第20話サツキ編 トップスターと肉食獣
「おはようございます」
マチルダに揺り起こされて私は目を覚ました。
う? げ、まだ暗い。
時計を見ると、まだ五時。
あれ? 今日はダン、休暇じゃなかったっけ?
だったらなんでこんな早くに起こされるの?
「サツキ様、着替えてください」
もしかして休暇って勘違いだったかな?
ベッドから下りて、マチルダに手伝ってもらいながら着替えて顔も洗う。
さて、ダンを起こしに行こうかな。
廊下に出て……びっくり!
あれ!? ダンがいる。
自力で起きてくるなんて珍しい。
ダンは私の手を握ると片膝を付いて甲に唇を押しあてる。
ん? 今日はやけに長いなぁ。
暫く待っていると、漸くダンはキスをやめて立ち上がり、そして一言。
「行こう」
え? ああ、朝ごはんだね。
じゃあ食堂に……ってダン、行く方向が違うよ。
「ダン? 何処行くの?」
繋いでいる手を引っ張ると、ダンが振り向く。
「いいところだ」
「いいところ?」
朝ごはんじゃないの?
何だかダンが嬉しそうな顔をしているように見えるけど気のせいかな。
ダンは私の手を引いてどんどん歩き、玄関まで行く。
あ、もしかして庭で朝ごはん食べるのかな?
ダンが玄関ドアを開けて……そこで私は固まった。
……いやいや、嘘。
ぬいぐるみ? リアルなぬいぐるみだと誰か言って。
あ……動いた。
「ちょっとダン!」
「ん?」
ん? じゃない! やばいって!
「あれ……!」
私は目の前にあるものを指差した。
「猫がどうした?」
え、猫? いやいやいや、違うでしょ!
そりゃ猫科だけど、どう見たってこれは――。
「ホワイトタイガーじゃない!」
しかも大きい。たぶん普通のやつの三倍は大きいよ。
そしてそのホワイトタイガーには鞍と手綱がセットされてるけどまさか……。
ダンに引っ張られて一歩踏み出す。
うわ! やっぱりアレに乗るの?
無理! せめて馬! 馬はいないの?
まさか『トーラだけに虎』とかいうくだらないギャグなの?
「駄目だって! 怖い!」
涙ながらに訴えると、ダンは私を抱き上げた。
「大丈夫」
「大丈夫じゃない! ヒッ!」
ダンが私をホワイトタイガーに近付ける。
「怖くない」
う……、なんかゴロゴロ言ってめちゃめちゃじゃれついてくる。逆に怖いよ。擦り寄ってこないで。
ダンは私を鞍の上に乗せると、自らも乗る。
「行こう」
え? だから何処に?
ホワイトタイガーが走りだす。
うわ! 落ちる!
私は慌てて鞍にしがみ付く。ダンが後ろから腕を回し、そんな私を支えた。
うわー、私、虎に乗ってるよ。異世界で珍体験――ってよく考えたら異世界トリップ自体が珍体験だけど。
何てこと考えてたら、あ、門の外に出ちゃった。
そのままどんどん屋敷から離れるけど……いいのかな?
私、ダンの屋敷に飛んでった洗濯物取りに行った以外で、屋敷から出たことないんだよね。
だってお父様とお母様が『外は危ないから駄目!』って言うんだもん。
私ってば超箱入り娘なんだよ。
うーん、でもダンと一緒だからいいかなぁ。
せっかくだから初めての外を満喫するか。
今走っているのはたぶん住宅街じゃないかなぁ。屋敷が立ち並んでるもんね。
屋敷の一軒一軒が大きいから、いわゆる高級住宅街だと思う。
キョロキョロしながら暫く走ってると、住宅街を抜けて大通りっぽい場所に出た。
左右に建ってるのはお店だよねぇ。看板掲げてるから。……読めないけど。
うーん、読みは苦手なんだよね。
難しいんだよ、トーラの文字は。線がぐちゃぐちゃって書かれているだけって感じで。
絵本で勉強はしたんだけど、イマイチ覚えられなかったんだよね。
お店は朝早いからだと思うけど、みんな閉まってる。
明るくはなってきたけど今まだ6時になってないよね……と空を見上げようとして気付いた。
あ! ちょっと遠くに見えるあれはお城!?
絶対そうだよ。だって『いかにも』な感じだもん。有名テーマパークにあるのとそっくり。
「ダン、あれお城だよね」
振り向いて訊くと、ダンが頷く。
「あそこ行きたい」
「また今度」
……ダン、ケチだ。
まあ、庶民が気軽に行くような場所じゃないんだろうけど。
打ち拉がれながら大通りのど真ん中走って、お店エリアを抜ける。
その後もどんどん走って……、なんか周りに建物が少なくなってきたけど大丈夫かな? このまま秘境に連れて行かれるとかないよね。
「サツキ」
「ん?」
「疲れたか?」
意外にもホワイトタイガーは乗り心地がいいから大丈夫だけど……。
「何処行くの?」
いい加減教えてよね。
「すぐそこだ。ああ、見えた」
ダンが前方を指差す。
私は示された方向を見た、けど。
ん……? んん? んんん? って何あれ?
