206-52 白い髪
「ふぅ」
とわたしはまとめ上げた帳簿を閉じて一息ついた。
そしてついつい──ほんのちょっとだけ──にやついてしまうのを自覚して、いやいや、と頬を叩いて緩みを飛ばした。
というのも、帳簿から見る我が家の財務状況は、ここのところかなり調子がいいのだ。
それは単純に、調合した薬の販売の実入りが良い、の一言に尽きる。
そんな良好な財務状況を見ていれば、思わず頬も緩んでしまうのだけれど、でも、ちょっと心苦しい、と思う部分もある。
こちらの世界では、病気なんかの治療には薬以外にも魔法による治療という選択肢もあるから、相対的に薬の重要度は前世よりも低い、と思う。
けれど、魔法治療はお高い。
だから当然、魔法治療を利用するのは貴族や一部の商人といった、お金に多少なりと余裕のある人たちで、農民を中心とした大多数の一般市民は、普通お医者さんに掛かっても病気の治療には薬しか使わない。
もちろん魔法治療を利用する人だって薬は併用するけれど、絶対数も含めて、薬の需要というのは圧倒的にお金の少ない一般市民にこそあるのだ。
だからこそ、その薬の販売でしっかり儲けを出せてしまっている今の状況が、ちょっと心苦しくも感じてしまうのである。
でも、だからといって、わたしの一存で薬を下手に安く売ったりはできない。
それをしてしまうと、価格破壊になってしまうから。
独占市場なら、お値段の設定もわたしの自由なんだろうけれど、そうではない以上、ひとりの供給者としてあんまり勝手なことはできないのだ。
とはいっても、今の売値は、卸し先であるハルベイさんとよくよく相談した上で、同業者にもあんまり悪くは思われないぎりぎりの低価格に抑えてはいる。
──抑えてはいる、のだけれど、それでもなかなかに儲けが出ている。
別に暴利を貪ったりしているわけではない。正当な手段で、正当な価格で取引をした上での、正当な利益なのだから、そんなに気にすることではない、と思うし、現に今、頬だってちょっと緩んでいる。
心苦しい、というのは、まだわたしがひとりの商売人としては未熟なのだ、ということなのだろう。
まぁ、それはそれとして……
改めて財務状況を見てみれば、春にミフロに帰ってきて、調合用の器材を揃えて本格的に薬を作り始めてからこちら、週単位での収入はかなり安定してきている。
利益も順調に溜まってきているから、今朝も考えていた、調薬専用の部屋やわたしの部屋の増築、もしくは新築のための費用も、そう遠くないうちに捻出できそうだ。
まだ二ヶ月くらいの実績しかないけれど、この安定感なら銀行があれば融資を受けて早々に実行に移せそうでもある。
実際、衛生的にも調薬専用の部屋の確保は急いだ方が良いと思うので、お金を借りることも考えたほうがいいかもしれない。
「まぁ、ミフロに銀行はないけれど、ね……」
王都には銀行もあったんだけれどなぁ、とも思いつつ、んー、と背伸びをして身体の凝りを解したタイミングで、視界の端に、そっと白い影が現れる。
また、ふぅ、とひとつ息を吐いてからそちらを見れば、相変わらず表情の乏しいエイラちゃんがわたしの方を見つめていた。
「サクラ様、お疲れ様です。……少し早いですが、そろそろ昼食の頃合いですので、用意いたしましょうか?」
「あー、ん。お願い。ありがとうね」
とんでもありません、承知いたしました、と会釈をしてまたかまどの方に向かうエイラちゃんの背中を目で追いながら──わたしは感心して、ひとつ息を漏らしていた。
エイラちゃんのメイドさん具合だけれど、うちに来た時点で、それはもう完璧に仕上がっていた。
さっきだって、お茶を淹れてくれた後は、集中しているわたしの邪魔にならないようにほとんど物音も立てずにいてくれて、それでもわたしがお茶を飲み干したら、見計らっていたように、そっと現れておかわりの確認をしてくれていたのだ。
それ以外のエイラちゃんの働きぶりだって、本当に、わたしにはもったいなさ過ぎる完成度だった。
作ってくれるご飯は素朴で簡単なものが多いけれど美味しいし、掃除や洗濯はわたしよりも丁寧なのに早い。
おまけに細やかなところまで気配りが行き届いていて、本当に、どこを取っても満点をつけてあげたいくらいだ。
本人は、まだまだ未熟です、なんて言うけれど、わたしからしてみれば今のままでも十分この上ない。
そんな、技能的にもまさしくプロのメイドさん、って感じのエイラちゃんなんだけれど、さらにそれに加えて、少なからず学まであった。
こちらの世界では、基本的な読み書き計算くらいなら、寺子屋のように教会で教えてくれるらしいので、簡単な読み書きや足し算引き算くらいならできる人が多い。
エイラちゃんの場合は教会には行かなかったらしいけれど、その代わりに、メイドさん技能と合わせて、亡くなったおばあさんから本当に色々なことを教わっていたみたいで、読み書きはかなり専門的な言葉まで分かるみたいだし、計算も家計簿をつけたうえで翌月の予算を設定できるくらいには理解しているらしい。
あと、さすがは魔法使いだったおばあさんの孫というべきか、生活魔法に関しては一通り扱えるみたい。
