106-66 古い魔法使い
お酒のおかげで、ほどよく高揚した気分のまま、軒先に並べた野草を、図鑑と照らし合わせて調べていく。
「うーん、このヨモギっぽいのは、コウゲンハラワグサってやつかな。……食用、美味。おぉ、食べよう! ……それと、このニラっぽいのは、カタナガシグサかな? ……食用、少し辛みがある。うん、食べれる、食べよう!」
こんな具合で、さくさくと種類を特定していった。
本当は、ひとつずつゆっくり図鑑を読み込みながら、もう少し細かい情報まで確認して勉強しておくべきだったんだろうけれど、いつの間にやらすっかり〝食べられるのか、食べられないのか〟ばかり気にしてしまっていて、その辺りの確認は疎かになってしまっていた。
とは言え、実のところ食料の確保も優先度が高いことだから、悪いことではなかったんだろうけれど。
「えーっと、このツクシっぽいのは、コウゲンカタホかな。薬用、抗炎症作用など。これ、薬草だったかぁ」
これは、売却候補だな、と傍に避けておく。
「こっちのキノコはなんなんだろう。えーーーっと…… あ、これかな、コユメミタケ。薬用、鎮痛・弱い麻酔・幻覚作用。えっ、怖い」
なんだかちょっと危なそうなものもあった。
「キノコって、やっぱりちょっと難しいのかな。なんとなく、キノコって油断すると危ないイメージがあるけれど……」
穏当に美味しいものもあるけれど、薬効があるとなると、あっさり命を持っていきそうなくらい、はっきりくっきりとした成分を持つものが多い気がする。あくまで、イメージだけれど。
「キノコも、一応売却候補として置いておこうかな。あとは、このタマネギみたいな、球根みたいなやつだけなんだけれど、うーん」
あらかた図鑑との照合はできたけれど、最後にひとつだけ、いまいち種類が分からない野草があった。
一応候補は二種類に絞られている。ちょうど見開きで並んだ二種類がそれっぽいのだけれど、同じモチーフの向きを変えて描いたんじゃないかってくらいにイラストもそっくりすぎて、見分けがつかない。
「んー……? あっ、見分け方って書いてある!」
何度となくイラストと実物を見比べていたのだけれど、一方のイラストの隅に小さく、よく似た両種の見分け方が書いてあったのを発見した。
「『カナイロユラクサとダマシカナイロユラクサとの見分け方としては、花の形態が分かりやすく』……花は咲いてないからスルーして……『また、葉を見ても判別でき、カナイロユラクサは葉脈が全て同じような太さなのに対し、ダマシカナイロユラクサは中央の葉脈が一本のみ一際太くなる』……てことは、これはダマシカナイロユラクサかぁ」
ようやく、最後の野草の種類も特定できた。
あとは用途などを確認して取り扱い方を決められたら、食べられる野草は食べてみようと思う。今日はもう結構、食べたり飲んだりした気はするが、まだまだいける!
「えっと、これは…… 可食。加熱せず多量に摂取すると下痢を起こす。ただ、少量であれば問題なく、生食すると、特に球根部にはほのかな酸味と口の中で弾けるような食感があり、特徴的…… 弾けるような食感って、どんな感じなんだろう…… 気になる……」
純粋に、すごく気になった。
ここ最近は味わっていない味覚だと思うと、早速試してみたくなる。
「どれ……」
少量なら問題ないと書かれているので、人差し指の先くらいのサイズの球根を、思い切って一口に食べてみた。
果たして、弾けるような食感とは、一体どんなものなのか……
「……ん? ……って、うわぁ、にぃーがい!」
口に入れた直後は、全くなんの味もしなくて、何事かと思ったら、時間差で物凄い苦味が襲ってきた!
せっかくの食べ物を吐き出すのは勿体ない、と咄嗟に飲み込んでしまったものの、口の中の苦味は全く引いていない。
むしろ、口の中が痺れたような気さえしてきた。
「うぇぇ、何でぇ? 酸味も何もないよ、書いてある事と全然違う…… ダマシカナイロユラクサは特徴的な食感があるって、書いて………… あれ? わたし、どっちを読んでた?」
確認しようと見返したダマシカナイロユラクサのページに、さっき読んでいた記述が見当たらなかった。
はて? と思いながら、隣のカナイロユラクサのページを読んでみると、さっき読んでいた内容は、こちらのページに書いてあった。
「あ、特徴的な味っへ、わたしかないおゆあくさの方読んじゃっへあのか…… え? じゃあ、だあしかないおゆあくさっへ、え? え?」
だんだん呂律が回らなくなってきていた。
薄ら寒さを覚えながら、慌ててダマシカナイロユラクサのページを読んでいく。
少し目の焦点まで定まらなくなってきた気がしながら、用途・効能の項目を探して──
──一番、見たくなかった言葉を見つけてしまった。
「『食用不可。猛毒』……あ、えあ」
脚の力が抜けて、その場にひっくり返りそうになって、慌てて家に飛び込んで扉を閉めたところで、仰向けにひっくり返ってしまった。
声も出なくて、あまり思い出したくないような寒気がしていた。
屋根の穴から差し込む光が、やたらと眩しくて目を開けていられない。
──不死って、不死なら、毒も大丈夫……?
