闇ルートの店へ
グラージオとジュネルは、グラージオ達が入って来た正面の通用口とは別の扉から外へ出た。
この格好のままで通用口を使えば、あのいかつい門番に止められることはまず間違いないし、そこから店へ向かえば途中で誰に見られるかわからない。
「裏口……でもないですよね、ここ」
来た時とは違う廊下を歩き、角を曲がった。案内図がある訳でもなく、建物のどの辺りを歩いているのか、もうわからない。
そうして現れた扉。
入って来た通用口と変わらない気もするが、別ルートから来たので明らかに違う扉だ。
ジュネルが扉を開け、その後についてグラージオも扉を通ったが……妙な感じがする。普通とは少し違う空気をすり抜けたような、あるはずのない水の壁を一瞬通ったような、不思議な感覚だった。
「隠し裏口、とでも言うのかな。図書館へ来たことを知られたくない場合なんかに使う扉だよ。結界が張られていて、出入りしているところは周囲から見えないようになってる」
「来たことを知られたくないって……どんな状況ですか」
闇ルートの店より、そちらの方が聞いていてずっと怪しく思える。図書館に来たことを知られたくない、なんてどんな訳ありなのか。
「この図書館には、特殊な本が色々とあるからね。国家に関わる仕事で上の方の役職にいる人は、ちょっとした行動もつつかれる時があるんだ」
「はあ……」
身分があると、面倒なことも多いらしい。グラージオにはわからない世界だ。
でも、その面倒な世界のおかげで、誰かに見られて怪しまれるのでは、という心配をすることもなく、図書館から出られた。
今いる場所は、王宮の敷地へ入る時に渡った橋の向こう。つまり、街の中だ。そんなに歩いた気はしないのに、ずいぶん遠くへ来たことになる。
そこからある程度離れると、周囲から姿を認識されるようになるらしい。自分でも使っているが、魔法とは本当に便利なものだと感心する。
グラージオは、この街へ来るのは初めてだ。方角も道や建物の配置など、しっかり掴んでいない。図書館へ向かう時は、大きな王宮を目指して向かえば問題なかった。
だが、目印となる建物なしでよそへ動くとなると、すでにどちらを向いているかさえもさっぱりわからない。そもそも、図書館内ですでに自分の位置を把握しきれなくなっていた。
方向オンチではないつもりだが、地図なしでさくさく歩くのは絶対に無理だ。ジュネルについて行くしかない。同行してもらって本当に助かった。
「あの……ジュネルさん」
「何だい」
行き交う人々は多いが、誰もこちらを見ていない。当然、彼らの会話に耳をそばだてている人間もいなかった。今までの経験から、こういった大きい街になる程、そういった傾向が強いようだ。
二人が怪しげな姿だから関わりたくない、と思われているのも一因だろう。
「どうしてここまでしてくれるんですか?」
カルラムの紹介状を見て、図書館の中へ入れてくれればそれで終わるはずなのに。
こうして確実に毒の中身を見極め、解毒薬を探そうとしてくれている。今から行く店も、決して安全な場所ではない。
彼が潜入捜査をする役人であれば、こういうことをするのもわかるが、彼は「図書館の責任者」という肩書きのはずだ。
もちろん、協力してもらえるのはありがたい。放っておかれたら、今頃かなり四苦八苦しているだろう。
まず「手始め」からして、どう手を着ければいいのか。
「きみだってそうじゃないか」
グラージオの問いに、ジュネルはさらっと応えた。
「ぼくが?」
「さっき話をしてくれたけれど、通りすがりでルシーダと会ったんだろう? ケガを治すまでならともかく、いや、それさえもせずにそのまま立ち去っていたとしても、ルシーダが文句を言うことはない。知り合いでも同族でもないんだからね」
見付けた時のルシーダは意識がなかったが、それは別として。黙って立ち去れば、冷たい奴だと思われることはあるかも知れない。
だが、グラージオにルシーダを助ける責任はないのだ。
