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14-8 捜索

「いらないってどういうこと?」


 ジュウゴがハツカネズミに向かって言った。


「そのままの意味だよ」


 ハツカネズミはサンの去って行った方を見遣りながら答える。


「『いらない』って、サンが不必要だって言いたいの?」


「もともと俺らは男の夜汽車がほしかったんだよ」


 カヤネズミが口を挟んだ。


「まあ、女もあればあっただけど」


「カヤさん、俺にさっきなんて言ってましたっけ?」


 ジャコウネズミがにやついてカヤネズミを肘で小突き、背後から目付きの悪いネズミ、ヤチネズミ? に後頭部を叩かれた。


「後ろからはやめてくださいよぉ」


「関係ないだろう?」


 おどけたジャコウネズミをまるで無視してジュウゴが言った。


「男とか女とか関係ないよ! 僕たちは夜汽車だ。僕たちは皆、同じ夜汽車だ!」


 知りたいことがあるなら冷静に質問すべきだ。怒りに任せた発言は相手の口を閉ざしがちだし、その際の記憶力および判断力は平常時よりも劣る。交渉を進めたいなら尚更、落ち着かねばならない。僕はジュウゴを宥めようと声をかけたが、


「僕も同意見だ」


 シュセキが前に出た。


「彼女を捨て置くというのならば僕はネズミになどならない」


「僕もならない!」


 シュセキとジュウゴは並んでハツカネズミに言い放った。ハツカネズミはようやくジュウゴたちの方を見る。


「俺らと一緒に来ないと夜汽車になんて戻れないぞ」


 カヤネズミが明後日の方を向きながら言った。


「え?」


 ハツカネズミがカヤネズミに振り返ったが、慌てた様子で僕たちに向き直ると「そ、そうそう!」と頷いた。


 そうなのか? 若干白々しさが見え隠れするが万が一本当だったらそれは困る! それはやめてくれと言おうとしたが、


「それでもいい! 僕は夜汽車に戻らない!」


 勢いに乗ってジュウゴは啖呵を切っていた。


「黙って聞いてればお前ら…!」


 僕を拳で接触してきたタネジネズミがいきり立ってやってきたがそれよりも、


「ジュウゴぉ!!」


 癇癪を起したジュウイチがジュウゴの襟首を絞め上げる方が先だった。


「何なんだよ君は! 夜汽車に帰るって言ったり行かないって言ったり。サンは自分から出て行ったんだ。なら別にいいじゃないか、彼女の選択だ。彼女の意思なんだよ。だったらネズミの言うとおり僕たちが彼女を追いかける理由はない!」


「ナナは? ナナは持っていかれたんだ。彼女の意思じゃない」


「今はサンの話だろう! 論点をすり替えるな。なんでいつもそうなんだよ、この最下位!」


「そんな言い方するなよ!」


 最悪な言葉で罵られてジュウゴもジュウイチの襟首を掴んだ。僕は慌てて駆け寄る。


「ちょっと落ち着けよ」


「最下位、最下位、最下位、最下位!」


「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!」


「喧嘩なら外でやれ」


 呆れ顔のヤチネズミも注意したが怒鳴り合いにかき消される。


「やめろってジュウゴ! ジュウイチも!」


 僕の制止も全く耳に入らないらしい。極度の緊張と不安に晒されて癇癪が止まらないジュウイチは錯乱状態だ。それに同調してジュウゴも目を真っ赤にして見開いている。


「シュセキ!」


 僕の手には負えない。君が何とか…


「……シュセキ?」


 何をしているんだ?


「やめろ。落ち着け、な?」


 ジャコウネズミが両手の平をかざしてシュセキに近づこうとしている。


「わかった、夜汽車。わかったから」


 カヤネズミも慌てている。


 周囲のただならぬ雰囲気にようやくジュウゴがジュウイチから目を離した。ジュウイチはまだ喚いている。だがジュウゴは正気に戻ったようだ。やがてジュウイチもジュウゴの視線の先を追い、シュセキを見た後で周囲を見回してその場に立ち尽くした。


