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107-51 魔法入門書

 一年目、夏、こちらに来てから数週間が経ったころ。


 しばらくは変わりなく、黙々と耐えるような日々を過ごしていたのだけれど、さすがにそろそろ、ギリギリの生活からも脱却を目指して、新しいことを始めたいな、と思い始めていた。



 毒草を食べてしまい、意識を失ってお医者さんにお世話になってから、早いもので四週間が経とうとしている。

 あれ以来は、この辺りの野草についてクライアさんにいろいろご教授いただいたお陰もあって、特に問題もない平和な日々を過ごせていた。

 毒草食べ事件のせいで頓挫していた、行商人さんに野草や薬草を売ろうという計画も、翌週からはなんとか実行に移して、ほんの少しではあるけれど、お金を得ることもできている。


 そして、今日は日曜日。

 週に一度、行商人さんのキャラバンがこのミフロ村にやって来る日だ。

 村の多くの人たちにとっては、村では手に入らない品物が買える日であり、わたしにとっては、採集した野草や薬草を買い取ってもらえる、今のところ唯一の稼ぎの日だ。


「ハルベイさん、こんにちは」

「これはこれは、ミフロの不死の魔法使いさま。ご機嫌麗しゅう。今日もまた、お美しくあられますな」


 スラリと伸びた手足で、優雅に恭しく綺麗な一礼をしてみせる壮年の男性──ハルベイさんは、このキャラバンのリーダー的な立場の人で、採集物の買い取りは、いつもこの人にお願いしている。


「……もう、そういうのやめてくださいって、言ってるじゃないですか」

「ははは、商売人に礼儀と愛想は欠かせませんからな。どうか、ご容赦いただきたい」


 恥ずかしくて、直接顔を見上げていられないものだから、足元ばかり見てしまう。ただ、土汚れのない、よく手入れされたサンダルを履いていらっしゃるのを見て、自分のスリッパのような履き物と比べてしまって、別の意味でも恥ずかしくなってきた。


「と、とりあえず、今日もこちら、見ていただけますか?」

「ええ、勿論ですよ。どれ、拝見致しましょう」


 わたしが、今週頑張って集めて、担いで来た籠一杯の干した薬草を手渡す。

 するとハルベイさんは、種類ごとに束ねられた薬草を手早く見極めて、そろばんみたいなツールを、パチン、パチンといじっていく。

 本当にきちんと見ているのか怪しく思える早さだけれど、これでいて束の中に一本でも別の薬草が交じっていると、確実に見つけられるのだ。

 別に、交じっていることを咎められることもないし、買い取り価格にも違いはない(はず)のだけれど、お世話になっているのに、必要以上の手間をかけさせたくもないし、この鑑定・勘定の時間はなんとも言えず、どきどきしてしまう。

 そして、背負ってきた籠一杯の薬草の束も、ものの数分でハルベイさんは全て確認し終わってしまった。


「コユメミタケが青銅貨30枚、ツニレサ、ヒロバクサがそれぞれ青銅貨82枚、ケンチョウクサが青銅貨96枚で、合わせて青銅貨290枚で如何でしょうか?」


 はい! と言いかけて。


「……あれ、前回と少し、お値段違います?」


 具体的には、コユメミタケがちょっと安く、ケンチョウクサがちょっと高くなっていた。


「ええ。コユメミタケは少々在庫過多になっておりまして、買い取り価格は下げさせていただいております。ですが、ケンチョウクサはこれからの時期、なかなか入り用となりますゆえ、あればあるだけ買い取らせていただければ、と」

「んん…… 分かりました。勉強になります」


 季節もの、ということなのだろうか。需要に応じた商品(と言っていいのかは怪しいけれど)の供給は商売の基本だし、そういうことも少しずつ覚えていって、次に生かしていかなければ。


「さて、不死の魔法使いさま。対価は貨幣で、いま受け取られますかな? それとも──」

「あっ、買い物、します!」


 こちらのお金は、全部コインでジャラジャラ大変なので、いつも買い取りの後は額だけ聞いておいて、買い物をしてから、その分を引いただけのお金を最終的に受け取っている。

 だから、まずは入り用なもののお買い物。

 とは言っても、パンなんかの食べ物は麓の村で買ってしまうし、ハルベイさんたちが取り扱っているのは、村では手に入りにくい、比較的お高いものが主だから、今のわたしに買えるものは多くはないんだけれど……


「えっと、塩を少しと…… あ、そのツボっておいくらですか?」

「一番小さいもので、真鍮貨で5枚で如何でしょうか?」

「ん、んん……!」


 水を入れておける持ち運べる容器が桶のひとつしかなかったので、ちょっと欲しかったのだけれど、真鍮貨5枚=青銅貨80枚分……


「ま、また今度にします……」


 まだ、屋根の穴も直せていない。

 お金はこれからたくさん必要になるだろうから、よほど差し迫った不便以外は甘んじなければ……

 ちょっと渋い顔になりながら、それでも何か必要なものはないだろうか、と並べられた商品を見て回る。

 あらかじめ思ったもの以外、わざわざ探してまで買うのもどうかと思うのだけれど、こうして商品を見ること自体が、ちょっとした楽しみでもあるので、やっぱり見て回りたくなってしまう。

