【第九話】ヴィンセント・アリ
黒い長髪の男が駆ける。ショウ先生だ。飛び上がり、刀の柄に手を当てた。
「喰らえ───」
しかし、彼は抜刀せず試合場の舞台に着地。舌打ちした。
「速すぎる。なんだあの鳥は」
フィリィを攫ったのは鷲の前半身、馬の後半身の──
「ただの鳥じゃない。あれはヒッポグリフだ」
言いながら、遅れて吾輩も駆け出す。
ヒッポグリフは伝説に記されし魔物。尋常では考えられない速度で飛ぶ。昼間の青空には、その痕跡すら見当たらない。もう既に遠くに行ってしまっているだろう。
吾輩の最も速い移動手段は瞬間移動魔法『刹那身』。しかし『刹那身』は直線にしか跳べない。追うなら足でだ。
「全く……二日連続で鳥に攫われるとは数奇な子であるなァ!」
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「ハァッ……ハァッ……!」
少年は何度も後ろを振り返りながら、薄暗い森を走っていた。木の根につまずいて、坂を転げ落ちる。体のあちこちに鈍い痛みが走った。
気づけば、木のない草地で大の字になっていた。
真上の陽光が眼を突き刺す。しかしすぐに視界は大きな影に覆われた。少年は“これ”から逃げていた。
影の──熊型魔物の四肢に体を押さえつけられる。動けない。爪が首を狙った。そのとき──
「オラッ!」
影が吹き飛ぶ。飛び蹴りをカマす、黒い短髪の男の子の姿が、少年の視界に入ってきた。
「あれ、人いる」
男の子はケロリとした表情で言う。
「君はッ!助けてくれたの?」
彼は少年のクラスメイトだった。
「邪魔だ」
少年は突き飛ばされた。
「おい熊」
男の子は大きな塊肉を『家庭科部』と書かれた袋から取り出し、魔物の方へ放り投げた。
少年は彼がどの部活にも所属していないことを知っていたが、何故その袋を持っているかより、これから何をするつもりなのか。そちらの方が断然気になった。
魔物は警戒しつつも、塊肉への興味を隠せていなかった。寒い季節。冬眠に失敗したこの魔物は酷く腹を空かせていた。
肉に鼻をつけ、咥えようとする。その一瞬の隙を、男の子は見逃さなかった。
刹那、魔物の背後に回り、呟いた。
「──テイム」
彼の放った言葉は魔力を伴い、魔物の耳に入り込む。脳へと達した瞬間、魔物はビクリと体を跳ねさせ、そして何事もなかったかのように肉を食べ始めた。
全てを胃に収めると、魔物はその巨体を反転させ、男の子に跪いた。
「よし……!ようやく成功した」
この日から、彼らの生活は変わった。
勇者学校の教室に声が響く。
「えっ!フライお前ヴィンセントなんかと仲良くしてんのかよ……」
クラスメイトの言葉は酷いものだったが、そこにいる者の大半の考えは同様のものだった。
「やめてよ!彼は僕の命の恩人なんだから」
少年が庇い、男の子の肩に触れる。
それまでは彼を拒む者しか居なかった世界に、ただ一人、例外が現れた。
「うるせーな、ベタベタすんな」
少年の手を剥がし、男の子はズカズカと自分の席に歩いていった。
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「お前、昨日鳥に攫われたろう」
ヴィンセントは白き羽毛に覆われた魔物、ヒッポグリフの鞍から桃色の髪の少女を降ろす。小屋の入口を開き、中に放り投げた。フィリィが呻き声を上げる。縄で縛られた体では起き上がるのに難儀した。
「どうしてそれを……!?これを解いてください!」
「本当はヘックス・パーシアスが欲しかったんだが……」
三十代半ばくらいの痩せぎすの男は指先で、自分の薄い耳を撫でる。
「まぁいい」
男がシャツを捲り上げると、胸、その正中線上に真っ直ぐの大きな切り傷があった。不格好に縫合されているのが、より痛々しさを際立たせている。
「テイマーってのは飼ってる魔物が手に入れた情報や受けた傷が共有されるモンだ。お前なんかがどうして俺のリョコーバードを殺せたのかは知らないが」
彼の体と言葉。フィリィは理解する。今、眼前に立つこの男が、昨日勇者学校を目指す森の中、己を攫って飛んだあの巨鳥の飼い主。
魔物と契約を交わし使役する特殊技能を持つ者──『テイマー』であると。
昨日のことを知っているのは、恐らく巨鳥の得た情報を遠隔で受け取ったから。そして胸の傷は巨鳥が殺されたときのダメージのフィードバックを受けたものだろう。
しかし彼は勘違いしているが、巨鳥を殺したのはフィリィではなくメイトである。仇を討ちたいのであれば、それを伝えれば助かるかもしれない。だが、
──言えない。言っちゃだめだ。
伝えれば、狙われるのはメイトだ。恐怖に震える頭を振り払い、声を絞り出す。
「貴方は誰ですか……!」
「俺はヴィンセント・アリ。お前の先輩だよ。もう二十年近く前に退学んなったんだがな」
男は服を戻し、腰のベルトに取り付けられた、刃が長方形の包丁を握った。
「ああそうだ、訊いておこう。俺はなぜ勇者になれなかったと思う?」
「は……?」
「昨日のガキは答える前に動かなくなっちまったからな」
男は喋りながら、何かの準備を進めている。
籠を開けると、中にはバラバラにされた誰かの死体が縄で束に纏められていた。まだ、もう一人分くらいは入りそうだった。
「ウッ……!」
フィリィは吐き気を堪え、叫ぶ。
「そ、そんなの知りません!」
ヴィンセントはため息をついて、黒い短髪を掻きむしった。
「どいつもこいつも俺を嫌いやがる」
「お前さ」と言って続ける。
「勇者学校の入学予定者だろ?向いてないよ、弱すぎる。俺で退学ってことはお前、俺より強くならねぇと勇者になれねぇぞ」
ヴィンセントはこれから自分が何をするのか忘れているかのような真剣な口調で、
「別の仕事探した方がいい」
少女の未来について発言した。
だが、少女にとってその言葉は鼻をかんだチリ紙ほどの価値もない。無視して質問を投げる。
「なぜ入学希望者を攫うんですか」
ヴィンセントは少し考えるように耳を撫で、
「別に入学希望者でなくてもいいんだが、勇者学校の将来有望な若者を捕まえろって依頼を受けてな」
「依頼……?誰がそんな……」
「魔王軍だよ」




