ラッコに転生したので人生で一度は言ってみたい台詞を言いました「ふっ、つまらぬものを打ってしまった……」
マリーローズのお兄様に、BL風味があります。
ご注意ください。
この王国は獣人に血を引く人間が大多数を占めるため、その姿は多種多様であった。
たいていの者は人間の姿をしているのだが、獣性が強く出た者は尻尾や羽根があったり、獣頭の者もいたりした。
あるいは獣性の特質が強く現れる者も多かった。
そんな王国の貴族家のひとつ、マーニャ男爵家は姿は人間であるが獣性の特質を代々持つ一族であった―――ラッコの。
どの家系も先祖代々さまざまな獣人の血がミックスされているので、親と子どもで、兄弟で、現れる獣性が異なることが普通であるのに、何故かマーニャ男爵家ではラッコの獣性一択であった。神様が、ラッコしか勝たん! と定めたかのように。
マーニャ男爵家に生まれた者は全員が男性であっても女性であっても小柄で可愛い。性格も善良系のぽややんで可愛い。神様が可愛さに特化させたように全てが可愛いのだ。精神の平静と潤いに必須の癒しと和みと安らぎのフルコンボ。神様の贔屓ではないかと思うくらいの精神安定剤なのである。ふくら雀みたいに丸っこくなった中年の男爵すら可愛いのだから、もう可愛さは罪というぐらい可愛いのであった。
そして全員が本能で宝物とビビッと決めたお気に入りの石を所有していて、夜になれば家族で手を繋いで眠る習性であったので。家族と離れて眠れなくなった長兄ルティスは、大学の寄宿舎で同室であった虎の耳と尻尾を持つ超美形の南の公爵令息に手を繋いでもらって眠っていたし。次兄アルランに至っては貴族学園の寄宿舎で、熊の獣頭を持つ鍛え上げられた巨体の第二王子のお腹の上でコロンと寝て手を繋いでもらってクークーと眠っていた。かわいそうに公爵令息と第二王子の煩悩が滾って目が血走っていたが、仲良く眠っているだけなので心身ともにすこやかで健全であった。
ただ、そろそろ公爵令息と第二王子の我慢の限界がくるかも知れない。
ちなみに公爵令息や第二王子が高貴な身分であるのに個室でなく二人部屋なのは本人の強固な希望である。問題にしてはいけない。王国では同性婚は法的に許されているので同性も恋愛対象である。周囲はわかっているが、のほほんとした鈍感な長兄と次兄はわかっていない。だが公爵令息と第二王子が権力と財力で全方位に、獲物を横取りされまいとする野生の獣のごとく睨みを利かしているので誰も何も言わない。繰り返すが、理解していないのは毎日お気に入りの石をクルクルにぎにぎしてホンワカしている長兄と次兄だけである。
さて、危機感のまったくない可愛さ成分100パーセントの永久機関である長兄と次兄はさておき。
マーニャ男爵家の三番目の子どもは女の子で、名前をマリーローズと言った。マリーはともかくローズ(薔薇)はラッコには荷が重いとマリーローズは常々思っているが、北の公爵家に嫁いで溺愛されている叔母が名付け親である。北の海の海産物を毎月どっさり贈ってくれるので、文句の言えないマリーローズであった。だって魚も貝も新鮮ピチピチで凄く美味しいのだ。
王都で育ったマリーローズの叔母は、海には砂浜があり砂浜には貝が埋まっていて取り放題、と北の公爵に誘惑されて結婚した令嬢なので魚と貝に関しては目利きなのだ。ちなみに叔母のお気に入り石はピカピカのツルツル(北の公爵が目の色を変えて国宝の宝石よりもお金をかけて必死に探した普通の石)で、マリーローズの憧れの石である。
ラッコの獣人の特質を持つマーニャ男爵一族にとっては、お気に入り石は凄く凄く大事な理想の石なのだ。
マリーローズの叔母のように、求婚が宝石の指輪ではなく石で大喜びするぐらいに。
求婚は女の子の憧れだもの、とすでに格別な石を手に入れているマリーローズは思う。
石は大事、と。
でも、この石をくれた人とは二度と会えない。名前も身分も住んでいる場所も何も知らない。10年前に一度会っただけの男の子なのだ。
