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見習い賢者と賢者のお仕事

今回は少し長めです。

なるべく毎日更新したいと思います

 時刻もそろそろ正午近くともなれば太陽も中天へと差し掛かり、日差しの角度も少し深くなってきた。背も高く広く大きくとられた大窓が壁の一面に設けられた室内は、午前と変わらず十分な明るさを保っている。


 窓の外には静かな木立に囲まれた湖畔の風景が広がっていて、秋を迎える風景が一幅の絵画の様に広がっていた。年月を感じさせながらも品の良い調度で整えられた室内には、湖を渡る風が細く開けられた窓からそよそよと入ってくる。


 そんな居心地の良さそうな室内には少女が一人、机に向かって一心に書き物をしていた。資料や書類が広げられているその机は、小柄な彼女には少々不釣り合いな大きさ。


 その広い天板は並べられた書籍や引き出し付きの小棚で囲まれ、その広さは十全に活かされているようだった。大量のものが置かれた机の上は雑然としがちなものだ。しかしこの机の上は整然と整えられていて、主である少女の几帳面な性格が現れているようだった。


 その几帳面さは面立ちにも少し現れているようで、澄んだ碧い瞳は凛とした光を湛え眉立ちには意志の強さを感じさせる。明るい栗色に銀の房が交じるという珍しい髪色も相まって、街中でも人目を惹くであろう印象的な少女だった。


 整った面差しの中に少し幼さがまだ残っているところを見ると、年の頃は10代後半といったところだろうか。あと何年かすれば怜悧な美人となりそうだが、今はまだ意思の強そうな愛らしさが勝っている。


 その彼女が書き物の合間にお茶で喉を潤して、受け皿にカップを戻す。細い指先がカップの持ち手から離れ、カップがその重さを受け皿に預ける時に生じた僅かな音。育ちの良さを伺わせる所作で行うそれですら、この室内の静謐さを乱してしまう。


 湖畔で歌う鳥の声、紙の上を走るペンの音、背の高い窓からこぼれる明るい陽射しとそよぐ風。流れる穏やかなひとときは、しかし豪華な刺繍の長衣をまとった男性の訪れで一転してしまった。


「おはようございます、パトリシア。今日も早くからご苦労さまです。まったくあなたぐらいのものですよ、時間通りに出仕してくれるのは。他の職員たちはいったい何をしているのでしょうか」


 呑気な明るい声が静かな室内に響いた途端、この部屋の唯一の住人であった女性は眉を寄せて険しい表情を浮かべた。ふっくらとした少女らしい唇が、その愛らしさに似合わぬ冷たい声で咎めるように言葉を紡ぐ。


「おはようございます、お師匠さま。といってもそろそろお昼の時間なので、この挨拶はいささかそぐわないように思いますけれど。私としてはこんな時間に出仕してくるような間抜けな職員は、是非ともクビにして別の人員の手配を希望いたしますわ」


「それは由々しき問題ですね。よく頑張っているあなたの希望ですから、できれば叶えて差し上げたいと思うのですが、なかなかままなりませんね」


「この修史院 編纂局の局長であり、クタール王国にその人ありと謳われる大賢者さまであっても、ままならないのですか?」


「ままなりませんね。なにせ、この部署の職員はあなたの他には僕しかいないのです。それをクビにするとなれば、僕は自分自身をクビにしなければならない」


 パトリシアと呼ばれた少女の声には、かけらも敬愛や親愛といった肯定的なものを感じられなかった。大幅に遅刻してきたであろう師匠は、そんな弟子の様子を構いつけることなく歩を進める。


 広々とした室内の一角に整えられた応接スペースに寄り、その後に自分の机へ。途中、長衣の上から纏っていた上掛けを応接スペースの長椅子に放り投げる。豪華な刺繍の入った上掛けは、粗雑に放り投げられて半ば床に落ちていた。その様に咎めるような視線をパトリシアは向ける。


「遠慮せずにクビにすればよろしいかと」


「別段この仕事に誇りも未練もありはしませんけどね。流石に弟子を露頭に迷わせるのは本位ではないのですよ。僕がクビになってしまうと、弟子のあなたもクビになってしまう。あなたの希望を叶えるのに、あなたが職を失ってしまっては本末転倒でしょう」


「そんなに私のことを気にかけてくださっているなんて、今まで存じ上げませんでしたわ。大変、勉強になります」


「弟子が順調に育っているようで喜ばしいことですね」


「師匠の振る舞いが相も変わらず不調法で、弟子としては頭が痛い限りなのですけれど……」


 目線で咎めても一顧だにしない師匠の様子に、パトリシアはため息を一つ。袖机の引き出しを開けるとブラシを手に取り席を立った。長椅子の上の上掛けを手に取ってブラシを掛け、手早く畳んで師匠の座る机の端にそっと置くと自席に戻った。


 ここまで流れるように手早く行ったというのに、畳まれた上掛けは折り目正しくきっちりとした仕上がり。それはパトリシアがこの手の作業に手慣れていることを伺わせた。


「いやいや全くお恥ずかしい。平民のあなたの方がよっぽど所作がしっかりしているというのは、末席とはいえ貴族の列に連なる私としては頭の痛いことです」


「師匠の場合は単なるものぐさではないですか。出来ない訳ではないのですからしゃんとして頂きたいものですわ。母様の伝手でたまたま奉公先が王宮だった私なんて、未だに付け焼き刃ですのに」


