206-55 変化
「まず、確認なのですが、ノノカ先生は確か、現時点においては調薬専用の部屋や建物は所有されていないのでしたね?」
最初にそんなことを訊ねられて、つい、目が泳いでしまった。
別に、何が悪い、と言われたわけでもなし、ただ専用の部屋はないんですね、と訊かれただけなのだけれど、組合の役割として商品の品質向上云々、と話を聞いたところだし、どういう意図での質問なのかは分かろうものだ。
だから、ちょっと気まずい。
「あ、あぁ…… んー、そう、ですねー……?」
「ふむ。となりますと、ノノカ先生には負担を強いることになるので恐縮なのですが、薬を作るにあたりまして、環境なども、いくらかご準備していただかねばならないのです──」
と言って説明が始まった話の内容は、まぁ、当たり前のことだった。
薬というのは、当然、人が直接口に入れたり身体に塗ったりして、その身に良い影響を与えるために使われるものだ。
そして、薬は身体に影響を与えるという点では毒と変わらない以上、本来なら、調薬を行うための作業場は、清潔で風通しが良くて、作業がしやすい環境が求められるし、調薬に用いる素材や薬品に適した保管場所の確保も必要になる。
それに、作業や保管の場所だけでなくて、調薬に際して使う器材だってきちんと相応しいものを準備しないといけない。毎日ちゃんと手入れをして、不都合が生じないようにもしないと。
「──あとは備品として、最低限、薬草事典と、王都で発行されている薬剤事典を常備していただく必要があります。また薬剤事典につきましては、定期的に更新される度に最新のものを自費でご用意いただく必要がありますし、それ以外にも、毎年ないしは随時発行されている改定冊子を都度ご入手していただく必要もあります」
「……なるほど」
「はい。また、備品につきましてはさらに細かい規定もありまして──」
わたしはハルベイさんが次々に説明していく話を、相槌を打ちながらもまるまる覚える勢いで頭に放り込んでいく。
組合そのものについての説明を受けている時もそうしていたけれど、さっきは要点だけを覚えておけば済んだのとは違って、今聞いている話は全部が全部、わたし自身が今後気にし続けていかないといけない話なものだから、もっと集中力が要る。
多分親切なハルベイさんのこと、また分からないことがあったら訊けば教えてくれるだろうし、最初のうちなら何か不備があってもまずは指摘してくれるだろうから、あんまり気にしすぎなくても良いかもしれないけれど、特に忙しいであろうこの時期に、ハルベイさんたちの手を煩わせるわけにはいかないので、一度の説明でできる限り全てを覚えるつもりだった。
おそらくは似たような説明をミフロの商人さんや職人さんたち皆にする必要があるだろうし、わたしにばかり時間をとらせるわけにはいかないのだ。
「──とご用意いただく設備備品につきましては以上です。……ご理解いただけましたか?」
「……んま、はい、大丈夫です。続けてください……」
──まだなんとか大丈夫…… 大丈夫……
ちょっといっぱいいっぱいになりつつも、どうにかざっくりと頭の中を整理していきながら、話を続けてもらう。
「……さすがはノノカ先生です。次でひとまず最後の説明となります。先ほども言及した内容ではありますが、実際に運営していく中で定期に、あるいは不定期に各種監査を受けていただき、また指導を受けていただく必要があります──」
最後の話は、組合の説明をしてくれていた時にも説明していた、監査と指導についてのものだった。
まず基本的に、監査は組合の人がやってきて行う予定、とのことで、設備に異常がないかとか、実際の作業が正しく行われているかとか、見たり聞いたりして確認していくらしい。
帳簿の確認なんかもやって、怪しい取引とか、在庫の確認とか、無茶な利益を出してはいないか、なんてことも確認するつもりだという。
そしてこういった監査は、定期的に行うものと、抜き打ちで予告なしに行うものとを考えているとのことだった。
そうしてあらかた説明を終えた最後に、監査では特に計量器関係のものを重点的に、かつ厳しくチェックするので、くれぐれも注意しておくように、と念を押されて、とりあえず一通りのお話は終了した。
説明を終えたハルベイさんが、やっと一息、といった感じでお茶を飲む。
わたしも、まだちょっと整理しきれていない情報を、散らかしてしまわないように慎重に整頓していって…… ひとまず落ち着けてから、お茶を飲み干した。
「ありがとうございます、ハルベイさん。一気に説明させてしまって……」
「いえいえ、どうぞお構いなく。こちらこそ、口頭での説明に終始してしまい、申し訳ありません。近いうちには必ず、要点をまとめた書類をお届けしますので、どうかご容赦ください」
そう言って丁寧に頭を下げてくれるハルベイさんを止めて、わたしは簡単にこれからのことを考えてみる。
とはいえ、やるべきこと自体はそんなに難しくもないはずだ。
まず優先すべきは調薬専用の部屋の確保だろう。
一番厄介なのはここだと思うし……
ん。となると?
