111-52 思い切り
「……ねぇ、ちょっとうちに来てみない?」
「……うち?」
「そう。王都の私の家」
突然の申し出に、ぽかんとしてマリューを見つめる。
それを困惑していると捉えたのか、マリューが言葉を続けて説明した。
「ここにいても、まだしばらくは収入も見込めなさそうなんでしょ? それにこのままだとまた凍死しそうだし…… だったら、冬の間だけでもうちに来てみない? 半分死んだままここで冬を越すより、うちに来た方ができることもあると思うよ。あと、ほら、いろいろ教えてあげられると思うし、なんなら冬休みとは言え私もやることがあるから、臨時助手として雇ってあげるよ。収入にもなるし、どうよ?」
「あー、うーん……」
まくし立てるようなマリューの言葉を、わたしは俯いて考えてみる。
知らないところに出向くと言うのは、ちょっと怖い。
全く知らない……この世界に来て数ヶ月。この土地に、人に慣れてきて、ようやくここを、落ち着ける場所、と思えるようになってきた。
だから、この世界にただここしかない安住の地から離れることが怖いのは、仕方がないことだとは思う。
思う、のだけれど……
このままここにいても、今のわたしではできることはほとんどないと言うのは、その通りだとも思う。
それよりも、この機会にいろいろと勉強させてもらえるなら、それを逃す手はないのではないだろうか?
手に職を…… と言うのは望みすぎかもしれないけれど、知識を得られるなら、勇気を出してマリューについていくのもありだと思えた。あと、お金も手に入るなら、それはそれで願ってもない。
マリューの言う通り、このままここで冬を越そうとしても、ジリ貧な気がしてやまないのだから……
「……分かった。行くよ」
「え!? 本当に?」
「え? あ、うん、勉強させてもらえるなら、願ってもないし。……あと、お金も欲しいし」
なぜか驚いた様子のマリュー。
自分で誘っておいて、なんでそんなに驚いているんだろう……?
断られると思っていたんだろうか?
へんなの、とちょっと首を傾げた。
「あ、いや、よし行こう! なんなら今から出発しよう!」
とか思っていたら、マリューったらそんなことを言い出した。
「え、今から!? そんな、準備とか全然……」
「時間掛かるの?」
そりゃあもちろん……
と思ったけれど、言われて考えてみると、用意するもの──いや、用意できるものなんて、ほとんどないことに気づいた。
服なんて、全部持ち出しても麻袋ひとつに収まっちゃうし、家具や食器なんて持ち出すものじゃないだろうし……
──持っていくもの…… あ、そうだった。
わたしはのそりとベッドから起きだして、ダイニング(大部屋)の窓際にある机の引き出しに手を掛ける。
「とりあえず、着替えと、これ持っていけばいいかな…… 勉強したことまとめたいし」
「なに、それ?」
わたしが引き出しから、いったい何を取り出したのか、と興味深そうに窺ってくるマリュー。
大したものじゃないよ、とわたしは手に持ったものを、胸の前に掲げて見せた。
「ノート。思ったこととか、知ったことをまとめてるの」
「ノート? へえ……」
ノートをまじまじと見つめるマリュー。
物珍しいものを見るように、ぐりぐりと頭を動かして、舐めるように見ている。
と言うか、そこまで食い入るように見られると、なんだか恥ずかしいものを見られているようで、腰が引けてくるのだけれど……
「ずいぶん立派な装丁だね、これ…… 買ったの?」
言われて、改めて見てみる。
確かに、こちらに来た当初に初めてこのノートを見たときは特になんとも思わなかったけれど、ある程度こちらのモノの価値を知った今だと、この本はいかにも高級そうだ、という気になってきた。
……これを売ったら、結構なお金になるのでは?
