毒
聞かれて「しまった」と思っても、遅い。
冷静さを失い、余計なことを口走ってしまったことを、ルシーダは後悔した。
「え……あ、そ、そうじゃない、けど」
視線を泳がせ、言葉に詰まりながら否定しても、怪しすぎる……というのは、自分でも思う。
「ドラゴンハンターは、普通の女の子を追ったりしないよ」
「う……」
のんびりした口調のくせに、しっかり突っ込まれた。
ドラゴンハンターという単語を出さなければどうにかごまかせただろうが、二度も出してしまっては訂正の仕様がない。
竜を匿っていて、その居場所を聞き出そうとしている、なんて作り話も咄嗟には出て来なかった。
「と、とにかく、追われてるかも知れないのよっ」
そう言って、ルシーダは何とか立ち上がる。早くここから離れたい。
だが、数歩進んだだけで、倒れそうになった。
そんな彼女を、グラージオが手を出して支える。途端に、ルシーダの肩がびくりと震えた。
傷を治した、と彼は言ったが、事実はわからない。傷はなくなっているようだが、それを本当に彼が治したのか。
意識を取り戻したばかりのルシーダには、確かめる余裕がなかった。
彼自身がドラゴンハンター、もしくはその仲間ではない、という保証はどこにもない。穏やかそうに見えるが、こちらを油断させるつもりかも知れないのだ。
今はとにかく、人間のそばにいない方がいい、と考えるのだが、身体が思うように動いてくれない。
知らなければ、倒れたところを支えられた、と端からは見えるだろう。だが、ルシーダはこの状態を「捕まった」と感じてしまった。
竜の時なら、身体は圧倒的に人間より自分の方が大きいのに。人間の姿になると、視線を真っ直ぐ向ければせいぜい相手の首か口元辺り。少し上目遣いにならなければ、成人男性だと相手の顔をしっかり見ることさえできないのだ。
普段は気にもしないそんなことが、力の入らない今は強い不安となって心に広がる。相手はきっと、二十歳にもなっていないだろうに。本来なら自分よりずっと弱い存在なのに。今は身を縮め、かたくなるしかできない。
「逃げないで」
そんなことを言われても、逃げたい。たぶん、初めて覚える感情。
これが、恐怖。
「怖がらなくていいよ。ぼくは魔法使いだ。ドラゴンハンターじゃない」
「魔法……使い?」
魔法使いなら、魔法を使うという点で普通の人間よりずっと竜に近い存在と言える。
だけど、魔法使いでもみんながみんな、いい人間とは限らないし……。
魔法を使って悪いことをする人間もこの世界にはいる、と聞いている。ドラゴンハンターと手を組む魔法使いだっているだろう。
はっきり言って、今のルシーダは人間より魔物の方がずっと信用できる気がしていた。
「何があったか知らないけど、やっぱりまだ身体がしっかり治ってないんだ。だから、もう少し休んで。心配しなくても、ぼくはきみを傷付けたりしないから」
「……」
口ではいくらでも、何とでも言える。言うこととやることが反対、ということも。
そう思いながら、ルシーダはグラージオの顔を見た。
さっきから変わらず穏やかそうな表情は、竜を捕まえてどうこうしよう、と考えてるようには思えなかった。
こちらを見る彼の瞳は、自分とよく似た色。そこに自分の姿が映っている。
この人間は大丈夫だ。
ふいに、なぜかそう思った。竜の勘、だろうか。
そうしてルシーダは、グラージオの言うままに木の根元で休むことにしたのだった。
☆☆☆
「そう。あたしは竜よ。風の竜」
お互いの名前を教えたところで、ルシーダはあきらめたように認めた。
もっとも、ルシーダが認める以前に、グラージオは確信していただろう。これまでルシーダは自覚したことがなかったが、どうやらうそをつくのが下手なようだ。
「この森の上を飛んでいたら、何かが腕をかすったの。驚いたのと、痛みでバランスを崩しちゃって……竜の姿のままだと森の木をなぎ倒しちゃうから、人間の姿になったのよ」
「そんな状況で、よくそういった判断ができたね。すごいよ、ルシーダ」
「ま、まぁ……そのままだと見付かるかもって思った……っていうのもあるしね」
竜だって、ほめられれば嬉しい。
「さっきも言ったけど、偶然ではなくあたしを狙ったものだとしたら、ドラゴンハンターかも知れないわ。とにかくどこかへ早く逃げないとって思ったけれど……」
どれだけの時間、気を失っていただろう。今のところ、それらしい人影が現れる様子はない。視線も感じないので、近くにはいないようだ。
「こうしてふたりでいれば、もしドラゴンハンターが来ても竜だってことはすぐに気付かないよ。人間の姿は見られてないんだろ?」
「たぶん。木に当たる直前くらいに姿を変えたから、余程うまい位置にいない限り、見えなかったと思うわ」
