2話
ローティがメイプルの家に来て3ヶ月が経った。メイプルとしては距離を置きたかったのだが、ローティがやたらと絡んでくる。ひとりになりたくても子犬のようにまとわりつく彼女。しかし彼女から感じる好意に、メイプルは強く言えないでいた。
それでもささやかに抵抗はしてみる。
「ねえローティ」
「ん、なんでしょうか」
「……あなた、確か末娘ですよね?」
「ん、そうですわ。兄がふたりに姉がひとりおりますの」
この世界の貴族は6歳になると首都や古都にある学園へ預けられる。ローティはきっと今まで兄姉に甘えて暮らしていたのだろうが、メイプルと同じ歳であるローティの兄姉となれば、当然彼女より年上なわけだから学園へ行ってしまっている。だから寂しさのあまりメイプルへその想いをぶつけているのではないか。
「私はあなたの姉ではないのですよ」
「ええ、ワタクシも姉にはこんな風にしませんですわ」
メイプルは首を傾げた。兄姉と別れたことで、寂しさからこういった行動にでるのだとばかり思っていたのだが、そうではないらしい。
「何故そんな話を?」
「なんと申しましょうか、私にとても甘えているように見受けられたので」
「ん、言われてみれば不思議ですね。ワタクシもここへ来る前はひとりでいる方が楽でしたの。メイプル様はなんというか……何故だか無性にくっつきたくなるのですわ」
ふたりは首を傾げた。
そんなある日のこと、夜寝ていたとき布団からすすり泣く声でメイプルは目覚めた。
一瞬某映画の白い少年が頭を過ったが、ここは呪いハウスではない。ゆっくりと布団をめくってみると、そこには蹲ったローティがいた。
「……またこの子、私の布団に潜り込んで……」
だが泣いている少女を起こし部屋へ戻れなんて言えない。気丈に振る舞っているようでまだ5歳の子供なのだ。親と長く離れて暮らすのはとても寂しいことだろう。
メイプルはローティの頭をそっと撫でた。するとローティは手を伸ばし、両手でメイプルの手をぎゅっと握る。
その直後に聞こえた寝言にメイプルはぞくりとした。
「……かえで……」
きっとなにかの聞き違いだろう。さもなくば前後に言葉があり、聞こえた部分だけだったのかもしれない。
だがやはり頭の中には、彼女が実は蓮葉なのではないかという思いで溢れ返り、悶々としたまま朝を迎えてしまった。
目を覚ましたローティは、挨拶もなく真顔でメイプルを見つめる。そしてなにかを言おうとしては、顔を逸してまた顔を向けるということを繰り返す。
メイプルはその様子に口を出さず、じっと言い出すのを待つ。暫くそんなことが続いたのち、ローティが意を決して口を開く。
「あの、あのねメイプル様。こんな話バカみたいだと思われるでしょうが、聞いて頂けますか?」
昨晩のこともあり、メイプルは無言でこくりと頷いた。
「メイプル様は、前世というものを信じたりしておりますか?」
びくりとメイプルは体を震わせた。自分の感じていたことが杞憂ではなかったと感じる。
だがまだ確定していない。この世界或いは別の世界、はたまた自分と同じ世界であったが別の人であるかもしれないのだ。
とにかく情報を集めねばならない。メイプルは探り探り聞いてみることにした。
「その、ローティは前世の記憶というものがあるのですか?」
ローティはこくりと頷く。
これが中学生くらいであれば、何故だか発症する例の病の可能性がある。しかし5歳の子供が前世だなんて話をするとは思えない。ならば実際にそういうものがあるのだろうと思える。
「何故今思い出したのでしょうね」
「それはきっと、ワタクシの一番大切な記憶の始まりを迎えたからですわ」
「どういうことですか?」
所謂物心がつく年齢というか、記憶が残る年齢だ。だがその初期の記憶が一番大切かと言われるとそんなことはない。どうでもいい記憶が残っていることもあるのだ。
「ワタクシのとても……とても大切な友人と初めて会ったのが、5歳と6ヶ月のとき。丁度今のワタクシの年齢だからですわ」
メイプルは記憶を辿り、思い出した。そう、楓と蓮葉の出会いは5歳のときだった。
蓮葉がもし自分との出会いが一番大切であるとしたのならば、彼女が蓮葉であるという一因になる。だが記憶の蓮葉はローティのように甘えてきたりはしない。やはり違うのではないかと思いつつ、続けていく。
一番の問題である、その友人の情報が欲しい。それが自分なのかそうでないのか。
「ご友人との出会いが大切なのですか」
「そうですわ。ワタクシはその友人との出会いによって人格などができたと言っても過言でないくらいに」
ずいぶんと印象の強い人物だったのだろう。
ここでメイプルは少し安堵した。楓は自身がそこまでインパクトのある人物だと思っていなかったし、そもそも自分と蓮葉は全然性格が異なっていた。影響を受けたのであれば似ているだろうという考えだ。
