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107-52 カチコチの魔法

 翌週。

 朝夕の冷え込みも、大分気にならなくなってきて、昼間は汗ばむ陽気な日が増えてきた。

 その日、いつもの3倍くらいの採集物をハルベイさんに買い取ってもらったわたしは、最低限の食品と、例のモノを手にして、真っ直ぐ駆け足気味で山の上の家に帰っていた。

 買ってきた食品の整理もそこそこに、例のモノを抱えて、窓際の机に向かう。


「買って、しまった……!」


〝魔法入門書〟を両手で持って、興奮気味にその表紙を眺める。

 魔法が使えるようになるかもしれない、という期待感と、事実上の借金をしてまで高価な本を手に入れてしまった、という罪悪感と、別ベクトルの興奮が渦巻いて、混乱気味にしばらくそのまま固まっていたのだけれど、駆け帰ってきた呼吸が落ち着いた頃に、やっと本を机の上に置いて、気合いを入れるように深呼吸をした。


 まず、昂ぶった感情を自ら戒めにかかる。


「本を買ったからと言って、魔法が使えるようになったわけでも、魔法が使えるようになるわけでも、ないからね……」


 そもそも、魔法というものがどんなものなのか、さっぱりわかっていなかった。

 それどころか、魔法と言われるものを、実際にこの目で見たことすらない。


「……あ、冷静になってちゃダメな気がする」


 いらないことを考えてしまう前に、とすぐに入門書を開いた。

 目次をすっ飛ばして、序論部分に目を通す。ちょっと心配していたけれど、入門書に記された文字は問題なく読むことができたので、ひと安心。


 世界と、体の内にある魔力。

 その魔力を操り、放出し、思い描いたことを発現する術。

 それが魔法である。


 ……と、序論の冒頭には、だいたいそんなことが書かれていた。

 これなら、漠然と思い描いていた魔法像と大して違いはないかな、と思いつつ、気が急いて仕方がないので、適当にページを飛ばして、実際に魔法を使う、その準備の段に目を通す。


「ふむ…… 『魔力はあまねく人が持つ力。体の内に灯る命の灯火。それを把握することが、魔法を扱う端緒となる』 ……入門書という割に、小難しいことを……」


 ちょっとややこしくも感じたけれど、とは言え、向こうで……死ぬ……直前まで、受験勉強で難しい参考書などを見ていたので、とっつきにくいとまでは思わなかった。


 ひとまず、その『体の内にある灯火の把握』なることをする為に、入門書に従って瞑想をする準備をする。

 藁のベッドに乗っかって、座禅──のつもりの胡座をかいて、背筋を伸ばして目を閉じた。

 入門書には、瞑想して、静かに自らの内に集中すれば、体の中に揺らめく魔力の灯火を見つけやすくなる……と、書いてあった。

 魔法を扱う初歩の初歩ということで、ここで躓きたくないな…… と思いつつ、瞑想に入る。


 と。


「…………?」


 10秒と経たないうちに、なにやら感じるものがあった。

 それは、今までの人生──前の人生?──で感じたことのない不思議なもので、お腹か、胸か、よく分からないけれど、くすぐったいような感覚だった。それは最初は微かなもので、呼吸の動きに掻き消されそうなものだったけれど、意識して捉えようとしていると、だんだんとそれは鮮明になり、物質的な異物感とは違う、でも確かにそこに何かがある、と思わせるものになっていった。


 目を開けて、ひと息つく。

 集中が途切れると、その不思議な感覚は、ふぁっと霧散したけれど、ちょっと探してみようとすれば、未だそれはそこにあることが、すぐに分かる。

 一度捉えたそれは、もう二度と見失うことはないように思えた。


「これが、魔力……?」


 こんなに簡単に捉えられるものなのかな、と思って、入門書を開く。

 説明を読む感じ、記述されているそれと、いま自分で感じたそれは、同じものであると考えても問題はなさそうに思えた。

 入門書の、灯火の把握、に関する記述は決して多いものではないので、別に躓くほど難儀なことじゃなかったのかもしれない。


「案外さっくり…… じゃあ、次は…… 『魔力を任意の場所に集めて、放出する』」


 具体例は、魔力を手のひらに集めて、そこから体の外に出してみる、ということだった。

 またベッドの上に胡座をかいて、魔力を捉えにかかる。

 すぐに捉えられた魔力の灯火を、体の中で転がすようにイメージしてみる。

 そうして魔力を手のひらの方に動かしてみれば、それで良いはず、だった。


 魔力を捉えるのはすぐにできたので、この辺りもさっくり進められるかな、と思っていたのだけれど……

 ところがどっこい、これがなかなかうまくいかなかった。


 体の中にある魔力の灯火は……と言うより、あまりにはっきりしているので、もはや炎とでも言ってしまえそうなくらいのそれは、捉えるのになにも難しいことはない。

 でも、それを細かく動かすのは、随分と難儀なことだった。

 いっそ、体の中心から魔力を溢れさせて、手の方まで魔力を持っていった方が簡単なのではないかと思うくらいなのだけれど、入門書には『魔力を手のひらの方に移動させる』という書き方がされているので、たぶん、それは違うのだろう。


「んー、困った、できない……」


 入門書をちょっと読み進める。

 手のひらに集めた魔力は、『柔らかなる温もりを我が手にもたらせ』なる詠唱のうえ、《ウォーム(加温)》という、魔力を熱に変える、最も基礎的な魔法とする、と言ったことが書かれていた。

 どうも、魔力を熱に変える、という根本的なことさえ〝イメージ〟できれば、詠唱はなんでも良いらしいのだけれど、そのイメージを魔力で形に変えるのが、魔法の基礎だ、とまとめられている。


