


かつて、神々や英雄達の手によって敗れた魔の眷族達は、世界の支配権を奪い返すために叡智を結集させて一つの奇策に到達した。

あらゆる存在を隷属させてしまうほどに圧倒的な支配者を創造するという奇策に。


ここで重要なことは、支配者は最強である必要はないということだ。そもそも最強の定義とは何か。剣の強さ、魔術の強さか、それとも別の要素か。最強とは非常に不安定なものだ。いかなる最強の英雄達にも必ず弱点はあり、悲惨な末路を迎えることは珍しくない。


ならば、どれだけの年月をかけて最強の存在を生み出しても失敗する可能性は高い。だからこそ、あらゆる最強を隷属させてしまう才能を持った支配者が必要なのだ。


個としての最強を束ね、群としての最強を生み出せる支配者が。


そうして悠久の年月を経て、あらゆる支配者の才能を結集させて一つの血を生み出した。


【全てを蹂躙する支配者の血(エンペラー・ブラッド)】。

純粋な悪として、完全なる支配者として君臨するため、風間静夜に受け継がれた血だ。そして、この血は風間静夜だけでは終わらない。彼の子孫にも継承されていく力だった。


静夜の血、【全てを蹂躙する支配者の血】を一口でも啜ってしまった者は強制的に隷属化させられる。たとえ、どれだけ静夜を憎んでいる者であっても例外なく。リーズ・ベルナールが静夜の命令に対して絶対服従してしまった理由は当然、【全てを蹂躙する支配者の血】にある。


だが、この【全てを蹂躙する支配者の血】には致命的な欠陥があった。

それは、【全てを蹂躙する支配者の血】の発現者の複数人いる場合、その支配力が劣化してしまうという点だ。


故に静夜は五歳の時に自ら召喚した悪魔によって両親を殺害していた。先代の発現者である父を殺さなければ、息子である静夜の力は十全に働かないからだ。しかしながら、静夜が両親を殺した理由は、【全てを蹂躙する支配者の血】を欲したからではなかった。単純に殺したいと無邪気に思ったから殺した。それだけだった。


だが、静夜はあまりに早く父を殺し過ぎてしまった。

本来ならば、静夜が【全てを蹂躙する支配者の血】の正統な後継者となるのは、彼が充分に成長した後はずだった。しかし、生まれながらの邪悪、存在そのものが歪んだ静夜は、父の配慮など平然と踏み躙って惨殺してしまった。


その結果として、一つの問題が片付けられないまま、今この時まで来てしまった。そして、その問題こそが静夜と亜紗のゲームに繋がる。











「……端的に言えば、私と静夜は異母兄妹になるわ」


亜紗から衝撃的な話を聞かされた修二は驚愕に目を見開いていた。

今までの話、その何もかもが信じられなかった。神々や英雄達に敗れた魔の眷族が生み出した支配者の血統。そんなお伽噺のようなことを、これまで魔術の存在すら知らなかった修二が簡単に信じられるはずがなかった。それに、静夜と亜紗が異母兄妹である事実も受け入れられなかった。


「じょ、冗談だろ? 信じられるか、そんな冗談みたいな話……」


「真実よ。うちのママが静夜のところのクソ親父にレイプされて孕まされた子種が私。わかったかしら?」


「お、おま……、女の子なんだから、もうちょっと言葉を選べ!」

「事実なんだから仕方ないでしょ。言い繕いようのない話だし」


敢えて説明するまでもないと思うが、静夜の父も外道だった。純粋な悪として生を受け、筆舌しがたい悪行を成してきた。数え切れないほどの女を犯してきた悪魔であるが、子供を産ませるまで生かしておいた女は二人しかいなかった。


