続ー12ダン編 我慢してくれ
早朝、目が覚めた俺は、窓の外を見る。
うむ、雨は降っていない。身支度をして荷物も纏め、チャマと共に宿屋の一階に行くと、カウンター席に座って朝食を摂っていたユイセルが、軽く手を上げた。
「よう、晴れたな。準備は出来ているか?」
「ああ」
俺はユイセルの隣に座り、宿屋の主人に自分とチャマの朝食を注文した。
「食ったらすぐ出発だ。いいな」
「分かった」
主人から朝食を受け取りながら頷く。ここからが本格的な旅となるのだろう。気合いを入れて頑張らねばならない。
チャマの前に食事を置き、俺も朝食を食べ始めた。と、その時――。
バターン!
背後で大きな音がした。何事かと振り向くと、昨日のならず者達と、それからこの街に来てすぐ会ったヒッジ人の女が乱暴にドアを開けて店の中へと入ってきていた。
「昨日は私に恥をかかせて……許さないわよ! あんたたち、やっておしまい!」
ならず者達が、女の指示に従い俺に向かってくる。今日はなんと、各々手に武器まで所持していた。
うーむ、なんなのだ? もう歓迎会の雰囲気は無い。
しかしこの『女一人にならず者多数で襲撃してくる』という状況、少々懐かしい感じもするな。
ならず者の攻撃を避けて殴り返しながら、俺はどうしようかと店内を見回す。すると、カウンターの奥にある縄が目に付いた。
「主人、それを貸してくれ」
「は、はい!?」
「そこの縄だ」
主人から縄をもらい、俺はならず者達の間を抜けて、先程からギャーギャーとうるさい女の所まで素早く移動して、その腕を掴んだ。
「な、何よ! きゃあ!」
俺は女の体をしっかりと縄で縛って、それからならず者達と共に、店の外に放り出した。
よし、これでいいだろう。
手を払い、食事の続きをしようかとカウンターのほうを振り向く。
ん? 何故ユイセルは、眉を寄せて俺を見つめている? 食事の邪魔をしたから怒っているのか?
首を傾げながら席に座ると、ユイセルが行儀悪くフォークで俺の顔を指して訊いてきた。
「お前、やけに手慣れているな。まるでこういう状況が頻繁にあったかのように」
ああ、と俺は頷く。
「つい数年前まで、な」
手癖の悪い父親を持ったせいで、小さい頃からこのような状況――修羅場に時々遭遇した。
『なんでもないのよ。ほら、あっちに行ってお菓子を食べていなさい』
修羅場が始まる度に、母さんは俺とニナにお菓子を持たせて、そっと部屋から出す。その時の何とも表現できない母さんの笑顔は、俺の心に今も印象深く残っていた。
「お前、育ちはそこそこ良く見えるが、違ったのか?」
「いや、それは間違いではない」
一応伯爵家ではあるしな。
首を捻るユイセルを尻目に、朝食を口に運ぶ。そして綺麗に平らげて、俺は立ち上がった。
「行こう」
荷物を担ぎ、チャマの手綱を持って言うと、ユイセルが肩を竦めて立ち上がる。
「ああ、そうだな」
俺たちは連れ立って宿屋を出た。
「これからどうやって進むのだ?」
「少し待て、騎獣を連れてくる」
ん? ああ、そうか。ちゃんと騎獣がいたのだな。
程なくしてユイセルが連れてきた騎獣は、『チュウチュ』という名のネズ国の国獣だった。愛らしい大きく丸い耳と小さな手、しかし鋭い前歯は邪獣の骨も砕くらしい。
「出発だ。北西へと向かうぞ」
ユイセルがチュウチュを走らせる。俺もチャマに乗り、ユイセルの後に続いた。
狭い街を抜け、外へ。まだ早朝だからか、日差しはそれ程強くなく快適だった。
ユイセルが俺の横に並び、タアズを旅するにあたっての注意点を話し始める。
「中心に向うに従い邪獣は強くなる。タマゴを獲りに行くと言って、帰って来た奴を俺は知らない」
「うむ、そうか」
「たかだか三ヶ月目の贈り物に命をか賭け――分かった訂正する、そう睨むな」
たかだかとはなんだ。三ヶ月目の贈り物は、可愛いサツキへの愛の証だ。
「とにかく一番大切なのは、何よりも自分の命を優先するということだ。例えばお前が邪獣に襲われていても俺は助けない。同様に俺が襲われていても助ける必要はない」
うーむ、そうなのか。騎士としては、仲間を見捨てるというのは最低行為だが、それがタアズの掟ならば仕方がないのだろうか。
「強い邪獣に遭遇したら逃げる。それから――」
ユイセルの言葉が途切れ、チャマとチュウチュの動きが止まる。
「おいでなすった」
前方から飛んでくるのは、黒光りする平べったい体と節のある六本の足をした、時々厨房に出没する虫に似ている俺より大きな邪獣。
「あれの弱点は腹か?」
「そうだ。雑食なので、喰われる危険性がある。気をつけろ」
数は二匹。ユイセルが剣を抜いて、チュウチュに騎乗したまま一匹に向かっていく。では俺はもう一匹の方をやるか。
チャマから降りて荷物を地面に置く。その間に邪獣は目の前まで来ていた。
