第6話 重ねた過労
冒険者ギルドからのアナウンスで、俺とソラが遭遇したスライムが、【変異種】と呼ばれる進化を遂げたモンスターであった事が判明し、街にいる冒険者の中でも腕の立つ者を集めた討伐部隊が結成された。
討伐部隊はすぐに森へと出撃し、夕方頃には討伐の完了を知らせるアナウンスがギルドから出された。
変異種は、同種のモンスターが複数体一箇所に集まった際、稀に融合反応を起こし、一体の強力なモンスターとして生まれ変わった素体の事らしい。
変異種になったモンスターは、元のモンスターから大体3ランク程度、上の強さを持つという。
元のモンスターのランク帯に合わせてクエストを受けていた冒険者にとって、非常に危険な存在となり、実際に変異種が出現した現場では事故も起きているらしく、そう考えると逃げられた俺達は幸運だったのかもしれない。
とは言っても、実際に命の危険を感じ、ギリギリの場面を潜り抜けて逃げ戻った俺とソラにとっては、もはやスライムはトラウマものになっていた。
もう二度と俺達二人が、スライムのクエストを受ける事は無いだろう。
スライム怖い……。
ジャイアントスライムが倒された知らせを聞いたあと、二人で行き付けの食堂へ向かい、暗い表情のまま無言で夕飯を食べ、宿屋に戻ってすぐに寝た。
次の日、俺は建築現場のバイトへ出勤し、昨日の恐怖を思い出しながら震えて仕事をこなし、ソラは震えてクルッポにエサをやっていたそうだ。
それから1ヶ月、俺はバイトをこなす毎日を送り、ソラはクルッポのお爺さんの家に招かれたりして、お孫さんと遊んでいたそうだ。
お孫さんは、俺達がジョブ選択をした日に、ソラが助けてあげた少年であったらしく、彼女はお爺さんにも孫にも、大変気に入られたらしい。
お爺さんに、「せっかく見た目が良いのだから、もっと良い物を着なさい」と上質な服を買ってもらったと自慢してきた。
なんか、アイツだけズルくない……?
今は仕事が終わり、ソラと一緒に街の銭湯に出掛けて、汗を流し宿屋に帰ってきたところだ。
「ハルトー。明日も仕事ー?」
「いんや、明日は休みだよ。今日まで仕事が忙しくて、7連勤だったからな。明日は久しぶりに、部屋でゆっくり休むと………だから、ちっがぁぁぁぁぁぅぅぅぅぅう!!!」
「ひぃ!!」
この流れ二回目だぞ!!
スライムのトラウマで今の今まで現実逃避してしまっていたらしい。
フッ、またつまらぬ命を無駄にしてしまったか……
……洒落になんねぇ。
これで俺の寿命の9分の1無くなったとか、マジで洒落になんねぇ……。
とにかくだ!
「ソラ、明日はもう1度クエストに行くぞ。」
ソラはビクッと身を硬直させ、それから震え出した身体を自分の両手で抱きしめながら、呪詛を唱え出した。
「スライム怖い…スライム怖い…スライム怖い…」
「あー……それに関しては大丈夫だ。いくらあの時のヤツが変異種だったと言っても、正直、俺もスライムのクエストはもう受けたくない。だから、そんなに怯えなくて……ソラ?……ソラ!?」
「♬………好きで〜〜ポンコツ〜〜やってないのよ〜〜……きっと〜〜わたし捨てられ〜〜大きな体に〜〜溶かされ〜〜命散らすの〜〜……あ〜〜おかあさま〜〜あ〜〜おとうさま〜〜先逝く不幸を〜〜ふえぇぇぇえん〜〜………♬」
完全に目から色を失ったソラが、空虚な瞳で不気味な歌を歌い出した。
コイツ完全に、スライムがトラウマになってやがる……。
このままだとソラが立ち直れなくなりそうな気配を感じたので、俺は彼女の肩を揺らして正気に戻す。
「大丈夫だソラ!!スライムとは戦わない!二度とスライムのクエストは受けない!お前はもう!自由だ!!」
「……ふぇ?」
俺の魂の呼び掛けに、ソラがこちら側へ戻ってくる。
目の色も段々と回復してきた。
……危ないところだった。
「とにかくだ……スライムとは戦わないが、クエストを受ける必要がある。このまま、バイト暮らしをしていても一向にレベルは上がらないし、タイムリミットも近付いてくる。だから、無理矢理にでもモンスターと戦ってレベルを上げなきゃならないんだ。最初こそ大変だが、レベルさえ上がればモンスターは倒しやすくなるし、俺が攻撃スキルを覚えられる10までレベルを上げられれば、後はトントン拍子で上手く行くはずだ。」