一人は静夜の母、正統なる後継者の母体となった女性。

もう一人は亜紗の母、後の禍根となるとわかっておきながら殺されずに済んだ女性。


静夜の父がどのような意図で亜紗や亜紗の母を生かしておいたのか、その理由は今となっては誰にもわからない。

だが、【全てを蹂躙する支配者の血】を完全なものとするためには、静夜か亜紗のいずれかが死ななければならない。いや、【全てを蹂躙する支配者の血】を完全にするためには、静夜が生き残らなければならない。亜紗では【全てを蹂躙する支配者の血】の後継者になりえない。


何故なら、亜紗は生まれつき欠陥だらけだった。余命はすでに宣告されており、二十歳になるまで生きられないと言われている。また、次代の後継者を産めないことも判明している。


【全てを蹂躙する支配者の血】の子種より生まれる子供は、正統なる後継者である第一子以外は短命になるよう呪いがかけられている。戯れで作られた第二子であるが故、亜紗の短命は生まれた時から決まっていた。


だが、まだ亜紗が生きている以上、風間静夜の【全てを蹂躙する支配者の血】を阻害する一因であることは紛れもない事実だ。


故に、静夜は亜紗を殺さなければならない。究極の存在に到達するために、妹を殺さなければならない。亜紗もいずれ死ぬ運命であっても、静夜の手で殺されることだけは許容できなかった。


因縁の兄妹対決のために用意された決闘、それがゲームだ。

静夜にとって亜紗に絶望を味わわせて楽しむためのゲームであり、亜紗にとっては生き残りを賭けた運命のゲームだった。

静夜がゲームに勝ったのならば、真の支配者として覚醒して、世界を破滅に導くだろう。亜紗がゲームに勝ったのならば、魔の眷族達が生み出した邪悪な血統が潰え、世界の平和は維持されるだろう。


このゲームの勝敗によって、世界の命運も決まってしまう。これは、そういうゲームだった。


「……まぁ、そういう話はともかくさぁ……」


と、もう一人の傍聴者である逸樹が挙手しながら発言した。

逸樹はゲームの経緯、静夜と亜紗の事情についてはすでに知っていた。既知の話ほど聞いていて退屈なものはなかった。欠伸を噛み殺しながら、ずっと話が終わるのを待っていた。


「僕としては、さっさとゲームの内容やルールの説明に移ってほしいんだけど? 過去の話よりも、これからの話をしよう」


「……そうね。じゃあ、簡単に説明しましょうか……。

 まずゲームの基本は、このチェスの駒を所持した者同士が風城市を舞台にして殺し合うというシンプルなものよ」


亜紗は小さく咳払いをして、ポケットから何かを取り出した。

それは、二つのチェス駒だった。白歩兵ポーン白騎士ナイトの二つ。

駒からは仄かに魔力が滲み出ていた。一般人である修二には認識できなかったが、逸樹には駒から放たれる魔力がハッキリと見てとれた。かなり強力な魔術道具であることは間違いなかった。所有すれば、おそらく何かしらの恩恵および呪縛を受けるだろう。


「こ、殺し合いって……、本気なのかよ!?」


「当然本気よ。貴方が気付かなかっただけで、この町ではこれまで幾度となく殺し合いがあった。凪修一郎、貴方の父はその戦いの中で静夜に殺されたのよ」


「じょ、冗談だろ? そんな話、信じられるか!」


「信じる信じないかは、これから貴方自身の目で確かめなさい。貴方の姉、凪桜は私の駒の一つである白王妃クイーンの所有者よ。静夜のターゲットの一人。ただ殺されるだけで済めばいいけど、あの男の性格上、それだけで終わらないでしょうね。私のママみたいに徹底的に犯されて、子供を孕まされるかもしれない。貴方、それでもいいの?」


「ふざけんな! てめぇ、言っていい冗談と悪い冗談があるんだぞ!」


修二は鬼のような形相で亜紗の胸倉を掴んだ。亜紗は抵抗すらせず、まるで手折られる花のように修二の手に収まる。

あまりに亜紗が華奢過ぎて、彼女の胸倉を掴む修二は内心で驚いていた。これが今、殺し合いをすると言った少女の身体か。争い事など出来るほどの健康体にはとても見えない。むしろ、病院で寝ていても不思議なくらいだ。