「じゃあ、むしろ慌てて逃げるところを見られる方が危ないね。怪しまれる。森の近くの村人、みたいな顔をしていた方がいいよ」
グラージオは最初にルシーダを見た時、村の住人かと思った。おかしな動きさえしなければ、この姿を見られてもスルーされるはず。
少なくとも、いきなり襲っては来ないだろう。もしそうなったとしても、今はグラージオがそばにいる。相手がとんでもなく腕のたつ魔法使いでもない限り、彼の魔法で対峙する、もしくは逃げられるだろう。
最悪の場合、戦うことになったとしても、魔法使いのグラージオの方が有利だ。
「そうね。相手は逃げれば追って来る猟犬みたいなものでしょうし」
言いながら、ルシーダは息を吐いた。
「身体、つらい?」
「つらいって言うか……」
さっきまでと比べれば、身体も少し落ち着いた気がした。
だが、いつもと違う。身体を巡る魔力が感じられない。どこかで何かが、魔力を堰き止めているような感覚がある。
ルシーダのそういった説明を聞いて、グラージオは首をひねった。
治癒魔法でそんな副作用があるはずがない。相手が竜なら、なおさら人間の魔法におかしな影響を受けるとは思えなかった。
「もう一度傷を見せてくれる?」
言いながら、グラージオはルシーダの左腕を見た。まだ血で汚れている部分に水の泡を当ててきれいにし、傷があった周辺を確認する。
傷はちゃんとふさがっていた。グラージオの魔法はちゃんと正常な効果があったのだ。
しかし、傷が完全に消えてすべすべの肌が復活しているかと言えば、そうじゃない。傷があったであろう周辺が、火傷の痕のように少し盛り上がっていた。これはおかしい。
「実はぼく、以前に地の竜と会ったことがあるんだ。少し話を聞かせてもらったけど、竜は元々治癒力が高いんだよね? 苦手な素材の武器も存在はするけど、簡単に致命傷にはならないって話だった。彼はおとなだったけど、それを差し引いたとしてもルシーダの身体に傷が残るのはおかしいね。傷はぼくが治癒魔法で治したはずだし、傷痕が残るなんて」
もしルシーダが人間だったとしても、あの魔法でちゃんときれいに治るはず。
それに、竜であろうとなかろうと、こんな傷痕が残る程に深いケガではなかった。それならもっと出血もあっただろう。左の袖全体がもっと血に染まっていたに違いない。
「ルシーダに当たったのが矢だったとして、それに毒が塗られていたのかも知れないね。ドラゴンハンターのことはぼくも少し聞いたことがあるけど、動けなくするように毒を使うこともあるみたいだから」
相手は強大な力を持つ竜だ。武器の一つや二つでどうにかできる存在ではない。
たとえわずかでも動きを封じられるように、ドラゴンハンターと呼ばれる者達は毒を多用するようだ。
あまり使いすぎると、仕留めた後に得られる素材が劣化するので、そこはハンターの加減次第だが……どちらにしろ、竜にとっては迷惑でしかない。
「毒……そうかも。こんな感じ、いつもとは全然違うもの」
「そんなに得意ではないんだけど、やってみるね」
やるって何を? とルシーダが問い掛けようとしたが、グラージオの唱える呪文で解毒の治療だとわかった。
「……どう?」
呪文が終わり、グラージオはルシーダの顔を見た。
「あんまり変わらないみたい。ほんの少しだけ楽になったかなって感じかしら」
もう平気よ、と言いたいところだが、たぶん表情などからすぐにばれるだろう。
グラージオの魔法はありがたかったが、ルシーダは正直にそう答えた。
「やっぱり。手応えがなかったからね。たぶん、特殊な毒なんだよ。竜を相手にするからには、単純な毒じゃないだろうな。竜だけに有効なものかも」
「でしょうね。何だか……相手にならない感覚があるもの」
グラージオが話を聞いたと言っていたように、竜は確かに治癒能力が高い。ルシーダは若いし、体力もある。多少の毒に中ったとしても、すぐに自分で解毒できるはずなのだ。
それなのに、手も足も出ない状態になっている。魔法で何とかしようにも、その魔法がうまくできない。
「だとしたら、解毒薬も特殊なものが必要なんだろうな。んー、だけど、そういうのって聞いたこともないし。ルシーダは何か知らない? どこにある何が必要かって」
「知らないわ。ドラゴンハンターなんて、自分とは関わりないものだと思ってたもの。まさか遭遇するなんて。それにしても、毒を使って来るなんて……卑怯よねっ」
どんっと拳で地面を叩く。振動が伝わったのか、そばの木が揺れた……気がした。
「え、えっと、とにかく方法や材料を知らないなら、どこかで調べるしかないね。この森を出たら、いくつか村があるはずなんだ。そのうちのどこかへ行って、魔法使いか薬剤師か……とにかくそういう毒や薬に詳しい人を見付けて、話を聞こう。うまくいけば、そこに解毒薬があるかも知れないし、なかったとしても手掛かりの一つや二つはあるはずだよ」
