111-58 学院長との挨拶
マリューについて渡り廊下を通り、本館だと思う建物に入っていく。
足音が響く廊下の内装や調度には派手さはないけれど、随所に細やかな意匠が凝らされていて、厳粛な雰囲気に満ちているようだった。
照明が抑えられているのか、薄暗い館内に人影はほとんどなかったけれど、それでもたまに同じようなローブをまとった人影が見える。
「トタッセン先生、おはようございます」
「おはよう」
「あ、先生おはようございます」
「うん、おはよう」
さすがにこの学院の先生であるマリューは、時折すれ違う学生らしき子たちに丁寧な挨拶をされていた。
返すマリューは、片手を上げる程度の気楽な感じではあったけれど、学生たちがそれを気にする様子はないように見える。
それよりも皆、マリューについて歩くわたしの方を気にしているようだった。
大体、不思議そうに。たまに、怪訝そうに。
もちろんわたしも、そんな視線が自分に向いていることには気づいていたのだけれど、会釈するのが精一杯だった。
「……左手で杖を持って、右手で帽子を……とんがりを……」
「……ねぇ、サクラ。そんなに緊張しなくていいよ?」
ぼそぼそ、とひたすら挨拶の手順を復唱確認していたところ、ため息混じりにマリューが声を掛けてくる。
「で、でも、失礼があったら…… うまく、できるか不安で……」
「はぁ…… そもそもね、あの作法と言うか手順は自分のためなの。あの通りにすべきって言うんじゃなくて、あの通りにしておけば、杖で帽子を弾き飛ばしちゃったり取り落としちゃったりしなくて済む、って話なんだから。本当に、そこまで気負わなくていいんだよ?」
そうは言われても、あいにく気が楽になることはなかった。
失敗しないために手順通りにする、ということは、手順通りにできなければ失敗する、ということと感覚的には同じことだったから。
結局わたしの緊張がちっとも解れないうちに、ふたつほど階段を上がった奥の部屋、立派な扉の前でマリューは立ち止まる。
文字による表示がある訳ではないけれど、さすがにそこが目的地であることは察した。
ついに来てしまった…… なんて、わたしが思うか思わないかの一瞬。
マリューが一切間を置くこともなく、その扉をノックした。
そして、返事も待たずに扉を開けた!
「失礼します、学院長」
「──っ!? え、あ、ちょ、へっ……!?」
びっくりしすぎて、肺の中の空気が全部出て行ってしまった。
せめて深呼吸くらいさせて欲しかった。
「ほら、入って?」
「──!!」
わたしは手を引かれて、直後、学院長室の扉は閉まった。
◇
学院長室に入ったら、その正面に大きな窓の手前に人影があった。
その人影が、ゆっくりと立ち上がる。
「あ、えあ、えっと……!」
挨拶をしなければ! ということまでは思い出せたのだけれど、道中に復唱していた内容は全部吹き飛んでいた。
──あれ!? 右手が左手が帽子を取って、え?
わたわたして左手を振り上げた拍子に、長杖が帽子の鍔に当たって弾き飛ばしてしまっていた。
わああ! っとなる。
帽子を拾おうとしかけて、でもお尻を見せるなんて失礼なんじゃないか、と思い至って慌てて振り向き直して、でもやっぱり帽子を落としたままは良くないんじゃないかと思って、目線があちこち飛び回って……
どうしようもなく挙動不審になっていたら、ほっほっほ、と朗らかな笑い声が聞こえてきた。
「いやはや、トタッセン先生から聞いていた通り、可愛らしいお嬢さんじゃ」
耳が焼け落ちるかと思った。
「お初にお目に掛かる。わしはこの学院の学院長を拝命しておる、セヴェル・ロフ・ヘルナーダと言う。ようこそ、イデラ=スフェールの魔法学院へ。歓迎しますぞ」