「……ごほごほ! く、苦しいわ……。げほ! ごほごほ……ッ!」

「わ、悪い……」


いくら腹が立ったといえ、女の子の胸倉を掴んでしまったのはやり過ぎた、と反省して修二は亜紗を解放した。


亜紗は病弱そうに何度か咳込み、深呼吸で息を整えると、先程までと同じ冷徹な瞳で修二を睨んだ。


「……こほん! 冗談かどうかは、実際に見ればわかるわ。貴方には、私の駒として参加してもらうつもりなんだから」


「どうして、俺を……?」


「…………人数合わせよ。外部から呼べた協力者は、そこにいる逸樹だけ。それを含めても私が信頼をおけて、なおかつ静夜達とまとも戦える仲間は四人だけ。……それより、説明を続けてもいいかしら?」


「あ……、あぁ……」


亜紗の眼光に圧された修二は、首を引っ込めるように頷いた。


「駒の所有者同士で殺し合うゲームと言ったけど、駒が六種十六個あるチェスとは違って、このゲームの駒は一種につき一個のみ。すなわち、一チームの人数は最低でも六人になるわ。ただし、駒所有者以外の参加も認められているわ。チームの人数についての上限はないから、最大数は理論的に無限。

 だけど、チーム要員として認められるのは、この風城市の範囲内にいる者に限られているわ。この駒には特別な力があって、風城市外からのあらゆる魔術行為を遮断することが出来る。ゲームの舞台はあくまで風城市。今、ここにいる者でなければ、駒所有者は殺せない」


「……亜紗姉、質問」


逸樹がガリ勉風に瓶底眼鏡を指で持ち上げながら挙手をした。

それにしても、文系少年のような格好をしているのに、何故か文系少年のような行動が非常に似合わない。


「今、あらゆる魔術行為って言ったけど、物理攻撃までは防げないって認識でいいの? たとえば、ミサイルが飛んできたりしたら、さすがに死んだりする?」


「えぇ、その認識でいいわ。まぁ、さすがにミサイルはないと思いたいけど、たとえば市外に設置した爆弾の余波とか、そういう類のものは防げないわ。あぁ、それと、あらゆる魔術行為を遮断するとは言ったけど、所詮この駒も魔術道具マジックアイテムに過ぎないから、度を越した威力の魔術、街そのものを消し飛ばしてしまうような極大魔術を防ぐことは出来ないわ」


「なるほど。じゃあ、万が一の時は風城市ごと吹っ飛ばしてもらうってのもアリか……。まぁ、そういう事態になるのは避けたいね」


非常に物騒かつ非現実的なことを呟き、逸樹は頷いた。

納得した様子の逸樹を見て、亜紗はゲームの説明を再開した。


「このゲームは、風城市を舞台とし、駒所有者同士での殺し合い。勝利条件は、二つ。いずれか一方の条件を満たせばゲーム終了よ。

 まず一つ目の条件は、敵の王駒所持者を殺すこと。王駒所有者は、ルールで私と静夜のみと決まっているわ。つまり、私か静夜、いずれかを殺せば終了よ。まぁ、元々が私と静夜の決着をつけるためのゲームだから、当然と言えば当然ね。

 ただ、あの男を……、あの血脈を継ぐ者を殺すことは簡単なことではない。【全てを蹂躙する支配者の血】は、どんな強者であっても従わせてしまう厄介な能力よ。だけど、隙がない訳じゃない。静夜は紛れもなく超一級の魔術師だけど、静夜は最強ではない」


