続ー16ダン編 別れ
俺は心の中でユイセルに別れを告げ、ゆっくりと目を開けた。
残念だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。ネルビンが来る前に立ち去らなくては。俺はチャマに乗って、その場を離れようとした、が――。
「ニャオン!」
チャマが突然ウ・ドンに駆け寄り、俺が斬った箇所を前足でガリガリと引っ掻く。いったいどうしたというのか。
「そこが気になるのか?」
「ニャオン!」
何かあるのか? 俺はチャマが気にするその箇所をよく見た。ウ・ドンの血で汚れているばかりで特に変わったところは……ん?
俺は眉を寄せる。何か、布のようなものがある。これは、まさか!
切り口から手を突っ込み、俺はその布を思い切り引っ張った。ズルズルと出てきたそれは――。
「ユイセル!」
血まみれのユイセルとチュウチュ、それに大きな獣石だった。
俺はユイセルとチュウチュを引きずり出し、地面に横たえる。
「ユイセル! しっかりしろ! ユイセル!」
俺はユイセルに必死に声をかけた。
なんてことだ、ユイセルの肩から尻にかけて深い傷が――ん? 俺は傷をじっと見た。
この傷、魔物に咬まれたにしては、やけに綺麗な一直線だな。まるで剣で斬られたような……。剣?
「…………」
いや、まさか。そんな筈ないだろう。しかし、ユイセルは切り口付近に居たようだし……。
頭に浮かぶ、一つの可能性。俺はもしかして。
邪獣ごとユイセルを斬ってしまったのか?
冷や汗が背中を伝う。
俺はユイセルの傷に、震える指で触れた。と、その時――。
「ダン……?」
聞こえた掠れた声に、俺は驚く。
「ユイセル!」
なんと、ユイセルが目を開けて、自嘲気味に笑っていた。生きていたのか!
「はは、やっちまったな。……お前が助けてくれたのか?」
俺はウッと言葉に詰まった。
「ま、まあ、そのようなそうではないような……」
「なんだ、変な奴だな」
ユイセルは一瞬笑い、それから苦しげな顔をする。
「待て、いま応急処置をする」
そう言った俺に、ユイセルは緩く首を横に振った。
「いや、いい。ネルビンが来るかもしれない、早く行け」
「駄目だ!」
それは駄目だ。もしかしてこれは俺が――いや、そうでなくともユイセルをこのままにはしておけない。
俺は荷物から救急箱を取り出し、ユイセルの背中に傷薬をぶちまける。ユイセルが短い悲鳴を上げた。
「ユイセル、少し我慢してくれ」
針と糸を取り出し、傷口を素早く縫う。縫い目がガタガタだが、それは致し方あるまい。
「タアズの街に、医者はいるか?」
俺の質問に、ユイセルは荒い息をしながら首を横に振った。
「多少、医療をかじっている者はいるだろうが……」
うーむ、多少か。それでこれだけの傷を診ることができるのだろうか? トーラまで行けば最先端の治療を受けられるのだが……。
俺はチュウチュを見る。怪我は深くないが、ユイセルを乗せては走れそうにない。とすれば、ユイセルはチャマに乗せて行くしかない。だが、俺とユイセル二人を乗せてトーラまで走る力がチャマにあるか?
俺が迷っていると、ユイセルがゆっくりと口を開いた。
「どのみち助かりはしない」
「ユイセル、そんなこと言うな」
「ダン、お前には目的がある。行け。俺はタアズの民だ、この地で眠るならそれも運命」
「ユイセル、諦めるな!」
ユイセルが微かに口角を上げる
「いいんだ。俺の親父もこの地で眠っているからな」
「親父? 父親が、か?」
あぁ、とユイセルは頷いた。
「子供の頃、俺は親父とタアズを旅していた。親父は古代ターツ文明の研究家だった。古代文明の遺産を探しながら中心を目指し……だがある日、邪獣に襲われ、気が付けば俺は一人になっていた。二日程彷徨った末に運よく街に辿り着き、生き延びることは出来たが……ああ、親父、懐かしいな――」
ユイセルが遠い目をする。
「――あの塩辛い料理。『男なら塩だ』が口癖で……」
……ん? 男なら塩?