「えっと……ルシーダがケガしてるのを放っておけなくて、傷が治ってもかなり弱っている様子を見たら、置いて行けなかったんです」
グラージオ曰くの森の主がルシーダを助けるように仕向けたのだとしても、その後でどうするかはグラージオの自由だ。首を突っ込んだら危険な目に遭うかも知れない、と考えれば立ち去ってもいい。付き合う必要はない。
でも、グラージオは放っておけなかった。
目の前で、女の子が足下も覚束ない状態でいる。そんなところを見たら、放っておけるはずがなかった。それが竜であろうとなかろうと。
「私も似たようなものだよ」
「今はそんなに弱っているようには見えませんけど」
弱っている、と何度も指摘すると、ルシーダは怒るかも知れない。
「だけど、彼女は自力ではどうにもできない状態だろう? 困っている誰かを助けたいと思うのは、きみと同じだよ。私の場合、それに加えて竜を助けたい、と明確に思うからなんだ」
「竜を?」
「ルシーダは人間で言うところの未成年のようだけれど、竜は長寿であり、強い魔力や多くの知恵を持つ。大昔には人間に魔法を教えたと言われているが、それは竜にとってほんの一部のことだ。彼らの持つ諸々を知り、吸収したいというのは、魔法使いなら大抵の者が思うんじゃないかな。彼らは生きた宝だよ。竜はよき隣人と言われたりもする。そのよき隣人の子どもが困っているのを知れば、周りの者が助けてやろうと思うのは自然なことだろう?」
「だけど、こういう潜入捜査まがいのことをするのって、そういう部署みたいな所にいる人達がするものなんじゃ……。さっき話に出ていた、嘆いてる友人って方がそうなんじゃないんですか?」
「そうだよ。専門の職はもちろんある。だけど、そこへ話を持って行って、あれこれ説明するのは時間がかかるだろ。その友人以外にもそういう所の知人は多くいるけれど、今は早く何とかしたいじゃないか」
こう見えて、ジュネルはせっかちな部分があるらしい。もしくは、自分で動くことを厭わない。
今のルシーダにとっては、ジュネルのそんな気質がありがたいはずだ。また最初から説明したり、動くための手続きなんてやっていられない。
「さっきも話したけれどね、闇ルートの店はいくら摘発しても、すぐに店主が替わって再開してたりするんだ。魔物退治で金を稼ぐのは構わないけれど、そういった輩がドラゴンハンターに流れることも多いから、魔法使いとして放っておけない」
時々、ジュネルはカルラムと似たようなことを言っている。こういった考えの魔法使いは多いのかも知れない。
「ジュネルさん、どうして図書館にいるんですか? こういう仕事の方が向いてるような気がしますけど」
「ははは……。まぁ、色々あるんだよ。人にはそれぞれ得手不得手があるし、大勢の人間が働いている場所にいれば、なかなか思う部署にならなかったりね」
そんな話をしているうちに、気が付けばグラージオ達は路地を歩いていた。
この周辺は光があまり当たらないようで、晴れているはずなのに空気が湿気ている。こんな所にいたら洗濯物が乾かないわ、と文句を言う母親の顔が浮かんできそうだ。
「あそこだ」
路地を何度も曲がり、ますます現在地がわからなくなる。そんな状態のグラージオに、ジュネルは路地の突き当たりにある扉を指した。
どこにでもありそうな、黒く汚れた木の扉だ。見たところ、周囲には看板になるような物は何もない。ドアノブの周囲が扉そのものよりさらに黒ずんで、掴んだらノブだけが取れそうな気がする。
それくらい、古そうな扉だ。この奥に汚くて狭い、誰かの部屋があってもおかしくはなさそうに思えるが、ジュネル曰くの闇店舗だ。
これは確かに、地図を描いてもらってもわからない。
「店側との対応は私がするよ。きみも魔法使いだから、いざとなれば自力で逃げられるだろうけれど……おかしな輩に絡まれないようにね」
「は、はい」
ジュネルが扉を開けた。
ノブを回すまでもなく扉が引かれたのを見て、どうやら本来の用途を成してないと知る。これではただの取っ手だ。
