ろーりん
花企画参加作品です。他の作者さんの作品もぜひ読んでください。
回る回る。どんどん回る。
もう止まらない。もうだれにも止められない。
人も町も牛も車も木も草も、全部踏みつぶして、ぐちゃぐちゃの再起不能で不細工な残骸になれ果ててしまえばいい。
誰も私を止められない。
止めようとも思わない。
回れ、回れ、生きるために。
人々は幼いころから私を忌み嫌った。理由は簡単、私が酷く醜かったからだ。
「こっちにくるな」と言って、四角く硬い棒でがつがつ叩く。そのうち私の腕も足もつぶれてしまって、変な方向に曲がってしまって、それが恥ずかしくなって常に隠していたら、そのまま体の中に入ってしまった。
脇の下から出る一本の小指だけが、腕があったという名残を無言で伝えている。
ごめんなさい。
謝った。初めのうちは。
その行為は誤りだった。
つけ上がった人たちは余計に私を嫌いになって、私の体を殴りつける道具は棒から鍬に変わり、そのうち鎌に変わった。
青黒い痣だらけの私の体はすぐに穴だらけになって、体の内側のものがそこから漏れて出てくるようになる。
その姿がまた恥ずかしくて内に内に隠れようとしたら、私の体は内側と外側がひっくり返ってしまって、人達は気味悪がり私を見世物小屋に売り飛ばしてしまった。
私は冷たく暗い鉄の檻に入れられて、幾つもの町を私を買い取った主とともに回った。主の姿を見たことはない。
なぜなら私の頭は体の中にめり込んでしまっているから、視界に入るのは薄ぼんやりと赤色に染まった闇だけだからだ。
でも外で観客と主とのやりとりは体に空いた無数の穴からよく聞こえていた。
「気持ち悪い」
「そうでしょうそうでしょう」
「これ生きてるの」
「へえへえ。生きているでございますよ。よく見ていてくださいまし」
同時に熱湯をかけられ、私は思わず絶叫する。皮膚は溶けだし、穴を伝って眼の中にも煮たった湯が入ってきて、それ以来私の右目は見えなくなってしまった。
「なんで生きてるの?」
「と言いますと」
「こんな気持ち悪いの殺しちゃいなよ。僕が殺してあげる」
「お坊ちゃん、これは私の糧でございますから、殺されては私が飢え死にしてしまいます」
苦々しく主は言う。
「家で雇ってあげる。父上に頼んであげるから。あったかい毛布もご飯も出してあげる」
「左様でございますか! では明日またここにいらしてください。お返事次第では、こやつを煮るなり焼くなりお好きにして構わないですよ」
飛び上るほど主が喜んでいる声が私の耳に届いた途端、今までにない感情が私を支配したのです。ただその時は、ぐっとこらえてただ時を待つこと。それだけに集中していた。
翌日、主と先日のお客が檻の前にやってきました。
「おい、良かったな。お前やっとその醜い姿から解放されるんだぞ」
にやにやと醜い笑みを浮かべている主の顔を思い浮かべて、私はぐっと体全体に力を込める。
「こんなのが生きてたらみんな迷惑するんだ。このおやじだって仕方なく生かしていたんだから。みんなのためにお前を殺してやるんだ。僕は間違ってない。優しいだろ?」
これからするであろう行為を思い浮かべ、喜色がまんべんなく込められている声を発しながら、坊ちゃんは私に問いかける。
「お前もこんなみすぼらしい姿のまま生きていたってしょうがないだろ。お前の為でもあるんだから」
声が近くなり、錠が外れる音が短く聞こえてきました。それから軽い足音が、私に近づいてきた。
まだ、もう少し。
「おとなしくしてろ。僕はまだ生き物を殺したことないんだから」
銃に弾を込める音が聞こえて、自然に動きそうになる体をぐっと気持で抑えつける。まだ早い。
「坊ちゃん気を付けてくださいまし」
「わかってるよ、うるさいな。いちいち付き添わなくても大丈夫だ」
カチャリと軽い音がいた。そして足音が止まる。
じっとした静寂が、この身を包みこんだ。
「さあて、動くんじゃない……うわぁ! 動くな、止めろ!」
私は敢えてゆっくりとこの体を坊ちゃんに向けて転がり始める。案の定坊ちゃんは慌てて、銃を落としてしまったようで檻に重い音が一瞬だけ響く。