「シュセキ、落ち着け」


 僕はシュセキに言った。だがシュセキは全くこちらを見ない。眼鏡越しにハツカネズミを見据えながら、誰から奪ったのか銃口を自分に向けて小銃を構えている。


「何のつもりだ」


 ヤチネズミが言った。「死にたいのか?」


 シュセキが引き金にかけた指に力を込めたのが見えた。僕は慌てて彼の真横に回り込む。


「よくわからないけれどもとにかくそれを下に置くんだ。痛いんだぞ。凄く痛かった。君だって見ただろう? 今だってまだ痛くって全然動かせないんだ!」


 僕は自分の左腕を誇示した。本当に痛かったのだ。今だってまた痛い。あんな痛みをわざわざ自分から味わおうというのか。絶対にやめた方がいい。


「そうだよシュセキ」


 ジュウゴも続いた。


「ハチを見ただろう。あの痛がり方は尋常じゃなかった。血液だって物凄く出ていてぐちゃぐちゃしていたし気持ち悪くなっていたし立ち上がることすらできなくなっていたじゃないか」


「だからネズミは彼女を置いて行くと言った」


 シュセキがようやく口を開いた。だがやはり意図がわからない。


「彼女はここにいるじゃないか」


 すかさずジュウゴが言ったが、


「最初は夜汽車に置いていこうとしていただろう」


 シュセキが訂正する。


「でもハツが…」


「君の記憶力検査は後にしろ」


 些細なことを蒸し返そうとするジュウゴをシュセキは冷たく切り捨てる。


「だからお前は何がしたいんだよ!」


 業を煮やしたジネズミが何かを叩きながら叫んだ。何かすごい音がしてジュウイチが後ずさりする。


 おそらく僕含め全員が驚いたその騒音にも、シュセキは微動だにしなかった。ずっとハツカネズミを見据えている。僕はハツカネズミに振り返って、驚いた。なんて顔をしているんだ。


「僕がこの小銃を撃てば僕は恐らくハチのように損傷するだろう。自力で歩けなくなるかもしれないし話すこともままならないかもしれない。結果、僕もハチ同様に置いていこうという話になるだろう」


「だったら…」


「つまり君たちは『夜汽車』を一つ失うことになる」


 ここにきて僕はようやくシュセキの考えを理解した。


 だがネズミたちはまだ困惑している。シュセキはさらに続ける。


「君たちは男の夜汽車を欲している。数が多ければ多いほどいいのだろう? 

 だが君たちがこのままサンもナナも探さずにいるというならば僕はこの小銃を撃つ。残る夜汽車は四つだ。当初の約四分の一に留まる。

 しかし彼女を追うことに協力するならば僕はネズミになろう。この小銃は撃たない。手もとの夜汽車は五つに増えるし彼女たちも加わり七つだ。教室の皆も合わせれば全員だ。君たちは夜汽車を十五も手に入れることが出来る」


「そいつらと夜汽車に残ってる奴らだけでも十分だって言ったら?」


 ヤチネズミが反論する。シュセキは眉毛一つ動かさずに、むしろ顎を上げてヤチネズミを見下すようにして言った。


「君たちの知識と技量だけで夜汽車の施錠を解けるとでもいうのか?」


 言って僕たちをちらりと見遣り、


「彼らにも無理だ。彼らは十位以下の下位だし全ての技能が僕に劣る。あれを解錠できるのは僕だけだ」


「そんな…!」


 僕はジュウゴを睨みつけた。目配せのつもりだったが多分睨みつけていた。さすがのジュウゴも汲み取ってくれたらしい。


「どちらにする。好きな方を選べ」


 とてつもなく相手を見下した口調だった。


 僕はシュセキを見つめた。ジュウゴの行動と発言も僕の予想の上を飛んでいくが、彼の発想もまた、僕が逆立ちしても出てこないものばかりだ。


「……わかった」


 ハツカネズミが折れた。


「好きにしな」


「ハツさん!?」


 小柄なネズミが大声を上げる。しかしヤチネズミの一瞥で引き下がる。


「だからそれやめて」


 擦れた声でハツカネズミが言ってシュセキは瞬きした。


 ヤチネズミが大股でシュセキに近づいて小銃をむしり取り、そのままの勢いでシュセキの頬に拳をぶつけた。僕は顔を背ける。あれも痛いのだ。タネジネズミにやられたから知っている。シュセキは二、三歩横によろめき、腰を屈めたままヤチネズミの拳が接触した頬を押さえた。


