異世界終活
その日、加藤秀隆(76歳)は、私物の整理を行っていた。
長年住んだ自宅は、ごみ屋敷にはなっていないが、それなりに物が多い。
思い入れがあって捨てられない物もあれば、仕舞い込まれたまま忘れ去られていた物もある。
「歳の割には元気だと言われるが、俺ももう後期高齢者だ。頭のしっかりしているうちに不用品は整理しておかないと。」
用品・不用品の仕分けをしていた秀隆の手がふと止まった。
「これは……こんなもんがまだ残っていたとは……」
押入れの奥に仕舞われていた段ボール箱、その底から出てきたのは黒い表紙の一冊の本だった。
その本の表題は――
「終末魔導書」
それは、秀隆が若い頃に自作した魔導書だった。
重厚そうに見える黒い表紙。
金色の文字で書かれた表題。
銀色の線で描かれた装飾。
200頁もの内容。
その全てが若き日の秀隆の手作りである。
しかも、百に及ぶ魔法の設定と呪文、付随する魔法陣も全て秀隆オリジナルであり、呪文を記述する魔法文字も自作と言う手の込みようである。
拗らせた中二病の集大成ともいえる大作を秀隆は、
「これはシュレッダー。」
躊躇なく破棄することに決めた。
懐かしくも恥ずかしい、それは黒歴史であった。
忘れ去りたい過去とともにその黒い本を不用品の山に置いた時、異変が生じた。
「な、何だ!?」
床に白い線が走り、それが複雑な模様を描いて光りだした。
その光がさらに強くなり、何も見えなくなる直前、秀隆は黒い本――終末魔導書が勝手に開き、頁がめくられていく光景を見た。
「どこだ、ここは?」
気が付くと、秀隆は見知らぬ場所にいた。
つい先ほどまでは自宅の室内にいたはずなのに、そこは屋外だった。
辺りを見回すと、まばらに生える背の低い木、大小の岩が転がる岩場、少し遠くには緑豊かな森林も見える。
起伏の多い地形とひんやりとした空気はどこかの山中であろうか。
そんな自然に囲まれた中に、人工物が存在していた。
石で作られた何かの神殿のような大きな建物。
そんな感じの建造物が、秀隆の目の前に建っていた。
ただし、その建物が使われているようには見えなかった。
長年の風雨に耐えてきたのか、あちこち傷んでいてひびが入ったり崩れたりしている部分もある。そして、苔やら蔦やらで覆われて自然と一体化していた。
何百年、あるいはそれ以上放置されていたように見える。
廃墟を超えて、遺跡である。
石造りでなければとっくの昔に原形をとどめていなかっただろう。
はっきり言ってぼろい。
外見がここまでボロボロならば、中身だって相応にボロボロだろう。
野生の獣が棲みついているかもしれない。
ちょっとした振動で崩れてしまうかもしれない。
現状を知る手がかりの最有力候補がそこなのだが、踏み込むには勇気が必要だった。
秀隆は、謎の建造物からそっと目をそらした。
そして、ふと足元を見るとそこには黒い本が落ちていた。
終末魔導書である。
秀隆は、その黒い本を拾い上げた。
元々破棄する予定ではあったが、こんな場所に放置することはできない。
人気のない場所ではあるが、誰かに拾われて読まれでもしたらと考えると、恥ずかしすぎる。
このままだれの目にも触れないように、隠し持ったまま立ち去ろうと考えていた。
しかし、違和感を覚えた秀隆は、本を開いてみた。
何もなかった。
表紙、裏表紙、背表紙。
その間に挟まっているはずの頁が存在していなかった。
周囲を見回しても、本から零れた頁が散乱している様子はない。
「いったい、どうなっているんだ?」
考えても分からない。
分からないことを考えても仕方がない。
今はそんなことよりも、どうにかしてここから帰る方法を考えなければならない。
秀隆はしぶしぶといった表情で石造りの建物に目を向けた。
「フハハハハハ、ついに手に入れたぞ。最強の魔導書、その原本の一片!」
すると、ちょうどその時、その建物の中から出てくる者がいた。
黒いローブに身を包み、大きな声で独り言を言うその男を見て、秀隆は思った。
(こいつ、なんかやばい。)
ここが何処なのかを知るには、せっかく遭遇した男に聞くのが一番手早いのだが、秀隆の直感は男に関わると余計に面倒なことになると告げていた。
ここは一先ず隠れてやり過ごそうと思ったのだが、少し遅かった。