俺は首を傾げる。
どこかで聞いたことがあるな。どこだったか……。ああ、そうだ、確かタアズとの境に程近い村の宿屋だ。その宿屋の親父が何度も言っていた言葉だ。
しかし、ユイセルの亡くなった父親と宿屋の親父の口癖が同じ、そんな偶然があるのか? もしかして……。
俺は、ユイセルに訊いた。
「まさかとは思うが、お前の親父はコウと言う名か?」
ユイセルが目を見開く。
「何故知っている?」
やはり同一人物なのか!?
「トーラで会った。タアズとの境に程近い村で、宿屋の親父をしていたぞ」
ユイセルはヒュッと息を吸い込み、唇を震わせた。
「そんな馬鹿な!」
俺もそう思う。しかし事実のようだ。何故ユイセルの父親が宿屋の親父になっていたかは分からないが――俺は決断した。
ここからトーラまで、チャマが不眠不休で全力を出せばおそらく三日……で着くか? ユイセルに猶予はない。チャマの体力を考えれば、俺が一緒に行くよりユイセル一人をチャマに乗せた方が確実に早く着く。
ただし、それは邪獣に襲われなければの話で、戦えぬこのユイセルの体で強い邪獣に遭遇してしまえば、すぐにやられるだろう。そこまでユイセルの体が持つかも分からない。
「チャマ!」
俺はチャマの頭に手を置いて言い聞かせた。
「いいか、ユイセルは怪我をしている。一刻も早く治療を受けなくてはならない。タアズとの境に程近い村の宿屋は分かるな? 塩辛い肉をお前に出してくれた親父のいる宿屋だ。そこにユイセルを連れて行け。途中で邪獣に会っても決して戦わず全力で逃げろ。そしてユイセルを無事に送り届けたら、お前は城に戻れ」
「ニャオン!」
チャマの返事に頷き、俺は荷物の中の菓子を鷲掴みにしてチャマに与える。正直これだけの食料がなくなるのは痛いが仕方ない。水も与え、ユイセルを持ち上げて背に乗せ、落ちないように紐で縛った。
「ダン……!」
「ユイセル、トーラで治療を、そして父親に会ってこい。俺は一緒に行けないが、お前なら大丈夫だ。そうだ――」
俺は足元に転がっていた獣石を見せる。
「ほら、これを持っていけ」
チュウチュの背に括り付けてあったユイセルの袋を降ろして中身を確認すると、食料も水もしっかり残っていた。これだけあれば大丈夫だろう。そこに獣石を入れて、チャマの鞍に括り付ける。
「……お前、馬鹿だ」
ユイセルが呟いた。
「なぁ、ダン。俺は本当は、お前のチャマを奪って逃げるつもりだったんだぞ」
「――――!」
そうなのか? いや、確かに何度かユイセルの不審な行動を目撃してはいたが、あまり気にしていなかった。
俺は心を落ち着かせ、ユイセルを真っ直ぐ見る。
「だが、ユイセルは盗まなかった」
そうだ、盗まなかったのだ。
「……あまりにお前が天然馬鹿で、盗み損ねた」
ユイセルがそう言って泣きそうな顔で笑った時、上空からネルビンの甲高い鳴き声が聞こえた。掃除屋が来たのか。俺は一歩後ろに下がる。
「ユイセル、死ぬな」
「あぁ。お前は三ヶ月目の贈り物を手に入れろ」
俺は頷いて、チャマの尻を叩いた。
「行け!」
チャマが走り出す。
「チュウチュ、お前はチャマの後を追え」
そう言うと、チュウチュも一度だけ「チュウ!」と鳴いて走り出した。
ユイセルが遠ざかっていく。そして俺も、逆方向に急いで走った。
ネルビンが急降下して、ウ・ドンに群がる。
またいつか会おう、お互い無事な姿で。
俺は心の中で別れを告げ、ひたすら走った。