慟哭
ディンが壇上を去った後、ざわめいていた竜神達は腑に落ちない様子で散っていった。
それはレヴィノルに対する不信でありディンに対する不信、どちらを信じどちらに従えばいいかわからないというのが大半のようだった。
レイラやケシニアは去りゆく群衆を眺めながらこれから起きうる厄介事に頭を痛め、レヴィノルは顔をしかめながらさっさとどこかへいってしまう。
ディンはアリステスとレヴィストロにもといた部屋に連れられ、ベッドに入った瞬間に眠りに落ちてしまった。
ディンが眠りに着いた事を確認した2人は入口の警護に入り、なんとか問題を大きくしないようにと思案する。
「にしても、あの子供が次の王だとは……。」
「アリステスはまだ信じられないの?」
「いや、そんなことはないのだが……。先代の姿と中々同じものを感じさせる少年だ、真実なのだろう。しかしv。」
「僕よりも若いからねあの子、まだ100歳くらいなんじゃない?」
「うむ、私たちの年齢からするとまだ子供すぎる。しかもあの怪我や威圧感、それに。」
ディンの中に感じる闇の大きさに、アリステスは何か引っかかる。
人間とともに過ごしてきたとはいえ、あんなにも闇を抱えるものなのだろうか、何があったのだろうか、と。
「彼の記憶を……。」
「それはダメだよ、あの能力は使っちゃいけない。」
「しかしあの闇は……。」
「ダメ、あの子が望まないのに記憶を覗いたら最悪壊れちゃうでしょ。それに……。」
アリステスの呟きを即座に否定するレヴィストロ。
過去にその魔術を使用したとき何が起こったのかを知っているのだから当然といえば当然だろう。
「あの子は嘘をついてるわけじゃないんだ、そのうち教えてくれるよ。」
「……。随分と肩入れするのだなレヴィストロ。」
「だってお祖父さん達があんなことしようとしてるのをボロボロの体で止めようとしたんだよ?守りたい人間の為に自分の身に降りかかる危険を知ってさ。だから僕はあの子を信じる、それが礼儀ってものだ。」
疑問に対し即答で返す。
その言葉は一切の返答を許さない響きを含め、穏やかな風貌のレヴィストロには似つかわしくなかった。
「とにかくあの子を守らなきゃ。」
「……。」
もしもディンが闇に飲まれてしまったら。
そう言葉を発することは出来なかった。
「……。」
傷がまだ痛む。
「……。」
何かに蝕まれるような苦しみが身体を疼かせる。
……タスケテ……
「ぐぅ……。」
誰かの叫びが聞こえる、誰かの嘆きが聞こえる、誰かの呻きが聞こえる。
……ナンデタスケテクレナイノ……
ささやくような小さな声で、しかしどこまでも響くような声で。
……マモッテクレルンジャナカッタノ……
その幼い声は責め立てる。
じわりじわりと首を締め呼吸を乱し、心臓を鷲掴みにして心拍を乱し。
……ウソツキ!……
弱りきった光を蝕み、闇をじわじわと拡げながら。
……ウソツキッッ!……
「うわぁぁぁ!」
「どうした!?」
「ディン!何かあった!?」
突如響く叫び声に、レヴィストロとアリステスは驚き部屋へと入る。
「な、これは……!?」
驚愕の声。
小奇麗に整理されていた部屋は嵐でも通り過ぎたかのようにものが乱れ、その中央にいたディンは顔を腕で覆い乱れた呼吸を整えようとしている。
「はぁ、はぁ。」
「ど、どうしてこんなことになったのだ……?」
「わかんない、魔力なんて感じなかった……。」
明らかに何かが起きた現場なのにも関わらず、その事象が起こる為に必要な「何か」が全く感じられない。
2人は戸惑いながらディンの元へと近づく。
「ディン、大丈夫?こ、これ……!?」
「はぁ、レヴィストロ、か……。つぅ……。」
「何があったのだ?魔力なしにどうこんなことになった?」
「アリステス、そんなことより……!」
息も絶え絶えに反応するディンを見て、レヴィストロの顔から血の気が引いていく。
「こ、これはっ!レヴィストロ!レイラ様を呼んでくるんだ!アイラ様もだ!」
「わ、わかった!」
「どう、した……?」
アリステスも同じことに気付いたようで声を飛ばすと、レヴィストロは意図を理解したのかすぐに部屋を出て行った。
「いいか幼い王よ、君は今……。」
「っつ……、な、んだ……?」
「君は……。いいから今は動かないように、私一人で抑えられるかがわからない。」
身体中に鈍い痛みを感じるディンは、わけがわからないといった様子でアリステスを見つめる。