「うん、分かったよ。けど、もしスライムが出て来たら……私死ぬから。」
「死ぬなよ!せめて逃げろよ!」
「無理だよ!もう、私、ぷるんぷるんした丸いモノが怖くて仕方無いんだよ!ハルトがバイトしてる間に、街のお店を見て回ってた時があるんだけど、その時スライムの置き物を見つけて、気付いたら投げて壊しちゃってて、その後大変だったんだからね!」
コイツは人が食い繋ぐ為にせっせと働いている間に、一体なにをしているんだ……
というか、そんなにコイツにとってスライムはトラウマものだったのか……
咄嗟だったとはいえ、触手が迫りくる中、ソラの顔をスライム側に向けて抱えたのは失敗だったかもしれない。
「わ、わかった。そしたら、明日はスライムが生息する森とは別の場所にいるモンスターを探そう……。」
「約束だからね!」
こうして俺達の明日の方針は決まったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お姉さん。この街の周辺にいる中で1番弱いモンスターって何ですか?」
翌日、俺達は朝早くから冒険者ギルドを訪れていた。もちろん、クエストを受けるためだ。
変異種のスライムのトラウマによって、長らく戦意喪失していたが、いつまでもそうしてはいられないからな。
そもそも、変異種なんて滅多に出るものでは無いらしく、冒険者をやっていて一生に一度出会うかどうかレベルの存在らしい。
どんだけ、アンラッキーなんだよ俺達は……。
ギルドカードのステータスに運の項目は無いけど、隠れで存在してるんじゃないかって疑うレベルだぞ……。
「ええっと……クエストに行かれるんですか……?お二人で……?」
今、会話しているのはジョブ選択の時に丁寧に教えてくれたお姉さんだ。
俺達の事情を知っているからこそ、クエストに行く事を訝しんでいるのだ。
「お姉さん……。すみません、何も聞かずに教えて下さい……。」
「……わ、わかりました。ですけど、安全には十分に注意してくださいね。間違っても森の深い所なんかに入ったらダメですからね!」
「は、はい。分かってます!」
このお姉さんは、本当に良い人だと思う。
ギルド側にとってほぼ実利の無い、こんな駆け出しの冒険者に対しても気遣いを忘れない姿勢は、誰にでも出来る事じゃないだろう。
「えっと……1番弱いモンスターでしたよね?でしたら、やっぱりスライ」
「その名を口にするなぁ!!」
俺はすんでのところでお姉さんの言葉を遮った。
……危ない、危ない。
後ろにいるソラの瞳が無機質に色を失いかけていた。壊れる寸前だ。
「……あ、えと、すみません。スラ……ええと、そのモンスターは訳あって討伐出来ないんです。他に、弱いモンスターっていませんかね?」
お姉さんは急に俺に言葉を止められて、驚いた表情を浮かべていたが、気を取り直して笑顔で告げた。
「でしたら、グーパンですね。」
「お、お、お、お姉さん!?」
ヤバい!!
調子乗ってると思われたか!?
お姉さんの忠告を無視してクエストに行こうとしたし、さっきもお姉さんの言葉を命令口調で遮ってしまったし、キレられても仕方が無い事をしていたかもしれない!
こういう普段優しい人を怒らせると怖いし、何より罪悪感が凄い!
でも、分かってください!
こっちには、クエストに行かなきゃならない理由もあれば、スライムの名を口に出来ない理由もあるんです!!
しかし、今は……
ここで俺が取るべき選択肢は一つだ。
「すみませんっっしたぁぁぁ!!!調子乗ってましたぁぁぁ!お姉さんが良い人だから、いつの間にか優しさに甘えてましたぁぁぁ!どうかお許しください!俺、お姉さんに嫌われたくないっす!!」
「……ハルト、何してるの……?」
珍しく、ソラに呆れた目を向けられた。
くっ、このポンコツにこんな顔をされるとは……
屈辱だっ……!!