男とばっちり目が合ってしまったのだ。
「……」
「……」
お互い想定外の遭遇に硬直してしまった。
先に硬直が解けたのは、ローブ姿の男の方だった。
「フッ、何処の手の者かは知らぬが、こんなところまできた以上目的は同じだろう。だが、残念だったな。既に我が頂いた後だ!」
「いや、俺はそういうのではなくて……」
「冥途の土産に我の手に入れた力をその目に焼き付けて逝くがよい!」
相手は話を聞かない人だった。
ついでに、いい歳をして中二病を患っているようだ。
秀隆は、かつての自分を思い出して、ちょっと引いた。
しかし、男の奇行はそれにとどまらなかった。
手にした紙切れを見ながら、奇妙な言葉を紡ぎだした。
「ヘルズケードは開かれた。プルートの名の下に、咎人に裁きを与えん。……」
「それは……その呪文は!」
秀隆は頭を抱えてしまった。
男の発した言葉に、思いっきり覚えがあったからだ。
それは終末魔導書に記載された魔法の一つ、その呪文である。
自分の黒歴史を他人に朗読される、これほど恥ずかしいことがあるだろうか。
恥ずかしさに悶えていた秀隆は、だから見ていなかった。
ローブ姿の男の前に光り輝く魔法陣が現れたことも。
そこから黒い炎が飛び出して、頭を抱える秀隆の上を飛び越していったことも。
その黒い炎が背後の岩にぶつかって穴をあけたことも。
全く気付いていなかった。
そして、その恥ずかしさが限界を超えたところで、秀隆に何かのスイッチが入った。
「違う!」
秀隆は顔をあげるとローブ姿の男を見据えた。
その瞳には強い意志が宿っていた。
「その呪文はこうだ!」
秀隆は背筋を伸ばし、キレのある動きでポーズをとった。
その姿は先ほどまでとはまるで別人、何十年も若返ったかのようだった。
「地獄の門は開かれた。」
「何だと! くっ、ヘルズケードは開かれた。」
秀隆が先ほど自分が使ったものと同じ呪文を唱えようとしていることに気付き、男は慌てて自分も呪文を唱えだした。
「冥府の王の名の下に、咎人に裁きを与えん。」
「プルートの名の下に、咎人に裁きを与えん。」
「罪に罰を。罪科に相応しき量刑を。」
「罪に罰を。罪科に相応しき量刑を。」
「罪人の悪しき魂まで焼き尽くせ。」
「クリミナルの悪しき魂まで焼き尽くせ。」
「顕現せよ、地獄の業火!」
「顕現せよ、ヘルズフレア!」
一節ごとにポーズを変えながら、特に急ぐでもないがよどむことなく言葉を紡ぎだす秀隆。
最初に出遅れたため、必死になって早口で喋ったローブ姿の男。
二人ほぼ同時に呪文を唱え終わった。
すると、二人の目前、空中に魔法陣が現れた。
同じ呪文によって現れた同じ魔法陣なのだが、両者には明らかな違いがあった。
秀隆の方が明らかに大きく、輝きも強かった。
そして、現れた黒炎の量も秀隆の方が多かった。
ローブ姿の男の出した黒炎が一本の矢ならば、秀隆の方は押し寄せる津波である。
「バカな……」
秀隆の放った黒炎は、向かってくる黒炎をも取り込んで、ローブ姿の男を飲み込んだ。
ある意味、当然の結果だった。
この呪文を作り出したのは秀隆である。
呪文の効果だけでなく、文言の詳細な意味や役割、各種裏設定まで知り尽くしている。
なにより、呪文を一字一句間違えることも言いよどむこともなく唱えることができるほど鮮明に憶えていた。
そう、若い頃の秀隆は一時期かなり真剣に魔法の練習をしていたことがある。
黒歴史として数十年間封印されていたにもかかわらず、ポーズも呪文も迷いなく出てくるほど体に染みついていたのだ。
カンペを見ながらたどたどしく呪文を口にする初心者とは熟練度が違った。
「……は? はぁっ!?」
そこで我に返った秀隆は、混乱した。
終末魔導書も、地獄の業火の魔法も、確かに秀隆が作ったものである。
しかし、それはあくまで空想上の魔法なのである。
どれだけ頑張っても黒い炎なんて出てくるはずがないのだ。
使えるはずのない魔法を真剣に練習していた日々は、痛い思い出として黒歴史の一部となっている。
だが、絶対に使えるはずのない空想上の魔法が発動してしまった。
中二病真っ最中のあの頃ならば素直に喜んだかもしれないが、正気に戻ればあり得ない異常事態である。
