1話
過去を思い出して以来、メイプルは部屋に引き籠もるようになってしまった。食事と風呂、トイレ以外は全て部屋。しかもメイドが訪れたとき、ぬいぐるみに話しかけているメイプルの姿を度々見られている。これは怪しい。
更にはたまに鏡を見てはため息。怪我などはしていないのにどういうことだろう。
やはりあのときなにかがあったのではないか。周囲はそう思い心配し始めた。
階段恐怖症……ではない。食事のときは普通に昇降して食堂へ来ているのだから。
理由はどうあれ、このままではよろしくない。だからといっていい案が浮かばない。
藁にもすがる思いで侯爵は使用人たちからも話を聞いてみた。
「ご友人を作られてはいかがでしょうか?」
ひとりのメイドがそう言い、これは名案かもしれぬと侯爵夫妻は思った。
兄姉が首都へ行っている今、対等に話せる相手が必要だ。
いつも友人がいれば引き籠もれないし、最悪でもぬいぐるみと話す日々は避けられるはずだ。
ではどのような相手がいいだろうか。平民なんて以ての外。かといって男爵では身分差が大きい。メイプルはメイド相手でも偉ぶることをしないが、相手の方がメイプルに気を遣ってしまうかもしれない。それを友人と呼べるのか判断に困る。
最低でも伯爵以上。かといって自分より上の公爵や王族なんて逆にメイプルが気を遣ってしまう可能性があるし、近くに置くため預かるのが難しい。
そのうえで性別の問題もある。異性を置いてなにかあるような年齢ではないが、長く付き合うならばやはり同性がいい。選定はかなり難儀した。
そんなことを悩んでいるところ渡りに船な話が。
隣国がなにやらきな臭くなってきて緊張感が高まっている国境沿いの守りを任されている辺境伯が、娘を安全な場所へ避難させようかと考えているのではないかとの報告があり、侯爵は打診してみた。
すると予想通り辺境伯から二つ返事でOKをもらい、娘を預かることになった。
「メイプル、ちょっといいか?」
「なんでしょうか、お父様」
食事時、メイプルが部屋から出てきて顔を合わせたところで侯爵が話を切り出してきた。
「実はな、ピュアウォータ辺境伯から暫く娘を預かることになったんだ」
「そんな、嫌です! 家族とだって一緒にいることに抵抗があるのに他人だなんて!」
「えっ!?」
「……あっ」
思わず本音が漏れ、メイプルは慌てて口を閉ざす。娘の言葉にショックを受け、情けない顔をする父親。侯爵が引き籠もりそうである。
「あの、その……いえ」
「メイプルは私らが嫌いなのか?」
「そんなことはありません! ですが、えっと……そ、そう! メイドよりはマシです!」
「比較対象がメイド!?」
侯爵、更にショック。使用人よりはいいだなんて当たり前過ぎて考えもしなかったことだろう。普段は仕事で忙しいとはいえ、大事に育ててきたつもりだったのだから無理もない。
結局、そんな父をなだめるため、メイプルはその話を許諾することになった。
「ワタクシはローティ・ピュアウォータですわ。よろしくお願い致しますわ」
「……娘のメイプルです」
それから半月ほど経つと、フェニックス家にひとりの少女がやって来た。
ニコニコしているローティ。メイプルは引きつった感じの笑顔で返す。
見た瞬間にこいつ嫌いと思ったわけではない。ローティはとても愛嬌のある可愛らしい子だ。一見では誰もが好印象を持つだろう。ただ、今のメイプルは誰が来てもこんな顔をするはずだ。
「どうかなされたのですか?」
「い、いえ。ただ……そう、綺麗な髪と瞳だなと思って」
アメジストのような深く輝く紫の髪、水色の瞳はアマゾナイトのよう。宝石箱の中にちょこんと潜んでいても違和感がない。
「ん、ありがとうございますわ。この髪、母に似ていてワタクシの自慢なんですの」
ローティは長い髪をサラサラと撫でる。
だがメイプルにとってそんなことはどうでもよく、今はただ部屋に引き籠もりたい一心だ。
「長旅の疲れもあるでしょう。これからごゆっくりお休みになられては──」
「メイプル、彼女の部屋の準備が整っていないんだ。だから今夜はお前の部屋に居させてやって欲しい」
侯爵の言葉にメイプルの目は見開かれた。なんてことだ、引き籠もり先である部屋へ来られてしまう。こうなっては逃げ場がない。
何故2週間もあって準備できてなかったのか文句を言いたいところだったが、玄関先にある彼女の荷物を見て納得せざるを得ない。まるで嫁入りに来たのではないかというほどの大荷物だ。
ベッドや家具、これらを部屋に持ち込み過ごせるようにするのは大変である。
メイプルはこころの中で顔をしかめつつもローティの手前、ぐっと堪えて了承した。
ローティはメイプルの部屋に入り、椅子に座ると徐に長い紐の輪を取り出し指に絡ませはじめた。それはまるであやとりのようだった。
「なにをなされているのですか?」
「ん、なんと申しましょうか……癖というか趣味ですわ」
「趣味でしたか」
メイプルはローティの喋り方や趣味で、昔の親友のことを思い出した。
彼女の名は清水寺蓮葉。楓とは別の学校に通っていた友人だ。
学校が異なっていたため、あの事件とは全く関わりがない、今でも本当の親友だったのではないかと心の拠り所にしている少女。
もし許されるのならば、再び彼女に会いたい────とは思っていない。もし彼女もまた自分を売った周りの人間たちと同じと知ったら、メイプルの心は砕けてしまう。思い出は思い出として、綺麗なまま残しておきたかった。
だがもし、万が一、このローティが蓮葉の生まれ変わりだったとしたら。そんなことを考えてしまうと迂闊なことが言えない。自分が楓だとバレたら大変なことになりかねない。
「なかなか不思議なご趣味ですね」
「ん、家族からも言われますし、自分でも不思議に思っておりますわ。ですがこれをやっていると何故だか懐かしいというか、落ち着くのですわ」
自分でも何故それをやっているのかわからないらしい。
ここでメイプルは思った。もし彼女が蓮葉の転生だったとしても、まだ前世の記憶が戻っていないのではなかろうかと。
ならば余計なことは言わず、黙っていよう。そう心に誓った。