107-56 わたしの家
とりあえず、恥ずかしいので服を着る。
それからクライアさんを家に招いて、話の続きをすることにした。
「サクラちゃん、今は薬草をただ干しただけのを買い取ってもらってるだろう? でも、薬草には種類ごとに一番適した処理の仕方がある……らしいね。あたしゃその辺あんまり詳しくないんだが、どうせ買ってもらうなら、それぞれに適した処理をすればいいんじゃないかと思ってね? それでこれをあげようと思ったんだよ」
そう言って、クライアさんはガタガタ揺れるダイニングテーブルの上に、一冊の本をごとりと置いた。
少しくたびれた様子のある表紙には、〝生薬と利用〟と書かれている。見るからに立派な装丁がされていて、一目で高価な本だと分かるので、わたしは思わず首を横に振っていた。
「こんなに高価そうな本、いただけません…… 本の高価さは身を以て知ってます。野草に関する本を貸していただいておきながら、さらに高価な本をいただくわけには……」
本は高い。特に専門書ともなれば、ものすごくお高いことは、先日魔法入門書を買ったことで、骨身にしみて理解していた。
なので、すでにそんな高価な本を一冊借りているのに、さらにもう一冊を頂くわけにはいかない、とわたしはテーブルの上の本を、そっとクライアさんの方に押して戻そうとしたんだけれど…… クライアさんの手が本に伸びて、押し止められてしまった。
「家にあったもんさ。家にあっても誰も読まないし、埃をかぶっていくだけなんだよ。……でも、サクラちゃんなら有効に使ってくれるだろう? 貰っておくれな」
「ん………… んん、そこまで仰るんでしたら……お借りします」
困ったような、そしてちょっと悲しそうな顔をするクライアさんのご厚意を、さりとて無下にすることはできなかった。
わたし自身、生薬の本にはもちろん興味があるし、正直に言えば、ぜひ欲しい。それでも、素直に受け取るには、あまりにも高価なものなのだ。
──クライアさんは、本当に、なんでわたしにこんなに良くしてくれるんだろう……
かねてより抱いていた疑問。
わたしは恐る恐る、ここでクライアさんにそのことを訊ねてみることにした。
「あの、クライアさん…… どうしてこんなにも、わたしに目を掛けてくれるんですか? 今のわたしには、お返しできるものも無いのに。……もし、もしも、わたしが〝不死の魔法使い〟だから、だって言うんでしたら…… わたしは、そんなに立派なものじゃ……」
「あぁ、うーん、そうさねぇ……」
クライアさんは、ちょっと考えるように腕を組んで、塞がった天井を仰ぐ。
そして数秒の間をおいて、ちょっと照れたように笑った。
「あたしは女手ひとつで子供を育ててきたんだが、その子が、今、王都の学校に通っててね。まぁ滅多に帰ってこれないんだけど…… それが、ちょうどサクラちゃんと同じくらいの年頃なんだよ。だから、他人とは思えないと言うか、まるで、娘のように思えて…… どうにも可愛がりたくなっちまうのさ。あっははは」
豪快に笑うクライアさん。
その話を聞いたわたしは、そうだったのか、と納得しつつも驚いた。
娘のように思っていてくれていたのなら、その優しさに理由を求めるのも、おかしな話に思える。むしろ、悪い悪いとその厚意を断り続けることにこそ、心苦しさを覚えるような気さえしてくるようだ。
それに、まさかクライアさんに、わたしと同じくらいの子供がいるだなんて、思いもよらなかった。
化粧っ気のない顔は、まだまだ若く見える。この世界の結婚や出産が、日本よりずっと早いものだとしても、それでも二十代半ば過ぎの子供がいるのだったら、もう四十くらいにはなっていそうなものだけれど、わたしの目には、どうみてもまだわたしより少し上、三十そこそこの年齢に見える。
ちょっと、まじまじとクライアさんを見つめてみた。
恥ずかしそうにする笑顔は、うん。やっぱりどう見ても、四十歳には見えない。わたしには三十歳くらいに見える。
お若いですよね、とつぶやきかけて、わたしは不意に違和感を覚えた。
「あれ、わたし、クライアさんに年齢って言ったことありましたっけ……?」
「え?」
なにかまた、勘違いや行き違いが起こっているような気がして、それを修正しようと、どこから何がどうおかしくなったのかを考えていたのだけれど、その答えに気がついたのはクライアさんが先だった。
「……あ、そうだった。サクラちゃんは不死の魔法使いさまなんだから、見た目と年齢が一致してなかったね! いや、てっきり十六、七だとばかり思い込んでたよ! これは恥ずかしい勘違いをしちまってたね! あっははは!」
手を振って照れ笑いをするクライアさんの反応に、わたしも思わず顔がほころんで笑ってしまった。クライアさんの子供さんが十六くらいなのだとなると、やっぱりクライアさんは三十代前半くらいなのだろう。
……というか、わたしは今、十六歳くらいに見えているのだろうか? むしろ、そちらの方が気になってきた。
「まぁまぁ、それでも、サクラちゃんを娘のように思ってるのは変わりないさね。……それで、この本は貰っておくれよ。正しい処理をすれば、もっと高く買い取ってもらえるかもしれないよ。……あぁ、ただ、この本には薬草の調合のことも載ってるけどね、素人の調合した薬だと買い取ってもらえないから、気をつけなね。いくら不死の魔法使いさまと言っても、さすがにね」