「そりゃそうさ。最強ってのは、数え切れないくらいの勝ちと負けを繰り返し、ハラワタ煮えくり返るくらい絶望と渇望を味わいながら、その身を地獄の業火に焼かれつつも戦い続けた奴が、奇跡のような確率で辿り着ける場所だよ。才能に溺れているだけの天才や、踏ん反り返っているだけの王様が至れる領域ではないさ。まぁ、僕は天才を超える超天才だから、必ず最強になってやるけどね」


まるで、血に餓えて狂った獣のような瞳だった。

飄々と人を食ったような笑みを浮かべていた逸樹が一瞬だけ、火達磨になりながら駆け続ける獣のように見えた。己の身を焦がし、焼け野原へと向かっていく気高くも狂った獣。


最強とは、求めれば破滅に至る死の幻想だ。最強の座にもっとも近いところで戦い続けてきた彼だからこそ、その身を以って知っていた。


風間静夜の能力がいかに異常で反則的なものであっても最強ではない。王では最強の座に至ることが出来ない。最強に至れるのは、人を捨てた怪物だけだ。静夜が王である限り、最強でない限り、そこに勝機があるはずだ。


「頼もしいわね。ただ、静夜が厄介な相手と言うことは間違いないわ。このゲームでは静夜と直接対決をしなくても勝てる方法がある。王駒以外の全て駒を破壊すれば、王駒所有者が死ぬ。

 ……ただし、王駒所有者以外の駒所有者は、静夜以上の実力を持った怪物が揃っているわ。もしかしたら、こちらの方がよっぽど難易度が高いかもしれない」


「……まぁ、どういう攻略をするかは亜紗姉に任せるよ。君は僕に奇跡を見せてくれた。もう終わってしまった運命だけど、君は僕に救いの道を見せてくれた。だから、その恩に報いるよ」


逸樹は騎士のように気取った格好で恭しく亜紗に頭を下げた。二人にしか理解できない事情があるようだったが、その事情を推し量ることは出来なかった。

一人蚊帳の外にいて何もわからない修二がただ一つ察することが出来たのは、逸樹の忠誠は本物だということだった。


「ありがとう、逸樹。……最後に駒の説明に移るわ」


亜紗は手にした二つの駒をそれぞれ修二と逸樹に放り投げた。

修二には、白歩兵。逸樹には、白騎士。この二つの駒は、チェスにおいて初手に動かすことが出来る駒だ。チェスは初期配置上、ポーンもしくはナイト以外に動かせる駒はない。

つまり、亜紗はこの二人のいずれかを初手で指す駒と決めていた。


「この駒を所有している限り、貴方達は駒所有者よ。駒は勝敗を決定付ける要素の一つだけど、この駒を持つことで幾つかの恩恵を受けられる。一つはすでに説明したとおり、風城市外からの魔術行為を遮断することが出来ること。ただし、市内の魔術行為は一切防げないから、あまり有用なものではないけどね。

 次に駒スキル。駒所有者には、その駒独自のスキルが与えられる。ただし、魔術的素養を覚醒している者に限られるけどね。使用条件は、ただ所有しているだけでいいわ。……逸樹、貴方はもう駒スキルが使える状態だけど、どんな感じ?」


「んっ? そうだねぇ……。こういう魔術道具の扱いは苦手だから、ハッキリとは言えないんだけど、多分それっぽい力を感じるね。ただ、どんな能力かは使ってみないとわからないな。っていうか、亜紗姉の方でわからないの?」


白騎士の駒を手の中でクルクルと回しながら、逸樹は自信なさそうに答えた。駒を受け取った瞬間、駒スキルらしき力を付与された感覚はあったが、彼自身が口にしていたように魔術道具の扱いが苦手なので断言する自信がなかった。


一方、同じく駒を受け取った修二は、不思議な力が与えられたような感覚は全くなく、不審そうに白歩兵の駒を眺めていた。修二は魔術的素養を覚醒していないため、魔術的な感覚は一切ない。故に駒スキルに関するものを何も感じ取れなかった。


