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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

たとえ世界が死ねと言ったとしても

あからさまなBL表現はありません。ブロマンスというか、家族愛というか、そんな感じを表現したかったものです。


男は問いかけた。

檻の中で小さく丸まった幼子を前に、その何も写さぬ無気力な瞳を見つめて問いかけた。


もしもだ。

世界中の人間がお前に死ねと言ったら、お前は死ぬのか




――――




僕は、異端のものだった。

女しか生まれるはずのない一族の中に、母の死と引き換えにたった1人の男として生まれたその時から、母の愛も知らず、父の顔も知らず、ただ忌み児として、牢の中に閉じ込められた。


行き止まりの洞窟に作られた牢の中で、僕は足輪を嵌められ、地面に打たれた杭の側から鎖が届く範囲しか、動くことを許されていなかった。


日に一度、僅かな食事を持ってくる監視役の老婆は、僕が生まれたせいで、一族には疫病が流行り、村には日照りが続き、作物が枯れ、多くの不幸がもたらされたと僕を責めた。


一族に降りかかる全ての不幸は僕のもたらしたものだと詰られ、虐げられる日々に、あの頃の僕は、ただ早く終わりが来て欲しいと祈るばかりだった。


死という終わりを、切望していた。


けれど、ある日突然、僕の前に師匠が現れた。


あの日、師匠は言った。


「生きろ。

お前には目があるだろ、口があるだろ、耳があるだろ、手足もあるだろ。

生きるのに必要なものは、お前には全てある」


そう告げる師匠の顔を僕は呆然と見上げていた。


返事をしなければ、と思うのに、口を開いても空気を取り込むばかりで、言葉を発することもできなかった。


ついで、師匠の顔も見えなくなるくらい目からどっと涙が溢れて、溢れて、止まらなくなった。


生まれてから、ここに閉じ込められてから、こんなに泣いたことはなかった。


その時の僕は、自分が何で泣いているのかも分かっていなかった。


ただただ、しゃくり上げながら、泣き喚きながら、それても僕が檻の隙間から必死に手を伸ばすと、師匠が手を差し出してきた。


硬くて、ガサガサしていて、少し冷えたその大きな手を、僕は夢中で掴んだ。


初めて触れる人の温もりを、絶対に離したくなくて、震える手で縋りついた。


そして僕は、生まれてはじめて、魔法を見た。


ずっと僕を閉じ込めてきた頑強な鉄の檻は、師匠の使う魔法であっという間に壊されたのだ。


その日、辺境にある女族の集落の外れ、大きな音に驚いて様子を見にきた老婆は、忌み児を閉じ込めた洞窟が崩落しているのを発見する。


崩落の範囲は大きく、檻も無惨につぶれており、忌み児の亡骸は見つからなかったものの、崩れた土砂の中にうもれたものと考えられた。


かくして女族の忌み児は消え、女族達は大いなる不幸が去ったと喜び、その死を祝う宴を開いたという。





――――





師匠に連れられた僕は、世界のあちこちを放浪することになった。


師匠は、一つの場所に留まることは無かった。

長くても季節二巡りまで。誰も知り合いがいないような場所に居を移すのを繰り返した。


見るもの全てが新しくて、鮮やかで、いちいち驚く僕をみて、師匠はからかったり、苦笑したり、時には一緒に驚いたりしながら、旅を続けた。


そして、忌み児とよばれ続け、名前がなかった僕に、師匠はすぐに名前をつけた。


「ラビカ」


雑草の名前だという。


よくみかける草の名前だけど、僕はこの名前がとても気に入っていた。


師匠がつけてくれたというだけで、僕にとっては特別な名前だったのだ。


旅を初めてしばし、僕は悩んでいた。


あの場所から連れ出してくれた師匠は当時の僕にとっては世界の全てだったから、僕は師匠のことを神様と呼んでいた。


師匠は呼ばれる度に不機嫌な顔をして、ある日ついに、呼び名を改めるように言われてしまった。


「とにかくカミサマはやめろ。

まずはお前が旅に慣れるのを優先してたから呼び名については後回しにしてたが、俺はカミサマなんてそんなご大層なもんになった覚えはねえし、周りの目も半端なく痛え」


「じゃあ、なんて呼べば?」


尋ねた僕に、師匠は頭を抱えていた。