「そうなんですね……ありがとうございます。勉強させてもらいますね」
わたしはクライアさんの持ってきた本を抱き寄せて、ひとつ頭を下げた。
最近お高い本を買ってしまって、借金を背負ってしまっている状態なので、返済の足しにするためにも、これでしっかり勉強させてもらおう。
もらった本を戸棚の中に大切にしまったところで、クライアさんは帰路に着いた。
わたしもはしごを返すついでに、少し食べ物を買いにいこうと一緒について行ったのだけれど、昼ご飯を食べていなかったことがバレてしまって、夕ご飯をたくさん詰め込まれて、さらにいくらか食料まで持たせてもらってしまった。
子供さんのことを聞いて、ご厚意を断りづらくなった上に、実際に家計が苦しく、本にしても食べのものにしても、本音としても正直すごく助かってしまって、ますますクライアさんには頭が上がらなくなる一日なのだった。
◇
後日、わたしはちょっと悩んでいた。
何にか、というと、今のわたしのメインの収入源である、薬草のことである。
最近……と言うより、商人のハルベイさんに薬草を売るようになって以来、生活を安定させるためのお金を得ようと、一生懸命薬草を集めてきた。こと先日には高価な本を買って借金を背負ってしまったので、それまで以上にたくさんの薬草をかき集めていた。
そして今……付近の薬草が無くなりかけていた。
薬草は主に山の上の、家の建っている草はらから採っている。山の中にも生えているものはあるのだけれど、量を集めるのには起伏が多くて見通しが悪く、危険な動物に出会わないとも限らないので敬遠している。
でも、せいぜい一ヘクタールくらいしかない草はらなので、ついに採り尽くしてしまう気配が見えてきたのだ。
もちろん、採り尽くしてしまっては後がないことは分かりきっているので、適度に点々と残してはいるのだけれど…… もうほとんど、そうして残しておいた分しかなくなってきた。
「《ハードニング》の魔法もあるし、最悪、クマとかに襲われても何とかなりそうだから、山に入るのは避けれないとしても、草はらの薬草は、このままだとジリ貧だしなぁ……」
そもそも、広い草はらに点々と生えている薬草を探して採り回っていたけれど、自然に生えているものだから絶対量が少ないし、何より効率が悪い。
今までは、危機感はなかったけれど、余裕もなかったので、そのままでやってきたけれど。
「畑、作ろうかな」
先のことを考えて、時間と手間をかけて環境を整備するのに、いい機会だと思えた。
わたしは農家の娘である。畑づくりについては一家言あるつもりだ。……まぁ、何の整備もされていない、ただの草はらを開墾したことはないのだけれども。
さっそく、その日から畑づくりを開始した。
とりあえず、家の前の適当なところに半アールくらいの範囲を見繕って、四隅に棒を立てて目印にする。そしてサイズでざっと草を刈って、何日か掛けて、鍬で耕し大きな根っこや石を弾き出しながら、丁寧に土を混ぜ込んで行った。
土地はまだまだ余っているので、生産性を考えるともっともっと広くてもいいのだけれど、木の根が無いとは言え、広すぎれば一人で開墾するには手に余る。それに、森に入って日々の糧になる薬草も取りに行かないといけないので、畑づくりにばかり構ってもいられないのだから、まずはそれなりのサイズに収めて、お試しのつもりでの開墾としていた。
そうして、少しずつ草はらを拓くこと一週間。
やっと、それなりに畑らしい、裸の土のエリアが完成した。
とりあえず、今できる最後の仕上げに、最初に刈り込んで良い感じに乾燥してきた草を燃やして灰を作り、全体に満遍なくすき込んで行く。
そうやってできた畑は、土の状態も悪くなく、なかなか満足のいくものだった。
「よしよし。もともと畑だったのかな? 良い感じになってよかった」
一晩置いてから、点在していた薬草を移植して集めてみた。
葉もいくらか採れるかもしれないけれど、もう大した量にはならないし、あとはほとんどタネを取るだけなので、わざわざ移植する必要もなかったのだけれど、畑として機能している状態を見たかったので、これはこれでよし。
ひとまずの完成を見た畑のそばに立って、家の方を見てみた。
やっぱり、素人修理の屋根が浮いているけれど、その歪さに少し愛着が湧いてきた気もする。
最初は窓もなかった家を、少しずつ修理して、やっと最近になって、屋根の大穴も塞いだ。
家のどこに何を置くか決めて、毎日そこで寝起きして、本を読み、試行錯誤しながら薬草と向き合って。
そして、家の前には畑ができた。食べる野菜を作るためより、薬草を育てるためだけれど、小さな家に小さな畑は、ここに一つの生活の営みがあるというのを実感できるようだった。
こちらに来て、そろそろ二月が経とうとしている。
夜中、急に寂しくなって枕を濡らしたことも、何度もあった。
それでも、少しずつ過ごしやすくなってきたこの家を見て、ここがわたしの家なんだ、と思えるようになってきている。
まだ、完全に気持ちを切り替えることなんてできないけれど、それでも、ここがわたしの新しい故郷になってきているんだ、という感覚は、未だ不安で塗り固められたこの心を、少し解してくれるようだった。
わたしはそっと自らの胸に手を置いて、ひとつ静かに深呼吸をした。
1年目の夏はこれにて一段落です。
次からは初秋に入ります。