「それで、そのご友人はずっと仲が良かったのですか?」
「いえ……18のとき、婚約者である外道に殺されてしまったのですわ……。ワタクシが、ワタクシさえその場にいればとずっと悔やんでおりましたわ……」
心底悔しそうに歯を食いしばり、涙を流す。
だがメイプルはそれをまっすぐ見ていない。体をぶるりと震わせ心拍が激しくなっていく。
ローティが蓮葉ではないかという疑念が戻り、それどころか強くなる一方。
そしてこの悔やんでいる姿が、楓を想ってのことなのか、それとも自分はそういう子だというアピールをしているのか。
蓮葉はそんな演技のできる子ではない。だがあの学園にいた周囲の人間だってそうだと思っていた。しかし実際には自分が窮地に陥っていたとき、目を背けたりニヤニヤしていたり。ずっと友達だと思っていたのに全て騙されていたのだ。
でも今、彼女の目の前にいるのは楓ではなくメイプルだ。そんな演技をする意味はない。メイプルは少しずつ冷静さを取り戻す。
落ち着いたところで気になったのは自分の死後。もしローティが蓮葉であると仮定して、あの後どうなったのか少し探りを入れてみようかと思った。
「殺されたのですか……その後犯人はどうなったのですか?」
「ん、普段から男子に嫌われていたのでしょう。この機に乗じたのか数人から暴行を受け、見るも無残な姿になったそうですわ」
「そ、そう」
「顔はあちこち骨折し、筋肉も変に裂けたせいで整形できず、まるでビルから落ちたかトラックに撥ねられたような見た目だったと聞きましたわ。そのうえパンチドランカーのようになって明晰だった頭脳のほうも……」
「うわぁ」
相当恨みを買っていたのだろう。いい気味を通り越して同情しそうになる。
こうなると残された野花のことも気になり、ついでだから聞いておこうと質問してみる。
「ではそのひとが守っていたという子は?」
「ん、どうやらその男にさっさと見切りをつけて他の男とくっついたそうですわ」
「うわぁ、うわぁ……」
野花恐るべし。今までと違う理由でメイプルは体を震わせた。
「とにかく、あなたの婚約者だった男は実家で引き籠もりの人生を送ったのですわ」
「うーん、因果応報とはいえあのひとも悲惨な末路を────」
ここでようやくメイプルは我に返った。目の前でローティが真顔でじっとメイプルを見つめている。
「ち、違……これは……」
慌てて言い逃れようとしても既に遅い。ローティはメイプルに飛びついてきた。
「うああぁぁっ! やっぱり、やっぱり楓なんだ! 会いたかった……会いたかったああぁ!!」
「うえええぇぇ!?」
「……なんでわかったのですか?」
「そんなことどうでもよいですわ! 楓! 会えた! これが死の直前の走馬灯や泡沫の夢でも構わない! ずっと楓にまた会いたいって思ってたのですから────」
「ちょ、ちょっと待って! 死の直前って!?」
メイプルはローティの言葉に慌てた。蓮葉が死ぬと聞いて黙っていられなかったのだ。
蓮葉は不治の病に侵されており、医師からの診断で余命1年と言われ長いこと病床に伏していた。
「そうだったのですか……」
「ん、ですが別にそんなこと大したことではなかったですわ。楓のいない人生なんて歩みたくなかったですから、これでようやく楓の元へ行けると安堵したくらいですの」
きっと楓は天国にいるから、自殺なんてしたら一緒になれない。だから楓がいなくとも頑張って生きていたそうだ。
「ところで、先程の話ですが、何故私が楓だとわかったのですか?」
「ん、だってワタクシ、途中から日本語で話していたのですわ」
「なぬっ!?」
この世界には整形やビル、トラックなどは存在していない。存在していないのだから該当する言葉もない。メイプル、あまりにも迂闊。
「それにワタクシ、あの外道が淫売女を守っているなんてこと、全く話しておりませんわ。ということは当事者か関係者であることが確定してますの」
「うああぁ」
そして更に迂闊。
「極めつけは、『あなたの婚約者だった男』という言葉に否定がなく、『あのひと』呼ばわり。つまりあなたは楓でしかないのですわ!」
迂闊の最上位の言葉があったのならば、メイプルは正にそれが当てはまる。モスト迂闊。クイーンオブ迂闊。迂闊(最上級)。
メイプルが自分の間抜けさに悶えているところ、ローティは涙を流しながらも笑顔を向けていた。
「18年……いえ、記憶が戻る前を入れたら23年、ずっとこのときを待っておりましたわ」
「えっ!? 蓮葉も同じ歳に亡くなってたの!?」
「ん、あなたを失ってから18年ですわ。ワタクシ、蓮葉時代は36まで生きましたの」
どうやら楓が死んで転生するまでにはラグがあったようだ。
それよりも演技かもしれなくとも親友が親友のままでいてくれたことに、メイプルは泣きそうになるのをぐっと堪えた。