と思ったのは内緒。
高そうではあるけれど、もういろいろ書きこんじゃってるし、今更手放す気はなかった。
「確かに、言われてみるとお高そうだよね、これ…… でも、買ったわけじゃなくて、最初からこの家にあったよ」
「最初から? てことはつまり、サクラが異世界からやってきてから?」
「……うん。わたしが目を覚ましたのは家の前の草原だったんだけれど、それから目についたこの家に入ってすぐに見つけたから」
「へえぇぇ…… なんでまた、こんなのが置いてあったんだろうね……」
心底、不思議だ、といった様子で、またまじまじと本を見つめ始める。
また少しの間、手は出さずに頭をぐりぐりと動かしてノートを観察していたマリューだったのだけれど、なにやら急に、ちょっとだけ真剣な顔になって、わたしを見上げて言った。
「……ねえ、それ、中を見ちゃ駄目?」
「え……?」
一瞬、迷った。
けれど、すぐに、別に大丈夫か、と思う。
「まぁ、良いけど……」
「え、いいの!?」
わたしがノートを差し出すと、マリューが目を丸くして、大袈裟に驚いて見せた。
なんだろう……
なぜか、マリューは言うことすべて、わたしに断られる前提で言っている気がする。
不快とか、嫌とか、そういうわけじゃないんだけれど……
なんだか複雑な気分になった。
まぁ、そうは言っても、このノートに関しては日記みたいな使い方をしているから、どちらかと言えば見せたくないものだったので、全く無遠慮に見せてと言われても困っただろうけれど。
でも、別にちょっと見せるくらいなら特に抵抗はなかった。
わたしがプライベートをオープンにすることをいとわないから、じゃない。
日記と言うより、どちらかと言うと、知ったことをまとめた覚え書き、と言う意味合いの方が強かったから──ということもあるけれど、なにより、ずばり、見られたって読まれないのなら気にすることはないのだ。
だって、このノートは──
「これ、日本語で書いてるから、書いてあることは読めないと思うけれど……」
「ニホンゴ? って?」
「うん、ニホンゴっていうのは、わたしの……前世? の母国語なんだけれど……」
説明しつつ手渡したノートを、マリューは首を傾げながら受け取る。
そして、ノートを開いてぱらぱらとめくり……
みるみる難しい顔になった。
そこまで? と思いつつ、ちょっと気が引けるわたし。
マリューはノートから目を離さずに、ぼそりとつぶやく。
「……知らない字だ」
「でしょう?」
驚くマリューの様子を見て、ちょっとだけ得意になって胸を張る。
別にわたしがすごいわけじゃないんだけれどね。
それにしても、マリューはまじまじとそのノートに見入っている。
一文字一文字を、その視線で分解するんじゃないか、と思えるような勢いで見られているので、読めないのは分かっていても、恥ずかしくてそわそわした。
そして、一通りノートをめくってみたマリューが、本当に小さな声で、ぼそりと。
「(やっぱりほんとに転生者……?)」
「え?」
「あ、いや、なんでもないよ! ありがとね!」
マリューのつぶやきを聞き取れなかったわたしは、そんなにニホンゴが気になるのかな…… と思いつつ、王都に向かうための準備に取り掛かった。
とりあえず、持ち手のついた麻袋にノートとお金と服を詰め込んで、置いて行ってもダメにするだけだから、と食べ物の入った大袋も持ち出せるようにしておいた。
本当に、荷物が少ないからこれだけで準備が終わってしまった。
忘れ物はないかな…… なんて、忘れられるものがないから気にする必要さえないなんて。
なんだか、ちょっと寂しい気分になってしまった。
それはそれとして、いつの間にかコップに水を注いで、テーブルに向かって何か考え事をしている様子のマリューに声を掛ける。
「マリュー、もう行けそうなんだけれど……」
「え、もう? ……ま、じゃあ行こっか」
「うん。それと、途中でクライアさんの家に寄って声を掛けておきたいんだけれど……」
「あぁ、そうね。私も挨拶しとくよ。ついでにウェデルくんもじきに帰省するって伝えとこう」
「あぁ、ウェデルくんも帰省するんだね。……入れ違いになるかな」
「うーん、確かにちょうど入れ違いになりそうね」
家を出て、掛ける鍵がないのでそのままに、クライアさんの家に向かう。
《ウォーム》の魔法のお陰で暖かく感じるけれど、解除したら寒いんだろうな、なにせ凍死するくらいだものな…… なんて考えながら山道を降りていると、並んで歩いていたマリューがこちらを覗き込んできた。
「……ねえサクラ」
「うん? なに?」
「その……ニホンゴってさ、ちょっと興味あるんだけど…… 教えてくれたりしないかなー なんて」
「んー…… うん、いいよ」
教えるからには、ノートを見られないように気を付けないと、なんて思いながら、気軽に了承する。
そしたら、やっぱりマリューは大袈裟に驚いた。
と言うか、むしろ困惑している風ですらある。
──そんなに、わたしってツンツンしてると思われてるのかな……
そんなことを思いつつ、クライアさんの家に着くまでに、王都までの旅路についてちょっと話を聞いておいた。
馬車で、中継地を挟んで十日の道程とのことだった。
じゃあ、その間に教えるね、と約束する。
なんだか、思いっきり流れと勢いだけで家を出て来たけれど……
不安が大きめの期待と、ある種の責任感や義務感もちょっと感じながら。
初めての遠出だ、と今更ながら、気を引き締め始めていた。
もうちょっとサクサクお話を進めたいね……