「来るな、来るな。止めろ、近づくな。おい助けろ!」
坊ちゃんは主に助けを求めたようですが、返ってくる声はなくきっと主は逃げだしたのだと私は悟った。
絶望と憎悪と恐怖が混じった断末魔を叫びも、ぷちっという短い音で途切れる。私の肉体は潰れたトマトのようになった坊ちゃんがくっついたまま、檻を破って街に繰り出した。
坂の上から勢いをつけて私の醜い部分を隠した醜い体は、整備された道路を一気に駆け下りる。
いろいろな物を踏みつぶした。
貴族が乗った馬車も、手を繋いでいて歩いていた親子も、命乞いする乞食も私を止めようとした兵士もみんな坊ちゃんと同じような姿になり、私を隠す肉塊の一部になっていく。
私は醜い。
それでも生きたい。
私が生きるためには色んなものを踏みつぶさなくてはならない。
それでも生きたい。
醜い自分が恥ずかしい。
それでも生きていたいのだ。
私を蔑む者と私は何が違うのだ。何も変わらない。
皆生きることに貪欲で、生を奪おうとするものに抗い、そして自分の生を保つために幾つもの罪や殺生を繰り返しているではないか。
なら私が遠慮する必要など何もないのだ。
何を踏みつぶそうが、何をしようが私が立ち止まる理由などないのだ。
そう考えながら、坂の下にあった家を突き抜けながら、私は思わず吠えた。
そのあと私は一つの街とそこにあったものすべてをぺしゃんこにした後、更地に戻った街を後にしました。
それから私はまっすぐ進みましたずっとずっと真っ直ぐ。
お腹がすくと幾つもの元人間などから出来上がった肉塊を削り取って、口に運びました。私の前に立ちふさがるものは有無を言わさず踏みつぶした。
幾つもの街、私の噂を聞きつけて退治にきた人間は数日に何度か現れましたが、皆私の一部になっていくだけで、大した支障はない。
十の山を越え、その倍の川を渡り、さらにその倍の街を踏みつぶしたとき、私は不意に誰かに声をかけられた。
「聞こえているんでしょ。お願い、止まって!」
その声に今まで私に対して掛けられた感情と異なるものを見つけ、私は思わず動きを止めた。
短く響いた声の主は、私のすぐ前にいるようでした。おそらく無視して動いていれば、彼女もつぶれていただろう。
私が止まったのを確認すると、少女らしき声は安堵の声を私にかけてきた。
「ありがとう。あなたのことは噂に聞いていたけど、どうしても止まってほしかったの」
――どうして?
「しゃべれるのね。今あなたがいる目の前はすっごい綺麗なお花畑があるの。私のお母さんがこの景色が大好きだから、踏みつぶしてほしくなかったの」
綺麗なもの。という言葉が妙に耳に残り、幾度か反響する。
――どのくらい綺麗なんですか
「そうね。見惚れちゃうくらい。私も大好き。だからお願い、遠回りしてくれないかしら」
――そうしたら、代わりに他の綺麗な場所を潰してしまうかもしれませんよ
そう言うと、少女は黙りこくった。
結局この人間も他と変わらない、自分のモノを守るためなら他の物を犠牲にしようと考える人なのだ。と考えて私は動き出した。
「わかった。ここ通って良いわ。でもお願い、あと数週間で満開になるの。それまで待ってくれないかしら」
少女の答えに驚いて、私は動きを止める。
「そのあとなら通っていいから。だから、お願い」
少し考えて、私は了承して完全に動きを止めます。そしてこう言う。
「わかりました。でも、私からも一つだけ提案があるのですが」
提案とは私もその花畑が見たいから、手伝ってくれないか。というものだ。
少女はくすりと笑ったのち、ふたつ返事で了承してくれた。少女がここまで守りたいもの。それでも見ず知らずの他の物を優先した。
その正体が見たくて、私は思い切って醜い顔を外に向けることにしたのだ。
だが、今まで踏みつぶした分の厚い肉の壁が邪魔して、なかなか顔を外に出すことが出来ない。
だから少女に顔までの部分まで掘りおこしてもらおうと思いついたのだ。
私の体は小山くらいの大きさになっていて、顔にたどり着くまでは非常に遠い。そして肉を削るのだから、血液等も噴き出すだろう。