他人事ながら、戸締まりせずにいて泥棒が入らないのかと心配になった。店にまともな商品がなければ入られないのだろうか。
むしろ、こういう店には特殊な商品があったりして、狙われそうな気もするのだが。
店の中は、扉と同じで全体的に狭く小汚い。暗いから余計にそう思えるのだろう。
窓はあるが小さく、隣の建物の影でほとんど光は差し込まない。壁には弓や剣、盾などが無造作に引っ掛けてあったり立て掛けてある。
別の壁には棚があり、瓶や小さな布袋などが並んでいた。中身が見えないが、たぶんほめられるような代物は入ってないだろう。
入って正面にカウンターがあり、その向こうに顔が黒いひげに覆われた、がたいの大きい男が雑誌らしいものを読んでいた。ジュネルより一回りくらいは上だろうと勝手に推測したが、暗いのとひげが邪魔でひたすら怪しい雰囲気しかない男だ。
グラージオの偏見だろうが、そのまま海賊や山賊になっても違和感のない風貌である。
どうやら今は他の客はいないようだ。
「あんたが店主か?」
店内をさっと見渡し、ジュネルはカウンターへと近付く。グラージオも後に続いた。
「おう。何がいる?」
見た目に合った、野太い声で男が対応する。
「毒がほしい」
ジュネルの言葉にも、店主は顔色一つ変えない。慣れた口調で聞き返す。
「毒と言っても、色々あるぞ。どういう効果の毒がほしいんだ」
こういう店なら、どんな素性の客が来るかわかったものではない。
そのためか、店主の腕はその体型に見合っての太さ。この店主も、一癖二癖もありそうだ。
魔法使いではなさそうだが、きっとそう簡単に押さえ込めるような手合いではない。カウンター越しでは見えないが、どこかにナイフの一本や二本は隠してあるのだろう。
世の中、本当に色々な人間がいるんだなぁ。
幸い、グラージオはこれまで犯罪に手を染めていそうな人間と関わったことがない。旅をしていれば、いつかこういった人間と遭遇するのかも、などと思いながら店主の顔を見た。
どこまで悪いことをしているか知らないが、ここがジュネルの言うように闇ルートの店なら、少なくとも彼は「善良な市民」などではないのだ。
そんなことを考えていると、後ろで扉の開く音が聞こえた。そちらを見ると、新手の客らしい。
店主に負けず、がっしりした体格に太い腕の男だが、その顔はたぶんジュネルよりも若い。口の周りを囲むように濃い茶色のひげが生え、伸びたもみあげとつながっている。同じ色の髪は、くしをいつ入れたのかわからない。肩より少し長いくらいであろうそれを一つに束ねているので、何とかまとまっている感じだ。
こういう店には、こういうタイプの客ばかりが来るのかな。
自分達の現在の格好を棚に上げ、そんなことを考えるグラージオ。あまりじろじろ見て因縁を付けられては困るので、さりげなく視線を外した。
ここへ来たのは、店の摘発をするためではないのだ。今は余計な騒ぎを起こしたくない。
「完全に殺すんじゃなく、動きを止めるようなタイプだ。もしあるなら……竜に効くのがほしい」
店主のひげが動いたが、その下でにたりと笑っているのだろうか。
「ドラゴンハンターになろうってのか? 捕まえれば一攫千金だが、そううまくはいかねぇぞ」
「んなこたぁ、承知だ。その辺をうろついてるうちに、もしかしてってことがあるかも知れねぇだろ。持っていても損はねぇ」
ジュネルはそれらしい口調で返す。さっきグラージオと話していた時より、幾分か声が低い。
「で、あるのか?」
「もちろんだ」
今度こそ、店主はにたりと笑った。
店主の言葉に、グラージオは緊張する。やはりそういった毒が出回っているのだ。
そんな事実を知って残念と同時に、強い怒りを覚える。
「これだ」
「どういう効果があるんだ」
店主が出してきた黒っぽい小瓶を前に、ジュネルが尋ねる。
塩かこしょうでも入っていそうな瓶は不透明で、中身がどんな色や状態なのかわからない。粉なのか、液体なのか。
