Last Step. 二人のこれから〔完結〕
それは、不思議な感覚でした。
スローモーションで崩れていく足元。
思い出す娘の顔。
『整備されていない、自然のままの洞窟ですから。端の方は崩れる危険があるので近付かないで下さい』
インストラクターが説明していたその声が、今になって頭の中に響きます。
――ああ、死んだ……。
そう思った瞬間、すっと意識が遠のきました。
視界が暗転し、穏やかな闇が訪れる――
※※※※
――ことはありませんでした。
「マリ!!」
夫の声が煩いからです。
「マリ! マリ!!」
――イタイイタイイタイ!
主に夫が掴んでいる腕が。
この人私の名前を知っていたんですね……。
――ん?
私は不思議に思いました。
何でこの人、私の側にいるんでしょう。
「マリ! 大丈夫か。」
目を開けると、見たこともないほど、焦った夫の顔。
どうやら、一緒に落ちたようです。
「あなた、何で……。」
崩れたのは、私の足元の方だけでしたよ。
というか私を殺そうとしていたはずなのに、どうして泣きそうな目で、私の無事を確認しているんでしょう。
生きていればトドメを……と考えているようには、とても見えません。
私の疑問をよそに、夫は強く、強く私を抱きしめてきました。
――イタイイタイイタイ!
やっぱり殺す気ですか!?
離してください~~っ。
もがくように捻った体が夫のヘッドライトに当たり、カタンと音をたてて落ちました。
明かりが消え、瞬時にあたりは真っ暗闇。それに気を取られたのか、夫の締め付けていた腕が緩みました。
「ぷはぁ。」
ようやく息をつけ、生き返った心地です。
肌に感じる冷たい空気に導かれるように、私は谷底から上を見上げました。
その動きに合わせるように、夫も上を見上げたのが分かりました。
鍾乳洞は暗く――、ですが見たこともないほどキラキラ輝く石灰生成物に埋め尽くされ、まるで宝石箱のようでした。
※※※※
私の妻は変わっている。
鍾乳洞で自殺行為に及んだと思いきや、どうやらそれは、情報員である私に殺されなければならないという、斜め上の思い込みによるものだったという。
幸いにも、我々が落ちた場所は、さほど深い場所ではなかった。
私は鍾乳洞の底で妻の安全を確認すると、改めてヘッドライトを装着し、妻を抱えたまま高速で這い上がった。
そして少し広い道に出るや否や、そのままインストラクターを無視して走り抜け、勝手に洞窟を脱出した。すぐにトイレに向かったことは言うまでもない。
組織からは、妻と離婚し、祖国の人間と再婚することを求められていたが、私は了承しなかった。
その結果として、組織を抜けることが決まったが、私はこの国で生きていくことに決めていたので、何の問題もない。
私の妻は変わっている。
だが私はとても、幸せだ。
子どもの頃から家族を知らず、孤独だった私は、今はどこにもいない。
妻が少々変わっていても、私が面白みに欠ける平凡な人間であるから、夫婦としてはバランスが取れており、何も問題ない。割れ鍋に綴じ蓋というやつであろう。
明日は結婚五年目になる。五年目は木婚式というらしいから、こちらの風習に合わせて夫婦箸とやらを買ってみた。
妻がどんな顔をするのか、楽しみである。