老婦人との出会い
セリフ長いキャラって書いてて楽しいかも知れない
ザンダの街はここ暫くの間では珍しいくらい、人にあふれていた。オークションの時期に街が賑わうのはいつものことだ。しかしここ数日、街中はいつも以上の活気に満ちていた。それだけ今回のオークションの注目度が高いということなのだろう。
ザンダはオークション参加者を目当てにもともと宿屋が多い街だったけれど、そのあちらこちらで宿を求める旅人の姿が見受けられる。そしてベルナルドとパトリシアもまた、いまだ宿を決められずに居た。
「悪いが個室は空いてないね。二人部屋ならまだ空いているがどうするね?」
どこの宿も似たようなもんだよ、と宿の主人は付け加える。
すでに満室だと断られ続けて数件目、空き室がある宿屋を漸く二人は引き当てていた。すぐさま部屋を確保しようとするパトリシアだったが、ベルナルドが慌てたようにそれを引き止める。
「おいおい、ちょっとまて。俺と同室でパトリシアは大丈夫なのか? 無理しなくてもいいんだぞ?」
「なにを訳のわからない事を言ってるんですか? 二人部屋とはいえ幸いベッドも2つあるようですし、問題ないじゃないですか」
パトリシアはベルナルドが何を気にしているのか、全くわからない様子だった。頬に手を当てて、こてりと首を傾げている。緊迫感のない彼女の様子に、ベルナルドは至って真剣な様子で語りかける。
「女の子が男と二人で宿に泊まるなんて、普通は気にするだろ? なにかされたりしないか、不安になったりするもんじゃないのか?」
「何か、とはなんですか? まさか私をお手つきになんてしませんよね?」
パトリシアは呆れたような視線をベルナルドに投げた。
お忍びの旅でベルナルドが平民を装っているとはいえ、本来の彼は王族なのだ。パトリシアのような取るに足らない平民の女は、彼の相手として見合うわけがない。
(確かに身分の低い女性に有無を言わさず関係を迫るような王族も居るとは聞くけれど…… 殿下に限ってそんな事はなさらないでしょうし、本当に何を心配しろというのでしょうか)
そんな警戒心のないパトリシアの様子に、しかしベルナルドは却って表情を険しくする。パトリシアは苛立たしげな彼に両肩を掴まれ、覗き込まれるようにして鋭い視線に射すくめられた。
「お手つきって、おまえな…… 冗談でもそういう事言うなよ? 洒落にならない場合だってあるんだからな?」
普段の軽薄な態度と違った真剣な様子で、ベルナルドは更に顔を近づけて言い含めてくる。歳の近い少年に真剣な顔で間近に迫られ、流石のパトリシアも恥ずかしさを覚えたようだった。
そっとベルナルドの胸に手をおいて向こうに押しやり、パトリシアは視線から逃げるように顔をそむける。今更になって明け透けに言い過ぎたことに気が付き、気恥ずかしさに気がついたのだ。急に首筋が熱くなり、その熱はすぐに顔にまで到達してしまった。
緊張にかすれた声で、小さく言葉を返す
「洒落にならないとは、その、いったいどういう……」
「あまりに無防備だと、相手をうっかりその気にさせることもあるってことだよ」
ベルナルドはパトリシアの耳元に顔を寄せて小声で囁いた。
(パティは自分が魅力的だって事をもっと自覚してくれ)
その囁きが耳に入った途端、パトリシアは弾かれたようにベルナルドから身を離した。両手で口元を覆って、戸惑ったような視線をベルナルドに向ける。
ベルナルドはベルナルドで所在無い様子で視線をさまよわせていた。困ったような様子で頬をかいている。
二人の間に漂う妙な空気。
場所は宿屋の帳場の前で、カウンターの向こうの宿屋の主人も呆れ顔だ。年季の入ったカウンターに肘をついて顎を乗せ、さっさとどうするか決めてくれとばかりにため息を付いている。
誰しもこの状況をどうにかして欲しい、そう感じていたその時だった。
「あらあらあら。最近の若い人たちは大胆なのね。私が年頃の頃はこんなに積極的に愛を語り合うなんてこと、出来なかったから羨ましいわ。ええ、ええ、若いうちはこうやってお互いの気持ちを高めあって育むべきなのよ。あ、ごめんなさいね。もう嫌になっちゃうわね、年寄っていつもこうなのよね。若い方たちの邪魔ばかりしてしまう。ごめんなさいね」
声の主は身なりの良い老婦人だった。
歳を重ねつつも若い頃は美人であったことを伺わせるその老婦人は、背筋よく歳を感じさせない足取りでカウンターの方に歩いてくる。そして歩いてくる間も全く口が休むことがなかった。
