第１９話サツキ編 私、負けない！
午後三時――。
朝、仕事から帰ってきたダンはまだ部屋で寝ていた。
起こさないようにそっとドアを開け、ダンの部屋に入る。
ベッドの中を覗くと……うん。よく寝てる。
私はベッドに上がり、大胆にもダンの横に潜り込んでビッタリひっついた。
「おはよう、ダン」
囁くとダンが目を開ける。
「おはよう、サツキ」
ほっぺにチュッとするとダンが私の手の甲にキスをする。
……ここはダンも私の頬っぺたにキスすべきじゃないの？
うーん。まだまだなのかなぁ。
ここ数日、私ってば相当頑張ってアピールしてるんだけどな。
着替えさせて顔を洗ってから居間へ。
テーブルの上に並べられているケーキと焼き菓子は、事前にマチルダに頼んで用意してもらっておいたの。
私って気が利く女でしょ？ なぁんて言いたいのを我慢して、ソファーにダンを座らせて私はその横に座る。
「はい、あーん」
フォークでケーキを掬ってダンの口へ。
「美味しい？」
「うむ」
ダンが頷く。
ちょっとちょっと！ ケーキより甘いこの状況をもっと喜びなさいよ！
仕方ないから更にサービス。
ダンの膝の上に座って、はい、あーん。
「美味しい？」
「うむ。美味しい」
うーん……。どうなの？ 分かりにくいなぁ。
少しは気持ちがぐらついてないの？
それとなく訊いてみようかなぁ。
「ねえ、私の事どう思う？」
するとダンは私をじっと見て、それから答えた。
「サツキは可愛い」
「可愛い！？」
え！？ もしかして心揺れてる？
私はフォークとケーキをテーブルに放り投げてダンの胸に手を置いた。
「他は！？」
「…………」
ダンが首を傾げる。
「小さい」
小さい？ 何が？
ダンの視線がゆっくりと下がって胸で止まる。
え……、何？ それって胸の事？
悪かったわね！ ニナみたいな爆乳じゃなくて！
「大きい方がいいの！？」
ダンは眉を寄せて首を振った。
「いや、小さいのがいい」
ん？ あれ？ 胸は小さい方が好き？
……そうだよね！ ニナは爆乳過ぎて逆に引くよね。
これは有利かも。
ニナはたまにしか来ないし、これだけ甲斐甲斐しくしてやってるんだから、ついついクラッとくるよね。
押してみる価値あり！？
「ダン……」
ダンの首に腕を絡め、顔を近付ける。
「私、ダンが好き」
言っちゃったよ、私！
ドキドキしながら返事を待つと、ダンが目を細めて私の腰に手を回した。
「俺もサツキが好きだ」
…………！
「え……！？ 本当に！？」
「ああ、当然だ」
あ、あっさり略奪成功？
それはそれで問題あるような気もするけど。
「じゃあニナは？」
もう何とも思わない？
結婚もやめる？
しかしダンは首を傾げてとんでもない事を言った。
「ニナ？ ニナも好きだ」
…………。
何よそれ。私もニナも好き？ ふざけないでよ。
「この二股男！！」
私はダンの頬を思い切りひっぱたいた。
バカバカバカバカバカ男！！ 両方好きって何！？
爆乳も貧乳も両方手に入れようって魂胆ね！
最低！ そんな男だとは思わなかった。
私はダンの膝から下りて居間を飛び出した。
「サツキ！ 待て！」
待つか、馬鹿！
自分の部屋に駆け込みベッドに潜る。
「サツキ！」
「知らない！ あっち行って！」
ダンの喚く声と歩き回る足音が聞こえたけど無視！
暫くそうしていると、ダンは静かに部屋から出て行った。
う……。馬鹿。
涙が次々出て……鼻水を枕で拭く。
最低だ。あんな男ほっといて別の相手探したほうがいいかも。
ダンよりいい男なんてきっとゴロゴロいるよ。
そうだよ、ダンにこだわる必要はないよ。
良く考えたらどこがいいの、あの男の！
……でも、好き。なんでだろ？
あーあ、なんか眠くなってきちゃった。
そのまま暫くウトウト……として――ハッと気付く。