「…………あ! わ、わわ、わたしは、ノ……サクラ・ノノカと申します。こち、らこそ、お世話になります。ありがとうございます……」
一瞬停止していた頭を、なんとか回して深々と下げる。
学院長は相変わらず、ほっほ、と笑っていた。
「どれ、長旅でお疲れでしょう。掛けられると良い」
「え、いや、そんな…… あ、ありがとうございます……」
暖炉の前のソファを勧められて、お断りもできずに、わたしも学院長の斜め正面にもふっと座る。座ってから、これは話し込む流れだ、と気づいてしまったけれど、どうしようもなかった。
そしてちょうどわたしも座ったタイミングで、いつの間にか姿の消えていたマリューが、ティーカップに紅茶を持ってきてくれた。
「あ、ありがとう……」
とてもいい香りがしていたけれど、正直手をつける余裕はない。
学院長の前にもカップが置かれる。そしてそれにお礼を言った学院長が、続けてマリューにひとつ言う。
「済まぬが、トタッセン先生。奥の部屋に良いお茶菓子がありますでな、持ってきてくれますかの?」
「ええ、分かりました」
澄まし顔のマリューが、すっと下がる。
ひとりにしないで欲しい! と内心で叫んだけれど、迷惑にしかならないし、話が拗れるだけなので堪えた。心細い。
柔らかい足音が遠のき、隣室への扉が閉まる音がしてから、学院長が話し始める。
「いやはや、本当によく来てくだすった。大した歓迎もできず申し訳ない」
「……い、いえ」
「それにしても、トタッセン先生から大凡の話は聞いておりますが、なかなかに興味深い来歴をお持ちとのこと。わしも研究者の端くれでありますからの。……異世界からいらっしゃったという話について、差し支えなければ、是非、詳しく伺いたいのですが、いかがかな?」
「あ…… えっと……」
なんとなく、そういった話に繋がる気はしていた。
そして…… 断っても覚えが良くないな、と思って、いままでのことをかいつまんで説明することにした。
わたしは日本という国で生まれ育ったこと。
ある夜、火事になった知り合いのおばあさんの家に助けに入ったら……死んでしまったらしいこと。
そして、目が覚めたらミフロにいて。
与り知らぬうちに、〝不死の魔法使い〟といわれる存在になっていたこと。
ついでに、わたしが日本で死ぬ直前に、魔法陣的なものと光に包まれたことから、その家のおばあさんが何かしたのかもしれない、とマリューがちらっと言っていたことと合わせて、日本──と言うか前世の世界──には魔法なんて存在していなかったことも伝えておいた。
ちょっと苦しいこともあって、たどたどしかったかもしれないけれど、大体のところは説明できた、と思う。
話を聞いていた学院長は、よくよく相槌をうってくれて、話を聞き終わってからも、大きく頷いていた。
そして白い髭をしごきながら、少し、眉間のしわを深めた。
「ふむ…… にわかには信じ難いはなしではありますの……」
「……わたしも、そう思います……」
暖炉の薪が小さく爆ぜた。
これが病院のベッドで見ている夢だとは思わない。
でも、実はこの世界は死後の世界なんではないか、とはまだちょっと疑っている。
……さすがに、言わないけれど。
少し言葉の途切れていたタイミングで、いつの間にか戻ってきていたのか、マリューがぬっと学院長との間に現れて、お菓子の乗ったお皿を出してきた。
「はーい、お待ち遠さま」
クッキーみたいなお菓子だった。
やっぱり、ちょっと手を出す気にはならなかったけれど。
学院長が紅茶を啜り、わたしが膝の上で握った手を軽く握り直す。
……と後ろ、マリューが下がったと思う背後から、なにやら、微かに咀嚼音が聞こえて来る気がした。
──マリューが何か食べてる……?