 と、そのとき。


「……ん?」


 並んだ商品の奥に、ちょっと気になるものを見つけた。


「ハルベイさん、その、奥の、本……は、なんですか?」

「こちらですか? こちらは……〝魔法入門書〟ですね。いやはや、不死の魔法使いさまのお眼鏡に叶うものではありませんで……」

「ん、んん!」


〝魔法入門書〟と言うからには、きっと簡単な魔法の教本か何かだろう。


 すごく、興味があった。


「…………欲しい」

「おや?」


 はっ、となった。

 つい、口から欲望が出てしまったけれど、ぶんぶんと首を振って頬を張った。

 魔法が使えない、と言うのは、別に隠しても恥ずかしがっても揺るがない事実ではある。

 まぁ、みんなから、不死の魔法使いさま、と呼ばれておきながら、魔法を全く使えないのも、ちょっと問題かな、と思わなくはないのだけれど……


「……お高い、ですよね?」

「ふむ…… 真鍮貨で100枚は、いただきたいところですな」


 ──今の全財産の4倍、必要だ!


 むむむ、と唸りながら、本とにらめっこをしてしまう。

 先週、待ってもらっていた治療費を、やっと払い終えたところで、これから本格的にお金を貯めようと思っていた矢先に、散財してしまうのは如何なものか……

 でも、魔法には、すごく興味がある。

 不死の魔法使いと言われているのだから、ちょっとでも魔法を使えるようになっておきたい、と言うのも、ちょっとある。


 ──でも、でも……


 なんて、やたらと唸り悩むわたしを見て、ハルベイさんはどう思ったのだろう。


「不死の魔法使いさま。こちらがご入用でしたら、何度かに分けてのお支払いでも構いませんよ」


 そんなことを言われてしまった。


「……え! あ、うーん…… んー……!」

「なんでしたら、お返事は来週でも。取り置きいたしましょう」

「……え、いいんですか!」

「ははは。……代わりに、と言ってはなんですが、今後ともご贔屓に」


 そう言って、ハルベイさんは綺麗な所作で一礼をした。


「ん…… じゃあ、お言葉に甘えて、ちょっと考えさせていただきます……」


 ちょっと申し訳なさもあって、小さくなりながらお辞儀を返したわたしに、ハルベイさんはにこりと微笑んだ。


「それでは、本日は塩のみのお買い上げということで……」

「……あっ、葡萄酒は買います!」

「…………」


 毎晩の楽しみへの出費は、譲れない!



 家への帰り道。

 道中で買ったパンを抱えて、魔法入門書について考えながら歩いていた。

 魔法には、本当に、すごく興味がある。

 けれど、別に魔法を使えないことで、困ったりはしていない。

 不死の魔法使いさま、とクライアさんを始め、村の人からやたらと敬われたり、良くしてもらったりしているけれど、だからと言って今のところ、魔法を求められたりしたことはない。

 ……嘘をついているような罪悪感はマシマシなので、いずれは魔法を覚えたい、とは思うけれど、はたしてそれは今無理をしてまでのことなのか……

 なかなか、踏ん切りはつかなかった。


「あ、不死の魔法使いさまだー!」

「こんにちはー!」


 突然、声を掛けられて、ちょっとびっくりしながら振り返ると、そこにいたのは村の子供たちだった。

 駆けてきて、ちょっとあどけない所作でお辞儀をするので、かわいい。

 わたしも、きちんと、お姉さんっぽさを意識して、お辞儀を返す。


「こんにちは。みんな元気だね」

「はい! 不死の魔法使いさまのおかげさまです!」

「あはは、そんなこと、ないよ」


 小さな子供まで、こんな感じなので、またちょっと罪悪感が増える。


 ──やっぱり、あの本、来週買うべきかな……


「ねぇねぇ、不死の魔法使いさまー」

「……ん、あ、なぁに?」

 しゃがんで、話を聞く体勢になる。

 ちょっと後ろめたさがあるけれど、それには目をつぶる。純粋な子供たちのかわいさ成分を吸収したいところだった。


 の、だけれど。


「不死の魔法使いさまの、魔法みてみたい!」

「んぇ」


 心臓が口から飛び出るかと思った。

 泳ぎかけた目を、なんとかまっすぐにする。


「え、え、えっと…… ご、ごめんね、じじ、実は、お姉さん、魔法が使えなくて……」

「えー! どうして?」


 ──う。


「不死の魔法使いさまなのに、魔法使えないの?」


 ──ぐぅ。


 どうして、どうして、と言う、無邪気な子供たちの目を、今日ほど鋭利な刃物のように感じたことはなかった。

 後ろめたさとか罪悪感が、天井なんて吹っ飛ばした。


「わ、わかった! お姉さん、お勉強するから! いつか、いつか絶対に、魔法、見せてあげるからね!」

「「やったー!」」


 帰ったら、もっともっと厳しく節制する方法を考えなければ、と、変な汗をかきながら固く誓ったわたしだった。



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