だから、諦めるしかない。
だから、新しい石を…………。
マリーローズは15歳。
そろそろ婚活のお年頃なので、山ほど申し込みがきているお見合いを何度もしているのだが、誰ひとりとしてマリーローズが新たに気に入る石をプレゼントしてくれた者はいない。綺麗だとかドデカイだとか貴重だとかのキラキラの宝石なのだ。わかっていない。貴族の価値判断で普通の石よりも見栄えのする宝石の方が喜ぶだろう、なんて本当にマーニャ男爵一族を理解していない。
ただの高価な宝石なんてマリーローズは欲しくなんてないのに。
宝石も石だがマリーローズの欲しいものは、宝石ではなく手に馴染み持ち心地のよい普通の石なのだ。
叔母の石が宝石のごとくツルツルピカピカなので、希少な宝石だと思う者も多い。しかも国宝よりもお金をかけて北の公爵が入手している。だが、あれは北の公爵が根性で磨きあげた普通の石なのだ。それを見た人々が勘違いをしているのである。
なかにはマーニャ男爵一族のこだわりを理解して、世界で一番硬い石である凶器になりそうなゴツいダイヤモンドをプレゼントしてくれた者もいた。しかし硬ければいいというものではない。結局、マリーローズが気に入るかどうかが重要なのである。
可愛いマーニャ男爵一族は人気がある。長兄と次兄は本人の知らぬうちに売約済みなので、マリーローズに人気が一点集中して多重債務者のごとく狙われていて大注目なのであった。
そんなマリーローズが婚約した。
相手は、東の公爵家の次男レミアス。レミアスの母親である公爵夫人の無理押しであった。公爵夫人は可愛いマリーローズの大ファンだったのである。
しかし、この婚約を知らされたレミアスは不満を蓄積していた。マリーローズと結婚するということは、マーニャ男爵家に婿入りをすることであったからだ。
公爵家に生まれた自分が男爵家に婿入りなどありえない、と。
長兄をゲットして大喜びをしている南の公爵一家と次兄をゲットして離さない第二王子、どちらもゲットは予定だが確定しているので、マーニャ男爵家はマリーローズが後継者となっていたのである。
ちなみに東の公爵家がマリーローズと婚約を結べた理由は領地が海に面していたから。王国で領地に海を所有するのは、王家と北の公爵家と東の公爵家だけである。
さて、当のマリーローズであるが。
「私が東の公爵家のレミアス様の婚約者……?」
と茫然としていた。
実はマリーローズには前世の記憶があり、誰にも知られていないが王国で10人もいない治癒魔法の使い手でもあった。だが、生まれた時から記憶があったので治癒魔法のことは用心して秘密にしたのだ。
前世でファンタジー小説が好きだったマリーローズは、治癒魔法使いが権力者に翻弄される小説をたくさん読んでいたのである。
王国には魔法があるが、魔法は万能ではない。治癒魔法も然り。故に薬師や医師がおり、治癒魔法使いは神殿の聖女や聖人として高額寄進者に治療を施す存在であった。
それを成長するにつれて学んだマリーローズは、ますます沈黙を守った。
転生者で男爵令嬢で治癒魔法使い、転生ヒロイン3点セットではないかと疑ったのである。しかも治癒魔法使いなので聖女なんて尊称のオマケ付きなのだ。もしマリーローズの髪が亜麻色ではなくピンク色だったならば本気で何かの小説かゲームかのヒロインではないか、と悩んだことだろう。
万が一の可能性も考えてマリーローズは、きちんと淑女教育も習った。絶対にお花畑ヒロインにはなるまい、と。
そして、レミアスとの婚約が決まった時に、
「私、ヒロインじゃない……。攻略対象の婚約者として捨てられるモブ系悪役令嬢の方だ……」
と呆気に取られたのである。
可愛いマーニャ男爵一族は、幼い時はめちゃめちゃ可愛すぎるので誘拐などの心配があり、成人である15歳までは屋敷から出ないし社交もしない。
だから屋敷で貴族の系図は教えられたが、それは当主と夫人と嫡子が中心だったため、レミアスは大穴であったのだ。