そのあまりの衝撃に、人一人を消し炭に変えてしまった事実が薄れてしまったくらいである。
……この件に関しては正当防衛を主張する、と心の片隅で思いながら秀隆は嫌な現実から目をそらしていた。
「ん? 何だ、あれは?」
秀隆の混乱が収まらないうちに、また妙な物を見つけてしまった。
それは、一枚の紙片だった。
ちょうど、ローブ姿の男が手にしていた紙切れのように見える。
それが、空中にフラフラと舞っている。
ローブ姿の男が立っていた辺りだ。
地獄の業火で加熱された地面から立ち上る上昇気流に乗って浮かんでいたのだ。
秀隆は、未だ熱を持つ地面に気をつけながら、その紙切れを手に取った。
「うげぇ!」
それは、最初から予想できたことだった。
むしろ、予想通り過ぎて変な声が漏れてしまった。
あのローブ姿の男はこの紙切れを見ながら呪文を唱えていたのである。
となれば、紙切れの正体を推測することは難しくない。
終末魔導書、そこから抜け落ちた頁の一枚。
確かに秀隆が書いた原本に間違いなかった。
これで、あの男が秀隆しか知らないはずの魔法の呪文を詠唱した理由は判明した。
しかし、謎もまた増えた。
ローブ姿の男が持っていた紙切れならば、何故燃え尽きていないのか?
地獄の業火の威力は骨すら原形をとどめずに焼き尽くしている。
薄い紙切れ一枚では余波だけでも延焼は免れない。
にもかかわらず、人一人焼き尽くした現場で見つかった紙切れには焦げ目一つ付いていないのだ。
本気で訳が分からなかった。
だが、いつまでも紙切れを見ていても答えは得られない。そこに書かれた内容は全て知っている。
それに、黒歴史そのものと言ってよいその内容をいつまでも見ていたいとは思えなかった。
秀隆は、とりあえず表紙だけになった終末魔導書にその紙切れとなった頁を挟んで仕舞っておくことにした。
「へ?」
そこでもう一つ不思議なことが起こった。
終末魔導書の表紙と裏表紙の間に紙切れを挟み込んだところ、そのまま背表紙の内側に引っ付いてしまったのだ。
軽く引っ張ってみても外れる様子はない。
まるで、終末魔導書から飛び出てどこかに行っていたことを無かったことにするかのように。
あるいは、元の本の頁に戻ろうとするかのように。
あり得ないことの連続で正直驚き疲れた秀隆は、ここで一つ情報の整理を行うことにした。
秀隆は考えた。考えに考え抜いた。
「いや……でも……まさか……」
そして、一つの仮説を思いついた。
それは荒唐無稽で普通ならばとても信じられないことなのだが、信じられないようなことならばすでに連続で体験している。
「ここは、異世界だ。」
突飛な結論のようだが、ちゃんとした根拠があってのことだった。
まず第一に、終末魔導書に記載された架空の魔法が実際に設定どおりに発動したという事実。
これは秀隆が自分で体験したことなので前提として考える。
その目で見たのは地獄の業火一つだけだが、一つ使えたのならば他の魔法だって発動する可能性がある。
そして、終末魔導書の中には、異世界から人や物を召喚する異世界召喚の魔法が存在する。
この異世界召喚の魔法によって、自分と終末魔導書がこの世界に召喚されたのではないか。秀隆はそう考えた。
ただ、その場合終末魔導書によって終末魔導書を召喚するという因果関係の矛盾が発生するのだが、この話には抜け道があった。
異世界召喚の魔法は失敗すると、召喚した対象は時間と空間を飛び越えてどこに出るか分からない、時にはバラバラに分解されて様々な時代や場所にばらまかれることもある。
そんな設定が存在した。
もちろん、設定したのは若き日の秀隆であるが、その設定通りの魔法が存在すると考えれば現状を説明できるのである。
まず、誰かが異世界召喚の魔法を使おうとして失敗する。
その結果、ばらばらに分解された終末魔導書の頁が過去の時代の各地にばらまかれ、その中で異世界召喚の書かれた頁が魔法を使用した何者かの手に渡ることになる。
一方、地獄の業火の頁は本日ローブ姿の男が見つけ出し、そのまま秀隆の手に渡った。
こじつけっぽいが、なんだか知らないうちに知らない場所にいて、呪文を唱えたら偶然魔法っぽい現象が発生した等と言うよりは、終末魔導書の内容がそのまま現実になった異世界に来たと考えた方が秀隆にとってはよほど納得がいった。
