206-51 ここまでとこれから
わたしがこの世界にやって来てから、一年が経った。
長かったように思えて、でも短かったようにも思える。
まぁ、こちらの一年の日数は前世よりもちょっと少ないから、前世の感覚で考えたら実際にすこし短い一年だったかもしれないけれど、それはそれとして……
一年が経っても、わたしは変わらずに、ただ穏やかに生きていくことを目標にして、のんびりと日々を過ごしていた。
◇
六月になったけれど、朝夕はまだ肌寒い。
ミフロは高地で内陸だからか、とにかく寒い時期が長いのだ。
なのに夏は暑いのだけれど、それでもこの時季の昼間は過ごしやすい気温になる。
わたしは窓辺の机に向かって、少しずつ上がってきた気温を肌で感じながら、先月分の帳簿をまとめようと冊子を開いて──ふと、わたしがこちらの世界で目を覚ましてから、そろそろ一年になるということに思い至った。
「もう、一年かぁ……」
そろそろ一年だなぁ、とは少し前からたまに思っていたけれど、こうして実際にまた六月が巡ってくるとなんだか感慨深いものがある。
この一年は本当にいろんなことがあった。
まず何より、死んで──生まれ変わったのかなんなのか──全く知らないこの世界でまた目を覚ました、なんてこの上ない重大事があったのだけれど、それは別格にしても、前世じゃ考えられないようなことにたくさん巡り合った、と思う。
気がついたら、全く知らない土地であるこのミフロにいたことにも驚いたけれど、いつのまにやら見たことも聞いたこともない言葉が分かるようになっていて戸惑って、空にふたつの月が浮かんでいるのを見つけて、ここがわたしのいた世界じゃないことに気がついた。
そこで自分が死んだことを思い出して、一週間も飲まず食わずで泣き続けていたことが昨日のことのように思い出せる。
……それを思い出すと、せっかく飲み下したと思っている悲しみがまた溢れてきそうだから、あんまり思い出したくないけれど。
でも一週間も泣き明かしたものだから、わたしが〝不死の魔法使い〟なんていう不思議な存在なんじゃないか、ってクライアさんに指摘されたんだっけ。
まぁ、〝不死の魔法使い〟が一体なんなのか、今になってもよく分かってないけれども……
でもそのあと、ついうっかり毒草を食べてしまって心臓が止まったなんてことがあったけれど、それでもまた目を覚ましたものだから、不死って本当なんだな、と思ったような気がする。
そういえば、冬になってから寒さで心臓が止まっていたこともあったっけ……
……死にかけた、とか、死んだ、とか、そんなことを思い返すと別の意味で心臓がきゅっとしそうになるから、あんまり考えないようにしたいけれど。
それはそれとして、他にも驚いたことといえば、こちらの世界には魔法なんてものがあって、実際に自分でも使うことができたことがある。
今となっては魔法にもかなり馴染んで毎日のように使っているけれど、前世の常識からしたら本当にすごいことができるようになった、と思う。
そして、初めて自分以外の〝不死の魔法使い〟であるマリューに出会ってからは、魔法を含めて一気にいろんな知識を教わることができた。
初めてあった時の印象は、ちょっと酷かったけれど……
それでも、不死の魔法使いが本当は不死じゃないから気をつけなきゃいけないことや、マリューの働く王都の学校へ誘ってくれて、一冬の間、そこで役に立つ知識をたくさん教えてもらうことができた。
基本的な生活の知識から始まって、魔法の知識や薬の知識といった、この世界でひとりで生きていくにあたって必要な、本当にたくさんの知識……
こうして思い返すと、マリューには感謝してもしきれないほど、ものすごくお世話になっていることに改めて気がつく。
王都からこのミフロへ帰ってきてからは、王都でマリューに教わった知識を存分に生かして、主に薬の調合で安定した収入が得られるようになったのだ。それだって、ひとえにマリュー先生のお陰である。