この王国は『白のプリムラ』という小説の世界。
『白のプリムラ』は、男爵家の庶子として誕生したプリムラが治癒魔法に目覚めて5人の美男子から愛される小説だった。何故、5人かというとプリムラの固有魔法である魅了が5人までだからである。そのかわりプリムラの魅了は恐ろしく強力で、もはや洗脳レベルの魅了であった。商人の息子、神官、伯爵家の令息、侯爵家の令息、と次々にステップアップしてメインヒーローのレミアスに辿り着くのである。
マリーローズの役割は愛されない婚約者であった。レミアスの婚約者として小説に登場するので、ヒロインの対立的立場として悪役令嬢と小説では書かれているが、出番は少なく最後はレミアスに冷たく婚約破棄されておしまいのモブに等しい悪役令嬢だった。
危なかった、とマリーローズはほっと胸を撫で下ろした。
公爵家の次は王家である。
王家に洗脳に近い魅了魔法なんてとんでもない。国が傾く。レミアスが5人目で良かった、とマリーローズはつくづく思ったがレミアスは婚約者。本人の意思を無視した魅了で洗脳されての逆ハーレムを放置するのも後味が悪い。
うむむ、と考えたマリーローズは、
「こういう時は他力本願! お兄様を召喚よ!」
と、二人の兄に全力で頼ったのであった。兄たちには南の公爵令息と第二王子がもれなく付いてくるからだ。魅了なんてヤバイものには権力者が前面に出て対峙してもらうに限る、と。
マリーローズの話を聞いた公爵令息と第二王子は、全面協力を約束してくれた。マリーローズが公爵令息と第二王子の耳元で、「ルティスお兄様は青みを帯びた石が好き」「アルランお兄様は縞模様の入った石が好き」と囁いた効果もあって、マリーローズの話を嘘だとか妄想だとか言うこともなかった。
「魅了魔法か、危険だな。先に何らかの罪状で処分してしまおうか」
王族らしく容赦のない第二王子の提案にマリーローズは首を振った。
「いいえ。ヒロインには小説の内容通りレミアス様まで魅了してもらった方が安全です。ヒロインは5人に魅了をかけると魅了魔法の力を失います。もし5人に魅了をかける前に捕縛とかとなり、誰か、有力者などに魅了をかける方が深刻な事態になるのではないかと思うのです」
「なるほど。では密かに監視をつけて行動を見張らせよう。魅了魔法持ちは滅多に誕生しないが、今後の対策のために綿密な報告書を作成させて注意喚起情報とすれば色々と役にも立つ」
腹黒い第二王子は口角をあげた。キラリと牙が光る。熊の獣頭なので迫力満点だった。
「でも、レミアス殿たちが気の毒だよ。そのヒロインとかの魅了って洗脳に近いものなんだろ?」
「はい、ルティスお兄様。凄く強力ですが浄化魔法で解くことができます」
「ええ!? 浄化魔法って治癒魔法の上位魔法じゃないか。聖女様と聖人様あわせても王国では3人しか使えない魔法だよ」
「アルランお兄様。高額寄進さえすれば解いてもらえるのですから大丈夫です。ヒロインの選ぶ5人の美男子の家はお金持ちですから」
妹大好きのルティスとアルランもマリーローズの話を疑いもせず信じた。ルティスもアルランも突拍子もない前世の話なのに欠片も嘘とは言わず、そうかと頷く。
「まぁ、レミアスは自業自得の面もあるのではないか? 可愛いマリーローズ嬢の婚約者となったのに婚約自体を子どものように駄々をこねて嫌がって、まだ一度もマリーローズ嬢と顔合わせすらしていないのだろう? 婚約者を蔑ろにするなんて罰として痛い目にあえばいいのだよ」
南の公爵令息が冷淡な口調で言った。
マリーローズが手をふる。
「仕方ないです。レミアス様は東の公爵家、私の家は男爵。レミアス様が不機嫌になるのもわかるので罰なんて……」
「甘い。婚約者を大事にしない者などガツン! と鉄槌をくだすべきだよ」
「ガツン、とですか?」
「そう、思いっきりぶん殴ってやればいいのさ」