「力が抜け、魔力も大幅に低下する。だが、全く使えなくなる訳じゃないから、近付く時は注意するんだな。油断してたら、逆にやられるぞ。弱ってたって、魔法使いレベルの力は残ってるからな」
ルシーダもそんな状態だ。魔力や体力が人間のレベルにまで落ちているようだし、そのものでなくてもこれに近い毒を使われたのだろう。
「ふぅん。どういった素材が使われているんだ?」
小瓶を手に取り、疑わしげに見ながらジュネルはまた尋ねた。
「素材? そんなことを聞いてどうする」
店主もまた、疑わしげにジュネルを見た。
他の客なら大抵、効能を聞いて買うか買わないかをそこで決める。それなのに、妙なことを言い出す客に「何だ、こいつは」とでも言いたそうな顔だ。
「毒だとか言いながら、おかしな商品を掴まされちゃたまらないからな。薬に詳しい奴が知り合いにいる。使われている材料や成分を言って、本当にそういう効果があるか聞くんだよ」
「はぁっ? うちの商品にケチつける気か」
店主の語気が強くなる。文句があるならぶん殴って店の外へ叩き出す、なんてこともためらわずにやりかねない様子だ。グラージオは表情を表には出さないが、内心ではひやひやしていた。
しかし、ジュネルは動じてない。
「聞いたぜ。ここ、今まで何度も手が入ってんだろ? 食いぶちを稼ぐために、とりあえず適当に売っとけ、なんてこともありそうだからな。こっちだって、懐に余裕はねぇんだ。何度も買えねぇ。それに、毒だと思って使ってんのに効果がないってことにでもなったら、最悪だと喰われかねねぇだろ。油断以前の問題だ。やるからには、こっちも命懸けだからな」
ルシーダがここにいたら、竜は人間を食べたりしないわっ、と怒っていたかも知れない。
もちろん、ジュネルはそんなことをわかっているが、ここはいかにも中途半端な知識しかない、それでいて警戒心の強いハンターを装わなくてはならないのだ。
何度も手が入った、と言われ、店主は気まずそうに「ちっ」と舌打ちする。実際に入っているから、余計なことは言えないらしい。店を出てから役人にたれこまれでもしたら、色々と面倒だ。
「俺も詳しくは知らねぇが」
前置きしながら、店主は毒に使われている素材名を言った。
「ルギ草とゲマダ草。あと、デムルの実だ」
一応、把握はしているらしい。こうして話すところを見ると、ジュネル以外にも疑い深い客はいるようだ。
「聞いたことのある毒草だな。なるほど、一応毒には違いないようだ」
毒に詳しくないグラージオは、店主が口にした材料にまるでピンとこない。だが、ジュネルがそう納得しているということは、嘘ではないのだろう……たぶん。
「よし、これをもらう」
店主が提示した金額は、決して安いものではなかった。それらしく値段交渉して、ジュネルはその毒を買う。
これでひとまず現物入手だ。
「行くぞ」
ジュネルがあごで出口を指し示す。端から見れば、弟分に言っているように思われるだろう。グラージオも適当に「おう」などと言って、歩き出した。
「お前ら、竜を捕まえるつもりか?」
後から入って来た客が、店を出て行こうとするグラージオ達に声をかける。
グラージオは訳もなく、いやな気配をその男から感じた。
目付きが鋭い。獲物を狙う目、とでも言うのだろうか。
「チャンスがあればな」
ジュネルが短く答える。
「運よく毒をぶち込めたら、さっさと始末しろよ。横取りされねぇようにな」
その言い方に、グラージオはむっとする。
「始末」こそされなかったが、その毒で今もルシーダは苦しんでいるのに。こういった人間にとって、本当に竜は獲物でしかないのだと思い知らされる。
「横取りされたことでもあんのか?」
ジュネルが聞き返す。相手は鼻で笑いながら、軽く肩をすくめた。
「さぁな」
何かを含んでいるような言い方だが、ここで問いただしてもこんなタイプの人間が相手では、体よくかわされるだけだろう。
「せいぜい気を付けるさ」
ジュネルはそう言って、扉を開ける。
男の視線を感じながらグラージオも続いて外へ出ると、ようやくまともな呼吸ができたような気がした。