 ジュウゴが駆け寄ろうとして踏みとどまる。僕も声を発することさえ憚られた。ヤチネズミが恐ろしかった。


 ハツカネズミが手を下ろすと同時にヤチネズミが僕たちに背を向けた。僕は思わず息を吐く。ジュウゴとシュセキともほぼ同時だった。


「そこの四輪駆動車(よんりん)一台貸してやるよ。でもさっきも言ったけど俺たちは潜らない。地下にはお前らだけで行ってきな。あと時間も決めさせてもらう。そうだな、明日の……月が沈むまで。それ以上は待てない。それまでに出てこなかったら俺たちは駅から離れる。いいね?」


 僕は空の中に月を探した。一日弱でナナが運ばれたであろう地下に侵入し、ナナを探しに行ったであろうサンと合流し、ナナを探し出して地下から抜けだしネズミたちと合流しなければならない。


「もしも僕たちが明日の月に間に合わなくて君たちと合流できなかったら?」


 ジュウゴが尋ねた。ハツカネズミは疲れきった顔で床を見つめて小さく笑った。


「その時はお前らの自由だ。好きにしな」


 ジュウゴが寂しそうな顔をした。



 * *



 線路は割とすぐに見つかり、それに沿って行けば目当ての物が待っていた。先までいた『廃屋』よりも崩れた物体で、ネズミによると『廃駅(はいえき)』と言うらしい。地下への入口の一つだという。アイが荷積みを行う駅とは似ても似つかない、崩れかけた土台だけの瓦礫だ。そしてその近くには乗りすてられた自動二輪。間違いない、サンだ。


「本当に撃つつもりだったのか?」


 物陰に停めた四輪駆動車から廃駅に向かいながら僕はシュセキに尋ねた。


「物凄く痛いんだぞ。冗談にも洒落にもならないくらい」


「そうだよ、滅茶苦茶痛いんだぞ!」とジュウゴも言う。


「君は撃たれていないだろう」


 すかさず僕は指摘すると、


「君が痛そうだったから痛いと思ったんだよ」


 当然のようにジュウゴは言い切った。僕は苛立ちを覚える。


「確かに痛かった」


 言ってシュセキはヤチネズミに拳で接触された頬を指先で触り、顔を顰めた。僕は首を横に振る。


「比じゃない。それとは全然違う。段違いだ」


 「そうなの?」とジュウゴに聞かれたから僕は左手と頬を見せつけた。


「痛みの種類が全然違う。僕は拳での接触も受けたし撃たれているから…」


「痛み談義なんて今はいいだろッ!!」


 ジュウイチが叫んだ。僕とジュウゴは唇の前に指を立てて「しーッ!」とジュウイチに顔を突き出した。シュセキは首を竦めながら周囲を見回す。示し合わせたかのように全員中腰で、廃駅の陰に隠れるようにして息を潜めた。静寂。皆で揃って息を吐く。


「駄目だよジュウイチ、静かにしないと。地下に住む者に見つかったらきっと、僕たちまでナナみたいに掴まれてしまうかもしれないじゃないか」


 ジュウゴが小声で注意した。しかし、


「何が『駄目だよ静かにしなきゃ』だよ! だいたい僕はサンを探しに行くことに同意した覚えもないのに!」


 ジュウイチも小声で不平を並べ始めた。こんな時でも嫌味たらしくジュウゴの口真似と顔真似をしている。しかしそれを嫌がるほどジュウゴは繊細ではない。


「そうなの? だったらハツたちと一緒にいればよかったじゃないか」


「よくないよ! なんでネズミたちと行動を共にしなきないけないんだよ! だいたい君が僕を運転手に推薦なんてしなければ…!」


「それはだって、ハツが『運動神経が一番高いのは?』と聞いてきたから。僕は事実を述べただけだし実際に君の運転は快適だったよ」


「そんな感想求めてないよ! ネズミとは一緒にいられないと言ったんだよ! 彼らの言うとおりにしたのは夜汽車に戻るためだ! そのための手段として従ってみせただけで…!」


「だったらハチと一緒にあの瓦礫の中で待機していればよかったじゃないか。『眠っているのを起こすのも忍びないからそっとしておこう』と言ってハツたちもあの瓦礫は後にしたわけだし」


