第4話ダン編 大好物
頑張った。頑張ったのだ。
だがしかし……、駄目だった。
その事を伝えると、サツキは慰めてくれた。
「何言うかー。元気だす、もー!」
「すまない……。折角教えてくれたのに……」
サツキに教わった儀式をやり試験に臨んだが、何故か隊長は溜息を吐いて『もういい』と去って行った。
どうしてこうなってしまったのか……。
やはり、儀式を上手くやれなかったのが原因か。
あのグルグルバット、走るのが難しかったのだ。
あれは修行を積んだ神官でないと、出来ないのかもしれないな。
はぁ……。
思わず溜息を吐いた時、ノックの音がしてマチルダがワゴンを押しながら部屋に入って来た。
「ちょうど今、焼けたのですよ。ワーガル様もどうぞ」
…………!!
テーブルに並べられるケーキや焼き菓子。
あ、甘いお菓子……!!
俺の目は限界まで見開かれ、体は歓喜に震えた。
なんて美味しそうなんだ。
実は俺は、甘いお菓子が大好物なのだ。
しかし、ちょっとした訳があって、ここ数年食べていない。
欲しくて欲しくて、でも手に入らなかった物が目の前にある。
俺は溢れる唾液をゴクリと飲んだ。
甘い匂いが俺を誘う……!!
「キモ……」
……え?
サツキの呟きで我に返る。
俺は今、何をしていた?
口内に広がる甘い幸せ。
握りしめたフォークと皿。
……答えは一つしかない。
サツキの言った言葉の意味は分からないが、あきらかに嫌悪感が含まれていた。
ゆっくりと顔を上げると、侮蔑の籠もった瞳が俺を見つめていた。
ボトリと俺の口から何かが落ちる。
見るとそれは焼き菓子だった。
「…………」
「…………」
気まずい空気の中、まだ傍に居たマチルダが「あー!ケーキのおかわり持って来ます!」と言いながらワゴンを押して部屋を出て行った。
おかわり……、なんて魅惑的な言葉。
だがしかし、今はこの気まずい空気を何とかしなくてはならない。
そう思っていると、サツキが俺の口から落ちた焼き菓子を拾ってくれた。
「あ、ありがとう」
口に入れると、菓子は舌の上でとろけた。
ここまで美味い菓子は初めてだ。
カタヤの料理人は相当な腕の持ち主のようだな。
「菓子の好きかー?」
う……。
いい歳した男が甘い物が好きなんて、恥ずかしい。
「昔は……、母がよく作ってくれた」
「昔?」
サツキが首を傾げる。
「ダン、おとさま、おかさま、無い?」
ああ。この王都には。
「両親は田舎暮しに憧れて、古くから仕えてくれていた使用人達を引き連れ引っ越してしまった」
王都から遠く離れた、とんでもない田舎に行ってしまったのだ。
両親から引っ越しの計画を打ち明けられた時は、冗談かと思った。
便利な王都から不便な田舎に、しかも使用人を全員引き連れて何故行くのかと。
おかげで生活には困らないが、甘い菓子に飢えてしまったではないか。
心の中で少々両親に怒っていると、何故かサツキは眉を寄せ、今度は反対側に首を傾げた。
「何? 何処かー?」
あぁ、成る程。『田舎』が分からないのか。
どう言えば分かってもらえるか考えながら、俺は説明した。
「店も無く人もあまり居ない場所だ。食べ物は自分達で作るか木の実を採る。動物も沢山飼っている」
するとサツキは「うーん」と唸り暫く考えて、軽く頷いた。
『田舎』が何か分かったようだ。
「大きい、動物、ドンってする、戦う……?」
サツキは右手を開いたり閉じたりしながら、そのまま左手を勢いよく包み込んだ。
どうやら動物同士の喧嘩を表しているようだ。
「そういう事も、時々はあるだろう」
「嘘ねー……」
あまり動物を見た事が無いのか?
「本当だ」
サツキは驚いて目を大きく開いたが、納得したのか何度もうんうんと頷いた。
「俺は……、甘いお菓子が大好物なのだ。だが今は作ってくれる人が居ない」
食事は大抵城の食堂で食べているのだが、あそこは菓子など出ない。
「買いに行くか?」
いや、それは……。
「恥ずかしい……」
本当は一度だけ、どうしても我慢出来なくてケーキを買いに行った事があるのだ。
だがその時、沢山注文する俺に小さな女の子が笑って言ったのだ。『おじちゃん、それ全部食べるの?すごいねー』と。
周りの人々がクスクスと笑う声が聞こえて、もう俺は恥ずかしくて恥ずかしくて、買ったばかりのケーキを女の子に押し付けて店を飛び出してしまったのだ。
……はぁ。
あの時の事を思い出して暗い気持ちになっていると、マチルダが「おかわりお持ちしました」と言いながら、部屋に入って来た。
おかわり……!
いや、でも先程醜態を晒したばかりで尚も食べては……、しかしサツキには、もう俺が甘いお菓子が好きな事は知られているし……。
マチルダが皿をテーブルに並べていく。
あ! あれは、チェルルの実のケーキ!
俺が最も好きなケーキだ。
食べたい食べたい。
恥ずかしいが、我慢など出来ない!
俺が手を伸ばそうとした時、
「――――!!」
な、なんて事だ。
サツキがチェルルの実のケーキの載った皿を手に取った。
ま、待ってくれ。それは……!
あぁ……、食べてしまった……。
なんて幸せそうな顔だ。
せめて一口だけでも欲しい。だがそんなはしたない事言えない。
只々、見つめるだけしかないのか? 目の前にそれはあると言うのに。
「……もしも、これ食べるしたいか?」
サツキの言葉に俺はハッとした。
しまった。また夢中になっていたようだ。
食べたいかって? 勿論食べたいが……。
「やる」
サツキが俺に皿を差し出す。
え? いいのか? しかし……。
迷う俺に、サツキは皿を押し付けるようにして渡してきた。
「ありがとう」
サツキに感謝し、もらったケーキを口に入れる。
あぁ、この甘酸っぱい味がたまらない……!
「沢山食べる。のんびりあるから」
「う……うむ」
沢山食べてよいのか。
俺は次の皿に手を伸ばした。
サツキをチラリと見ると、頬杖を付いてボーっとしているだけでケーキを食べようとはしない。
もしかして、あまり甘い菓子は好きでは無いのだろうか?
勿体ない。こんなに美味しいのに。
残しては料理人に申し訳ないので、テーブルに載った菓子を俺は全て食べた。
うむ。美味かった。
出来れば毎日でも食べたいものだ。
その時、サツキがフゥっと溜息を吐いて、驚くべき言葉を口にした。
「いつも食べに来るがよい」
ええ!? 『いつも』って毎日という意味か!?
「あ、ありがとう!」
ま、毎日甘いお菓子が食べられる……!
なんという幸せ。
ありがとうサツキ。
俺は喜びを噛みしめながら、サツキに深く頭を下げた。