308-74 エイラの不安
その認識がまた、エイラに戸惑いを重ねさせた。
料理をする手が止まる。
──サクラ様の体調不良は本当に風邪のせいなのだろうか。
──普通の風邪のように、ただ休んでいてもらうだけで良いのだろうか。
──食事はパン粥だけでいいのだろうか。
──このまま症状が悪化していったら、サクラ様はどうなってしまうのだろうか……
ふと、エイラの脳裏にクライアの顔が浮かんだ。
しかし、頭を振る。
次に浮かべたのは、医者の先生──フレット先生の顔だった。
自分にできることは、フレット先生を呼びにいくことくらいしかない。
他にできることは、なにもない。
……祖母のことが思い出された。
その祖母が最期まで憧れを寄せていた不死の魔法使い様であり、赤の他人だった自分のことを思ってくれて、匿ってくれて、いつでも優しくしてくれるサクラ。
縁が繋がり、お仕えできる機会を戴いたのに、やっぱり自分には何もできないのだろうか……
暗がりに落ちていくような感覚が湧いてくる。
そこではっとして、我に帰った。
顔を上げると目の前で鍋がぐらぐらと煮立っていて、慌てて鍋をかまどから引き上げる。中のパン粥は底の方が焦げ付いてしまっていて、自分で食べるしかなさそうだった。
食べられそうな分を皿に移して、一旦料理の手は止めて、頭を冷やして冷静になろうと努めるエイラ。
今自分が何をすべきか考えて心を落ち着けようとするものの、それは悪手で、すぐにでもフレット先生を呼びにいくべきではないか、とかえって焦りが募ってしまって居てもたってもいられなくなってしまう。
サクラにお昼ご飯を作ると言った手前、それを放って家を出る訳にはいかないと思いながらも、結局、集中もできなければ料理の間にサクラを放置することになることも耐えられそうになくて、先生を呼びに出ることを断りに一度寝室に戻った。
その時、サクラはすでに眠っていた。
ほのかに汗ばみ、呼吸が早い。表情は少し寝苦しそうなくらいだけれど、おでこも首元も熱い。
サクラの寝顔を確認してすぐにエイラは小山を駆け下りる。
脇目も振らずにフレット先生の医院の扉を叩き、息を整える間も惜しんで事情を説明した。
「それは、なんと……。すぐに用意をするので、少し待っていてください」
早足で小山の上の家へ向かう道中は、エイラもフレット先生も無言だった。
フレット先生は単に急かされて喋る余裕がなかっただけかもしれない。
一方でエイラは──不死の魔法使い様も風邪を引くことがあるのか、という問いが、喉元に留まっていた。
引くこともある、との答えを聞くことができれば、とても気が楽になるだろう。
でももしフレット先生に、そんな話は聞いたことがない、どうすれば良いのか見当もつかない、なんて答えられてしまったら、と思うと……その問いを口に出す覚悟が持てなかった。
いたたまれない不安が渦巻いている。
つい気が急いて、気持ちに足が追いつかなくなるたびにはっとして、フレット先生の歩調に合わせ直す。それを何度となく繰り返す。
もし打つ手がなければ……。
身体の芯が震えるようで、その震えを打ち消すように、小山を登る道を踏み締める足に力が籠る。
坂道を登り切って開けた視界に家が見えると、遠目ながら家の前に人影があることに気がついた。
何者かと思いつつ近寄れば、その人影はエイラもよく知る人で、またエイラの知る限り、誰よりも今ここにいて欲しいと切望される人で、エイラは深く安堵し胸を撫で下ろす。
歩み寄ってくるエイラたちの影に気づき、マリューがふたりに手を振った。
◇
「久しぶりだね、エイラちゃん。フレット先生もちょうど良かった──んだけど……、どうしたの?」
「……実は──」
エイラはマリューに、サクラが熱を出して寝込んでいること、それがいつからで、自分が先日風邪を引き、その間サクラが身の回りのことをやってくれたのち、入れ替わるようにサクラが熱を出したことなどを、細かく説明した。
そして、最後に、マリューならきっとなんとかしてくれる、という安心感も手伝って、フレット先生には聞けなかったことを訊ねた。
「──……トタッセン様。その……、サクラ様は大丈夫なのでしょうか。不死の魔法使い様の風邪というのは、聞いたことがなく……心配で……」
「あぁ、大丈夫大丈夫、心配いらないよ。たまーには不死者も風邪引く人いるけどすぐ治るから」
「……?」
マリューのなんてことはないという様子の答えを聞いて、エイラは一瞬固まってしまった。