アリステスはその視線を感じ一瞬目を合わせるも、その視線に飲み込まれそうになる錯覚を覚え無理やり逸らし、両手をかざした。
その両手から淡い光が溢れディンの周りに揺蕩うが、しかしそれはディンの身体に触れようとするとはじかれてしまう。
「なに、が……。おれ、は……?」
「いいからそのままじっとしているんだ、レイラ様はまだか……!」
痛みに耐えながら疑問を呈するディンと、焦燥が隠せず顔をしかめるアリステス。
一体何が起こっているのか、ディンは首が動かせず自分に何が起きているのかすら理解できない。
「ぐぅ……!」
「侵食が早すぎる……!これでは間に合わん……!」
「があぁぁ!」
痛みがどんどんと強くなり、ディンは耐え切れず声をあげる。
目の当たりを覆っていた腕でシーツをグッと握り、痛みを少しでも緩和しようとしているのか動かない体が小刻みに震えている。
「どうしたんだいアリステス!?レヴィが慌てていたからここまで来たが?」
「アイラ様!今は説明している余裕がない!侵食を止めなくては!」
「侵食……?まさか!」
「あい、ら……、わぁ!」
バァンと扉が勢いよく開かれると、レイラに似た面影の男性のような容姿で女性の声の竜神、アイラが入ってきて、すぐに状況を把握する。
その間にディンの表情はどんどんと険しくなり、どこからか禍々しい闇を含んだ風が吹き荒れる。
「いいかいアリステス、力を抜いてはいけないよ!」
「わかっている……!」
ハスキーな声を部屋に響かせ指示をだすアイラは、ディンの下に駆け寄りシーツをバッと引っ張る。
「やはり……。アリステス、これはいつからなんだい?」
「ついさきほどからかと……、我々が彼の声を聞き確認しに来た時には……。しかし魔力などを感じることもなかった……!」
「これは魔力なんかじゃあない、もっと根源的なものだ。これは……、今はそれよりも止めないとだ、このままではこの子が死んでしまう。」
治癒の魔力を練り編まれた白いローブを身につけていたはずのディン。
しかしそのローブは無残に裂け、一糸まとわぬ姿となっていた。
それだけではない、その身体の半分は漆のような粘り気の有る液体のような何かに覆われ、それは傷口からディンの体内に潜り込もうとしているようだった。
「ぐぅ、ぐがぁ……!」
「いいかいディン、意識をしっかりと保つんだ。でないと目的を果たす前に死ぬ事になる!」
「わかっ、たっ……!」
「我が母であり皆母竜ライラよ……、今私に力を!」
アイラはディンに両手を向けると小声で唱え、アリステスが放つ光の何倍も強い光をディンにむけ灯す。
その光は液体のような何かに有効に働くようで、下半身全体を覆っていたソレがほんの少しだけ後退し皮膚が見える。
しかし下半身に有る傷からはまだ侵入しようとしているらしく、痛みで身体が震えることには変わらない。
「まさかこれほどの……。ディン、君はどれだけの業を背負ってしまったというんだ。」
「アイラ様、まさかこれが業だと……!?」
「この子自身の業ではないんだ、ただ……。」
言いよどむアイラ。
口にするのもおぞましい何かなのだろうとアリステスにはわかってしまう。
「お姉さん!ディンに何があったの!」
「レイラ!話は後だ、今はこの子を助けないといけないよ!」
「ディン!嗚呼なんてこと!今楽にしてあげるわ!」
駆け込んできたのはレイラで、現状を把握するとすぐに2人と同じように魔力をディンに向ける。
「ぐうぅぅ……!」
ディンの苦しむ声が部屋にこだまする。
その呻き声は地獄から聞こえる幽鬼の呻きのような、死を嘆き世界を恨む怨嗟の音のような響きをもち、明らかに普段のディンの声とは違う。
それと同時に吹き荒れる風がひどくなり部屋においてある物をなぎ倒し、付着した闇が部屋をどんどんと蝕み染めていく。
「がああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
どこからその声は出ているのだろうか。
その場にいる3人が一様に思ってしまう程恐ろしい音を発するディン。
そもそもそれはディンの声帯から発せられている声なのか、それともへばりついている何かが発している音なのか。
悠久の時を生きてきた竜神達でさえ恐怖してしまうような音、それはなんなのか。
「殺す!殺す殺すころすコロス殺ス殺ズ殺ズ殺ズ!」
「ダメだ!私たち3人の魔力だけでは抑えきれない!」