と思ったところで、学院長がまた口を開いた。
「時に…… いや、不躾な質問やも知れませんが、魔法を扱うのは苦手と聞きました。そう…… 今までに、魔法を教わるような機会はなかったのですかな?」
「えっと…… はい、そうですね。こちらに来てから、半年程度ですし、本格的な魔法使いといえる人に会ったのも、マリュー──トタッセン先生が初めてでしたから……」
「ふむ…… しかし、〝不死の魔法使い〟と知られたならば、その力を求められるようなこともあったのでは──」
「ねぇ、サクラ。学院長に素養の確認とかしてもらわない?」
学院長の話に割り込んで、そんなことを言ったのはマリューだ。
「勉強の指標になると思うよ?」
なんて付け加えるけれど、なんで急にそんなことを言い出したのか分からず、何より、学院長に対して失礼じゃないのかな、と軽く固まったわたしの前で、マリューは口だけで悪そうに笑っていた。
器用な表情だな、と思いかけたところで、学院長から声が飛ぶ。
「……これ、トタッセン先生。ご自身もそうとはいえ、〝不死の魔法使い〟様を相手に、それは…… 失礼でありましょうぞ」
一応、お叱りの言葉だった。
でも、思っていたのとは違った。と言うか、どういうお叱りなのか、わたしにはよく分からなかった。
なので何も言えず、学院長に向いていた視線を、またマリューに戻す。
「どうよ?」
改めて訊かれた。
ちょっと混乱していたけれど、頭を回し直して、一応考えてみる。
素養の確認、と言うのがなんなのかは、いまいちよく分からないけれど、その後の、勉強の指標になる、と言うのには興味が持てた。
そして、この限られた冬の間に、魔法を覚えるなり、ミフロでの収入に繋がりそうな知識を得ることは、大きな目標なので、いいかな、と思い至って。
「えっと…… お、お願いできるようなら……」
と申し出た。
すると、マリューが頷くのは分かるのだけれど、なぜか学院長はほんのり驚いたような顔をしたのだ。
「……宜しいのですかな?」
「え? あ、差し支えなければ……」
普通は断る場面だったのだろうか、と思うけれど、言ってしまったものは仕方がないので、あまりそこには深く突っ込まないでおく。
学院長は何やら少し思案して。
「では、少し頭に触れさせていただいても宜しいですかな?」
「……はい」
もしかして、身体に触れるから、失礼だなんて話だったのかな、と思う。多分違うとも思ったけれど。
わたしのこめかみあたりに触れた学院長は、口の中でもごもごと詠唱している。
しばらく詠唱が続いたあと、わたしの身体を、ぞわぞわ、とした違和感が波のように行ったり来たりした。
そのまま少しして、なんらかの結果が出たらしい。
「なるほど…… 純粋で無垢な、それでいて……莫大な魔力を持っておられるようだ」
「……莫大な魔力?」
なんだかすごそうな言葉に引っかかった。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「え? 聞いてないよ……」
でも、マリューには大したことではないのか、そんな反応だった。
莫大な、なんて言うから、もしかしたらすごいのかもしれない、と一瞬だけ嬉しくなったのだけれど、マリューの反応に引っかかって、ちょっと冷静になる。
ちょっと冷静になって考えてみて……
ふと、ある考えに至って、不安になってきた。
魔力は扱い方によっては危険なものとなる。
特に、わたしが最初《ウォーム》の魔法を使うのをためらっていたのは、込める魔力の量を間違えると命の危険があったからだ。
ちょっと温めるだけのつもりなのに、魔力を込めすぎると発火するかもしれない……
そんな風に、加減を間違えて、魔力を込めすぎるとそのまま命に関わることもあり得る。
〝莫大な魔力〟なんて、扱い方を間違えればただ危険なものなのでは…… と思い至って不安になったのだ。
「……しかし、あまり制御が出来ておらん様子。不安定ですな」
「──っ!? そ、そう、ですね……」
そんなわたしの不安を、問題点として学院長に的確に指摘されて、心臓が止まるかと思った。
そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、学院長は少しの間唸って。
「……しばらくの間、この学院で魔法の扱い方を学んでいくつもりはありませんかな?」
そんな、願っても無いことを言ってくれた。
「い、いいんですか……? でしたら、その、是非……」
「ふむ」
学院長は、少しの間わたしの目を、じぃーっと見つめてきた。
わたしも、あからさまに逸らしても失礼だろう、と思って、泳ぎそうになる目をなんとか真っ直ぐにして、見つめ返した。
数秒ののち、学院長は改めて頷いた。
「ならば、トタッセン先生。宜しくお願いいたしますぞ」
「ええ、承りました」
それだけのやり取りがあって、学院長はわたしに向き直る。
「それでは、改めて歓迎いたしますぞ。ようこそ魔法学院へ。……この学院にて、良き学びが得られることを願っておりますぞ」
「あ、は、はい! よろしくお願いいたします!」
学院長が一礼をして、わたしも慌ててソファから飛び上がって、精一杯の礼を返した。
そんな感じで学院長との挨拶も終わり、わたしは正式に、この魔法学院に滞在することが決まった。




