受け継ぎしもの
世界とはなんと残酷なのか。
お前の生きる世界はなぜそこまで残酷になれるのか。
答えを知る者も、答えられる者もいないのは知っている。
でも、俺はそれが知りたい。
何故、何故そこまで残酷な世界を愛するのか。
何故そこまで残酷な世界を守ろうとするのか。
俺が眠りについてから何十年という年月が過ぎたんだろう。
その間の事はよくわからない、でも一つだけわかることがある。
お前は決して諦めようとしない、絶望しない、失望しない、その歩みを止めようとはしない。
そこに道が、未来が、希望がなくとも。
お前が歩き続けることを俺は知っている、それは愛する者達のためだけに。
この残酷で凄惨な世界を、守ろうと歩き続ける意思を。
たった一人で歩いていくんだろう、お前はいつまでも。
俺は影になってお前に寄り添おう、例えそれを誰に知られずとも。
そこに一筋の光がある限り、お前が心の光を失わない限り。
そこにある影に俺はなろう、お前が一人にならないように。
ディンが竜神の世界で目覚めてから10年が過ぎた。
竜神達は表向きはレイラやアイラに敵対することをやめ、反対勢力は鳴りを潜めたように見えている。
魔力を取り戻したディンはといえば、一刻も早く全ての力を取り戻すべく、修行をしていたのだが…。
「まだまだっ……!」
「いや幼き王よ、今日はここまでだ。」
「俺はまだ、まだやれるぞ……。」
「いや限界だ、幼き王。これ以上はレイラ様が許さない。」
賢竜アリステスとと拳を構え合っていたディン、その額には滝のような汗が流れ呼吸はひどく乱れている。
隻腕になってからはや数百年、未だ両腕があった時には及ばない自身の実力に焦りを感じずにはいられない。
このままではあと何百年経とうとデインに勝つ所かレベルの高い魔物にも勝つことは出来ないし、何より「同族による人間殲滅」を止めることが出来ない。
それは命を削り力を得ているディンにとっては死活問題であり、最も危惧している問題でもある。
「では今日はここまで。そうだ幼き王よ、レヴィストロが呼んでいたぞ?」
「レヴィストロが……?珍しいことが、あるもんだな。」
「ここから西に20kmほど行った山腹の洞穴の前で待つ、と伝えろと言われた。」
「わかった、ありがとな、アリステス。」
礼を告げると剣を収め、そのまま西に向かうディン。
魔力はあまり消耗すると危険だと、徒歩でだ。
「……。」
その姿を複雑そうな顔で見送るアリステスだったが、何かを思い出したような顔をするとその場から飛び去った。
「西に20km、一時間くらいあれば行けるか?」
歩いていくかとも考えたようだが、レヴィストロが待っているのなら早めにと歩を早めるディン。
つい先ほどまで呼吸が乱れていたとは思えない健脚ぶりだ。
森の中を走っていると、木々のざわめきが心地よく耳をくすぐるようだ。
「にしても……。」
人間の感覚で言えばほぼ一生以上をこの世界で過ごしていて気づいたことがいくつかあった。
一つは見た目の変化のなさ。
どうやら竜神はある程度の成長をすると一旦そこで身体的成長がストップするようで、ディン自身最後の戦いからほんの少し成長した程度だった。
一つは時の流れの違い。
この世界が、というよりも悠久の時を生きる種族であるがゆえにというべきなのだろうか、気がついたら1年経っているような感覚だにディンは首をかしげる。
アリステス曰く「密度と寿命の問題」らしいが、それだけでここまで時の流れの感覚に違いが出てくるものなんだろうか?とディンは疑問を感じざるを得ない。
一つ、どうやら右腕が治る可能性はゼロだということ。
王の家系の女性は代々回復術にたけていて、能力によっては死者すら蘇らせることも可能らしく、それと同じレベルの術式をレイラ、アイラ、ケシニアが3人がかりでディンにかけても右腕が治る気配すら見せなかった。
それはデインの呪いなのか、王の継承者故の特殊な事情なのかは分からないが、回復術が苦手なディンには自力で治すことはもちろん出来ない。