老婦人は話すことが楽しくて仕方がないとばかりに、満面の笑みを浮かべている。あっけにとられる3人が口を挟むスキさえ見せることなく話し続ける。
「ごめんなさいのついでに、一つよろしいかしら? 私、実はこのお宿にお部屋を用意していただいて、その後に少し街を見て戻ってきたところですのよ。それで、そこのご主人に少しお話させていただく事は出来ないかしら? 少し疲れてしまったのでお部屋に戻らせていただきたいのよ? ああ、もちろん、私のことなど気にせずに、いっぱい二人の時間を重ねて下さってよろしいのですよ?」
宿屋の帳場の前でパトリシアとベルナルドが話し込んでいて邪魔になっているようだ。老婦人の言葉がやっと途切れて、漸くそのことに気がついた二人は慌てて場所を譲る。
そんな二人ににこやかに会釈すると、老婦人は宿屋の主人から部屋の鍵を受け取ったようだった。鍵の受け渡しの間も老婦人のよく回る口にさらされた宿屋の主人は、一息つくと思い出したようにベルナルドに声を掛けた。
「で、どうするよ? お前ら、うちに泊まっていくのか。行かないのか?」
「まあ、パティは二人部屋を気にしないみたいだし、お願いしようかな?」
嵐のように話し続けた老婦人に毒気を抜かれたのか、二人部屋に反対していたベルナルドが折れる。しかし、今度はパトリシアがそれに慌て始めるのだった。
「えと、あの、少し待って下さい。なんというか、急に二人部屋は間違いが起きそうな気がして来まして……」
消え入りそうな小さな声で抗議の声を上げた彼女は、纏った長衣の裾を握ってもじもじと居心地悪そうにしている。
(パティは自分が魅力的だって事をもっと自覚してくれ)
耳元で囁かれた言葉が耳元で囁かれた時の様子が思い返されて、パトリシアの顔は自然と赤らんでしまう。今まで何があっても平気だったベルナルドの顔を、今は直視できない。そんな自分の変化に、パトリシアは戸惑っていた。
「いや、大丈夫だから。間違いとか起きないってば。俺のこと、そんなに信用ないかな?」
「さっきと言ってること逆じゃないですか。間違い起こす気なんですか、起こさない気なんですか、はっきりして下さい!」
「おまえ、それ逆効果だぞ…… って、いや起こさねーから! 大丈夫だから、信じろ!」
傍から見れば女の子を宿に連れ込もうとしているようにしか見えないその様子に、宿の主人も苦笑を禁じえない。
「このままやらせてても面白いんだけど、流石にそろそろ決めてくれよ。別によその宿に行ってくれてもいいんだが、宿取れないと困るのお嬢ちゃんだぞ?」
そこに割って入ってきたのが件の老婦人だった。二人の言い争う様子を見かねてなのだろうか。主にベルナルドに向けて矢継ぎ早に言葉を放つ。
「まあ! 思いが通じ合っていないのに、若い男女が同じ部屋に泊まるなんていけませんわ! 貴女、もっと御自分を大事にしないといけませんよ。殿方なんて、女の気持ちも事情もこれっぽっちも考えてはくれないのですからね。私達がしっかりしないといけませんよ」
パトリシアを励ますように、老婦人は彼女の肩にそっと手を置いた。あまりの剣幕に思わずパトリシアもベルナルドもこくこくと人形のように頷いてしまう。
「私、良いことを思いつきましたわ。貴女、私の部屋にいらっしゃいな」
若い二人の物分りの良さに満足したように頷いた老婦人は、差も当然のようにパトリシアの手をとってそう言った。話の展開に誰もついていけず、それはつまりこの老婦人を止める人間もまた居ないということだ。
「私、一人旅なのですけれど、やっぱり二人部屋しか空いてなかったおかげで、広い部屋で一人なんですの。広い部屋に一人では寂しいと思っていたところですから、話し相手で若いお嬢さんが来てくれれば、こんなに嬉しいことはないのですよ?」
「は、はい。よろしくおねがいします?」
パトリシアは老婦人の勢いに圧倒されるままに、小さく一つ頷いてしまった。それをみた老婦人は両の掌を小さく鳴らして笑みを深める。
「ではお部屋の方に参りましょう。貴女も長旅で疲れたのではなくて? お部屋でゆっくりするといいわ」
上機嫌の老婦人にパトリシアが引っ張られるようにして客室の方に消えてゆく。その後姿をあっけにとられた様子で見送る男二人。
「まあなんだ、丸く収まったみたいだな。歓迎するぜ」
釈然としない顔のベルナルドに、宿屋の主人は部屋の鍵を投げてよこした。
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