南の公爵令息の言葉にマリーローズは考えこむようにお気に入り石をニギニギクルクル回し出す。思考するのに石は落ち着くのだ。するとつられてルティスとアルランも石をクルクル回す。
にぎにぎ。
くるくる。
そろって石を回す3人に、
「……可愛いなぁ」
「……可愛すぎる」
と、第二王子と公爵令息が口元をおさえて呟いたのだった。
こうして。
ひっそりみっちりと監視されることとなったヒロインのプリムラであるが。
順調に商人の息子、神官、伯爵家の令息、侯爵家の令息を魅了で恋の盲目状態として、いよいよレミアスの番となっていた。
その様子を高位魔法使いたちや学者たちが興味津々、目を爛々とさせて観察する。
「いやぁ、嬉しいね。商人の息子なんて一撃でイチコロだったぞ! まさか魅了をこの目で見ることができるなんて!」
「ほんに、ほんに、良い教材じゃ。プリムラとやらの魅了は刺激的で素晴らしい。おもしろい論文が書けますぞ」
「まことに。プリムラの魅了に気付いてくれた者に褒賞を与えたいくらいですな」
一方、東の公爵夫人は憤っていた。
「わたくしがせっかくマリーローズちゃんとの婚約を整えたのに! あんな小娘に鼻の下を伸ばすなんて! 魅了だとしても許せないわ!!」
国王は顔が青ざめている。
「魅了とは凄まじいのぉ。魔法は個人によって力が異なるゆえ、プリムラ個人の魅了と他の者の魅了も力が違うであろうが、第二のプリムラが出現する未来もあるやも知れん。あの力は王国の脅威じゃ。今までの魅了対抗アミュレットではぬるい。もっと研究をせねば」
暗々のうちに王国の上位階級の一部からの脚光を浴びるレミアス。
注視の中、コロリとプリムラに堕とされてしまい公爵夫人は火山の噴火のごとく大激怒。さすがにマリーローズもレミアスが憐れとなって助ける決心をした。
「ルティスお兄様、アルランお兄様。私、本当は治癒魔法が使えるのです。でも神殿には行きたくないので内密にしてくださいませね。そのせいか私の持っている石には魔力が溜まり浄化の力を宿すようになったのです。この石でレミアス様をお助けしたいと思うのですが、どうかお力添えをお願いできないでしょうか?」
胸の前で手を組んでおねだりをするマリーローズに、ルティスもアルランも相好を崩す。薄々マリーローズの治癒魔法のことは察知していたので驚くこともなかった。
「いいよ。東の公爵夫人が怒っているもんね。一日でも早くレミアス殿を正気に戻してあげよう」
「そうだね。で、僕たちは何をすればいいのかな?」
「ちょっとレミアス様を押さえて欲しいのです。今ならば、レミアス様の浮気に悋気を起こした婚約者の暴力事件ですむ、と思うので」
「ハァ!? 暴力事件って何をする気なんだ?」
「もしや、その石で?」
「はい、この石でレミアス様を打ちます!」
きっぱりとマリーローズが胸を張る。
「ルティス。いざとなったら南の公爵家が庇うから」
公爵令息がルティスの肩に手を置く。
「アルラン。王家もマリーローズ嬢の味方になるから」
第二王子がアルランの頭を優しく撫でる。
ルティスとアルランは眉根を寄せてため息をついた。
「神殿に任せる手もあるけど、それだと時間がかかるもんね」
「マリーローズの石で魅了が解除できるならば、ね。わかった。協力するよ」
「ありがとう、ルティスお兄様、アルランお兄様」
マリーローズがルティスとアルランに抱きつく。ルティスとアルランもぎゅうぎゅう抱き返すと、小柄な3人はふんわかほのぼのとした雰囲気の猫団子のようになって凄く可愛い。
「……可愛いなぁ」
「……地上におりた天使だ」
と、第二王子と公爵令息は片手で顔を覆い天を仰いで呻いたのだった。
そして決戦の日。
その日は王宮の大夜会であった。
第二王子によって王宮には根回し済みなので、マリーローズは堂々とプリムラ一行に近づいた。
プリムラの周囲には、商人の息子と神官と伯爵令息と侯爵令息とレミアスが侍っている。