え？ ええ！？ うわ、暗い！ 怖い！ まさか夜！？
嘘！ ほんのちょっとうたた寝してただけなのに。
私は慌ててサイドテーブルの上にあるランプに火をつけた。
あー怖かった。
私、暗いの駄目なんだよね。
だって……。
窓の外を見ると月。
向こうの世界より赤く見えるけど、同じように夜空に浮かんでいる。
あぁ……、あの日もこんな月夜だった。
私は人生最大の嫌な出来事を思い出した。
そう、あれはまだ小学生になってまもない頃、私は霊体験をした。
学校から帰ってテレビを観ていた私は、慣れない学校生活で疲れていた所為か、そのままウトウトと眠ってしまった。
そしてふと目が覚めると暗く、その上誰もいない。
窓から月明かりだけが降注いでいた。
「お母さん、お母さん！」
大きな声で母親を呼んだけど返事がない。
おかしい。私一人……何故？
急に怖くなり、取り敢えず電気をつけるため立ち上がろうとした瞬間！
ボウッ……。
と目の前にヒトダマが浮かんだのだ。
初めてのヒトダマ体験に恐怖で声も出ないし動けない私の前でヒトダマはユラユラ揺れて、そしてなんと髪の長い女の形になった。
女は身体が透けていた。
つまり――幽霊。
そして女の幽霊はおもらし寸前の私の腕をギリッと掴み、遠くから聞こえるような擦れた声でこう言った。
「見付けた。離れないで。その体……いいわ、メロメロだわ。一緒に行きましょう」
強い力で引っ張られ、これまた突如現れた白い渦の中に引き摺りこまれそうになって、私はハッと気付いて暴れた。
今考えるとあの幽霊は私を黄泉の世界に連れて行こうとしてたんだろうな。
当時まだ幼い私はそこまでは分からなかったけど、とにかくヤバいという思いだけで必死に抵抗した。
「駄目よ。ほら、みんな待っているわ」
「メロメロだぁ」
「あぁ、メロメロだぁ」
「この世界じゃない遠い世界へ行きましょう。その体……いいわ」
仲間の幽霊の声が部屋に響く中、何だか分かんないけどやたら体を褒められて引き摺られる。
「嫌ぁ！ やめてやめて！ 助けてー！ お母さん、お父さん！ 嫌だ絶対いかない！！」
とにかくもう必死で両親に助けを求めて叫びまくっていると、幽霊が不意に手を離した。
「困ったわ……。違うのよ、この世界は。あちらに行きましょう。もう、どうしましょう、まだ小さいから……仕方ない、また迎えに来るわ。その時は必ず連れて行く。覚えていて、私はあなたにメロメロだわ」
幽霊がフッと消えて突然目の前が明るくなった。
眩しくて瞬きを繰り返している私の後ろから聞こえた声。
「サツキ、起きてたの？」
振り向くと両親がいた。
「お父さん、お母さん！」
私は泣きながら両親にしがみついた。
両親に後から訊いたら、寝てる私を置いて買い物に行っていたらしい。酷いよね、もうちょっとで黄泉に連れてかれるところだったんだよ。
はぁ……。
私は深く溜息を吐く。
この話、両親も友達も誰も信じてくれないんだよ。
結局あの幽霊が私を迎えに来る事はなかったけど……まさか異世界までは追い掛けて来ないよね。
よく考えると霊体験といい異世界トリップといい、私って特異体質なのかな？
しかも幽霊をメロメロにするなんて、ある意味凄い。ダンもメロメロになってくれればいいのに……。
あ、何だかダンに会いたくなってきちゃった。どこにいるのかなぁ。
ベッドから出てあくびをしながら広い部屋を歩き、ドア開けると……ダンが壁に凭れて座ってた。
「サツキ！」
ダン……、ドアの前にずっといたの？
あ、胸がキュンってなった。
……うん！ やっぱり好き。絶対絶対私だけのダンにする。
幽霊がメロメロになったんだから、生身の人間がメロメロにならない訳がないよね。
私、負けない！
立ち上がったダンの腰に、私はギュッと抱き付いた。
