Step.2 場所は慎重に選べ
若い頃、私は「鍾乳洞探検ツアー」に参加したことがありました。
それは洞窟を所有する個人がインターネットで集客をしているツアーであり、インストラクターの後ろに続く形で、一度に最大10人ほどのメンバーが自然の鍾乳洞を案内してもらうというものでした。
一般の観光地にある大きな鍾乳洞とは異なり、とても小さく、深い洞窟です。そのため指定のツナギとヘッドライトが貸し出され、ときには地面を這って体中泥だらけになりながら、一人ずつ一列になって進まなければなりませんでした。
整備されていない部分には、ところどころに自然にできた深い穴があり、うっかり落ちると命はないそうです。
ですが普通の観光地とは違い、手が届くほどの間近で鍾乳石を見ることもできる、素晴らしいツアーでした。
皆が一斉にヘッドライトを消したら、暗闇の中にキラキラと宝石のように、石灰物質が光るのです。
私は、天啓を得たように、そのときのことを思い出しました。
現代の我が国で、殺人を事故に見せかけるのは、かなり困難だと言われています。
無数にある推理小説でも、犯人らは皆、華麗なトリックを繰り広げていますが、いずれも最後は名探偵に暴かれてしまいます。
ですが、私はいつも思っていました。
下手な小細工をするから、バレるのです。
どーんと、どこかに突き落として、事故か殺人か分からない――そういう状況であれば、故意が証明できない限り、無罪です。
仮に私と夫の2人で鍾乳洞探検ツアーに申し込み、1人ずつしか進めない狭いポジションで、先を進む私が深い穴の方に突き落とされたら。私の命はないでしょうし、夫か突き落とした瞬間を目撃できる人もいないのです。
――これぞ完全犯罪!
夫が「事故」だと言いはれば、保険金がおりることは確実でしょう。
また、このように確実かつ安全な暗殺の機会を1年以上先にあらかじめ設定しておけば、それ以前に殺そうという気もおきないに違いありません。保険金の免責期間である1年間、身の安全を確保することもできます。
私は自分の思いつきに興奮しましたが、問題は、それをどうやって夫に伝えるかです。
そもそも夫は、私が私の暗殺計画を知っていることを知りません。そのため、ストレートに「私実は知ってるんだけどー」と話し出した瞬間、ブスリと刺される可能性もあるのです。
仮に夫が刺さないとしても、家には盗聴器などがあるかもしれませんし、夫の組織から危険人物とみなされて殺られることもあり得るでしょう。
そうなっては保険金計画は台無しですから、やんわりと、かつ自然に、「鍾乳洞探検ツアーが私の暗殺にお勧めだよ」ということを夫に気付かせなくてはなりません。
しかしながら、夫と私の会話と言えば、今現在でも、事務的な内容に限られています。しかも互いに一言ずつ必要最低限の会話しかしていないという状態です。
それなのに私が突然、何の脈絡もなく
「そういえば鍾乳洞探検ツアーというのがあるらしくてー。小さな鍾乳洞なんですけどー。落ちたら、命はないと思うんですよね。でも落ちても事故なのかどうか、誰にも見分けがつかないと思うんですよねー!」
とかベラベラ喋りだしたら、あまりにおかしいでしょう。というか、夫に向かって、そんなに長く喋れる気も致しません。
けれど娘のため保険金のため、諦めるわけにはいかないのです。
――案じるより産むが易し!
私は、まず簡単にできることから、始めることに決めました。
※※※※
私は情報員である。
この国に潜入するにあたり、上から与えられた初のミッションは無茶振りであった。
受け取った指示は、とある女性と結婚して永住資格を得るように、という簡素なものだけ。具体的な策は全て、私に一任されていた。丸投げともいう。
しかし、私には意外と演技力があったようだ。
観光ビザで入国するやいなや、極めて自然に対象者に接触することに成功した。
そして、自然な男女交際を経て、この国のプロポーズハウツー本なども入手して研究した結果、無事に対象者と結婚することができたのだ。
初ミッションながら上出来過ぎる成果である。
その後は、対象者と、夫婦として恙無く生活をしながら、祖国と連絡を取り合う3年間であった。
すべてが順調といえる。
――それなのに。
最近、妻の様子が、少しおかしいのだ。
それは一週間前のある夜のこと。
私が入浴を済ませてリビングのソファに腰掛けると、普段は何も載っていないローテーブルに、一冊の観光本が置かれていた。
妻が置き忘れたのだろうか? というか、妻はこのように大衆的なザ・観光本を読むのだろうか。
妻とは結婚して以来、どこにも旅行に行ったことがない。妻が旅行に興味があるという話も聞いたことがない。
まだ娘も小さく遠出は大変であるし、私自身は、旅行など考えたこともなかったが。
――まあ、大したことではない。
私は観光本をそっとテーブルの端に寄せると、そのことは忘れテレビの電源をつけた。
数日後、観光本はまだローテーブルの上に載っていた。というよりも
ーー増えてる!!
観光本は3冊になっていた。
しかもよく見ると、ページに付箋も貼ってあるようだ。とりあえず一番上にある1冊を取り上げると、付箋のあるページは開きやすいように、ページの端が小さく折り曲げてあった。
中を開くと、それは、隣の地方にある鍾乳洞の特集であった。
妻はこのようなものに興味があるのか?
疑問に思いながらも、私はそのままページを閉じた。わざわざ聞くほどのことでもない気がするし、あまり詮索しても「やかましい夫だ」と思われるだけだろう。
私は観光本を3冊重ねてテーブルの端に寄せると、コーヒーを飲みながらテレビをつけた。
そして今日。
私が入浴を済ませてリビングのソファに腰掛けると、ローテーブルの上に観光本はなくなっていた。なくなってはいたが、その代わりにノートパソコンが一台、起動した状態で置かれていた。
私がマウスに手を伸ばし、スリープ画面を解除すると、そこには。
『いこう!あなたも。洞窟探検ツアー!』
という派手な見出しのページが映っていた。どうやら、鍾乳洞の洞窟探検を宣伝する内容のようである。
ここに置いてあるということは、妻が見ていたのだろうか。というか、妻はパソコンを持っていたのか。知らなかった。パソコンを触っている姿など、これまで見たこともなかったが。
妻はいつも、きちんと片付けをする人間であるというのに、このように片付けを忘れ、テーブルに出しっぱなしにするというミスを犯すなんて。
ーーよほど、鍾乳洞が好きなのだな。
結婚3年目にして、妻の意外な趣味を知ったのであった。