対してマリーローズの後ろには、ルティスとアルランと南の公爵令息と第二王子が立っていた。超美形の公爵令息と圧倒的威厳の第二王子がいるマリーローズサイドは品格と貫禄がたっぷりとある。
プリムラ一行は気圧されて怯むようにたじろいだ。
「な、何よ!? あなた誰なの!」
それでもヒロイン。プリムラは強気で言葉を発した。
「こんばんは。私はレミアス様の婚約者です。今夜は浮気者のレミアス様におしおきをしに参りましたの」
マリーローズがにっこりと微笑む。
同時にサッとルティスとアルランが動く。レミアスに襲いかかり押し倒した。
驚愕する周りの人々に、公爵令息と第二王子が視線を流す。食物連鎖の頂点に君臨するトップ・プレデターの虎と熊の威圧的睨みに人々は竦みあがって動けない。
レミアスは、右手をルティスに左手をアルランに体重をのせて押さえられ、右足の関節は立っている公爵令息に左足の関節は立ったままの第二王子に踏まれて、ピンで留められた蝶々のように床に封じられている。
ゆっくりとマリーローズが歩く。
「レミアス様、はじめまして。マリーローズです」
マリーローズがレミアスの傍らに膝をついた。ドレスの裾が花の開花のごとく広がる。
「浮気をなさいましたね? ですので私のおしおきを受けてくださいませ」
マリーローズがお気に入り石を高くあげる。
「ラッコの高速連打乱れ打ちっ! ファイア!!」
ドガガガガガガッ!!!
打つ!
打つ!
打つ!
レミアスの背中にマリーローズが石を打ち込む。大丈夫。瞬間に治癒魔法もこっそり併用しているのでレミアスに怪我はない。猛烈に痛いだけだ。
「ぐわぁぁぁッ!!」
レミアスが悲鳴をあげるが誰も助けない。王宮各所や近衛、東の公爵家には水面下で事前調整してあるからだ。ましてや公爵令息と第二王子に睨まれている状態の周りの貴族やプリムラ一行にレミアスを救出する気概はない。
ふぅ、とマリーローズが額の汗を拭って、ピタリと石を止めた。
「……つまらぬものを打ってしまった」(人生で 一度言いたい 台詞なり byマリーローズ心の俳句)
すっくと立ちあがりマリーローズがレミアスを見おろす。
両手両足が解放されたものの立つ気力もなく、レミアスがマリーローズを見上げる。
やわらかく二人の視線が絡み、マリーローズが花の蕾のような唇を開いた。
「レミアス様。レミアス様は私をお気に召さないご様子ですし、どうなさいますか? 婚約破棄をご希望でしょうか?」
政略結婚ではないのだ。婚約者を忌避して、一度もマリーローズと会おうともしないレミアスは必要ない。マリーローズには求婚者が山ほどいるのだから。
マリーローズの言葉にレミアスがぎょっと目を見開く。
「ま、待ってくれ……!」
ズルッと上半身を起こしレミアスがマリーローズにすがりつく。だって初めて見たマリーローズの姿が極上に可愛かったのだ。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳は煌めく星を宿した夜の色。薔薇色の頬は滑らかで、長い髪は亜麻色で艷やかに波打っている。身体は小さく汚れなき清楚感の漂う人形のように華奢だ。
生きて動いていることが感動するレベルで可愛いのである。
魅了から解放されて正気に戻ったレミアスが、必死ににじり寄るがマリーローズの瞳は冷ややかだ。最初に誠意を欠いたのはレミアスである。今さら? とマリーローズが冷たい態度となるのも当然であった。
こうなったからにはレミアスに選択する道は一つしかない。謝罪一択である。
「悪かった! すまない! 許してくれ! 僕が愚かだった!」
その姿をプリムラ一行と夜会会場の貴族たちが茫然と見ていた。
「何の謝罪でしょうか? 浮気なさったこと? レミアス様はあちらの令嬢をお好きなのでしょう? よいのですよ、婚約破棄をいたしましょう」
マリーローズがちょっといじわるっぽく言う。拗ねた子猫のようで可愛い。
