208-54 既定路線
その瞬間、わたしの頭に浮かんだのは、とエイラちゃんに距離を置かれてしまうのではないか、という不安だった。
違う世界から来た、というのはわたしからしてみれば間違いないことなんだけれど、マリュー曰く、魔法があるこの世界でも異世界から人がやって来たなんて話は聞いたことがないらしい。
前例があれば、異世界から来た、というのも信憑性を持って説明できたかもしれないけれど、前例がないなら眉唾なことを言っている、と思われても仕方がない──というか、そう思うのが普通だ、と思う。
なぜかマリューはあっさり信じてくれたのだけれど、それはマリューがちょっと特別だっただけだろう。
特にエイラちゃんは、しっかり者で頭も良くて常識人だし、順当に嘘だと断じてしまいそうだ。
その上で、そんな意味の分からないことを言うわたしに不信感を覚えて、距離を置かれてしまったら……
それは、つらいな、とわたしは思った。
「あれ? サクラ、異世界から来たっていうのはエイラちゃんには言ってなかったの? ……あ、もしかして隠してた……? だったらごめん……」
意図していなさそうだけれど、マリューはたまに容赦がない……
わたしは急に湧いて出た不安で、にわかに鼓動が早まるのを感じながら、恐る恐るエイラちゃんの顔を覗き込む。
「えっと…… あの、信じられないとは思うんだけれど、実はそんな感じで……」
エイラちゃんに引かれたくはないけれど、かといって出まかせの嘘をつくのはもっと嫌だったわたしは、マリューの言葉を認めた上でエイラちゃんの様子を伺うことにした。
エイラちゃんは、ほんの少しだけ困ったような表情を浮かべている。
どんな言葉が返ってくるのか、気が気じゃなかった。
でも、エイラちゃんはすぐに表情を緩めて、小さく溜息をついたのである。
「……サクラ様も、トタッセン様もそう仰るのなら、そうなのでしょう。……確かにサクラ様は、不死の魔法使い様だというのに、世間知らずでしたものね」
「……んぇ!? え…… えー……?」
どういうわけか、わたしが異世界から来た、という話をあっさり信じることにしたらしいエイラちゃんの言葉を聞いて、わたしは驚いた。
嬉しかった。
嬉しかった、けれど……
なんだかちょっと納得がいかない、というか……?
結果的にわたしはエイラちゃんの言葉でなんだか微妙な表情になってしまったのだけれど、横で話を聞いていたマリューは楽しそうだった。
「お。主人のことを非常識と言い切るとは。嫌いじゃないよ」
「……だからこそ、仕え甲斐があります」
「ふふ、言うねぇ」
なんだか、解せない……
いや、まぁ、この世界の常識に疎いのは、まったくもってその通りだから否定できないんだけれども……
しっかり者でいつも理路整然と行動しているエイラちゃんが、なんでまた証拠も何もないわたしの身の上話をあっさり信じてくれたのか、よく分からなかった。
とまぁ、その辺は疑問としてちょっと胸に突っかかってしまったのだけれど、だからといって、せっかく信じてくれたのに、下手にそれを追及して不信感を抱かせてしまうことになっても、それはまた不本意だったから──
もうこの話題は早々に切り上げて、元の話に立ち返ることにした。
つまり、なぜマリューがミフロまでやってきたのか、に話を戻す。
「あの、マリュー…… ところで、なんでまたこっちまで来たの? 用があるって言ってたけれど、それって……」
「うん? あー、そうそう、サクラに話があったんだよ」
エイラちゃんとの会話で盛り上がっていたマリューだけれど、わたしの問いで話を切り上げてダイニングの椅子に腰掛けた。
そしてなぜかマリューに促されて、わたしも向かい合って座り、エイラちゃんがお茶を淹れる準備をする音を聞きながらマリューの話を聞く。
「えーっとね、今回私がこっちまで来たのは、なかなか手紙をくれないサクラに業を煮やしたから──というわけではないんだけど……」
「……それはごめんなさい。筆不精で……」
覗き込むようにチラ見されたので、すぐに頭を下げた。
いかんせん帰郷してからこちら、地味にずっと忙しかったし、前世からあんまり手紙に馴染んでなかったから、なかなか書くまで至らなくて……
「……まぁいいけどね。──で、本題に入るけど、ちょっと仕事が入って北の方に行くことになってね。サクラの勉強にもなる良い機会だと思ったから、連れて行こう、と思ったんだよ」
「……仕事?」
「そう、仕事」
「仕事って、研究とか?」
「あぁ、いや。今回のは学院の仕事じゃなくて、国からの調査と対応依頼なんだよね」
「あぁ、そう言えば、手紙を持ってきてくれた収税官さんが、国が絡む手紙とかなんとか言ってたっけ…… マリューって本当、結構すごいんだね……」
「ふふふん、まぁね」
ついさっきもエイラちゃんが、マリューのことはこの国の人なら多くの人が知っている、なんて言っていたけれど、王都の魔法学院の教員という立場に加えて、国から直接仕事を頼まれるだなんて、マリューって実は本当にすごい不死の魔法使いだったりするんだろうか。
