211-53 先を思える今がある
小山を下りて、沢の流れが穏やかになっていそうなところを適当に見繕ってやって来たら、沢は半分凍っていた。
一瞬ひるんだけれどここに来て引けないので、《ウォーム》の魔法を入念に重ね掛けしてから、凍った沢に裸足で踏み込んで氷をひっぺがし、水底に溜まった粘土っぽい泥を桶へ丁寧にすくい上げていく。
さすがに《ウォーム》があるとは言っても、水の冷たさが手足にしみてなかなか大変だった。
ともあれ日が落ちて薄暗くなり始めるころには桶一杯分の泥は集められたので、その日の作業はそこまでにして、翌日から調薬の仕事と並行して少しずつ作業を進めていくことにした。
午前中は薬作りを頑張って、昼はクライアさんの家で一緒にお昼ごはんを食べて、午後になったら自宅にこもり、夜のうちに凍ってしまう泥を《ヒート》の魔法で溶かしてから、木べらで黙々と壁板の隙間に詰め込んでいく。そしてたまに沢へ泥を取りに行く──そのルーティーン。
作業自体はあくまで壁板と壁板の隙間に泥を詰め込むだけだから、土壁を塗るみたいな難しさもなくて、単調だけれど半ばお遊び感覚でやれて結構楽しめた。
作業期間中は、エイラちゃんには普段一緒にやっている家事をほとんどひとりでやってもらいつつ、たまに手が空いた時には泥詰め作業も手伝ってもらう感じで協力してもらっていた。
そんな感じで少しずつ作業を進めて、一週間弱。
十一月最後の日の、日没も迫るころになってなんとか作業は終わらせられた。
正直なところ、この一週間で気温もさらに下がっちゃったものだから、体感ではましになったのかどうかちょっと分からないのだけれど…… でも、これで隙間風はなくなったので、多少は熱も籠るようになったのではないか──と思う。
ちなみに、壁板の隙間はなにも寝室だけの問題ではなかったので、やるならいっそついでに、と母屋全部の壁の隙間も泥で埋めてみた。
これで大部屋の気密性も多少はましになったはずなので、かまどの熱が籠って過ごしやすくなった──と信じる。
──ただ、まぁ、はみ出して乾いた泥が壁際にすごく落ちてるし、薄暗いから見た目はともかく、なんだかほのかに泥臭さも感じるから、なんというか泥の家みたいになっちゃったけれど……
なんて、ダイニングテーブルでエイラちゃんと一緒に小休憩しつつ思う。
エイラちゃんの淹れてくれたお茶の香りで気にならなくなるくらいのにおいだけれど、今が寒いからこの程度で済んでいるだけで、暖かくなってきたらちょっとまずいかもしれない。
とは言えどうにかするにもお金はやっぱりないし、融資の返済もあとどれくらいで返せるかまだ見通しははっきり立っていないし……
これがわたしひとりならじっと耐えるのだけれど、エイラちゃんもいるし、もっといい家に住みたいなぁ、とちょっと欲が出る。
麓の──ミフロの町中に家を借りる手もあるのだけれど…… 周りの人が気を遣ってくれてしまいそうで悪いし、畑や調薬棟はここにあって動かせないし──それになにより、こちらの世界で初めて目が覚めたこの小山の上は、良いか悪いかは別にしても思い入れがあるから、やっぱりできることなら、ここに新しい家を建てて住み続けたい、と思う。
「もし、ここに新しい家を建てるんだったら、そうだなぁ…… ねぇ、エイラちゃん。もし家を建て替えるんだったとしたら、どんな家に住みたい?」
「……建て替え、ですか?」
「うん。もしも、の話だけれどね!」
一応そこは強調しておく。
エイラちゃんは持っていたコップをテーブルの上に置いて、少し考えるそぶりを見せた。
「……特段の希望というものは、ありません。サクラ様が住みやすいお家ならば、それで良い──のですが、強いて言えば、広すぎないお家の方が好ましいかと……」
「んー? あぁ、あんまり広いと掃除とか大変だもんね」
わたしは、なるほど、と手を叩いた。
家の大部分の掃除はそれが仕事だと言うエイラちゃんの主張に合わせて基本的にお任せしているので、あんまり広いと負担になるよね、とわたしは納得したのだけれど──
「……別に──……」
「んぇ? なんて言ったの?」
「いえ。……お気になさらず」
一瞬、ほんの少し不満げにエイラちゃんが何かをつぶやいた。
あいにく何を言ったのかは聞き逃したのだけれど、すぐにいつもの無表情に戻ってお茶に口を付けていたので、あんまり詮索はしないでおく。
話を戻すけれど、もし建て替えるならどんな家が良いだろうか。
「んー。仕事をする部屋は別に建てられたから、こっちを建て替えるなら普段の生活のことを重点に考えたいよね」
──まずは…… クライアさんやハルベイさんを始めとして、いつもお世話になっている人を食事に招けるような、ゆったりとしたリビングとダイニングを兼ねた広間が欲しいかも。
「広々としたキッチンにパントリーもあると、料理がしやすいよね。それと、静かにあったかく過ごせる、わたしとエイラちゃんそれぞれの部屋」
──部屋と言ったら、マリューが遊びに来たときなんかのために客間もあるといいかもしれない。
「あとあと、水回りはちょっと離れたところにまとめてみて──あ、そうだお風呂場が欲しいな!」
以前、自分で作れないかと考えてみて断念したお風呂場。ある程度は安定してお金を稼げるようになった今なら、結構現実的に思えてきて、ぜひとも欲しいと思わず語気が強めになる。
「……お風呂場?」
「ん、あれ? エイラちゃん、お風呂場知らない?」
「あ、いえ。……聞いたことはあります、が、浴室を自宅に備えるというと、かなり大きなお屋敷に限られるものかと思っていましたので、少し驚いた、と言いますか……」
「そう、なの……? そうかな……?」
そういうこちらの常識みたいなことは、まだまだわたしは知識的に未熟なものでいまいちイメージが湧かないところだ。
あんまり奇抜なことをやらかして悪目立ちするのは避けたい……
でも、お風呂場は欲しい!