なぜかあんまり応用的なことは教わっていなくて、本当に基本的な生活魔法しか使ったことがない、と言っていたけれど、魔法自体はかなり使い慣れているようだったから、教えればいくらかの職業魔法だって扱えるようになりそうだった。
正直、わたしのメイドさんをするより、もっと相応しい仕事がある気がしてならないのだけれど、本人がわたしの元で働くと言ってくれているので、今しばらくはお世話になりたい、と思う。
ただ、そんなもろもろの技能や才能を腐らせてしまうのは忍びないので、せっかくならそういった部分も伸ばしてあげられたら、と思う。
わたしの身の回りの世話なんかは二の次でいいから、生活費の管理をしてもらったり、薬の調合を手伝ってもらったりすると良いかもしれない。
「……んー、でも、薬の調合を手伝ってもらうとなると、やっぱりある程度は分かりやすいマニュアルとか作った方がいいかなぁ」
ぽつり、と呟いて、わたしはここに至るまでにとにかくいろんなことを書き込んできた一冊の本を手に取った。
わたしがこちらの世界に来てこの家で見つけた、ほとんど白紙だった本。
日記のようなことや覚書程度のメモを書き込んだり、教わった魔法や知識のことを書き込んだりして来て、もちろんその中には、教わったり調べたりした調薬の方法なんかを、自分なりに噛み砕いて分かりやすくまとめ直した記述なんかもあったりする。
特に利用頻度の高い情報や、うちで使っている器材に合わせた覚書なんかがあるから、この情報をエイラちゃんにも使ってもらいたいところである。
一応見られて困るようなことは書かないようにしていたし、日記とかは日本語で書いてあるからそもそも読めないだろうし、一方でエイラちゃんに読んでもらいたい薬周りの記述は固有名詞が絡んでややこしくて大体こちらの言葉で書いてあるから、このまま渡しても良いくらいなんだけれど、いかんせん記載ページがあっちにこっちに飛び回り過ぎているから、さすがにこのままじゃ使いにく過ぎる、と思う。
「また今度、いくらか紙を買っておかないと」
紙は安くはないのだけれど、ここは必要コストとして惜しみなく使おう。
……となると、次にハルベイさんが来るのはいつだったっけ。
そう思いながらカレンダーを見ようとして、ひとつ、すっかり忘れていたことを思い出した。
「あ、そういえば、ハルベイさんの新しいお店、今日から開店だった!」
ハルベイさんの新しいお店、というか、正しくは、ハルベイさんの所属する商会の新しい支店で、ハルベイさんが新しく支店長として就任することになったお店、だ。
まぁとりあえず、ハルベイさんのお店、と言っておくけれど。
毎週末ものすごくお世話になっていたハルベイさんのお店の開店なんだから、挨拶をしにいかないわけにはいかない。
二、三日前まではちゃんと覚えていた、というか、ほんの数日前にもハルベイさんから直接開店の話を聞いていたのに、危うくすっぽかすところだった。
「あぁ、思い出せて良かった…… んー、お祝いがわりに買い物したいけれど、紙以外に何かあったかな……」
もともと開店祝いには、何か贈り物をするより買い物をするつもりだったのだけれど、何も考えていなかった上に必要なものは大体先日ハルベイさんが来ていた時に買ってしまっていた。
かといって、必要ないものを買おうとは思えないくらいには貧乏性なので……
んんん、と唸りながら、何か入り用なものはなかったか、と家の中をぐるりと見渡したわたしは、かまどの辺りで昼食を作ってくれているエイラちゃんに目を止めた。
「ねぇ、エイラちゃん。急ぎでなくても、何か欲しいものはない?」
エイラちゃんのことだから、さっきまでのわたしのひとり言も聞いていただろう、と思いつつ訊ねてみた。
多分、いきなり何か欲しいものはないか、なんて訊いても、お給金をいただいていますから、と言って答えてくれない気がするけれど、今回は事情があるし、エイラちゃんならその辺りまで理解して答えてくれる気がする。
声を掛けられたエイラちゃんは、一瞬だけ昼食を作る手を止めて、またすぐに再開しながら悩む声を出す。
「……そう……ですね。……今以上に望むものなどありませんが。……強いて、言えば、ハサミが欲しい……でしょうか」
「ハサミ? あぁ、裁縫用の裁ちバサミとか?」
期待通りに答えてくれたことを嬉しく思いつつ、わたしは首を傾げた。
エイラちゃんは──いつものことだけれど──ちょっと言葉を選ぶように詰まらせて、それでもなお、少し言いにくそうに答える。
「……それもありますが、どちらかといえば、散髪用、が念頭にありました」
「え、散髪用?」
「はい。……そろそろ切ろうかと思いまして」
そう言いながら、エイラちゃんは髪に手をのばしかけて、料理中だったからか触れずに手を戻した。
エイラちゃんの綺麗な白い髪は、今でさえベリーショートと言えるくらいに、ざっくばらんに短く切られている。
その髪を、さらに短く切る、と聞いたわたしは。
「えぇ!?」
と思わず声を上げていた。




