308-73 不調
エイラちゃんが快復した明くる日の朝は寒かった。
まだ8月ではあるのだけれど、ミフロの朝は少し肌寒さを覚えるくらいに気温が下がることがある。今朝はここ最近でも特に気温が下がったみたいで、いつもよりかなり早い時間に目が覚めてしまった。
隣のエイラちゃんはまだ寝息を立てているし、ここ2日はエイラちゃんの代わりに慣れない家事に集中したからか、少しだるさも感じていたので、二度寝をしてしまっても良かったのだけれど、なんだか嫌に目が冴えてしまっていたし、不可抗力とは言え少し遅れてしまった調薬作業の巻き返しをしたい気持ちもあったから、わたしはそっと寝床から抜け出すことにした。
朝ごはんは簡単に摂って、早々に調薬棟に籠る。
ただ……、どうもその日は作業に集中できなかった。
なんだかずっと意識がふわふわとしていて、集中力が続かない。
そんな感じだから、慣れているはずの作業にもちょっと手間取ってしまって、なんならミスまでしてしまう。
その上、太陽も高く登ってきたころには、手脚や腰など身体のところどころが痛み出す始末。
「……あぁ、筋肉痛……? いや、疲れが溜まってたのかな……」
こんなことなら今朝は二度寝しておけば良かった、なんて今更だけれど、エイラちゃんには無理をしないように再三言い含めたところでもあるし、朝の作業は少し早めに区切りを付けて、お昼からは調子を見ながら考えよう、と母屋に引き上げることにする。
いつの間にか降り始めていた雨の冷たさに震えながら、小走りで母屋に戻る。
帰宅して、温かいお茶でも飲もうと思ってキッチンに向かうと、ちょうどお昼ご飯の準備に取り掛かろうとしていたらしいエイラちゃんに遭遇して──驚かれた。
「……あの、サクラ様、顔色が……。おでこ、失礼します」
「ん、ん?」
「…………やっぱり。サクラ様、おでこが熱いです。まさか……」
「んぇ……? ……あ、風邪?」
「「…………」」
その時ようやく、わたしは得心がいった。
あぁ、このふわふわとした不快感と寒気、あと身体の痛み、これは風邪を引いたときの感覚だ、と。
「風邪なんて、もう10年近く引いた覚えがないから、その感覚なんて忘れてたよ」
きちんと健康に配慮できていたからか、大人になってからは、風邪を引くどころか身体の不調を覚えた記憶すらほとんどない。
こちらの世界にやって来てからは……、まぁ、ちょっと不注意で中毒死しかけたり凍死しかけたり(と言うか普通の人なら死んでたり)したことはあったけれど、不死の魔法使いの回復力でいつも身体は元気になっていたから──……あれ?
「……ねぇ、エイラちゃん。不死の魔法使いって、風邪、引くものなの?」
「……いえ、いや、それは……?」
無言になって見つめ合うわたしとエイラちゃん。
……先に声を出したのはエイラちゃんだった。
「……ひ、ひとまず、お休みください。すぐにお昼ご飯も準備しますので……」
「あー……、うん、分かった」
エイラちゃんに寝室へ連れられて行き、そのまま寝床に座らされた。
そこへ至っては、気分の問題だと思うけれど、自分が「風邪だ」ということを認識したからか、なんだか一気にだるさが増したような気がしてくる。
わたしを寝床に座らせたあと、エイラちゃんは何かに悩むようにわたしや寝床やチェストを見回していたけれど、結局、すぐにお昼ご飯を作って参ります、と言ってエイラちゃんが寝室を出て、ぱたん、とドアが閉じられた。
ぽつねんとひとり、やることをなくしてしまって、思考が停止する。
一度停止した思考はそのまま回転率を上げることはなくて、とりあえず、だるさに任せて寝床に横になったわたしは、いつの間にか目を閉じていた。
◇
エイラは戸惑いを重ねていた。
お昼前に帰宅したサクラの顔が、いつになく上気しているのを認めた時点でまず戸惑った。
そして、もしやと触れたそのおでこが、自分のそれより熱を持っていることを確認して、また戸惑った。
──サクラ様が風邪を引いたのかもしれない。
そのことに思い至って、また直後に気付く。
──サクラ様が風邪を引いたのなら、わたくしが移してしまったのかもしれない……。
その申し訳なさでさらに戸惑いを重ねたのだけれど、まだそれだけには止まらなかった。
ひとまずサクラを寝室の寝床に連れて行き、そこで何かをしておくべきか逡巡した挙句、結局、しかけていた昼食作りに戻る。
つい2日前に、風邪を引いた自分のためにサクラが作ってくれたパン粥を、今度は自分が作ってサクラに食べてもらおうと準備する。
最初にいただいたときに聞いていた、クライアさんから教わったというレシピ通りにパン粥を作りながら、ようやくその時になって、エイラは不安の色を濃くし始めていた。
『……ねぇ、エイラちゃん。不死の魔法使いって、風邪、引くものなの?』
サクラが口にした疑問。
あいにく答えを持ち合わせなかったエイラは、その時は流してしまったのだけれど、改めて考えてみれば──
……不死の魔法使い様の風邪だなんて、聞いたことがなかったのである。
そしてその認識がまた、エイラに戸惑いを重ねさせた。