「あんな女! どうして好きと思ったのかわからない! 礼儀知らずで我が儘でアレが欲しいコレが欲しいと強欲で、容姿だって初恋の女の子によく似ている君の可愛さの足元にも及ばない! 褒めるべきところがないのに、よろめいた自分が信じられない!」
自分に正直すぎるレミアスの叫びだが、プリムラの顔が般若に変化している。
高位魔法使いたちと学者たちは、魅了解除後の反応としてのレミアスの言動に目をキラキラさせて注目していた。プリムラは洗脳の罪で犯罪奴隷となることが決定しているので、プリムラに対しては研究対象として目を貪欲にギラギラとさせていた。
耳目が集まりすぎるのでマリーローズは、目的の魅了の解除を果たしたこともあって戦線離脱をすることにした。
「とりあえず、そちらの令嬢との関係の後始末はご自分でなさってくださいませ。婚約を継続するか破棄するかは、家と家との契約ですから後日に話し合いをいたしましょう」
そうしてサッサと帰っていくマリーローズの後ろ姿を未練たらたらで見送ったレミアスは、過去の自分を殴りたくなった。なんて勿体ないことをしたのか、と。
今のところは婚約者だが崖っぷちである。
泣き落として婚約を継続してもスタートラインはマイナスからだ。
過去の自分を盛大に呪ったレミアスであった。
翌日。
マーニャ男爵家の庭でマリーローズは、青みを帯びた石をニギニギしているルティスと縞模様の入った石をクルクルしているアルランとお茶をしていた。
庭には多種多様な花々が爛漫と咲きこぼれていて、雌雄の蝶が戯れるように花びらがひとひらふたひらと舞い散っていて美しい。風は花の香りを含んで甘く、マリーローズの長い髪を揺らしていた。
「おめでとうございます、ルティスお兄様、アルランお兄様。求婚をお受けなされたのですね」
「うん。こんな素敵な石を捧げてくれたんだ、それに彼は優しいし」
「僕も。彼さ、凄く真摯に求婚してくれたんだ。だから結婚を決めたんだよ。それでマリーローズはレミアス殿のことはどうするつもりなんだい?」
「婚約を続けますよ。魅了による洗脳ですから浮気は情状の余地がありますし、過去よりも未来が大切です。私はマーニャ男爵家を継ぐのですからマーニャ男爵家に利益のある結婚をしなければ。レミアス様の東の公爵家はマーニャ男爵家には良縁です」
「えー!? 家の利益よりもマリーローズの幸福の方が大事だよ!」
「そうだよ。家のことならば僕たちの結婚で十分利益となっているし、マリーローズはそんなこと心配しなくていいんだよ!」
「ありがとうございます、でも、私はレミアス様がいいのです。この石、10年前にレミアス様がくださったのです。レミアス様は覚えていらっしゃるか不明ですが」
「あ! もしかして10年前にマリーローズが屋敷を抜け出して大騒動となって、無事に帰ってきたあの時!?」
「びっくりしたよね。街で出会った男の子に門前まで送ってもらった、とマリーローズがにこにこして帰って来たんだから」
「レミアス様もお忍びで街に来られていたのでナイショだったのです」
マリーローズが晴れやかに微笑む。
「レミアス様がお嫌ならば婚約は破棄するつもりでした。でも昨夜レミアス様と再会して、レミアス様が10年前に石をくれた男の子だと気がついたのです。だからレミアス様が婚約の継続を望まれるのならば……。ただ10年前のレミアス様が真面目でも、今のレミアス様がロクデナシでしたら問題なので、しばらくは様子をみる感じですけど」
そうして、マイナススタートのレミアスは全力を傾けて毎日マリーローズに愛を伝えるためにマーニャ男爵家を訪問することとなった。
それは千日続き、マリーローズはレミアスから千日磨き続けた新しいツルツルピカピカの石を受け取ったのだった。
読んでいただきありがとうございました。
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私のご褒美の果物代となりますので、もしよろしければどうぞお願いいたします。