「この辺りだと珍しいのかもしれないけれど、あったかいお湯に浸かってゆったりできるお風呂場は、叶うことなら──ううん、ぜひとも欲しいよ! わたしの故郷ならどの家にもまず間違いなくあったし、もちろん実家にも広いお風呂があって…… 王都の魔法学院でいただいた以来、またしばらくお湯に浸かれてないし、浸かりたいなぁ……」
「……故郷、と言いますと、異世界の……?」
「ん!? ……あ、そっか、そういえば説明してたね。うん、内緒だけれど、わたしの前世の世界の話」
悪目立ちは避けたいという話の最たるもので、異世界が云々の話は基本的に黙っているスタンスだったから、突然その話が出てびっくりしたけれど、そういえばエイラちゃんにはこの前話しちゃってたんだった。
なら別に、こちらでは一般的ではなさそうなお風呂を推してもエイラちゃんには変に思われないかな、と思って少し布教しておく。
「お風呂は良いよー 暖かいお湯に身体を沈めて、ゆったりふわふわ漂えば毎日の疲れがさっぱり洗い流されるし、もちろん清潔すっきりきれいになれるからねー あぁ、お風呂入りたい……」
「……なるほど」
「まぁでも、そんなにたくさんのお湯を沸かすとなると薪代がすごく嵩みそうなのがちょっと気になるかも。《ヒート》でなんとかなるかなぁ? さすがに疲れそうかなぁ。……でも、いいなぁ」
エイラちゃんにお風呂の魅力を伝えたいんだか、自分の希望をただ口から漏らしているだけなんだか分からなくなってきたけれど、そうやってお風呂──もとい新しい家のことをあれこれ想像して、わくわくに胸を膨らませていたら、不意に感慨深くなってきた。
「んー……」
「……いかがしました?」
「ちょっと…… なんだか嬉しくて」
こちらでの生活のことについて、楽しくあれこれ考えられるようになったことに気が付いたから。
こちらに来てからしばらくは、とにかくいろんな余裕がなかったし、考えないようにしていても心細く感じることもちょくちょくあった。
「いろいろあったけれど、クライアさんに出会えて助けられて、マリューにたくさんのことを教わって自信をつけて…… そして今は、エイラちゃんがいつも一緒にいてくれるから毎日が寂しくない」
ここまでやって来れたんだなぁ、としみじみと思いながら。
「ありがとうね、エイラちゃん。……これからもよろしくね」
言外にこちらで出会ってきたたくさんの人たちへの感謝も抱えながら、テーブルの上のエイラちゃんの手を取って、微笑みかけた。
「……いえ、そんな…… もちろんです。……お力になれているなら、本望です」
ちょっと目を逸らしながら、エイラちゃんがつぶやいた。
まぁ、それはそれとして、なのだけれど……
「ただ、今はまだお金がないから、もうしばらくはこの家で我慢してね……」
想像を膨らませた後に現実を見るのは気が重いけれど、仕方がない。
お茶を飲み干したわたしは、椅子を立ってうんと伸びをする。
「じゃあ、なんとか隙間風の対策もできたし、今夜からエイラちゃんはまたこっちの部屋の広いベッドを使ってね。わたしはまた向こうの小部屋で寝泊まり──」
「──あの」
「……ん? どうしたの?」
珍しく、わたしの言葉を遮ってエイラちゃんが声を上げた。
何か大事なことだろうと思って、じっとエイラちゃんの方を見つめて続きを待つのだけれど、エイラちゃんはどうも伏し目がちに言葉を続けようか続けまいか悩んでいる様子。
そのまま少しの間をおいて、おずおずといった感じにエイラちゃんは言葉を続けた。
「…………あの、サクラ様は寂しくないと仰いますが、あ、いえ、その…… もしも、のお話ですが…… えっと、その…… あちらは、なかなかに狭くてサクラ様のお身体に障りそうでしたし、そういうこともありますし…… もしも、サクラ様にご迷惑でなければ…… こちらの広いベッドで、一緒に、寝ませんか……?」
いつもの感じとは全く違う、すごくしどろもどろとした言葉だった。
でもそれは、出会って以来ほとんど見ることがなかった、エイラちゃんの見た目通りの子供っぽさを感じさせるもので──
「……うん、いいよ。もちろん!」
わたしはまたなんだか嬉しくなって、エイラちゃんの頭を撫でてあげていた。
そしてそれ以来、わたしたちは同じベッドで一緒に眠るようになった。
自宅でのんびり編はひとまずここまで。次回からはまた少し時間が飛びます。
そして次はある程度までプロットをしっかり書いてから本文を書き進めたいと思っているので、たぶんに投稿が遅くなる気がしますのであしからず……
追伸:みなさま荒天に重々ご警戒ください。