「よくないよ!! あんなところで熟睡しているハチと僕だけの時にまた地下の連中に襲われたりしたらそれこそ本当にどうなることか!」


「唾、汚いよ……」


「そうさせたのは誰だっ!!」


 まったく。


「まずさ、まずは落ち着こう、ジュウイチ」


 堪らず僕は仲裁した。


「ジュウゴも少しはジュウイチの言い分を聞き入れてやれよ」


「だってジュウイチが…」


「とりあえず深呼吸でもしよう」


 言って僕はこれ見よがしに深呼吸した。最後の息を吐き終えて苦しくなってもしばらく吐き続けた。


「長いよ」


 ジュウイチが不機嫌そうに言った。わざとだよ、言ってやりたくなる。引くつく片頬を見せまいと顔を隠すと、ジュウゴと目が合った。憐れむような目でこちらを見てくる。本ッ当に君は! そんな視線を寄こすくらいなら君が空気を変えろ!


―笑う、というのはいかがでしょうか―


 いつかのアイの声が聞こえた。試しに笑ってみる。鼻から空気が漏れただけだった。でももう一度。大丈夫だ。まだ笑える。大丈夫だよ、アイ。まだ大丈夫だ。


「気持ち悪いよ、ジュウシ」


 僕の笑顔を白眼視していたジュウゴだったが、つられたのだろう。次第に笑いだした。僕たちは見つめ合いながら笑う。ジュウイチが僕たちを気味悪がって交互に見ていたが、それを見たシュセキが噴き出した。シュセキを見てジュウゴがさらに笑う。


 僕たちは笑った。無理やり笑った。声量を気にしつつも腹の底から、何かを絞り出すように吐き出すように奮い立たせるために。


「何なんだよ、君たち!」


 ジュウイチが堪らなくなって声をあげた。僕はジュウイチの肩を叩く。「やめろよ!」と拒絶するジュウイチの横で、シュセキが手の平で顔を隠して肩を震わせていた。


「大丈夫だよ」


 僕は笑いながらジュウイチに言う。


「何がだよ!」


 ジュウイチが眉毛と片頬を歪めて言い返してくる。彼も笑えればいいのに。


「大丈夫だって、きっと」


 根拠はないけど。


「まずはナナたちを探し出そう。そして教室の皆と合流しよう。そのために今はネズミに協力を仰ごう。そして絶対に、」


 夜汽車に帰ろう。 


「当たり前だよ」


 ジュウイチが真顔で言った。僕は苦笑して大きく頷いた。


「時間がない。行くぞ」


 シュセキが真顔に戻って立ち上がり、廃駅に手を付き飛び乗った。


「二手に分かれて偵察係が前を行く。後ろは支援係だ。偵察係が地下に住む者に鉢合わせしないよう歩みを進め、サンとナナを探し見つけ出す」


「支援係は何をするの?」


 廃駅に駆け上がってジュウイチが尋ねる。


「支援係は支援だ。万が一偵察係が地下に住む者と鉢合わせした時にはこれを助ける」


「どうやって?」


 ジュウゴが土台に手をかけ、よじ登りながら尋ねた。


「地下に住む者の注意を逸らして偵察係を解放し、その場を離れる支援だ」


「二手に分かれるというよりも、距離を保つということだな?」


 やや段差の緩やかな方から回り込んできた僕は、息を切らせながらシュセキの意図を確認した。シュセキは僕の到着を待ってから、


「組分けをしよう。ジュウゴとジュウイチが偵察係、僕とジュウシが支援係でその後ろを行く」


 独断で役割を振り分けた。


「「「え゛……」」」


 あからさまに嫌がるジュウイチの後ろから僕は首を小刻みに横に振る。その組み合わせは駄目だ。危険過ぎる。言い争いばかりで前に進まないだろうし偵察業務を遂行できそうにない。


 ジュウゴもジュウイチを横目で見てから、全面で嫌悪を露わにした情けない顔を晒した。しかしシュセキは譲らない。


「全員の能力を考慮したうえでの組分けだ」


 半ば強引に仕切って、シュセキは床に穿たれた入口と思われる穴に向かって歩き出した。



 * *



 ジュウゴとジュウイチは前方をきょろきょろしながら意味もなく腰を屈めて進んでいる。十数秒後に僕たちも歩きはじめる。時折小声で互いに怒鳴り合っているようだが、何を話しているかまでは聞こえない。やはり不安しかない。