これはまた、お礼に何か贈り物でもせねば、と思う。
まぁそんな文化なんてあるわけはないのだけれど、時期的にもお中元が近いし、これからはお中元とお歳暮は欠かさずに贈ろう、と心に書き留めておいた。
春にミフロに帰ってきてからも、すごく大きな変化はあった。
お葬式への参列を求められて、前世の世界とは全く違う文化に触れられたことも大きな出来事ではあったのだけれど、それよりも大きかった変化と言えば、間違いなく、家族がひとり増えたことだ。
まぁ、家族が増えた、という表現にはちょっと語弊があるかもしれないけれど。
正確には、メイドさんをひとり雇うことになった、かな。
でも、そのメイドさんたるエイラちゃんは、唯一の肉親であるおばあさんを亡くして身寄りもなくなってしまっていたから、感覚的にはその身元を引き受けた、と言う感じだったので、家族、というのも間違ってはないと個人的には思うのだ。
「……サクラ様?」
「……はっ。ど、どうかした、エイラちゃん?」
「……いえ、遠くを見つめて固まっていらしたもので。……お茶でも淹れましょうか?」
「あー、ん。お願いしようかな」
「承知しました」
軽く会釈して、お湯を沸かしにまっすぐかまどの方に向かうエイラちゃん。
エイラちゃんをうちに迎え入れてから、もう一ヵ月になる。
うちが狭いから、最初は通いでどうにかしてもらうつもりで考えていたのだけれど、エイラちゃんの思い切りがよすぎて身ひとつになってやって来てしまったので、結局はうちに住み込みで働いてもらうことになっていた。
初日なんかは、お互いがどこで眠るかについて、ちょっとした言い争いになったりもしたけれど。
わたしが、エイラちゃんはこの家唯一の個室である寝室を自室に使って、わたしは大部屋の隅にベッドを急造してそこで寝る、と言ったら、結構芯のしっかりした頑固者だったエイラちゃんに、主人となるわたしにそんな不便はかけられない、とかなり本気で抵抗されたのだ。
とはいえ最終的には、わたしはもどきとはいえ不死の魔法使いで一応魔法も使えるから、ちょっとやそっとじゃ身体も壊さないけれど、対してエイラちゃんはまだ幼さも残る子どもなんだから、きちんとベッドで休みなさい、とわたしが強引に説き伏せたのだけれど。
それにエイラちゃんについては、幼さが残っているとか以前に、おばあさんを亡くして、その上他人であるわたしのもとに住み込みで働くという、ものすごく大きな環境変化に見舞われていたのだから、ひとりで安らげるプライベートな空間は絶対に必要だ、とこればかりは譲るわけにはいかないところもあったのだ。
まぁそういうわけで、今のところは個室をエイラちゃんに使ってもらっているのだけれど、それでも、そもそもこの家は狭い。
特にここ最近は、薬の調合やなんかに使う器材が一気に増えたこともあって、大部屋もかなり手狭なことになってしまっている。
おまけにこの大部屋は普段の生活でも主に使っている部屋なので、料理をしたり、勉強したり、くつろいだり…… 正直に言ってしまうと、薬の調合を行う場所としてはものすごく不適当なことになってしまっているのだ。
きちんとした環境で薬の調合を行うための部屋が必要である。
そして、エイラちゃんには部屋をあてがったけれど、主人を大部屋に追いやってしまっている状況では、エイラちゃんも肩身が狭いだろうから、体裁を整えるためにもわたしの部屋も必要だろう。
となると、とても今のこの建物では手狭になるわけで……
増築にしろ、新築にしろ、とにかくお金が必要になるなぁ、と思い至ったわたしは、ひとまず今の我が家の財政状況を確認するために、帳簿を前に完全に止まっていた手を動かし始めたのだった。
どんどん時間が進むペースが速くなっていく、かもしれない。