一つ、先代竜神王は正確には「生きている」らしいということ。
らしいというのは、肉体は消滅したが魂がこの世界のどこかにとどまっていて、それは王の家系であり実子のレイラ達にも見つけることが出来なかった、ということだからだった。
この世界のどこかに存在している、ということだが、それも定かではないとレイラは言っている。
「まったく……。」
ディンが最も疑問に思っているのは、王の系譜以外の竜神についてだった。
人間殲滅に賛同してレヴィノルのもとに集っていたはずの竜神達が、どういうことかディンに対して敬意を示している。
最初は取り込んで力にするのかと疑っていたが、どうやらそういった裏があるわけでもない。
しかしながら人間殲滅のための協議集会には参加しているらしいという、なんとも曖昧なところにほとんどの竜神が居る。
ケシニアはレヴィノルとディンの闘争の末の勝者にすり寄る算段だろうと息巻いていたが、ディンにはなぜかそうは思えなかった。
「まあ今考えても仕方ねえか。」
首を振り雑念を払うと、走る速度を上げるディン。
まずはレヴィストロの要件を済ませようと、西の山を目指し風を切っていった。
「やあディン、遅かったね?」
「まあ走ってきたからな、待たせて悪い。」
「いいってことよ、それで要件なんだけどね?」
西の山中腹、大きな洞窟の前にレヴィストロは立っていた。
ディンが来るまで退屈していたようで、周りには一人で遊んだような形跡が見え隠れしている。
「君の魔力を取り戻すためには膨大な時間と集中力が必要だけど、なかなか難しいだろ?それを解決するためにここに呼んだのさ。」
「まさか洞窟に閉じ込めて何百年、とかそういうことか?」
「うーん、当たらずとも遠からず。」
洞窟のほうをよく観察すると、何やら100メートルほどの地点で下に落ちるようで、そこから先は何も見えない。
ここにこもれば確かに集中はできそうなものだが、とディンは首をひねる。
「ディンは先代様の話を聞いたことがあっただろう?」
「ああ、魂は存在してるはずだけどどこにあるのかそもそもないのかわかんねえって話だろ?」
「うん。それでもし、僕がその場所を知ってるとしたらどうする?それで先代様にディンを呼んでくるように頼まれてたら?」
「……。レヴィはよく冗談いうから何とも言えねえけど、肝心なところではまじめなのは知ってるし、俺を嵌めてどうこうってわけでもなさそうだな。ってなると疑問がある、どうして母さんたちに伝えなかった?」
当然の疑問ではある。
レヴィストロにこの話を数年前にした時には確かに「しらない」と言っていたし、レヴィストロの性格上この手の話を黙っていられるわけでもないだろう。
しかし、つい最近見つけてまだ言いそびれていた、という様子でもない。
「それはね、内緒。先代様に聞くのが一番早いよ?」
「……。そっか、んでこの洞窟の中に行きゃいいのか?」
「疑わないの?」
「お前を疑う理由があるか?」
「だってレヴィノルの孫だよ?」
「レヴィストロはレヴィストロだろ?」
何当たり前のことを言ってるんだというふうなディンに、少しは疑おうよと笑うレヴィストロ。
「それじゃ行ってくる。」
「うん、気をつけて。」
レヴィストロはそれだけ言うと飛び去っていき、ディンは洞窟の中へと歩を進める。
洞窟はもちろん暗かったが、それは魔法が使えるディンにとっては何の障害にもならない。
すたすたと洞窟の奥までたどり着くと、やはり奥は穴が空いていて、底なしのように見える。
「行くか。」
そうつぶやくと、ディンはためらいなく穴にジャンプし、底へと落ちていった。
……
……、……。
「ようこそきた、我が末裔よ。」
「あんたは……?」
「レヴィストロより聞いておろう?」
「先代様、か。」
気が付くとディンは淡い光に包まれた空間にいた。
そして目の前には剣を背負った老人の姿が。
「そうだ我が末裔にして10代目ディンよ。」