びくびくと全身を震わせ白目を剥き恐ろしい音を響かせ続けるディン、後退し始めたはずの浸食がじわじわとまた下半身を覆い尽くし、今度は腹部の半ばほどまで魔の手を伸ばす。
「どうすれば……、どうすればいいというんだ……!」
王の一族であるアイラとレイラ、それに賢族と呼ばれるアリステス。
闇を祓う力に最も長けているはずの神でさえ、浸食を留めることすら出来ない何か。
「ゴロズゴロズゴロズグルジィグルジィダズゲデゴロズダズゲデダレガゴロギャアアアァァァァッァ!」
「レイラ様!これはいったい何なのだ!彼はどうしてしまったというんだ!」
疑惑は確信へ、確信は焦燥へ、焦燥は恐怖へと変貌する。
アリステスは恐怖に満ちた顔と声で叫んだ、目の前にいるこれはいったい何だと。
「これは……、今はそれよりも……!」
言いよどむレイラ。
それはレイラ自身がこの現象やディンの状況について把握しきれていないのか、それとも把握できていて言えない理由がどこかにあるのか。
「------!!!」
もはや言葉にならない叫び、雄たけびのような何かを叫ぶディン。
「もう持たない!彼を切るしかない!」
「待って……!それはいけないわ!」
「しかしレイラ……!」
3人は絶叫に近い声をあげながら、必死に魔力をディンにそそぐ。
しかしその健闘虚しくソレにディンは蝕まれていき、とうとう首元から上と左手以外が覆い尽くされてしまう。
「レイラ様!全身が侵食されてしまっては!」
「わかっているわ!でも最後まで諦めない!私はこの子を、わが子を救わなきゃならない!」
「……!」
黒に染まった部屋に響き渡る絶叫の中、アイラは何かに気づく。
「この騒動……、なぜ外に漏れていない……!?」
これだけの絶叫と噴き出す闇の波動、そして暴風のように吹き荒れる邪念と怨嗟。
本来ならこの世界にいるすべての竜神が気づき駆けつけていてもおかしくないし、何よりレイラの後を追いかけてきたはずのレヴィストロでさえここにきていない。
「どういうこと!?」
「……。そうか、ここは……!ならばまだ彼は……!」
アイラはたどり着く。
ディンが無意識のうちに発動した魔力とその現象、そしてそれに付随する物。
「アリステス!この子が持っていた宝玉を探すんだ!」
「宝玉!?こんな時に何をおっしゃるアイラ様!」
「いいから探すんだアリィ!今この子を救わんと叫ぶ幼い魂を!」
アリステスはわけがわからないと絶叫しながら、しかしアイラが意味のない指示をするはずがないと考えを切り替えた。
「いいかいアリィ、この空間の中にあるというのならすぐに見つかるはずだ!」
「お姉さん!集中して!」
「わかっている!」
王の直系である2人が全力を出しても抑えらえない浸食。
それは体すべてを覆い、残すところは顔だけに。
「------!!!」
「アリィ!」
「わかっている……!こ、これか!」
ディンが慟哭をあげアイラが叫んだとき、アリステスはそれを見つけ出した。
部屋の隅に転がっている手のひら大の宝玉。
それは闇に飲み込まれた空間の中でもまったく褪せぬ煌めきを持ち、つかむと人肌のぬくもりを感じられる。
「アイラ様!受け取りたまえ!」
「……!よしレイラ!慈愛を!」
「わかったわ!」
交差する叫び声。
何をするべきか理解したレイラは、魔力を左手だけで発しながら右手を目の前にかざした。
「その翠玉は彼のものを包み優しさに涙を滲ませる、それは愛する者を慈しむ母の心。母は子を守るために剣を振るい、我が子の為に生命を落とす。その剣は癒しの剣全てを癒す、その優しさを讃えた!竜神剣・竜の慈愛!」
右手に光の束が現れそれは形を成してゆく。
それはディンの使う剣と全く同じ形をした、翡翠の宝玉が填る聖なる刃。
「竜炎によって護られた魂達よ!いまこの子のために力を貸してちょうだい!」
アイラが宝玉を軽く投げ、それをレイラは剣で一閃した。
しかしそれは砕けることも、はじかれることもなく浮遊する。
あたたかな光を灯すその珠は、ちょうどディンの胸元真上で止まり、レイラの剣に撫でられた。
「----!」
その瞬間ディンは、否ディンを蝕むモノ達がひと際大きな悲鳴を上げた。
体がのけぞり浸食された部分が後退していく。
「ディン!踏ん張るのよ!」
レイラはディンに魔力を向けることをやめ、宝玉に向かい左手をかざした。
「----!ぐああぁぁぁ!あぁぁぁ……。」