「あの……何か勘違いをされているようですが……私は、【グーパン】というモンスターがオススメですと、そう言ったんですよ?」
「……へっ?モンスター??」
「そうだよハルト!知らなかったの?グーパンはこの世界で大人気のモンスターで、お店でグッズなんかも売ってたりするんだからね!私だってほら!グーパンのマスコット付けてるんだからね!」
そうだったのか……。
ソラのリュックには、パンダに大きめの猫のような耳が付いた、カラフルな色のマスコットがぶら下がっていた。
って、おい、コラ。
何必要ないもの買ってんだよ、それ買うのにかかった金、絶対俺が稼いだ分だろ。
「あはは……さっきの話に戻りますけど、グーパンはグレートパンダの略称です。グーパンは世界中にたくさんのタイプがいますが、この街の門を出て北に1キロほど進んだ場所に、レッサーグーパンというモンスターが生息しています。モンスターの中でも1番弱い部類に入りますよ。」
「なるほど……じゃあ、レッサーグーパンの討伐クエスト受けても良いですか?」
「ええー!ハルト!グーパン倒すの嫌だよ!」
「ええい、俺達には他に選択肢は無いんだ!諦めろ!それに、どれだけ可愛い見た目をしてても、モンスターはモンスターだ。その証拠に、クエストが出されてるって事は、駆除しなきゃいけない理由があるって事だからな。」
「うう……。分かったよ……。でも、優しく倒してね?」
「いや、こっちもそんな余裕無いから……。ただでさえ、攻撃スキルが無いヤツは、モンスターを倒すの難しいって言われてるんだから……。」
「あはは……では、レッサーグーパンのクエストを受けるという事でよろしいですね?ちなみに、グーパンの攻撃手段はグーパンですので、気を付けて下さいね。」
「ギャグみたいなモンスターだな……。」
こうして、俺達はFランククエスト、レッサーグーパン討伐を受諾し、目的地へと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あ、いた!グーパンだー!」
目的地に着いた俺達は、早速レッサーグーパンを見つけた。
しかも、丁度一体で行動しているから好都合だ。
だいたい人間の子供くらいのサイズで、二足歩行をしている。
黒いタレ目はパンダの特徴を残しており、猫の様な三角の耳は大きくて可愛らしい雰囲気を出している。
非常に愛らしく、これは人気が出るのも頷ける。
しかし、人間を見つけると襲い掛かってくるというのだから、油断は出来ない。
「ソラ、俺がアイツを引き付けて交戦するから、ソラは後ろからヒールをかけてくれ。」
「うん、分かった。」
「よし、じゃあ行くぞ!」
俺は、こちらに気付いていないレッサーグーパンに向かって駆け出す。
ちなみに、今の装備はこの間スライムに溶かされた盾だけ新しく購入し、他は前と同じだ。
やっと剣を使う場面が来たな。
レッサーグーパンまであと少しの距離まで来ると、くるりと振り向き牙を見せて威嚇してきた。
「プロボーグ!!」
ソラに危険が向かないよう、敵の注意を集めるスキルを使用し、更に敵に接近する。
俺は勢いのまま、レッサーグーパンに剣を振り下ろした。
この世界の戦闘では、基本的に身体は魔力のバリアで覆われており、切って倒すという状況は余程実力の差がある場合にしか訪れないそうだ。
魔力のバリアに対して、こちらも攻撃スキルを使い魔力を纏った攻撃を当てる事によって、内部的なダメージを与えるというのが基本になる。
だから、攻撃スキルを扱えない者は、ほとんどダメージを与える事が出来ないという理屈だった。
実際にモンスターに攻撃を当ててみて感じた。
これ、ゲームとかで見たことある、ダメージが1になってるやつだ!
全然、攻撃の効果を受けていないレッサーグーパンが、牙を剥き出しにして反撃してくる。
グーパンだ!!
ガコンッと、俺が構えた盾に攻撃が当たる。
けれど、そこまでの衝撃は無かった。
やはり!予測どおり同程度のレベルであれば、盾職を選んだ防御力の高い俺は攻撃を受け止められる!