「……。」
「儂は9代目ディン、そなたの言うとおり先代の竜神王じゃ。」
老人は力なく咳き込みながら自己紹介をする。
確かにディンに似た、面影のようなものがあるがしかし、老齢過ぎてわからないというのが率直な感想といったところか。
「んで先代様、用事って何?」
「そう急くなディンよ、老骨に鞭打つ行為とは思わんかね?」
「いや、別に。」
「ふぅ……、冷めておるのぅ。」
まったくといった感じの先代ディン。
急いでも仕方がないだろうと、ため息をつく。
「それで、俺に話って何?」
「まあいいわい、お主、命を魔力に替えて鍛錬をしておるな?」
「まあ、そうだね。」
「それはいかん、お主が役目を果たす前に死んでしまう。かといってほかに方法がなかったのも事実、じゃからそこで儂の出番というわけじゃ。」
「というと?」
先代の話に興味を持つディン。
代替案があるのならそれをすぐにでも実行しようという勢いだ。
「それはな、儂の力をお主に与えることじゃ。」
「先代の、力を?」
「そうじゃ、それならばお主が命を削る必要もあるまい?」
「まあ、確かにそうだ。」
ならなんでもっと早くいってくれなかったのか、と若干不服なディン。
もし早く伝えてくれていたらこんなことをせずに済んだのに、と。
「まあ急くな、お主に力を与えるためにはな。」
「ためには……?」
「お主がデインにそうしたようにしなければならんのじゃ。」
「俺が、デインに……?」
それは先代を殺す、ということになってしまわないだろうか。
「俺が、先代を斬る……。」
「そういう事じゃ、復活したばかりのお主にはできなかったじゃろう。」
「そんな事……。」
「今のお主になら出来る、そして儂の最後の役目なのじゃよ。」
うつむくディン。
魔物でないものや敵でない存在を斬ったことなどない。
ましてや目の前にいる老人は自分の祖先で、先代の王だ。
「命を魔力に変える覚悟があるお主になら、儂を斬る事など造作もなかろう?」
「それ以外に、方法はねえのか……。」
「ない、それ以外にお主が魔力を取り戻す方法も、儂の力を与える方法も、な。」
ためらう。
そんなことをしてしまっていいのか、自分の願いの為に。
そんなことをしてしまっていいのか、自分の欲望の為に。
「お主が斬らぬでも儂はもうすぐ命尽き果てるのじゃ、せめてお主の力にならせてほしい。」
「……。」
「でなければレヴィノル、儂の弟の人類殲滅も回避出来ぬのだディンよ。」
「……。」
確固たる意志を感じさせる声色だ。
目の前にいる老人はすでに死を受け入れている、恐れていない。
「……、竜神剣、竜の誇り……。」
「それで良い、それで良いのじゃ。」
「あんたは……、怖くないのか……。」
「恐ろしくもあり、喜ばしくもある。」
「あんたは、それでいいのか……。」
「良くもあり、悪しきもある。」
「あんたは……。」
「儂の最後の心残りは、愚弟の暴走を止める役目を子孫であるお主に託さねばならぬという事だけじゃ。信じておるからの、10代目の王を。」
「……。」
構える剣が震える。
自らの力のなさを恥じるように、老体の死を憐れむように。
「最後に、誰かに伝えたい言葉は……。」
「ない、儂はすべてをお主に託そう。」
「わかった……。」
大きく剣を振り上げ、そして。
「老体の我儘につき合わせすまぬのぅ、そして感謝するぞ、10代目ディンよ。」
その言葉の終わりとともに、振り下ろされた。
老人は斬られたところから出血するわけでもなく、剣は素通りしたかのように見えた。
しかし、その切っ先は老人の魂を穿ち、斬り抜いた。
9代目ディンは光となって消え、その光は10代目ディンの体の中へと入りこんでいく。
「俺が、守るから……。」
その光とともに、意志が流れ込んでくる。
「俺が全部、守って見せるから。」
全てを愛し、守ろうとしたその意志が。
「だから、安心して眠ってくれ、先代。」
散りゆく最期の時まで、願い続けた思いが。