210-58 時は毒で薬で 1
少し時間が経って、夕食後。
日も落ちて、どこか上の空のままで用意をしていると、ずっと姿を見かけていなかったマリューがポットにハーブティーを淹れてやってきた。
止まない風で少し揺れるテントの中、三人でランタンを囲む。
一緒に持ってきた木のカップにハーブティーを注ぎながら、マリューはいつも通りの調子で笑った。
「ラタリクさんとすっかり話し込んじゃってたから言うのが遅くなっちゃったんだけど、今夜はそのラタリクさんの監視を一応しないといけなくて、夜はいないからよろしくね。……あと、明日には帰る予定だからそのつもりでね」
「えっ…… と、突然だね……?」
「ふふふ。まぁ、当初の目的は達成したからね。それに、連れ出した私が言うのもなんだけど、サクラたちにもあんまり長く家を空けさせるのも悪いし」
にやりと笑うマリューからカップを受け取って口元に持っていくと、ほのかに湯気の立つハーブティーの香りが鼻をくすぐった。
前世の記憶のカモミールティーに似た香りに癒されて、熱すぎないお茶に喉を潤して、マリューの微笑みに気づかいを感じた。
ちょっと呆け気味になってしまっていたわたしの気を紛らわそうとしてくれているのか、あるいは……
ぼんやりとそんな雰囲気を感じ取って、わたしはぽつりと漏らす。
「……わたしは、このままミフロに帰って──ミフロに住んでていいのかな……?」
「サクラ様……」
エイラちゃんが心配そうなトーンでつぶやいた。
わたしはカップから上ってくるハーブティーの温かさを口元に感じながら、何も言わずに聞いてくれているマリューに向かって続ける。
「分かってたことだけれどね。でも、わたしは本当に世間知らずなんだって改めて思い知ったよ。……前の冬に、王都の学校でマリューからいろんなことをたくさん教わったけれど、昔の戦争のことも──そんなに悲しいことがあったうえで、いろいろとやっちゃいけないことがあるなんてことまでは、知らなかった」
別に悲しいなんてことは思っていなくて、不安というか、不甲斐ないというか、なんとも言い表しにくい居心地の悪さを感じて、わたしはどうにも落ち着けないでいたのだ。
「──このままだと、ミフロの人たちに迷惑を掛けるかもしれないし、もしかしたら、掛けてたのかも…… だから…… せめてもっと勉強して知識を身に付けて、迷惑を掛けないで済むようになった方が良いんじゃないかなって思う…… ねぇ、マリュー──」
もうちょっとでも、自信を持てるようになってから帰りたい。
そう思って、このままマリューと一緒に王都へ行って、またそこで働きながらいろいろと教えて欲しい、と言いかけたのだけれど、それ以上はそのマリューに止められた。
「大丈夫だよ、サクラ。そんなに気負わなくても」
わたしの言葉を止めた手で、そのまま頭を撫でられる。
「ゆっくりするといいよ。今まで通りで大丈夫。……まぁ、あれこれ知っておいては欲しかったし、前はこまごま説明して思いつめさせちゃ悪いとやり過ごしてたことを、今回は良い機会だと思って一気に説明したけど──でも、考えすぎなくていいから。確かに昔は厳しかったよ? 何をするにも許可が必要だったり、監視があったり、できないことばっかりで、違反したら罰則。やって良いこと悪いことは全部把握しないとちょっと大変だったかな。でもね? 今でもそんなに厳しいのは西の国々だけ。ちょっと東に離れれば──このあたりの東の果ての国々なんて、もうそんなに厳しいところはないよ。罰則だって、ごく一部を除いてもうほとんどないよ。……現にほら、事細かに知らずに今まで自由に過ごしてきても、問題なんて起こらなかったでしょ? 最低限、やっちゃいけないことはもう教えたし、これ以上サクラが思い悩むことはないよ」
わたしの髪を梳くように軽く頭を撫でながら、マリューは変わらず笑顔を向けてくれる。
私はどんな顔をしているだろうか? 少なくとも、笑い返せてはいなかった、と思う。
「それに、もし何かあってもミフロのみんなが教えてくれるよ。みんな優しいでしょ?」
「……それでいいのかな」
「気を付けて、何かあってもちゃんと正そうって思えてるなら、それだけでもう大丈夫だよ。それに、せっかく仕事用の小屋まで建ててたんだから、今までの調子で、このまま頑張って」
そう言って、横からきゅっと軽く抱きしめられた。
ぽんぽんと頭も軽く撫でられる。
「……うん」
安心させようとしてくれていることが嬉しくて、少し気が楽になったのを感じながらうなずくと、今度は背中を強くぽん!と一回叩かれた。
危うくお茶をこぼすところだった。
「よし! そうとなったら、しっかり働いてね。エイラちゃんも養ってあげないといけないし!」
ちょっといたずらっぽく笑うマリューに不意に名前を呼ばれて、正座の状態ですぐそばに控えていたエイラちゃんが少し目を丸くしていた。
そのエイラちゃんにマリューが視線を向ける。
「エイラちゃん。これからもサクラの面倒を見てあげてね」
「勿論です」
驚いていたのにその返事は即答で、思わず笑ってしまった。
マリューは最後に、ランタン越しにわたしとエイラちゃんの頭をわしわしと撫でまわす。
「じゃあ、明日は昼前に出発するつもりをしてるから、今日はよく休むようにね」
そしてそう言ってから、自分のカップのハーブティーを一息に飲み干してテントから出て行った。
わたしとエイラちゃんは、まだ温かいハーブティーの香りをゆっくりと楽しむ。
次回で本章は区切りの予定です。
金曜日に投稿の予定。