少女にはつらい作業になる。それでも少女は笑って頷いたのだ。
理由を尋ねると「二人で見た方がきっと面白いから」だそうだ。
少女は私の上から肉を削り始めた。それと同時にいろいろな話を私とし始める。
「私が怖くないのですか」
「怖い。怖いし、少し気味も悪い。でも今の私はあなたと花が見たいの」
「よくわからないな」
「私もよくわからない。いろんな感情がぐちゃぐちゃになってる感じ」
よくわからない感情のまま。私と少女との交流が静かに始まった。
二日で表面の肉は削れ、少女は大きな穴を掘り始める。
痛みがないわけではなかったが、久しぶりに人と話すという行為に気をとられていて、たいして気にならなかった。
「痛くないの? 色んなものを踏みつぶすとき」
一週間近く経ったとき、ぽつりと少女は私に尋ねた。
「痛いけど仕方ない」
「色んなものを踏みつぶすのも?」
「仕方ない……そう思っている」
少女に言われて初めて、僅かに答えがぶれた。理由はよくわからない。
「――そっか」
短く答えた少女の表情が知りたいとこんなに強く思った自分に内心驚く。
「悲しいよ」
「私が……ですか?」
「すごく悲しい」
少女の声が濡れたのは、私の瞳に光が届くまでそれが最後だった。
少女が私の顔にたどり着いたのはちょうど二週間が経ったときだった。
返り血を浴びて体中が真っ赤に染まっていながらも、笑顔の少女の姿は可憐で華奢だ。
「初めまして。もう外はいっぱい咲いてるよ」
「ありがとう。君の掘った穴を伝っていくから、先に上に行っていてくれないか」
そう言うと、少女はこくりと頷き姿を消した。
何年も動かしていない頭をぐっと伸ばす。少し骨がきしんだが、問題はない。するすると穴の壁を伝って、私は顔を上げていく。
果てしない高揚感と、ほんの少しの不安が頭の中でよぎる。
外に出るともう一度少女にお礼を言おう。そして花畑を見よう。
瞳にその景色を収めた瞬間、何か今まで見つけられなかった自分に出会える気がしていた。
そして一つだけ、少女に質問してみよう。
さあ、もうすぐだ。
眩しすぎる太陽の光に、私は目を細めた。
次の瞬間、私の視界は紅に染まった。
初めはそれが花畑の色かと勘違いするくらい、鮮やかな紅だった。だがそれの正体はすぐにわかった。
私の喉笛から吹き出るまがいのない、私の血だ。
正面には先ほどよりもさらに体を紅く染めて、こちらを睨みつけている少女の姿があった。少女の掌の中には収まりきらないほど大きなナイフが、切っ先をこちらに向けている。
「ど……うして」
「あんたが母さんを殺したからッ!」
少女は涙を流して、私に向かって叫んだ。
少女の足元には半分しかない女性の顔が転がっていた。
「掘ってる途中で見つけたのよ。ここで待ってるって私お母さんと約束してたのに。いつまでも来ないから、ずっとずっと待ってたのに。あんたが殺してた」
少女は私の顔面にナイフを突き立てる。
骨が砕ける音がして、醜くまがった鼻が綺麗にそぎ落とされる。口は倍以上に大きくなり、血があふれ出た。
「許せない。絶対に許せない」
憎悪に塗れた少女の姿に、私は薄れゆく意識の中でぼんやりとある感情を抱いた。
そう、少女が先日口にした言葉。
悲しい。
少女についてか、自分についてかわからない。だが、酷く悲しかった。
額に大きな穴があき、血と脳が洪水のようにあふれ出る。同時に、巨大な私の隠れ蓑が勢いよく縮んでいく。
私が少女を信じた理由はなんだったのだろうか。
私が少女に質問したい言葉はなんだったのだろうか。
悲しい。
私は何のために生きていたのか。何のためにたくさんの命を踏みつぶしてまで生きようとしていたのか。
もう何もかもがわからなかった。
綺麗に刎ねられた首は宙を舞い、一回転する間に視界いっぱいに黄色の花が広がった。
そしてすぐに浅い池の底に私の意識は、消えて行く。
その瞬間に、誰かが耳元で囁いた。
――知ってる? 黄色の菖蒲の花言葉
ああ、嫌な冗談だ。
――偶然の、復讐
意識がなくなるその瞬間、私は無数の瞳にとらわれ闇に溶けた。
キショウブ=復讐