【第二十二話】帰城
部屋に入ると、草と、カビっぽい匂いが鼻を刺す。『薬学室』と書かれた扉を、ホロウ先生は後ろ手に閉めた。
ガバッ!と布が擦れる音が鼓膜を突いた。吾輩と、先生の服が擦れ、密着する。
柔らかな肌の感触と熱い体温。鼓動が伝わってくる。彼女の長い前髪が鼻をくすぐると、ツンとくる薬の匂いの先に、甘い香り。
突然の抱擁。しかし不快感はなかった。寧ろ、昔を思い出すような懐かしい感覚。まさか──
「お主アレックスか!?」
「お!よく分かりましたね、レイメルナングス様!」
嬉しそうに笑って、頬を擦りつけてくる。
「お主ここで何をしておるのだ!?」
「仕事ですよぉ!」
飼い主の帰宅を待っていた犬かのような彼女を引っぺがすのに難儀した。
「とっってもお会いしたかったです!」
満面の笑みを浮かべる者の名はアレックス。彼女はレイメルナングス城の諜報員で、数年前任務に出てからは一度も城に戻った様子がなかった。
吾輩は諜報活動には特に関わっておらず、彼女の任務の詳細を知らされていなかった。
まさか勇者学校に潜入していたとは驚きだ。
ぐにゃぐにゃとした謎植物と試験管、フラスコの怪しい雰囲気漂うこの部屋が、彼女の庭というわけだ。
「アレックスお主、大きくなったのお」
「レイメルナングス様は小さくなられました」
彼女の背は、少年の姿となった吾輩より少し高く、大人らしい落ち着いた雰囲気を漂わせていた。以前はこちらを見上げていたクリクリの目。今はやや細く、眼鏡越しにこちらを見下ろしている。
「以前のサイズに慣れているから、少し戦いづらかったぞ」
「師匠の仕業ですね?全くあの人は……」
アレックスの師匠とは、我が城の諜報名人ダークエルフ、アリアードのことである。
奴は常々「わたくし弟が欲し過ぎるのですよ」と言うており、その願望を拗らせた結果、吾輩の身分を偽るための姿を自分に似せたのだった。
吾輩としては別に困ってないからよいし、変身魔法を使えるのは彼だけであるから、それくらいのワガママは許すのが筋であろう。
「貴方様のかっこいい三本角と体中の模様を消すだなんて、人種問題ですよ」
「仕方あるまい。あの姿では“魔王”であるとバレるからのお」
彼女はため息をついて、
「師匠の様子はどうでしたか?数年会っていないもので」
「ほう?気になるか。ならば都合がよいぞ」
アレックスの手を、奪うように握る。
「へ?」
「『刹那身』」
呟くと、正に刹那。景色は薬学室から、漆黒の壁と赤きカーペット、我が城の静謐なる会議室へと変わった。
直後、足元から取り乱した叫びと冷気が立ち昇ってきた。
「くっ曲者ォォ!であえい!」
その女は突然現れた吾輩らに驚いて尻もちをついたらしく、赤いカーペットの上で、こちらへはたきを武器のように構えていた。
「落ち着け、グリアイズよ。吾輩だ」
切れ長の鋭い瞳と白い長髪の彼女は、このガルイア王国から遥か遠く、極東の島国から来訪せし妖。
その雪女と呼ばれる者のほっぺたをぺちぺちと叩いてやると、彼女は目を見開く。
「ハッ!!」
立ち上がって深くお辞儀をする彼女は桃色の頭巾とエプロンを着用していた。既に事態を了解し、普段のクールな様子を取り戻したようだ。
「邪魔してすまぬな。昼間も掃除をしているとは、流石大臣」
「いえ、掃除大臣として当たり前のことです。おかえりなさいませ。レイメルナングス様」
「今更カッコつけたって無駄だよ、グリアイズちゃん?」
薬学教師が、吾輩の後背から顔を出して手を振った。
「なっ!?あ、貴方誰ですか」
「あーあ、誰何しちゃいましたか。昔よく遊んだのに、お姉ちゃん悲しいな〜」
「ま、まさかアレックス……さん!?」
城内一の冷静さの持ち主である彼女の叫びが、部屋中に反響した。
吾輩はこれまでのことを説明した。
「かくかくしかじかというわけなんだ」
「あーなるほど、偽の魔王軍への対応策を考えるため、この城へとお帰りになったというわけですか」
「そうそう、その通りだアリアードよ。よく分かっているではないか……うわひっ!」
驚いて仰け反る。眼前に、アレックスの師匠である男、アリアードが居たのだ。自然に居るものだから普通に接してしまったぞ。
「失礼。盗み聞きは諜報員のクセでして」
そう何食わぬ顔で言うこやつに『刹那身』を教えたのは間違いだったのかもしれぬ。
「おかえりなさいませ我らが君主レイメルナングス様。そして我が弟メイト・アクザーどあッッ!!」
視界からダークエルフの男が消えた。弟子のドロップキックを喰らったようだった。
「いきなり現れるんじゃありません!」
「流石は我が愛弟子……久しぶりだな……」
レイメルナングス城の運営方針はこの会議室で決定される。数十名の大臣や副大臣等を集め、意見や企画を出し合うのだ。
「偽魔王軍対策会議を始める。皆を集めよ」




