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106-52 もうひとつのプロローグ

サブタイトルの数字は、整理番号みたいなものなので、大小で前後がわかるようになってる、くらいの認識で大丈夫です。

 その日、佐倉野乃花は、机に向かっていた。

 野乃花の実家はそこそこ大きな農家であり、高校を卒業してからはずっと、その手伝いをしている。


 先代の頃は、組合に農産物をただ出荷するだけだったのだけれど、父が農場を引き継いでからは、いろいろと新しいことにも挑戦を続けていて、特にここ数年で、ブランド化した農産物を直接消費者に届ける事業なんかが軌道に乗ってきている。

 昔は中規模で家族経営だった農場も、パートさんを雇ったり、新たに農地を増やしたりして大きくなってきた。それに伴って、うちにも少しずつ〝余裕〟が出てきた。


 だから、今を逃す手はないと、父にお願いをして、大学に進学させてもらうことになった。

 本当は、現役の頃からずっと大学には行きたいと思っていた。

 でも、実家にあまり余裕がないことは知っていたし、ちょうど新しい事業を試行錯誤していた頃で、言い出せなかった。たぶん、行きたいと言っていれば、行かせてくれていたとは思うのだけれど、なんだか、悪い気がしたのだ。

 でも、今は少し余裕がある。

 大学に行って、経済や経営について学びたい。

 そして、実家の事業の役に立ちたい。

 両親は何も言わないけれど、一人娘として、たぶん、期待はされていると思うから。


 ある種の使命感にも背中を押されつつ、ここ最近はずっと受験勉強に勤しむ日々を送っていた。

 来週には模試があり、その結果から志望校を確定するつもりなので、いつもより勉強に熱が入っている。


 ふと時計を見ると、午前二時になろうかという頃だった。

 昼間は実家の仕事を手伝って、勉強するのはいつも夜だけれど、さすがに、こんなに遅くまで起きているのは久し振りだった。

 まだまだ勉強し足りない不安があるけれど、無理をして身体を壊してしまっては本末転倒なので、今日はここまでにしよう。


 明かりを消して、ベッドに入ろうとした時、外からカーテンがほのかに赤く照らされていることに気がついた。


 そっと外を覗き見る。

 そして、息を飲んだ。

 そう遠くないところで、真っ赤な火の手が上がっているのが見えた。

 真っ暗だから少しわかりづらいけれど、確かあの辺りは……


「太田のおばあさん……!」


 すっと血の気が引くのを感じた。

 そこから体が動くのは早かった。居ても立っても居られず、家を飛び出していた。

 見当違いでなければ、あそこの家には、おばあさんが一人で暮らしていたはずだ。

 うちの農産物を買ってくれていて、近所なので何度となく配達に行ったことがある。足が不自由なので、逃げ遅れているかもしれない。

 別に仲がいいというわけでもないけれど、知っている人の命が危ないかもしれないのに、遠くからただ見ているだけ、なんてできなかった。


 慌てておばあさんの家の敷地の前に駆けつけると、近所の人達が何人か集まっていた。

 おばあさんの家は、一階の片隅から真っ赤な火の手が上がり、炎から以外にも、一階や、特に二階の窓からも黒煙が立ち上り、赤く照らされていた。

 まだ家全体が火に包まれているわけではない。おばあさんは大丈夫だろうか。


「これはあかんな……」

「消防団に連絡はしたんか?」

「いつ来れるか分かったもんやない」

「間に合わんやろ……」


 集まった人の中に、おばあさんはいない。

 普段、家を出ることもない人なので、きっと、まだ家の中にいるに違いない。


「あ…… あの……」

「この辺りはだいぶ端の方やからな……」

「消防車も救急車もかなり掛かりよるな……」


 しかし、その場にいる人は、誰もおばあさんを助けに行くそぶりを見せない。

 まだ火の手はそこまで大きくは見えない。

 きっとそこにいるのに。

 煙に巻かれて、おばあさんが怖い思いをしているかもしれないのに。

 腰を抜かして、動けないのかもしれないのに。

 早く助けないと……

 早く助けないと、おばあさんが……!


 言いようのない焦りと不安に襲われて、気がついたら、走り出していた。

 見知った人が、火事で、目の前で死んでしまうのが、ひたすら怖かった。

 少しして、背後から制止する声が聞こえた気がしたけれど、その時には既に玄関の戸に手を掛けていた。


 戸を開け放つ。すると、溜まっていた煙が一気に溢れ出して、それを吸ってしまってむせかえった。口の中がじゃりじゃりして、目が痛い。

 それでも、怯むことなく家の中に飛び込んだ。

 出来るだけ身を低くして、家の中へと入っていく。

 真っ暗な中を、手探りで進んでいくと、手近な部屋の中に、ぼんやりと照らされた人影が見えた。

 呆然と膝をついている人影に見えた。

 あのままでは煙を吸ってしまう、と直感して、咄嗟に体が動いていた。まずは身をかがめて、煙を吸わないようにしないといけない、と部屋に飛び込んでいた。


「おばあさん! 伏せてー!」


 反射的に動いたので、つい勢いをつけすぎてしまった。

 勢い余って、おばあさんを押し倒してしまう。

 せめておばあさんを押しつぶしてしまうまいと、なんとか身をよじった。

 そのままおばあさんと共に、勢いよく地面に倒れ込んだのだけれど、その時、喉に強い衝撃があった。


 喉をなにかに打ち付けてしまったらしい。

 びっくりして、息ができない。

 不思議な感覚が、喉から全身へと広がる。

 痺れるような感じがして、かと思ったら、冷たさを感じて、それでも(おさ)まらなくて、急に、寒くなってきた。


「……?」


 声が出ない。

 息ができない。

 体が動かない。


 ふと、昔、銭湯の水風呂に落ちた時のことを思い出した。

 びっくりして、息ができなくて、それからちょっぴり、冷たい水を飲み込んだような記憶がある。

 冷たい感覚が、喉を下っていく。

 同時に、熱い感覚が、口から溢れて滴った。


「ぅげっ…… げぽっ」


 寒い。

 いや、暑い?

 わからない。

 違う。

 …………痛い?


「あ、あ、あ、あんたああああああああああああああああああああ!?」


 おばあさんの声が、随分と大きく聞こえた。


 視界が、真っ暗になった。


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