チャマが低く唸り、先に邪獣に向かっていく。軽やかに跳躍し、背中の翅を爪で引き裂いた。
「よくやった」
俺はチャマを褒め、剣を抜いて少し強めに魔力を込める。そして淡く光る剣を、人間のように二本の足で立ち上がっている邪獣の腹に刺し、飛び散る黄色の体液を下がって避けた。
邪獣は抵抗するように足を微かに動かし倒れる。うむ、上出来だ。
剣を拭って鞘に納めながらユイセルを見ると、まだ邪獣と格闘していた。
俺は『褒めてくれ』というように体を擦り付けてきたチャマの頭を撫でながら、ユイセルの戦いを眺める。
うーむ、剣は自己流か。だがうちの隊の新人より腕はいい。実戦慣れしているな。
ユイセルは、節ばった邪獣の足をギリギリで避けて、薙ぐように腹を斬った。ふむ、多少効いたがまだ邪獣は元気だ。
生命力が強い邪獣なのだな。ユイセルの剣なら、三回以上は斬らないと倒せないだろう。
ん? 邪獣がユイセル目がけて口から黒いものを吐いた。飛びすさるチュウチュ。
なんだあれは? ねばねばしているな。邪獣はユイセルの動きを止めようとしたのだろうか? しかし、ああいった攻撃もしてくるとは、気を付けなければならないな。
ユイセルが気合いの声と共に邪獣に止めを刺して、大きく息を吐く。体液が滴る剣をそのままに、振り向き――目を見開いた。
「もう終わっていたのか」
ユイセルはこちらに近付き、俺が倒した邪獣を覗き込む。
「一刺し、か」
「ああ」
「――行こう。ネルビンが来るとマズい」
「ネルビン?」
置いてあった荷物を担いでチャマに乗りながら、俺は訊いた。
「怪鳥ネルビン――タアズの掃除屋だ。死骸の臭いを嗅ぎ付けて、群れで来るから面倒だ。戦いが終わったら、速やかに移動するというのも覚えておけ。行くぞ」
チュウチュが走り、俺は慌ててその後を追いかける。
それから俺達は、太陽が真上に来るまでに三回邪獣と戦った。その間に気温がどんどん上昇し、体が少し辛くなってくる。
「ユイセル」
俺が声を掛けると、ユイセルは頷いた。
「ああ。昼食にしようか」
さすがにユイセルも、疲れてきていたようだ。
俺はチャマを止めて降り、額の汗を袖で拭って背中から荷物を降ろし、中に入っていた食料を取り出した。すると――。
「ちょっと待て、それは何だ?」
同じように、チュウチュから降りて食事の準備をしていたユイセルが、俺の食料を指差して眉を寄せる。俺はユイセルの質問に首を傾げた。
「ん? 昼食だが、何か?」
ユイセルの眉間の皺が深くなる。
「それは、菓子だな」
「うむ、菓子だ」
花を模った、サツキのように可愛らしい焼き菓子だ。
「何故菓子だ?」
「…………」
いったいユイセルは何を言っている?
「ちょっと見せてみろ」
ユイセルが俺の許可無く、鞄の中を覗く。そして驚いたような声を上げた。
「おい、これは何だ!? 菓子ばかりではないか!」
そうだ、菓子ばかりだ。だが普通の菓子ではない。
「これはうちの料理人が作った、栄養豊富な焼き菓子だ。その上美味い。食べ過ぎ防止の為に、一日最大六個までと決めている」
もの足りないが、中心までどれだけ掛かるか分からない上に、予定外に同行したチャマの分も考えなくてはならない。
ユイセルが頭をかきむしった。
「……百歩譲って食料はそれで良いとして、他に何も持ってないのか?」
そんなわけはないだろう。
「水と救急箱も入っている」
特に水は大事だからな。宿屋で貰って、しっかり携帯している。
「タアズの気候は気紛れだ。突然気温が下がるぞ。毛布かマントは?」
俺は首を横に振った。
「それは無い。しかしチャマにくるまっていれば大丈夫だろう」
ユイセルが細かく震えて目を眇めた。
「……タアズをなめているな? 火打ち石もないのか? それでは暖を取ることも、邪獣の肉を焼いて食うことも出来ないだろう」
「ん? 邪獣の肉は食べられるのか?」
「先程のように、虫系や毒のある種類以外なら食えるものもある」
そうだったのか。それはよい事を聞いた。
「火なら何とかなる。それより早く食べよう」
「…………」
ユイセルがどかっと地べたに座る。
俺も座って菓子を一つチャマにやり、もう一つ、自分の分を鞄から出して食べる。うむ、美味い。一個で一食分の栄養があるとヤンは言っていたな。
このようなものまで作れるとは、ヤンは本当に腕のいい料理人だ。ただ、欲を言えば、もう少し満腹感が得られると良いのだが……。
そんな事を考えていたら、チャマが擦り寄ってきた。
「ニャアオ」
切なそうに鳴く。ん? まだ欲しいのか?
「もう駄目だ」
可哀想だが、この状況では仕方がない。
「食べられる邪獣と遭遇したら、沢山食わしてやるから我慢してくれ」
「ニャアオ……」
すまないな、我慢だ。
俺は、項垂れるチャマの頭を撫でた。