「そんなに卑下することでもないでしょう。王宮での作法にも明るく、読み書きも達者、しかも身の回りの世話にも長けた弟子なんて、なかなかいませんからね。第一王子が廃嫡されるにあたって侍女に暇が出されると聞いて、これは是非とも弟子にしなければと思ったのですよ」


 パトリシアの務めるのはクタール王国の修史院という役所の一部所だ。役所というものは、基本的には王族や貴族、それに準ずる地位の者のみが職につくことができる。平民の出自で女の身であるパトリシアがここに勤められるのは、師匠のおまけという意味合いが強い。そして、この部署は左遷先といった意味合いが強いこともあり、パトリシアのような特例も目こぼしされたという事情もあった。


 修史院は王国の歴史を記録する重要な役割を担う部署だ。王国の正当性を知らしめる権威的な側面と、過去にあった事柄に現在を照らし合わせて未来を予測するといった実務的側面を併せ持っている。


 とはいえその重要性とは裏腹に、権力とは無縁な部署であることも事実で、尚書、大蔵、兵部といった華形の部署に比べるとその地位は数段落ちる。故に左遷先の部署となっているのだ。


「私も職を失った矢先に、大賢者様の弟子にしていただけると聞いてこんな幸運があってよいのかと喜んだものですが、結局仕事は変わらないというのはなんの冗談でしょうか……」


「パトリシアは賢者見習いですからね。見習いのうちは師匠の身の回りの世話をするのは当然ではないですか」


「もちろん、賢者になるためにお仕事のお手伝いをしながら、ですよね……」


「そのとおりです。賢い弟子を迎えられて僕は本当に幸せですよ、パトリシア。特別に

私のこともユエールと愛称で呼ぶことを許しましょう」


「どさくさに紛れて名前で呼ばせようとしないでください。いつも申し上げておりますが、本当に気持ち悪いです」


 パトリシアも人目を惹く整った容姿をしているが、ユエールの前では人並みに見えてしまうだろう。月の神王の眷属を象ったような整った風貌、絹のように流れる銀糸を思わせ銀の髪は艷やかで、陶器のように滑らかな肌は夜の闇の中でも浮き立つほどに白く輝いている。紅玉を思わせる瞳を縁取るのは切れ長で垂れ目がちの目元で、どこか優しげで甘やかな雰囲気を醸し出す。そこに憂いを伴って視線を送られれば、頬を染めない女性を探すのは難しいだろう。


 ちなみにパトリシアは、探すのが難しい方の女性であったらしい。


 ユエールの弟子となったその日から今日に至るまで、どれだけユエールが彼女を甘やかそうとしても塩対応一筋であった。ユエールとしてもこうやって弟子に塩対応されることを楽しんでいる節があり、先程のそれもそれに当たるのだろう。別段気にした風もなく自分の机に置かれた書類に目を通し始める。


「さてさて、今日の仕事はなんでしょうかね。まあ、こんな窓際部署に急ぎの仕事など来るわけがないのですけれど」


「大賢者様には王国の博物誌の編纂という大切なお役目が御座います。それを進めていただかないと困ってしまいますわ。そろそろ原稿を取りまとめないと今年度の拾遺録の奏上に間に合わないのでは?」


「おや、もうそんな時期なのですね。僕はすっかり忘れていたというのに、流石はパトリシアです。仕事を任せた僕の目に狂いはなかった」


「弟子に丸投げする師匠の目は狂いっぱなしだと思いますけれど。百歩譲って原稿は私が書くにしても、それに目を通して内容を確認して頂かないことには困りますわ」


 席に戻ってお茶を口にしながら、パトリシアはユエールにじとりと視線を送る。すっかり冷めてしまったお茶よりも更に冷たいその視線は、ユエールの机の上に山積みになった原稿に注がれていた。一番高く積み上がっているのは確認前の原稿の山。一番低いのは確認済みの山だ。


 ユエールはといえば、原稿の山とパトリシアの手元のカップを交互に視線を送ると、やる気なさそうに机の上に平たくなる。そして、聞こえよがしに繰り言を始めるのだった。


「どうにもやる気が出ませんね。可愛らしい弟子の淹れたお茶の一杯でもあれば、少しは捗るように思えるのですが。いやはやどうにもやる気が出ない」


 パトリシアは深いため息とともに席を立つ。どうせそろそろ新しいお茶を入れようと思っていたのだ。一人分が二人分になろうと変わらないと。そう言い聞かせながら。


ちょっとでも気になったかも?という方は、ぜひ気になり具合を☆でお願いします。

もし続きが気になったなら、ブクマをしてみてください。


====

◇博物誌 拾遺録・抄◇

クタール王国(くたーるおうこく)


北を除く3方が穏やかな内海に面した半島をその領土とする、数百年の歴史を持つ王国。建国の王は月の亜神の落とし子であり、その加護を受けてこの地に王国を築いた。国内では商業が盛んであり、隣国との交易にも積極的。外交問題の解決にあたっては軍事よりも外交を好む。


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