「そうね。自分が知らないことは、尋ねるか調べるかしなきゃ。行ってみるわ」
「うん。今のルシーダの姿なら、村へ入っても違和感は全然ないよ。ドラゴンハンターが気付いたとしても、村の中でいきなり矢を射かけて来ることはないと思うんだ。知らない人が見れば、人殺しをしようとしているようなものだからね。周囲に人がいれば大騒ぎになるから、ルシーダが今の姿のままなら表立っておかしなことはしてこないよ。昔ならともかく、今は竜を狩るのはどの国でも禁止しているから、正体が知られてもみんながきみの味方になってくれる」
味方してくれても、実際に矢を向けられたら逃げるわよね。
グラージオの言葉を聞いて、ルシーダはこそっと思った。
でも、確かに人間の中にいれば、大っぴらに襲われることはないはずだ。そこがドラゴンハンターばかりの村でもない限りは。
「とにかく、物騒な狩人がいるらしい森は早く出た方がいいわね」
「うん。ずっとここにいたら、それはそれで怪しまれるかも。あ、袖も直した方がいいね」
グラージオが魔法で燃やした袖を戻す。
「ちゃんと言ってなかったわね。傷を治してくれてありがとう、グラージオ。本当に助かったわ」
さっき一応の礼は言ったが、意識は完全にあさっての方向だった。なので、改めてルシーダは礼を言う。
「当然のことをしただけだよ。じゃあ、行こうか。ルシーダ、歩ける?」
「え……?」
てっきり、グラージオの口からは「気を付けてね」といった言葉が出るかと思っていた。今の言い方だと、完全に同行者だ。
「グラージオも、行くの?」
「うん」
「だけど、あなたには関係ないことでしょ」
グラージオは倒れていたルシーダを、近くを通ったことでたまたま見付けただけだ。彼女の毒をどうこうするために、彼が動く義理も義務もない。
「あ、やっぱりハンターの仲間で、あたしを見張ってるとか」
油断させて、弱ったところを……なんて考えているのか。
「まさか。困ってる誰かを手助けするのに、理由がいる?」
あっさり言われた。
「だけど……あなた、行く所があるんじゃないの?」
「ぼくは見聞を広げるって名目で、ここ半年くらい色々な場所を旅してるんだ。期間や目的地は特に決めてないから、どこへ行くのも自由だよ」
それなら、ルシーダと変わらない。魔力・体力の向上と経験を積むために、半年前から旅をしているのだ。彼と同じく、目的地は特にない。偶然にも、旅をしている期間も同じ。
「あ、もしかして人間と一緒にいると、迷惑かな」
ルシーダが何か言いよどんでいるような様子に気付き、グラージオははっとした。
自分はあくまでも、助けたいという気持ちから言っている。だが、相手にとっては迷惑なだけ、という時もあるだろう。いわゆる、大きなお世話。
まして、ルシーダは竜だ。人間にはわからない規則や慣習などがあって、人間は踏み込めないのかも知れない。
「ううん、そういう訳じゃないんだけれど。たまに村や街へ行って人間と交流することはあっても、行動を共にするってことはなかったから……」
人間の住む場所へ行っても、彼らと一緒にいるのは短時間。会話もそう長いものは今までなかった。
迷惑ではない、というのは真実だが、正直に言えばこういう状況は少し戸惑いが生じる。
「この周辺を歩いていた時、小鳥達が妙に騒いでいたんだ。そして、きみを見付けた。もしかしたら、この森の主がぼくを導いたんじゃないかなって思うんだ。ぼくの勝手な想像だけど。きみだけでは大変だからって」
小鳥達がやけに騒いでいた。もしかしたら近くに魔物がいるのではと警戒し、あちこちを注意深く見ながら歩いた。
それがなければ、グラージオは森を抜ける道をただ歩き、ルシーダに気付かないまま行ってしまっていただろう。
そうなれば、ルシーダは毒でどうなっていたかわからないし、ルシーダ曰くのドラゴンハンターに捕まって命を落とすことも考えられた。
もちろん、どれもが偶然かも知れない。でも、森の中に存在する大きな力が、ふたりを引き寄せたような気がするのだ。
グラージオは魔法使いで、見えなくてもそういう力があるということを知っているから、なおさらにそう思う。
「ん……そうかな」
間違いなく、今のルシーダは大変な状況に陥っている。自分だけでやれなくはないが、助けがあればやはり助かる。グラージオが言ってくれなければ、村や街で解毒の方法を探そう、なんてことも考え付かない。
同時に、人間に頼ることがあるなんて、想像しなかった。
「じゃ……行きましょうか、グラージオ」