「あの、ハルベイさん。その諸々の準備なんですけれど、いつまでに整えればいい、っていう期限は……あ、その前に、もしかして、その準備をしないと薬って買い取ってもらえなくなるんですかね……?」
まず準備期間を確認しようとして、途中でそんなことに気がついた。
組合に加入した時点で規則が適用されるなら、まさかその準備ができていなかったら一切買取りはできません、なんて、そんなことが──
「いえ、ご安心ください。規則をお伝えしたのも突然の話でしたから、しばらくは現状のままの取引をお約束します」
──さすがに、そんな理不尽なことはなかった。
取引ができずに収入がなくなって、準備すらできずにジリ貧になるなんてことはないようで一安心する。
ならば、その準備はいつまでにすればいいのか、と改めて確認しておく。
「そうですね。できれば取引が活発になる秋頃までにお願いしたいところなのですが、ノノカ先生の場合は建物の新築なども絡むでしょうから、年内に準備を整えていただければ、と存じます」
「んー、なるほど…… やっぱり、そうなりますよね……」
ハルベイさんの言葉を聞いて、わたしは軽く溜息をついた。
その溜息は、建物の新築に関してだ。
正直、分かっていたことではある。というか、この話が出る前から、生活と調薬を同じ部屋でやるのはよろしくない、と思っていたし、大部屋も調薬用の器材が溢れて手狭になっていて、エイラちゃんにも、もう少し辛抱して、とお願いして、遠からず実行しよう、と検討していたことである。ただちょっとそれを急いでやるべき理由が増えただけだ。
ただ、問題なのはお金のこと。
もともと、ある程度お金が貯まって、一括で費用をまかなえるようになったら調薬室を構えよう、と考えていた。
というのも、融資をしてくれるような銀行がないミフロでは、ないお金は身近な人──つまり村の人から借りるしかないわけだけれども、わたしのことを〝不死の魔法使い〟であるノノカ様、と慕ってくれている皆からお金を借りる、というのは、〝もどき〟なのに、その肩書を利用して皆を騙してお金を借りるような気がしてしまって…… どうにも気後れしてしまっていたのだ。
でも、まだ薬作りも軌道に乗り始めて日が浅いから、貯金もそれほどない。
となると、急ぐ以上やっぱりお金は借りないといけなくなるわけで……
生活にも余裕が出てきて、もう皆に迷惑をかけるような真似はしたくないんだけれどな、と唸る。
そんなわたしに声を掛けたのはエイラちゃんだった。
「……サクラ様。先程、組合として補助金を出せるようにする、と仰っていましたので、そちらの利用を検討されては如何でしょうか?」
「ん……? あっ」
エイラちゃんの言葉を聞いて、わたしははっとする。
そういえばハルベイさんはそんなことを言っていた。
──エイラちゃん、全部ちゃんと聞いて覚えてるんだ……
とわたしは驚いて、エイラちゃんが目を逸らしてしまうまで、しばらく見つめ合ってしまった。
……あ、でも、そうだ。その補助金云々の話は、今後の予定、みたいな言い方をしていた気がする。まだ制度として設定された話ではなさそうで、利用できない話、として聞き流していたから思い出せなかったのだ。
でも、どうせお金を借りるなら、個人よりは組合から、融資としてお金を借りたいのだけれど……
「あの…… ハルベイさん。その調薬室の新築のことで、組合から融資を受けることって、できますか……?」
念のため、訊いてみる。
「ふむ…… まだ組合は正式に発足したわけではありませんから、はっきりとしたことは申し上げられませんね……」
「あ、はい……」
やっぱりだめだったか、と思ったのだけれど。
「しかし、融資ということでしたら、当商会で用意いたしましょう。一応、財務状況の確認はさせていただきたく存じますが、ノノカ先生に質の良い薬を安定的に卸していただいているのは私どもですし、ノノカ先生の返済能力に疑問などありません。以前も問題なくご返済いただきましたし、問題なく融資は可能かと存じますよ」
とハルベイさんが提案してくれたのだ。
「え、いいんですか?」
「えぇ、勿論。ノノカ先生には普段から大いにお世話になっていますから、これからもどうぞ、よろしくお願いします」
「……こ、こちらこそ!」
そんな運びで、ハルベイさんから融資の約束を取り付けて、目下の問題は解決することになった。
まぁ、実際に新築するのに必要な費用が分からないから、細かい融資額なんかは建築の見積もりを取ってから、ということになったけれど。
それはそれとして、ミフロ商業組合への加入の手続きはその場で済ましておくことにした。
組合の性格にちょっと思うことがないでもなかったけれど、そこはそれ。あんまり難しいことは考えないで、郷に入っては郷に従え、の感じで行くことにする。
わたしはただ穏やかに暮らしたいだけなのだから。
◇
ハルベイさんとのお話を終えたあとは、エイラちゃんのためにつばの広い麦わら帽子を買ってからお店を後にした。
お店にある一番大きな帽子だったから、隣を歩いているとしょっちゅうつばが顔に当たりそうになるけれど、まぁ、それはご愛嬌かな。
「それにしても、エイラちゃんって記憶力もすごくいいんだね。びっくりしちゃった」
「……いえ、サクラ様には及びません」
「いやぁ、そんなことはないよー」
実際、もう半分くらいの内容は、ぱっと思い出せない気がする。
それでも、エイラちゃんも一緒に話を聞いていてくれて、曖昧なことでも確認できそうなことは嬉しかった。
本当にエイラちゃんは頼りになる優秀な子だ。
やっぱり、そんなエイラちゃんの力を腐らせてしまうわけにはいかないから、もっともっといろんなことを教えてあげて、いつか独り立ちさせてあげられたらな、と思う。
……お節介かもしれないけれどね。
わたしは心の中でそんなことを思いつつ、調薬室の新築を相談するために大工のフゲール親方のところに向かっていた。
エイラちゃんと、どんな建物になるのかな、どこまで口を出しちゃってもいいのかな、なんて会話をしながら、わたしたちはふたりでミフロの村を歩いていく。
親方との打ち合わせと建築風景はすっ飛ばして、次は完成の秋ごろ(の予定)です!