「親代わり……のつもりだが、父親……つうのもな。俺の柄でもねえ。ま、普通に名前で呼べや。俺の名前は、レギスだ」


「レギス……様?」


「……様はやめとけ」


「ごめんなさい、レギス」


その後数年、師匠のことは名前で呼んでいた。


でも10歳になって、少し周りのことがわかるようになった僕は、親代わりの男をレギスと呼ぶことに、何だか少し物足りない気持ちを持ち始めていた。


本当は、父と呼びたかったのだと思う。

けれどもそれは嫌がられそうだったから、他の特別な呼び方がしたかった。


そうして僕の中でしっくり来たのが、師匠という呼び名だった。


僕がはじめて彼を師匠と呼んだ時、彼は驚いたような眼差しで僕を見やったけれど、ふっと笑って僕の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


鼻で笑うような気障な仕草が似合ってしまうのも、師匠の少し嫌味なところだ。


長い黒髪を背に垂らして、魔法使いのローブを身に纏った師匠は、女の子からよくキャアキャア言われていた。


本人はすごく無愛想で塩対応だから、遠巻きに見られるだけだったけれど。


「――まあいい。好きに呼びな」


その時から、僕は師匠のことを、師匠と呼んでいる。


師匠からは、本当に色んなことを教わった。

魔法もそのひとつ。

僕には、異様なくらい大きな魔力があった。師匠に教えられて初めてわかったのだけど。


僕の魔力を使えば、不可能とされていた魔法もいつか行使できるようになるのではないか、と師匠は言った。


世界に類を見ない魔法使いになれるかもしれない、と。


実際、宮廷に勤めていたという魔法使いの老人のもとで、師匠と3人で少し暮らした時には、そのままその老人の元に留まって弟子入りしないかと誘われた。


師匠も、僕がそうしたいならそうすれば良いと言ったけど、僕は師匠から教わりたかったし、師匠と一緒にいたかったから断った。


師匠は、せっかくの機会を棒に振りやがって、と呆れていたけど、構わなかった。


師匠に拾われてから、季節が11回巡った。

僕は、15歳になろうとしていた。


そのころ、世界は少しずつおかしくなり始めていた。


普段は現れないような魔物が、突如集団で村に襲いかかる、いつまでも霧が晴れずに覆われた街がある、突然姿を消してしまう人が増えている


そんな不穏な噂を聞くようになった。


それを聞くたびに、師匠は目を細めて、どこか遠くを見つめる眼差しをした。


僕がみているのに気がつくと、僕の頭をぐしゃぐしゃにしながら撫でてため息をついた。

僕は、とても気にかかっていたけれど、どうしてか聞けなかった。


聞いてしまったら、なんとなく、良くないことが起こるような気がした。


不安だった。


怖かったのだ。


聞いてしまえば、師匠のそばにはいられなくなる気がした。


不幸を招く怪物だと言われた僕を、師匠は一人の人間にしてくれた。


僕は、たった一人の家族に、どうしてもそばにいて欲しかったのだ。


離れて行かないでほしかった。


多分、無意識のうちにわかっていたのだ。


聞いたらそこで、何かが終わってしまうと。


だから僕は、聞かなかった。


聞かずに師匠の手を、ぎゅっと握った。






――――






旅の中では、とあるキャラバンの連中にしばしば遭遇した。

唯一、昔から付き合いがあるのは彼らかもしれない。

根無草の彼らと、ふらふら渡り歩く僕らは、旅の途中で巡り会うことも多かった。


東の地に、日の上らなくなった街がある。


彼らからそう聞いた師匠は、その日一日、驚くほど静かだった。


僕が話しかけても上の空で、ふーんとか、へーとか、そんな生返事しか帰ってこない。


心ここに在らずの師匠に、漠然とした焦燥感を抱えながら、旅を続けた。


ある日、師匠と立ち寄った教会で、司祭が教えてくれた。


近頃、澱が溜まっているのだという、世界に。


澱とは、世界のケガレのようなもので、自然に消える事はないのだという。


浄化しなければ、溜まり続ける澱に、世界はどんどん呑み込まれていく。


澱を浄化できるのは聖人だけだが、その聖人は近年姿を現さず、聖宮の奥に閉じこもっているのだという。


その話を聞いているとき、師匠の顔が、なぜか見れなかった。






――――



 