「駒スキルは固定の能力ではなく、駒が本人の魔術的素養を拡張して一時生成されるものよ。だから、魔術師や能力者のように元々素養を覚醒している者でないと使えないし、本人の素養を元にしているから具体的な駒スキルの詳細は本人にしかわからないわ」


「つまり、そこの数合わせの役立たずには無用の長物だってこと?」

「いちいち言わなくていいんだよ、クソ眼鏡! あと、敬語を使え、馬鹿後輩!」


「はいはい。静かに。説明の続きをするわよ」


パンパン、と手を叩いて騒いでいる二人を睨み付ける亜紗。


「最後の恩恵、それは駒殺しの権利。駒所有者は、ただそれだけで敵の駒所有者を殺すことが可能となる。駒所有者が『テイク』と宣言した上で敵の駒に触れることが出来れば、その駒所有者を殺すことが出来るわ。例え、実力差がどれだけあろうと、『テイク』で覆すことが可能となる。このゲームの一番怖い部分でもあるわね」


「それはこの役立たずでも出来るの?」

「誰が役立たずだ!」


「えぇ、そうよ。駒殺しの権利は駒自身の呪いだから、そこの役立たずでも使えるわ」


「ブルータス、お前もか!?」

「誰がブルータスよ。私がいつ貴方の味方だったか言ってみなさい」


ふと思い返してみれば、修二は一度として亜紗に味方になってもらえたことがなかった。


「まぁ、大まかルールはこのくらいね。ひとまず今日はこの辺で解散にしましょう。……正直、もう身体が冷えて辛いし、風邪とか引いたら三日くらい動けなくなって困るし」


と、結構情けないことを言う亜紗の顔はすっかり蒼くなっていた。亜紗派生粋の虚弱体質なので、あまり夜中に長時間外の風に当たるのは身体によくないようだった。


修二としては亜紗にまだ聞きたいことが幾つもあったが、さすがに蒼い顔をしてガタガタ震える小柄な少女をこれ以上寒空の下にいさせるのは抵抗があった。ひとまず今日のところは話を終わりにして、彼女を休ませた方がいいだろう。


未だにゲームというものに理解が追い付かない部分があったが、少なくても修二はそのゲームに参加することになった。ならば、今日ではなくても話を聞ける機会はあるだろう。それに、この駒を持っていれば、同じゲーム参加者である姉からも話を聞ける可能性があった。この偉そうで生意気な少女に話を聞くより、若干天然の入っている優しい姉と問い詰める方が楽なはずだ。


そういう算段があったため、修二は解散をあっさり受け入れた。


亜紗は神社近くの自宅に戻り、修二は不本意ながら逸樹と一緒に帰ることになった。修二としては、こんな生意気で人を小馬鹿にしたような後輩と一緒に帰るのは心の底から嫌だったのだが、この後輩は勝手に修二の後を付いてくるのだった。


「センパイ、亜紗姉の話はどうだった?」


「どうもこうも、正直信じられねぇ……。壮大な冗談に付き合わされてるんじゃねぇかって気がしてる。っていうか、敬語を使え、後輩」


修二は指先でバスケットボールを回す要領で丸頭の白駒を回した。

かなりの器用さだった。小さな駒を回すのはかなりテクニックがいる。修二はこれでもスポーツ推薦で入学し、バスケ強豪校である静林学園の一年生レギュラーになった実力者だ。技術も相当なものだった。


逸樹は修二の高等技術を見て、素直に称賛の拍手を送った。だが、修二は馬鹿にされたように感じたらしく、不愉快そうに逸樹を睨み、駒を回すのを止めた。


「まぁ、センパイの気持ちはわかるよ。センパイみたいな一般人が口だけの説明で簡単に受け入れられる話じゃない。あぁ、これは別にセンパイを馬鹿にして言ってるんじゃないよ。僕はこれでも人を馬鹿にするTPOは弁えているんだ。馬鹿に出来る時は全力で馬鹿にするし、出来ない時はなるべく控えた振りをしながら馬鹿にする」