宝玉の光がどんどんと強くなり、闇に飲まれた空間が光によって照らされる。
慟哭は苦しみに耐える叫びとなり、少しずつ静かになっていく。
浸食されていた身体がどんどんと露出していき、漆のような液体のように見えた闇がずるずると引きはがされ、そしてそれは一つの小さな小さな球体となり消えてしまう。
「……。」
「ふぅ、なんとかなったようだね……。」
「そう、ね。」
「……。」
全裸で意識を失うディン、ホッと胸を撫で下ろす姉妹。
そしてあっけにとられ言葉を失うアリステス。
闇に覆われていた部屋も元に戻り、嵐が過ぎた後のような凄惨な状態ではあったが穏やかになる。
「やっと開いた!みんな大丈夫!?」
「あらレヴィちゃん、大丈夫よ。」
「何があったの!?」
「レヴィ、私たちも何が起こったのかまだ理解しきれていないんだ。説明は少し整理してからでもいいかな?」
ホッとしていたところにけたたましく扉が破られ、剣を構えたレヴィストロが転がり込んでくる。
そして部屋の状態を見て大いに驚き声を上げるが、いまそれを説明できるだけ理解している者はいないようだった。
「取りあえずここを整理しなくては……。レヴィストロ、人員を手配してくれ。」
「アリステス、ボロボロだよ……?と、とりあえずわかった!行ってくる!」
「ふぅ……。おふた方、あれは一体……?」
レヴィストロの声で現実に戻ってきたのであろうアリステスはもちろんの如く問いただすが、姉妹はそれにこたえようとはしなかった。
否、答えを持っていなかった。
「わからないわ、今はこの子がもう一度目を覚ますのを待ちましょう。本人が何を見ていたかで答えはおのずと理解できると思うわ。」
レイラはそういうと微笑み、部屋を出て行ってしまった。
「私も一度調べ物をしないといけない、ここを任せてもいいかい?」
「承知した。」
アイラも部屋を出て行ってしまい、アリステスは一人瓦礫と化した家具を取りあえずとばかりに片づけ始めた。
いつもは頭脳労働が専門だという彼がそうしたのは、おそらく動いていないと恐怖に支配されてしまうという本能的な結論を避けるためだったのだろう。
「ん……。あれ、俺……。」
「やっと目が覚めた?ディンはお寝坊だな。」
「……、悠輔……?」
ディンが目を覚ますと、白い小奇麗な部屋。
声が聞こえそちらを向くと、見慣れた坊主頭が笑っていた。
「そうだよ、ディン。」
「でも、お前……。」
「眠ってたはずじゃねえのか、なんて野暮は聞くなよ?他の竜神達の力がここまで作用したらしくてな、一時的に目を覚ましたってだけだ。」
悠輔は笑いながらディンの頭を撫で、大変だったなと一人こぼした。
「何があったんだ?」
「……。」
「なあ、悠輔?」
「何も知らないほうがいい、今はゆっくり休め。」
問いに対する回答を拒絶し、悲しげに微笑む悠輔。
ディンは普段見せない表情に戸惑いつつも、しかし悠輔の頑固さは知っている。
言わないと決めたら絶対に言わない、そういう男だと。
「せっかく悠輔に会えたのに寝てられっかよ。」
「そうは言いながらもう意識保てねえだろ、いいから寝ろ。」
「……。」
いわれると確かに眠気が強い。
目を開け声を発するのもやっとだ、とディンは心のうちで首をかしげる。
「また会えるか?」
「ああ、会えるさ。」
「そっか……。」
安心したのか目を閉じ寝息を立て始めるディン。
それを見て悠輔はため息をつき、から笑いをして見せた。
「まさか世界を記憶するために世界すべての業まで背負うたぁ、ほんとに馬鹿だなディン。そんなことまでして、自分が死んじまったらどうすんだよ……。」
悠輔は理解していた、あの現象の正体を。
それは世界に蔓延した生物の、世界そのものがもつ業の塊。
いわば世界の負の思念とも言える、恐るべき闇の奔流。
「みんなが起こしてくれたから何とかできたけどよ……。」
そしてそれを抑えたのは竜神ではなく悠輔だ。
呼び起され状況を把握した悠輔はその奔流を収めるべく力を発現し、それを小さな呪いの玉に変え別の空間に閉じ込めたのだ。
「……。」
どうして人間である悠輔にそんなことが成しえたのか。
それは悠輔の魂そのものに起因する要因があり、それを知るのは本人のみ。
いつかはそれを告げ、呪いの玉にディンが対処しなければいけない時が来るだろう。
「……。」
しかしそれはいまではない。
そう悠輔は思いながら、力尽きるようにディンのそばに横たわり眠りについてしまった。