師匠が消えた。


僕が18の誕生日を迎える少し前のことだ。

少し住み慣れてきた街から、いつものように拠点を引き払って、僕たちは次の街に進んでいた。


街道沿いにあった宿屋で寝泊まりして、翌朝目覚めると、隣のベッドは、もぬけの殻だった。


師匠は朝が苦手だ。

いつも布団を抱えて丸まって唸って、ベッドから中々起きてこれない人だった。

僕が何度も布団を引き剥がして、揺さぶると、大きなあくびをしながら気怠そうに起き上がるのが毎朝のことだった。


なのに、僕より先に起きるなんて。


胸騒ぎが止まらなくて、師匠を探しに部屋を飛び出した。

でも、見つからなかった。


師匠は、消えてしまった。


それからは、ひたすら師匠を探し歩いた。

背の高い、黒髪の長髪の男を見なかったか、しらみつぶしに聞いて回った。


師匠の行方は、杳として知れなかった。


そんななか、ひとつの噂を聞いた。


聖宮が開き、新たな聖人が姿をあらわした、と。


師匠がおかしくなったきっかけ。

東の地。澱。聖人。


僕は無我夢中で東に向かった。

聖人は、大いなる澱を浄化するため、東に向かうと聞いた。

東に行けば、師匠に会える。


きっと、きっと師匠は………



違った。

師匠ではなかった。



けれど、諦めない。

たぶんここに、手がかりがあるはずだ。






――――






以前、僕と師匠を迎え入れてくれた魔法使いの老人の元を訪ねた。


老人は、僕の顔を見てため息をつくと、家の中に迎え入れた。


そして、話をしてくれた。


この世界に徐々にたまっていく澱のようなものは、とある一族に現れる聖人の資格を持つものにしか浄化することができない。


聖人は、自らの身に澱を取り込み、浄化するのだという。


聖宮の中で、それを行うのだと。


延々と、死ぬまで。


死ぬまでの間、聖人はその聖宮の設けられた聖域から出ることは許されない。


師匠は、聖人だった。


僕を拾う前、旅に出る前の師匠は、聖宮でたった一人で澱を浄化する日々を送っていた。


師匠が聖人になったのは、3歳のとき。

物心つくや否や、親と引き剥がされ、たった一人で聖宮に置かれ、当たり前の責務として、世界のために尊い務めを果たすようにと申しつけられた。


親とは会えず、親しい友もおらず、澱の浄化をひたすら繰り返す灰色の日々。


国から時々派遣されて様子を見にくる魔法使いの男にだけ、唯一心を開いたのだという。


それが、今僕が会っている魔法使いの老人だ。


絶え間なく現れる澱を孤独な聖宮で浄化する作業は、師匠の心を蝕んでいった。


そして師匠が聖宮に囚われて15年ほど経過していたある日、その姿が消えた。


師匠は、逃げ出したのだ。


聖人の失踪は、隠された。

だが、秘密裏に執拗に探されていた。


だから師匠は、隠れ暮らしていた。

定住せず、友人をつくらず、根無草のように当て所なく放浪した。


そんな日々の中で、師匠は僕に出会った。


僕に、生きろと。

そう言って手を引いて、檻から助け出してくれた。


檻に閉じ込められた僕は、聖宮に囚われ、抜け出した師匠にとって、どう見えていたのだろうか。






――――






僕は、師匠を絶対に見つけ出すと、決めた。


師匠について、知れば知るほど、悲しく、悔しかった。


僕の大切な師匠は、人間として扱われていなかった。


聖人という名の機械として、ただ世界を回すことを求められ、見返りもなく奉仕するのが当然とされていた。


澱を浄化するために聖人は生まれたのだ。

普通の人間とは違う聖なる生き物だ。

澱を浄化することこそ、存在意義なのだ。     

でなければ、生まれた価値がない。


ひどい扱いだった。

こんなの、聖人という名の、奴隷だ。


新しい聖人として東の地に赴いていたのは、聖人の一族に生まれた黒い髪の細身の女性だった。


けれども多分、あの女性は聖人ではなく、単なるお飾りに過ぎないと、僕にはわかった。


なぜなら僕には、師匠が教えてくれた魔法があったから。