うわ、ド派手な建物。
形は国会議事堂に似てるけど、上にパステルピンクのでっかいハートが載って、建物もパステルカラーでカラフルに塗りまくられてる。
どう考えてもおかしいよね、これ。センスゼロだよ。
そんな怪しい建物の門前でホワイトタイガーは止まる。
うわぁ、近くで見ると益々おかしい。
ダンはホワイトタイガーからおりて、私もおろす。
ダン、ここに用事があるのかなぁ。
ダンは右手に私、左手にホワイトタイガーの手綱を握って門の中に入る。
すると建物のドアが開いて男の人と女の人が現れた。
う、その格好。私はどうリアクションすればいいの……?
二人共、建物と同じカラフルなドレス着てるんですけど。
特に男の人はそれでいいの? それともそういう趣味?
「こちらでございます」
男女に案内されて、ホワイトタイガーを外に置いて私達だけ中へ入る。
あー、中もド派手。
パステルカラーのペンキをぶちまけたみたいだよ。
うーん、ここは美術館とかかな? 芸術が間違った方向に爆発してる感じ。
ボーっと見てると、女の人に声を掛けられた。
「サツキ様はこちらへ」
へ? あれ? 何で名前知ってるの? ってそれより――。
「ダン!」
「また後で」
「え……!?」
あ! 男の人に案内されて行っちゃった。
何で私を置いて行くの? もう!
仕方なく私も女の人の案内に従う。
天井が高いなぁ。凄く広いし……とあちこち見ていたら、女の人が立ち止まり、そこにあるドアを開けた。
広くてカラフルな部屋――。
落ち着かないでしょ、これじゃ。
「どうぞ」
促されて部屋の中に入ると、女の人は更にその部屋の奥にあるドアを開けた。
え……!? うわ!
露天風呂だ!
岩風呂って言うのかな。
もしかして、ここは温泉施設?
女の人が私のドレスを脱がそうとする。
なんかよく分かんないけど、せっかくだから入るか。
裸になって湯に浸かると……うん、気持ちいい。
異世界にもあるんだね、温泉。
私、温泉好きなんだよね。貸し切りってのがまたいいよ。
私の感覚で三十分程ゆっくり入る。
あー、ちょっとのぼせちゃったかな? 上がろ。
温泉から上がると、女の人が大きなバスタオルで私を包んで拭いてくれる。
そのまま部屋に戻ると……あれ? ドレスがない。
戸惑ってると、女の人が何処からともなく別のドレスを持ってきた。
「こちらにお着替えください」
ん? これに?
緑と白のフリルたっぷりドレスだ。ヒラヒラで可愛い。
そして驚くことに丈が短い。
トーラには裾の長いドレスしかないと思ってたんだけど、違ったんだ。
膝上丈なんて久し振りだなぁ。気を付けないとパンツが見えそう。
あ、靴はショートブーツだ。
女の人が急かすから取り敢えず着替える。
それからブレスレットとかチョーカーとか髪飾りとかやたら付けられて、化粧までされる。
「どうぞこちらに」
今度は何処に行くの?
女の人に案内されて部屋を出る。
ちょっと歩いて、また別のドアの前で女の人は止まった。
女の人がノックをすると、中から「どうぞ」と返事が聞こえる。
ドアが開けられ……私は驚愕し、目と口を大きく開けて息まで止めた。
トップスターだ……。日本の某歌劇団のトップスターだ……。
ダン、なんで背中に羽根背負ってるの?
銀色の衣装も『アルミホイルか!』ってツッコミたくなるぐらい超光ってるよ。
いやもう、どうしちゃったんだろ。
動かない私の元にダンが来て、私の手を取り片膝を付いた。
「素敵だ、サツキ」
うわ。身動きするたびに羽根がバッサ~ってなる。
「はあ……、ありがとう。ダンは凄いね」
「ありがとう、サツキ」
手の甲にキスされる。
褒めたんじゃないんだけど……まあいっか。
ダンに手を引かれ、部屋の中央に置かれたテーブルと椅子の所に連れて行かれる。
椅子に座ると女の人が赤と黄色のまだら模様の木の実をテーブルの上に置いた。
え? 何これ。
「サツキ」
ダンがその実を一粒摘んで私の口に運ぶ。
……食べれるの? これ。
『毒です!』って強烈に主張してるように見えるんですけど。
口を開けるとダンは木の実を舌の上にのせた。
咀嚼……無味。
なんかがっかり。甘いとか酸っぱいとか苦いとかないの?
妙に汁気は多いから、風呂上がりの喉の渇きは癒されたけど。
そういえば朝ごはん、食べてなかったなぁ。
あぁ、思い出したらお腹空いてきた。うー、他にまともな食べ物はないのかなぁ。
「サツキ」
ん? 何?
ダンがじっと見てくる。
もしかして食べさせてもらいたいのかな? 仕方ないなぁ。
残ってる木の実を全部掌の上にのせて……。
「あーん」
一気にダンの口へ。
ちょっとだけ食べにくそうに口を動かしてダンが木の実を飲み込む。
それからダンは私の手を両手でギュッと握った。
痛い痛い、離して。
ついでにその服、目がチカチカして嫌。
「サツキ、これから大変だけど一緒に頑張ろう」
は? 大変って何が?
ダンが私の手を握ったまま立ち上がる。
隅に控えていた男女が一礼をして歩きだし、ダンとダンに引っ張られた私がその後に続いた。
部屋から出て長い廊下を歩いて、男女は大きな両開きのドアの前で止まる。
「サツキ、愛してる」
え? あれ?
今なんか、『愛してる』って聞こえたような気が……?
男女が左右からドアを開いた。