こちらにも攻撃力が無い為、長期戦は免れないが、勝つ事は出来そうだと思った。
もう1度、今度は横薙ぎに剣を振るって、レッサーグーパンに攻撃を浴びせる。
その時だった。
「ヒール!!」
ソラが放ったうす緑色の淡い光は、俺……
ではなく、レッサーグーパンの体を包み込んで体力を回復させた。
「おぃぃい、お前何してくれとんのじゃぁぁ!!」
「だって!だって!グーパンが可愛そうだったんだもん!!」
「ふぅざけんなぁ!コイツを倒さなきゃ、俺達はいつまで経っても、魔王討伐に近づけないんだぶふぁっっ!!??」
ポンコツとの会話に気を取られていた俺は、気付かぬうちにレッサーグーパンにグーパンされていた。
イタイ!
ダメージって程じゃ無いけどイタイはイタイ!
「ソラ!頼むからレッサーグーパンへのヒールは我慢してくれ!これじゃ、いつまで経っても倒せない!」
「………」
「返事をしろぉぉおお!!ぶふぉっ!!」
グーパンされた。
それから、俺はレッサーグーパンにダメージを与えては、ソラにヒールで回復され、ソラを説得しようとしては、レッサーグーパンにグーパンされ、というのを繰り返した。
その凄絶な戦いを3時間ほど繰り広げ、俺と対峙していたレッサーグーパンはようやく魔石となって、仰向けに寝転んだ俺の隣に落ちていた。
「ぜぇぜぇ……ああ……ゲホッゲホッ。」
一発のダメージは低いものの、何発も殴られた蓄積と終わらない戦いへの精神的苦痛で、俺は満身創痍になっていた。
「うう……グーパン……グーパン……。」
半ベソをかいて拗ねているポンコツは、やっと最後になってヒールを使うのを我慢してくれた。
「ソラ……お前がグーパンをどれだけ好きなのかは、よく分かった。レベルが上がって、選べるクエストの範囲が広がったら、もうグーパンとは戦わないって約束する。だけど、今はバイト生活をやめて、魔王を倒す旅を始める為にも、グーパンを倒してレベルを上げる必要があるんだ。だから、今だけは我慢してくれ……。」
「……分かったよ。魔王倒せなきゃ、私、帰れないし。…………ハルト、死んじゃうし。」
最後はよく聴こえなかったが、取り敢えずは納得してくれたみたいだ。
それから空が朱く染まり始めるまで、俺達はもう2体のレッサーグーパンを倒した。
ソラは、もうグーパンにヒールをかける事はしなくなり、代わりに俺にヒールをかけてくれるようになったので、スムーズに戦闘を行う事が出来たが、それでも攻撃スキルを持たない俺達は1体のレッサーグーパンを倒すのに、1時間以上の時間を要した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「はぁ……こんだけやって、報酬はバイトと同じか……」
クエストの報告と魔石の交換を終え、冒険者ギルドの長椅子に腰掛けて、俺はこの世界に来て何度目か分からない溜息をついた。
レッサーグーパンは最下級のモンスターだったので魔石の質は低く、1つの魔石に付き2000ミラ(ミラはこの世界の通貨の単位)での交換となった。
それが3つとクエストの達成報酬とで、合わせて9000ミラ。俺の1日のバイト代と同じだ。
ちなみに宿の1日の部屋代が3000ミラ。一人1食500ミラとして1日で3000ミラ。銭湯に行く日は入浴料が二人で1000ミラなので、1日に残るのが2000ミラとなる。
バイトが休みの日に支払うお金を貯めておかなければならない事を考えると、実際に自由に使えるお金はほとんど無いような状態なのだ。
ちなみに、レッサーグーパンを3体倒しても、クソ女神の加護を持つ俺ですら、1つもレベルは上がらなかった。
最初の方のレベルって、もっと簡単に上がるものじゃないのかと思ったが、現実は厳しいのだ。
「レッサーグーパンを倒せる事が分かったのは良かったけど、この分だと、バイトを辞めてレベル上げに専念するにはまだ遠いな……」
「ハルト?」
「ん、何だ?」
「顔……赤いよ?……大丈夫?」
「ん?……別に何とも…な…」
あれ?
おかしいな、今まで全然何ともなかったのに……
急に頭がボーっと……し……て……
次の瞬間、俺はギルドの床に倒れこんでいた。
「……!!ハルト!!ハルト!!」
心地良い声に鼓膜を揺さぶられながら、俺は意識を手放した。