「魔力を熱に変える…… それだけなら、別に手のひらまで魔力を移動させなくても、試せなくはなさそう、なんだけれど……」


 いきなり入門書で指南されていることからずれることにも抵抗があったのだけれど、それ以上に気にかかったのは、この《ウォーム(加温)》という魔法の補足説明。


「『人肌と同じか、少し高いくらいの温度をもたらすのが、《ウォーム(加温)》。冷水をお湯にし、沸騰させるくらいの温度をもたらすのが、《ヒート(加熱)》。薪に火を灯せるくらいの温度をもたらすのが、《ティンダー(点火)》。これらは、イメージと、魔力の加減によって、違う魔法として定義される』…… んん……」


 つまり、根本的には、ちょっと温めるのも、薪に火を灯すのも、同じということらしい。

 発現する魔法は、イメージによって定義されると書かれているので、火をともそうなんて思わなければ、大丈夫だとは思うのだけれど、用いる魔力の量という点では、全身に溢れさせた魔力を用いようとするのは、どう考えてもやり過ぎだと思う。


「まかり間違って、人体発火とかになったら、目も当てられないし……」


 不死だし、大した問題じゃないのかもしれないけれど、家が燃えちゃうし、ましてや、真っ黒焦げになった自分なんて想像もしたくない。

 ……いや、炭になったところから、どうやって回復するのか見当もつかない。やっぱり、さすがに不死と言われても、燃えるのはまずそうに思えた。


「もう、絶対、死にたくないし……」


 死なないことは、絶対優先事項だ。


 下手なことはしない。

 でも、魔法は使ってみたい。

 魔力を全身に満たした状態で使うように指示されている魔法がないか、入門書をぱらぱらとめくってみる。

 大半の魔法は、手や足や頭や胴など、一部分に魔力を集中させる必要があるようで、なかなか自分でもできそうな魔法は見つからなかった。

 頭から見ていって、残りのページもわずかになり、残念感が優勢になったころ。


「……ん。あ、これ、《ハードニング(硬化)》。『全身に魔力を満たし、硬化させる防御魔法』。これなら、わたしでもできそう!」


 早速試してみる。

 入門書に載っている魔法なので、当然かもしれないけれど、説明も内容も、シンプルな魔法だ。全身に満たされた魔力を、ちょっと表面に溢れさせて、それを硬くしよう! といった感じだと思う。

 まずは魔力をどんな感じに扱えば良いか、出来るだけ細かくイメージしてみてから、とりあえず記載通りの詠唱をする。


「『我が身を包み、強固なる鎧となれ』《ハードニング(硬化)》!」


 ちょっと、ざわっとした感じと、ほのかに、風が吹いたような気がした。


「……? 変わっ、あっ、あっ、あ、あ、ぇあ! あ!」


 何か変わったのか、と思ったら、身体が全く動かない!


 全力で全身の筋肉を強張らせて、どうにか動こうとするものの、全くビクともしなかった。

 何が起こったのか、とパニックになりそうになったのを必死に耐えて、状況の把握と、対応を考えよう、としたものの。


 ──……!? 息が、できない!


 胸も、腹も動かず、息を吸うことも、吐くこともできなくなっていることに気がついて、結局パニックになった。

 このままじゃ死ぬ、という絶望に支配されそうになった瞬間、集中力が切れて、魔法が解けたのだろう。不意に拘束が解け、バネ仕掛けの人形のように跳ね飛んで、ベッドにひっくり返る。


「はぁっ! はぁ! あぁっ! んんんー!」


 ベッドの上でひとしきりのたうちまわった。

 嫌な汗がじっとりと滲み、もう暑いとも言えるような気温のはずなのに、ちょっと寒気がするような気分だった。

 少しして、乱れた呼吸も治って、ようやく回り出した頭で、今さっき起こったことを整理し始める。

 と言っても、それほど難しい話でもなさそうだった。


「……体の表面を、魔力でがちがちに固めちゃったから、かな……」


 要は、全身を糊で固めたような状態になってしまったのだろう、と思い至る。ちょっと、硬く硬く、とそれだけを意識しすぎてしまったのかもしれない。


「もうちょっと、しなやかさ……? も、意識しよう…… 関節とかも動かせるように、意識しよう……」


 自分がただ浅慮なだけだったのかもしれないけれど、魔法って難しいなぁ、と、まだちょっとどきどきしながら思った。

 まあ、一瞬死ぬかとは思ったものの、全力の抵抗にも全く動じない程度には、硬くはなれたらしい。

 入門書に載っていた魔法で、とりあえず使えそうだったのはこれくらいしかなかったので、もうちょっと調整して、実用的? にできるだろうか。


「ちょっと怖いし、あんまり、うまく使えそうな場面が、思い浮かばないけれどね……」


 ──試行錯誤が必要だなぁ……


「……あ、そうだ」


 ふと、思い至ったことがあって、窓際の机の引き出しを開けた。

 中にあるのは、白紙の本。この家に遺されていたものだけれど、良い使い道が思いつかなくて、しまったままになっていたのだ。


「これに、自分なりに、魔法のこと、まとめていこう。あと…… そうだ、簡単に、その日あったこととか、思ったこととか、書いてもいいかも」


 日々勉強することも多い。勉強したことは、きちんと書き留めておきたい、という素朴な思いつきで、わたしは日々学んだことを、まっさらな本に書き記していくことにしたのだ。



 ちなみに、魔法を見たい、と言っていた子供たちには、後日、試行錯誤の結果、ちょっとは安定するようになった《ハードニング(硬化)》の魔法を使って、素手での石割りを見せて驚かせてあげました。



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