いや、まぁ、マリューは本当にたくさんの知識があって、わたしもたくさんのことを教えてもらっている恩人だし、疑いようもなく尊敬できる人なんだけれど。
でも、なんというか、こう話を聞いていると、わたしの思っていた〝すごい〟のレベルを軽々と上回っているような気がしてきて……
……まぁ、今更だけれど、ね。
「んー、まぁ、それはそれとして…… どんな仕事なの?」
「えー。……仕事は、現地調査への立会いというか。まぁいろいろと説明したいこともいっぱいあるし、現地までは大体一ヶ月くらい掛かる見込みだし、現地とそこまでの道中でゆっくり説明するから、とりあえず行こう」
「んぇ!? う、うーんと……」
とりあえず行こう、と言われても、いかんせん急な話である。
ましてや道中が一ヶ月もかかるとなると、なかなか……
「ん、んー…… でもやっと調薬棟が完成したところで、ここから、って感じなんだよね…… 整理も何もできてないし……」
「二、三日は待てるし、整理とかしてからでも良いよ。サクラにとってはこの世界のことを知るちょうど良い機会だから、是非来るべき」
「この世界のこと……? うーん……」
マリューはわたしに断らせるつもりはないらしい。
多分、ついて行った方がわたしのためになる、と考えてくれているから、マリューもここまで推してくるのだとは思うのだけれど……
でも今一番気になるのはハルベイさんのことなのだ。
ハルベイさん──というかミフロの商業組合──には調薬棟を建てるための融資までしてもらったのに、完成と同時にこちらの都合で、最低でも二ヶ月以上、取引はお休みさせてください、はちょっと言いづらいというか申し訳ない。
どうしたものか、と少し悩んで……
悩んで、結局その辺りの懸念をそのままマリューに伝えることにした。
「──という訳なんだけれど……」
「なるほどね。じゃあ私からも説明するよ。それなら良いでしょ?」
「あ、そう? んー、じゃあ、分かった。行くよ」
「よしよし」
言ってみれば、あっさりマリューも一緒に話をしにいってくれることになったので、わたしも覚悟を決めてマリューの誘いに乗ることにした。
なんだかんだとわたしもこの世界のことをもう少しよく知っておいた方がいい、とは常々思っていたから、この機会にまたマリューからしっかり話を聞いておこう、と思う。
「あ、そうだ、エイラちゃんはどうしよう……?」
そしていざ行くとなったところで、エイラちゃんのことまで考えていなかったことに思い至った。
家や調薬棟を無人のままにして離れるのも不安だけれど、エイラちゃんをひとり残してしまうのはそれ以上に心苦しい。
だからいっそ一緒に連れていければ良いのだけれど……
ここにはおばあさんのお墓があるからそのお手入れもしたいだろうし、一ヶ月もの旅程となれば、寝ても覚めても雇い主であるわたしと一緒にいる時間が増えて心労になるかもしれないので、わたしからついてくるようには言いづらいなぁ……
なんて、思っていたら。
「……まぁ、エイラちゃんひとりくらいなら一緒でも──」
「是非わたくしもお連れください、サクラ様」
マリューが何か言いだしたのが終わらないうちに、勢い込んでエイラちゃんがそう言ってきたのである。
「え…… 良いの?」
「勿論です。……わたくしはサクラ様に仕える身ですので」
「じゃ、じゃあ、お願いしようかな……!」
「承知しました」
エイラちゃんに負担をかけたらいけない、と思っていたけれど、エイラちゃんの方から同行したいと言ってくれたから、この話はあっさり綺麗に収まってくれた。
でも、良かった、と胸を撫で下ろしたのも束の間で、道中の足の手配とかはわたしじゃなくてマリューがやってくれるのだろうから、エイラちゃんが良くてもマリューに確認を取らないといけないことにちょっと遅れて気がついた。
「あっ…… マ、マリュー? エイラちゃんも連れて行きたいんだけれど、大丈夫かな……?」
「……まぁ、いいんじゃない?」
バツの悪い気がしながら確認してみたら、マリューは一応了承してくれたけれど、ため息混じりに呆れられてしまったらしい。
……ま、まぁ、それはそれとして。
「じゃあ…… マリューには悪いんだけれど、準備とかしたいから出発は明後日とかでいい……?」
「いいよ。じゃあ明後日の朝に出発ってことで調整しとくから。私もやることないから準備手伝うし、なんでも言って」
「ありがとう。ならまずは何をしておくべきか考えないと……」
とりあえず、出発の日も決まった。
そういう訳で、まずはやらないといけないことを整理しないといけないんだけれど…… はて、やらないといけないこと、と言うか、なにかやりたいことがあったような気がするんだけれど……?
「……あっ!」
「……? 如何なさいましたか、サクラ様?」
「お月見!」
「お月見?」
帰ったらお月見をしよう、と思っていたのをすっかり忘れていた。
思い出してから、すぐに月を見上げたときには、ふたつの月はもう既に重月を終えて、付かず離れずふたつで並んで、空の高くに登っていたのだった。
月自体はまだ見えていたので、このあと三人で月を見ながら夕ご飯にしました。