誰よりも大きな魔法力を使いこなせるようになった僕には、師匠の体に常に渦巻いていた恐ろしいほどの大きな力が見えていた。


けれども、その女性には、何も見えなかった。






――――






探して探して、ようやく見つけた師匠は。


「お前が終わらせてくれるってんなら、それもいいか」


と言った。


師匠は、聖宮の地下に設けられた檻の中にいた。


僕は、魔法使いの老人や、キャラバンの仲間の手助けを受けて、この場所に忍び込んでいた。


師匠は、暴力を受けて、ぼろぼろで、雑巾みたいな服を纏って、傷だらけの姿だった。


こんな扱いを受けて良い人じゃないのに。

僕を助け出してくれた神様は、檻に閉じ込めらていた。


僕の前から消えたあの日、聖人を探す追手に見つかり、連れ去られたのだという。


聖宮に戻り、澱を浄化するよう命令されたが、師匠はそれを断った。


しかし、断ることは許されなかった。

他に聖人の能力を持つものは、一族にはいまだに生まれていなかったからだ。


一族は、公には新しい聖人が現れたこととして偽物の聖人を発表し、裏では師匠を地下牢に閉じ込め、拷問し、澱の浄化を強要した。


拷問だけなら師匠は頷かなかったかもしれない。


師匠は言わなかったけど、一族は、僕の存在を把握していて、脅しに使っていたのだという事が、今はわかっていた。


そうして師匠は、意に反して澱の浄化を再開していた。


たった一人、さらに孤独になった聖牢の中で。


「ははっ、まったく、お前、こんなとこまで追いかけてくるとはな」


じめじめと湿った地下牢に、師匠の荒れた呼吸音が響く。


「―――来るよ、当たり前だろ」


僕を、守るためだったのだ。


聖宮から逃げたこの人は、僕のために、またこうして囚われの日々に戻った。

過去よりも、更に酷い形で。


僕はこの人に、何を返してあげられるだろう。


師匠の身体から流れる血が、冷たい石の床に広がっていく。


鉄格子ごしには、師匠に手が届かなかった。



「――師匠、危ないから動かないでね」


僕は、その堅牢な鉄格子を、師匠から習った魔法で、粉々に壊してやった。


あの日師匠が、そうしてくれたみたいに。


こちらを見上げる師匠に、ぶるぶると震える手を伸ばす。


血だらけの師匠をそっと抱きしめ、肩に頭を乗せた。


涙が、後から後から出てきて止まらなかった。


師匠は緩慢に僕を見やると、歪んだ笑みを浮かべ、ため息をついた。


「おい、泣き虫」


「………師匠、師匠、師匠!」


「――ラビカ」


師匠が僕を呼んだ。


今も昔も、師匠の声は変わらない。

他者にはいつも硬質で、冷たい態度を崩さない師匠は、僕の名前を呼ぶときだけは、違ってた。


他の人には、ぶっきらぼうで、そっけなく聞こえるらしいけど、僕にとっては、馬鹿みたいに優しくて、温かい声に聞こえる。


「師匠、遅くなって、ごめんね」


「馬鹿、何しにきた。危ねえからさっさと帰れ」


この期に及んで、僕の心配なんかしないでくれと、叫びたかった。

でも、それが師匠の愛だと、僕にはわかっていた。


何も答えずに手を伸ばして、投げ出された師匠の手に握ると、石のように硬くて、冷たかった。


そして、記憶よりも小さく感じた。


この冷たい手から、僕が貰ったあたたかさを、貴方に今、少しでも返せたら良いのに。


大きな手で、雑に僕の頭を撫でてくれるのが好きだった。


「ーーラビカ」


何かを促すように名を呼ぶ貴方は、何もわかってない。


「ーーラビカ……」


僕が、どれほど貴方に救われたのか。

今生きているのは、誰のためなのか。


本当に、馬鹿。

貴方には、目も、口も、耳も、手足もある。

生きるのに必要な全ては、ここにある。


僕は、生きる。

貴方と一緒に。

このあと、ラビカは師匠を連れて逃げます。

キャラバンと老人の手を借りながら、人間として生きぬく道を探していきます。

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