続ー16サツキ編 別れ
「本当に、困ったひとですわよね」
ホホホと笑い、ダンママはマチルダが持ってきたお手拭で手を拭いて、ついでにメリケンサックも外して綺麗に拭く。
うわー、金のメリケンサックだあ! ピカピカ光って綺麗だよー!
……って現実逃避してる場合じゃないかも。二メートル程先で、ダンパパが虎達にサッカーボールのように転がされてるよ。みんな平然としてるけど、うーん、いいのかな?
「あの人がああだから、ダンが笑わない子に育ったのよ」
うん? ダンママの言葉に、私は首を傾げた。
笑わない? そりゃガハハなんて笑わないけど……。
「笑うよ」
私はダンママに言う。時々、やわらかく微笑むよ。……微妙にだけど。
「え、まさか……」
ダンママが目を大きく見開く。え? そんなに驚くことなの?
「あいつが!?」
うわ、ダンパパが叫び声をあげて復活した!
虎達を押しのけ、ダンパパは私の目の前までやってくる。
「何か悪いことが起きるかも……」
ダンパパが、顎に手を当てて唸った。いやいや、大げさな。とゆうか、なんでダンが笑っただけで悪いことが起きるのよ。
「良かったわ。ダンは幸せね」
難しい表情のダンパパとは対照的に、ダンママは柔らかく私に微笑んだ。
「ダンはこの人と違って真面目だから……」
ダンママの言葉に、チッチとダンパパが人差し指を振る。
「そうか? ダンはあれで、本当はかなり遊――ゲフッ!」
あ、ダンママパンチが炸裂。ダンパパは、お腹を押さえて床にダウンしちゃった。
「勝手なことを言わない」
勝手なこと? ダンママかなり怒ってるみたいだけど、えーと、ダンパパなんて言ったっけ? うーん、『かなりあそ』? それは、えーと――。
「サツキちゃん」
私の思考は、ダンママの言葉に遮られた。ダンママが壊れた人形のようになったダンパパの襟首を掴み、立ち上がらせる。
「またね」
んん? またね? それって……。
私の隣に座っていたお母様が立ち上がって微笑む。
「ミラさんだけ、また来てちょうだい」
もう帰るの? さっき来たばかりじゃない。
ダンパパを引きずるようにして歩くダンママの後をみんなで付いて行って、玄関までお見送りする。
「ありがとうございました」
ダンママが華麗にお辞儀をして、マチルダが玄関のドアノブを握った。
本当に帰っちゃうんだ。もう少しゆっくりしていってもいいのに、ちょっとさみしいな。
ダンママが踵を返し、マチルダがドアを開け――。
「ニャニャー!」
「ニャー!」
「ニャニャー!」
え? なに、どうなってるの?
一緒にダンママのお見送りをしていた虎達が、一斉に騒ぎ始めちゃった。
いったいどうしたんだろう? 怒ってるとか警戒してるんじゃなくて、喜んでいるっていうか、はしゃいでいるみたいに見えるけど。
「どうしたの、虎達?」
「ニャー!」
私が訊くと、虎達がダンパパを押しのけて、ドアをガリガリと引っ掻く。外に出たいのかな?
「マチルダ、開けて」
はい、と返事してマチルダがドアを開けた。すると――。
「…………!」
なんと、そこにびっくりするくらいの美青年が立っていた。
サラサラの銀の髪と青い瞳、すらりと伸びた手足も素敵。ダンも勿論かっこいいけど、この青年は、がっしり系のダンとは違って『王子様系』のかっこ良さって言うのかな? 思わずちょっとだけ、ポカンと口を開けて見入っちゃったよ。
美男美女が多いトーラでもトップクラスに入ると思われるその美青年は、爽やかな笑顔を浮かべてお父様に話しかけた。
「こんにちは。無事終わったんですね。虎達は頑張りましたか?」
「ああ、ありがとう」
お父様がお礼を言う。
「ニャー!」
虎達が美青年にじゃれつき、美青年が虎の頭を撫でる。虎達は美青年にとても懐いてるみたいだけど、何で?
う……なんだかちょっと、これは……。
虎達と美青年の光景に妙に焦燥を感じた私は、叫ぶように虎を呼んだ。
「虎!」
「ニャ?」
振り向くけど、虎達は私の元に来ない。
嘘。あんなに私に懐いていたのに。だって、私の虎だよ! サファリパーク計画だよ! なのに……なんで!?
一緒に遊んだ日々を、一匹の魚を分け合ったあの日のことを忘れたの?
ショックを受けて立ち尽くす私。そんな私を慰めるように、美青年は言った。
「虎を好きになった? じゃあ、またこの虎達を連れて来るよ」
「ニャー」
「ニャオン!」
虎達が賛同するように鳴く。連れて来るって……この美青年は、いったい何者なんだろう?
美青年が手を軽くあげると、騒いでいた虎達が静かになり、二列に並んだ。
わ、凄い。あ、もしかして美青年は、この子達の飼い主? そっか、だからお父様はお礼を言ったんだ。虎達は美青年からの借り物だったんだね。
「さよなら」
虎達が美青年と共に去っていく。ああ、虎……。悔しいけど、でも飼い主に返すんだったら仕方ないよね……。
唇を噛みしめる私の背中を、慰めるようにお母様が撫でる。そして――。
「では、私達も行きます。さようなら、サツキちゃん」
え? あ、そうだ、ダンママとダンパパがまだ居たんだ。虎達との突然の別れがショックすぎて忘れてた。
ダンママがダンパパを連れて去っていく。ダンパパは若干足元がふらついてるけど、しっかり自分の足で歩いていた。タフすぎだよ、ダンパパ。それに、ダンママの強さは意外――ん? ダンママが戻って来る。忘れ物かな?
「サツキちゃん」
「はい?」
ダンママは、目の前まで来ると、私の手を取った。
「これをあげるわ」
これって……、え?
「もしも、ダンが悪いことをしたら、これでやってやりなさい」
やってやるって……何を?
「さようなら」
ダンママは上品な笑顔を残して、今度こそ去って行った。
「…………」
えーと、ダンママ?
私は自分の手の中にあるものを見つめる。
どうしろっていうの? この金のメリケンサック。