「なんでこの組み合わせにしたんだよ」


 僕は左右と後方を見回しながらジュウゴたちと一定の距離を保つようにして歩きつつ、隣のシュセキに尋ねた。


「絶対に偵察係は問題を起こすぞ」


「先も説明しただろう」


 シュセキは真っ直ぐ前を見て答える。彼の眼鏡にはジュウゴたちの背中しか映っていない。


「確かに僕は足手まといかもしれないよ。でも僕とジュウゴが組めば彼の注意力の無さは僕が補えるし僕の身体能力の低さは彼が補えたんじゃないのか?」


「そうなると僕がジュウイチと組むことになる」


 僕はちらりとシュセキを横目で見た。


「何か問題が?」


「ジュウイチとは間が持たない」


 何だよそれ。


「だったら僕とジュウイチを組ませれば良かっただろう。足手まといでも言い争いして足止めするよりはましだ」


「それは君が困るだろう」


「どうして」


「ジュウイチと一対一では気まずいだろう」


 僕はシュセキに振り返った。それからすぐに周囲を見遣るふりをして顔を逸らした。


 しばらく無言で進んだ。偵察係も言葉を交わさずに進行に専念することを選んだらしい。


「君に話があった」


 大分経ってからシュセキがそんなことを言ってきた。彼なりに微妙な空気を変えようとしたのかもしれない。


「改まって何だよ」


 僕は何事も無かったかのように返す。


 靴音が止まった気がして振り向くと、立ち止まり視線を落としたシュセキがいた。一定の距離が徐々に開いていく。


「ジュウゴたちを見失うぞ」


 僕は前方を見遣りながらシュセキを急かしたが、


「きちんと謝っておきたかった」


 シュセキが視線を落としたままそんなことを言ってきた。


「何? 何かあったっけ…?」


「君に相談もせずにネズミに返信してしまった」


 僕はシュセキを見つめる。視線ではなく頭を下げていたらしい。


「今さらそんなこと…」


「送信したのは僕だ」


「もういいって」


「ジュウゴは君に相談しようと何度も言った」


 そうだったのか。


「わかったって。もういいよ。それにあれは僕も悪かった」


 シュセキが微かに顔を上げる。


「あの時は僕も興奮してしまって、その……、ごめん」


 彼の手を力一杯振り払ったりした。


「君の気持ちは理解出来た」


 シュセキが視線を逸らしてぼそりと呟いた。


 謝罪と言っておきながら『ごめん』の一言すらない。頭を下げているのか目を伏せたのか微妙な角度の辞儀は誠意にかける。


 だがこれが彼の精一杯なのだ。見ていてこちらが痛々しくなるほど不器用なくせに変なところで正直だ。ジュウゴとは正反対の言動を取りたがる癖に、中身は本当によく似ていると僕は思う。強いて言えばシュセキは意地っ張りの照れ屋で、ジュウゴは素直な強がりだ。


「理解してくれたなら嬉しいよ。ありがとう」


 シュセキが目を見開いて顔を上げる。あ、素だ。珍しい。僕は思わずにやけてしまった。

シュセキも気付いたのだろう。はっと顔を曇らせた後で憮然として僕を睨みつけてきた。尚更おかしくて噴き出してしまう。


「君のそういうところが腹立たしい」


 シュセキが早足で僕を抜いた。


「僕のどこが何だって?」


 僕もかけ足で隣に並ぶ。


「何故君がジュウシなのだ。もっと真面目に試験を受けろ。不謹慎だ」


「何を言っているんだ。僕は長らくジュウシじゃないか」


「僕の隣だったこともあるだろう」


「補習を受けたい気分の時もあるんだよ」


「そんな気分など…!」


 言いかけたシュセキが立ち止まった。


 遅れて僕も止まった。ジュウゴたちにはまだ距離がある。


「何だよ。早くしないと本当にはぐれてしまう…」


 言っているそばからシュセキが走り出した。交差する通路の、ジュウゴたちとはちょうど九十度異なる方向へ。


「シュセキ!?」


 シュセキは僕を振り返りもせずに通路の角を曲がってしまった。何だ? 何を見つけた?


「しゅ…!」


 叫びかけてここは地下だったと慌てて口を塞ぐ。ジュウゴたちを呼ぼうと振り返り、僕は再度、大声をあげそうになった。いつの間にかこちらの姿も見当たらない。左右どちらに曲がったのか。


 僕は散々逡巡した後でシュセキの後を追いかけた。

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