それに、地獄の業火以外にも傍証は存在した。
今回最初の異変である自宅の床に表れた光る模様。
思い返してみると、あれは異世界召喚の魔法陣だった。
さらに、終末魔導書には不滅という設定があった。
ただの紙でできた本に見えて、切れない、破れない、燃えないと無駄に丈夫で、何らかの方法で破損したとしても時間が経てば元に戻る自動修復機能まで装備していた。
この設定が現実のものとなったのならば、地獄の業火で燃え尽きなかったことにも説明が付くし、頁が背表紙にくっついた理由も元の魔導書に戻ろうとした結果だと考えられる。
終末魔導書に関する設定は、すべて現実のものとなっている可能性が高かった。
「これは……やばい。」
この仮説が正しいとすれば、秀隆にとっては非常にまずい状況だった。
「俺の黒歴史がこの世界の人に読まれてしまう!」
本来ならば子供の落書きでしかないのに、この世界では本物の魔法を発動できる魔導書として機能する。
この世界の人にとってそれがどれほどの価値を持つのかを秀隆は知らないが、人気のない山中の遺跡にまで紙切れ一枚を探しに来る人があるくらいである。
終末魔導書の断片を熱心に探し求める人がそれなりにいると思われた。
魔導書が本物であると確信した上で探しに来たのだろうから、既に他の頁を見つけて魔法が発動することも確認済みだろう。
終末魔導書のどれかの頁は既にばっちり読まれている。
中二病全開だったころに自分が作った呪文をどこかの誰かが真面目に詠唱している様子を想像すると、秀隆は頭がくらくらした。
それに、秀隆の心の平安の問題だけでない。
終末魔導書に記載された魔法は、そのほとんどが強力で破壊的な攻撃魔法だ。
地獄の業火などまだ序の口である。広範囲に周囲を巻き込む、うかつに使うことのできない危険で迷惑な魔法ばかりなのだ。
攻撃魔法だけではない。
異世界召喚だって終末魔導書のような強い力を持った危険物を召喚してしまう取扱注意の魔法なのである。
しかも、終末魔導書を所持していれば、呪文を唱えるだけで魔法が発動するという設定もあった。
この設定が現実になっていたからこそ、ローブ姿の男が入手したばかりの地獄の業火を使用することができたのであろう。
終末魔導書のどの頁であっても下手に人の手に渡ればとんでもない災厄を引き起こしかねなかった。
数ある危ない魔法の中で、もっとも強力で危険な魔法は表題ともなっている『終末』である。
対象を完全消滅させるその魔法は、使い方次第では世界そのものを消滅させることができる。
終末の名に恥じないぶっ壊れ魔法である。
「こんなものを残したままでは死ぬに死ぬない。」
秀隆の心情としても、この世界の平穏のためにも、放置することはできなかった。
「俺が全部回収して処分しなければ!」
不滅の設定を持つ終末魔導書を破棄する方法はただ一つ。
終末の魔法で終末魔導書を消滅させるしかない。
ただし、終末魔導書の中に終末の魔法を記載した頁は存在しない。
全ての頁に分散して記載されている暗号を解読することで呪文が判明し、かつ全ての頁の魔法陣が連動することで発動するというややこしい設定になっていた。
呪文を知っている秀隆でも全ての頁のそろった完全な終末魔導書が無ければ発動できない面倒な設定は、「最強の魔法なのだからこのくらいの縛りはあって当然」という発想で作られたものだ。
そうした過去の拘りは設定が現実のものとなった今、終末魔導書の処分を困難なものにしていたが、同時に安全装置としても働いていた。
どのみち、処分するためには終末魔導書の全ての頁を集めなければならないのである。
秀隆の行うべきことは決まった。
自らの黒歴史を封印するため。
異世界の平穏を守るため。
秀隆の長い終活がここに始まった。
異世界に行って何をするか?
様々な物語の中で色々なことを行っていますが、これをやる人はあまりいないでしょう。
「終活」
そこで、試しに書いてみました。異世界に行って終活をする話。
普通ならば異世界に行ってまで行うことではないので、終活をしなければならない理由を作りました。
黒歴史はさっさと処分しておかないと大変なことになるという話です。