やたらと、頭が良く回る、気がする。
──空腹で死ななかったのなら、毒でちょっと体調が悪くなったからって、死なないよね? 栄養失調も毒みたいなものだよね? そもそも、不死なんだから、死なんて無いよね? 不死って、そういう事だよね?
仰向けに倒れたはずだけれど、だんだん自分が今、どんな体勢になっているのかも分からなくなってきた。
感覚が薄らいでいく。
眩しくて目を閉じていたと思うけれど、今、目が開いているのか閉じているのか分からない。明るいのか、暗いのかも分からない。
意識がなくなる寸前に、思ったことはただひとつ。
──もう、死にたくない。
◇
はっ、と目が覚めて、周りは一面の花畑、青い空。
色とりどりの、でも、ビビットな色味ではなくて、どれも淡い、とても優しい色合いの、柔らかな花畑。
抜けるような青と、散りばめられた、コントラストの美しい真っ白な雲が伸びやかに広がる空。
見るものに感動と安らぎを与えるような、その綺麗な景色は、そう、まるで天国のような──
「ひ……」
考え至って、身体がこわばった。
──まさか、ここが天国だなんて。死んだ? 死んでないよね? 不死だもんね?
固まったまま、微動だにせずに思考を巡らせていたところで、ちょうど背後から、声が掛かった。
「いらっしゃい」
優しげな、澄んだ声に振り返ると、真っ白なロングワンピースを着た明るい色味のボブカットの女性が、カフェのテラス席みたいなところで、優雅に紅茶を飲んでいた。
「あなたも、いかが?」
にこり、ともうひとつの椅子を示された。
やたしはさっぱり状況を飲み込めなかったけれど、とりあえず身体は普通に動いたので、し、失礼します…… とお呼ばれすることにした。
目の前のテーブルには、紅茶の注がれたティーカップがひとつ。
「良かったら、飲んでね」
「あ、はい、いただきます……」
勧められるままに、一口。
それは何の変哲も無い、飲み慣れた普通の紅茶だった。
熱いので、ちびちびと飲む。目の前の女性も、笑顔で紅茶を飲んでいる。
無言の時間が少しの間続いて、それからちょっと勇気を出して、その女性に訊ねた。
「あの、ここはどこなんでしょうか?」
「ここは、私の世界」
笑顔のまま、そう答えられた。
「えっと…… もしかして、ここは天国で、あなたは天使さまとかだったり……?」
「やーね、私はそんな、大したものじゃないし、ここは天国ではないわ。私は、あなたと同じ、ただの魔法使いよ」
はにかんで、女性は答えた。
天国ではない、と聞いて、ちょっと気持ちが和らいだ。かといって、地獄ではない、とは言われていないのだけれど。
「わたしは…… 魔法使いではないです。魔法なんて、使ったこともありませんから……」
なんとなく、訂正しておいた方がいい気がしたので、そう返したのだけれど、それを聞いて、女性は意外そうな顔をしていた。
「でも、あなた、不死化の魔法を使ったのでしょう? 現に、いま、あなたは生きている」
あなたは生きている。
その言葉が聞けて、心底ほっとした。
紅茶と花の香りが、急に鮮明になったように感じながら、それでも、気にかかったことを訂正する。
「いいえ、わたしは、そんな魔法を使った覚えはありません。気が付いたら…… 死んだ、と思ったら、こうなっていました」
ちょっと思い出して、涙が出そうになる。
女性は、不思議そうな顔をして、そっとティーカップをテーブルに置いた。
「少しだけ、見せて頂戴ね?」
「え?」
「…………あら、あらあら」
何秒か、こちらを見つめていたその女性が、途端に悲しそうな顔になって目を伏せた。
「大変なことに、巻き込まれてしまったのね。何もわからないまま…… つらかったわね」
女性の白い細指が伸びてきて、そっと頬を撫でた。くすぐったかったが、それはとてもとても優しい感触だった。
なんとも言えない包容感があって、つい、心に溜まっていた悲しみが口から溢れてしまう。
「わたしは、どうすれば、いいんでしょうか……?」
一瞬の沈黙。
「ごめんなさい。でも、それは、あなた自身が決めるべきことよ? でも、そうね……」
女性は何かを差し出すように、手のひらをそっとこちらに伸ばしてきた。
その手のひらには、何も乗っていないように見えたけれど、受け取るべきだと思えて、両の手のひらで、そっと迎えた。
「私から、不死の魔法使いのあなたへ、ちょっとしたプレゼント。あなたの第二の人生に、幸がありますように、私も、祈っているわね?」
「……ありがとうございます」
迎えた手を、胸に抱いて、静かに頭を下げた。
そして再び顔を上げて、ひとつ訊ねた。
「あの、あなたは……?」
「私はただの、古い魔法使いよ」
その優しい笑顔に見惚れていると、いつの間にか、意識は白に飲まれていた。