「結局馬鹿にしてんじゃねぇか、てめぇは!」


修二は怒りに任せて逸樹に頭突きをかました。てっきり先程までのように簡単に避けられるかと思ったが、逸樹は冷めた表情で修二の頭突きを受けた。

ガツン、とあまりの衝撃と痛みで修二は蹲ったが、逸樹はまるで何事もなかったかのように突っ立ったままだった。


「ぬるいねぇ……。その程度で僕に喧嘩を売るなんて千年早いよ。センパイ如きが僕にダメージを与えたいなら殺す気できなよ」


「……ッの野郎! 調子に乗るんじゃ……、ッッ!?」


修二は思わず殴り掛かろうとして、身体が凍り付いた。次に極寒の地に放り出されたかのように全身がガタガタと震え出した。これが恐怖だと気付いた時には、すでに本能が鳴らす警鐘は鳴りやんでいた。


逸樹が悪鬼如き殺気を放ったのは、ほんの一瞬だけ。小枝を払う程度のつもりで放った軽い殺気だ。相手に恐怖すら悟らせず、退けさせるのが逸樹の得意技であったが、どうやら修二の動物的な勘は予想以上の性能だった。


「……いい勘をしてるね。これは本気の称賛だよ」

「嬉しかねぇよ……」


逸樹の称賛が本気だとしても、それは遥かなる高みから下された言葉でしかない。

修二は今のやりとりで自分が圧倒的に格下だと思い知らされた。戦わずとも実力の違いが感じ取れる程に絶望的な差だった。あまりに差があり過ぎて、怒りや悔しささえ感じなかった。


そういえば、初めて逸樹を見た時にライオンのような印象を受けたが、まさに印象どおりだった。この飄々とした男の本性は、まさにライオンそのものだった。


「まぁ、でも、認めてやるほどじゃないね。だから、これから僕自身の目で見極めることにしたよ」

「はァ? って、なんで手と握る?」


いきなり逸樹に手を取られて、目を丸くする修二。

そして、更に目を丸くするどころか、飛び出すくらいの出来事が起きた。


「じゃあ、行ってみようか! 敵の本丸、風間邸に!」


「……は? あああぁぁああぁああぁぁぁあああぁあぁあぁぁああああぁあああぁぁあああぁあぁあああぁぁぁぁあああああぁあぁあああぁぁぁああああぁあああぁあああぁぁああああぁぁあああああッ!!??」


手を伸ばせば、月に届きそうだった。

月には届かなくても、雲にまでなら手が届きそうだった。こちらは冗談でも比喩でもなく、現実に届きそうな距離だった。

それほどまでに高く、修二と逸樹の身体は高く宙を舞っていた。


夜空はあまりに近く、地上は遥か遠く、降りて行く場所は高級住宅街の一角にある風間邸だった。高級住宅街の中でも一際巨大な敷地面積のある屋敷に向けて、二人の少年は落ちていく。

そもそも、いつの間にこんな空高く飛んだのか修二には理解できなかった。凄まじい引力で一瞬気が遠くなり、気付いたら空にいた。


そして、何が起きたか理解するよりも前に目的地に辿り着きそうだった。


「せぇぇぇいいいいやぁぁぁくぅぅぅんんんッ!!! あぁぁそぉぉぉびぃぃぃまぁぁぁしょおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」


頑強な壁を掘削して貫くような振動。

火花の如く爆ぜて散る閃光。

最後に激突する衝撃。


そして、愛すべき地上の泥臭い匂い。無事かどうかは断言できなかったが、修二は今ほど地上のありがたさを感じたことはなかった。

空は怖い。地上は愛おしい。


だが、これから始まろうとする激闘に比べれば、ほんの数秒の空中散歩など、スパイスの代わりにすらならない。この数十秒後、身を以ってその残念な事実を知ることになる。






The game continues to the next Hell...


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