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14-6 嘘

 汚い布切れでぐるぐる巻きにされた左腕は、固定され過ぎて動かすことすら困難だった。


 圧迫されていて痛い。弄られた箇所はもっと痛い。ずん、ずん、と鼓動と同じ振動が左腕から響いている。でも血液が流出し始めたあの瞬間よりは大分ましになった。


 けど痛いことに変わりはない。痛すぎて、叫び過ぎて、喉が枯れて疲れ果てて、声が出なくなった頃にようやく寒さに気付いた。あれほど噴き出していた汗は嘘みたいに引いていて、水分を含んだ衣服が肌に張り付いて冷たい。身震いするとごつごつした床の感触が肌に刺さって余計に寒さが増した。


 ネズミたちによって僕たちは瓦礫の中に運び込まれていた。夜汽車から見えていたのは地上から飛び出した部分だけだったが、砂の下にも瓦礫は伸びていたらしい。ネズミたちは『はいおく』とか呼んでいたが、どちらにしろ薄汚くて壊れかけた、夜汽車とは似ても似つかない場所だった。


 隣に目をやる。僕と同様、横たわらされて放置されているハチを見る。こんな状況に陥った責任の一端を負う僕としては、彼女には改めて謝罪しなければと思っていた。しかし眠っているなら仕方ない。それにしてもよく眠れるな、と思う。この痛さが流血量に比例するならば、彼女など僕の痛みの数倍は酷いはずなのに。


「なんでよ! なんでナナを追いかけなかったの!?」


 サンの金切り声。相変わらずうるさい。


「あの女は諦めろ」


「自分が無事だった事にまず感謝しろよ」


 ネズミが口々に答える。


「何それ? ふざけないで!!」


「ちょっと、サン……」


 ジュウゴの声にも耳を傾けずにサンはひたすら捲し立てていた。ネズミへの恐怖や遠慮は彼女には無いようだ。


 ナナが地下に住む者に持っていかれた。そこまでは僕も見ていた。その後、僕は『撃たれた』。

小銃の用途は物質の破壊だ。壁や瓦礫に穴を開けたり破壊したりしている様子は知っていたが、破壊対象が自分になるとは想像さえしていなかった。地下に住む者は僕を破壊して何をするつもりだったのだろうか。僕に穴を開けて侵入して、僕の中の何かを取り出して、ナナみたいに持ち去ろうとしていたのだろうか。僕たちが夜汽車だから? 地下に住む者は持っていなくて夜汽車ぼくたちが持っている何かを欲していたとか? 


 がしがしと頭髪を掻き毟る音の方に僕は首を回した。ハツサン、もとい、ハツカネズミの苛立ちを隠しきれない顔が見えた。


「ジュウシ! 大丈夫?」


 僕に気がついたジュウゴが駆け寄って来た。サンが振り返り、遅れてシュセキもやって来る。


「目が覚めたか」


 寝てないし。 


「え? なに?」


 ジュウゴが顔を覗きこんで来た。


「起きられそう? こっち来れる? ハツたちが大事な話があるんだって。腕、大丈夫? 凄い叫んでいたけれども……」


 言いたいことは山ほどあったが、どれを言っても面倒臭い問答が始まりそうだった。代わりにジュウゴの顔を見つめた。


「君は?」


 ジュウゴの眉毛がぱっと上がる。


「耳。押さえていた」


「ああこれ!」


 言ってジュウゴは右耳を擦った。僕と同じように汚い布で巻かれている。鼻に近い分、臭いは強烈だったろう。 


「『こまく』? というものが壊れたとハツが言っていた。でも『こまく』? は『さいさい』? するから『しに』はないしって…」


「何を言っているんだ?」


「さあ……」


 ジュウゴは緩慢に頭を掻きながらシュセキを見る。シュセキも視線を逸らしただけだった。


「痛みは?」


 僕は体を起こしながら尋ねた。右手だけだと起きにくい。左手に鋭い痛みが走って僕は思わず声が出た。シュセキが気づく。ジュウゴは気づかない。


「ハツが巻いてくれたんだ。『すぐ直る』って。まだ少し痛いけど今は大分痛くないよ」


 『ハツサン』と呼ばれていた男は正式名称をハツカネズミと言った。ネズミは各々固有名詞を持っていて、それを相手に教えることは当然なのだそうだ。固有名詞などいつどのような場面で必要なのだろうか。「お前らだって通し番号で呼び合ってんじゃん?」と言っていたが順位は順位だ。試験結果によってその都度変わるし、その順位で呼び合うのは自分の立ち位置を理解してより勉強に励むための行為だ。


 それにしても『ハツ』が略称だとして『サン』は何だ? しかも目付きの悪いネズミと始終おどけっぱなしのネズミだけは、ハツカネズミを『ハツ』と呼んでいたけれども、僕たちには『ハツサン』と呼ぶようにと別のネズミが言っていた。けれどもジュウゴは『ハツ』と呼んでいる。基準がさっぱりわからない。


「ジュウゴ」


 ハツカネズミがジュウゴを呼んだ。


「そいつ連れてこっち来れる?」


「うん」


 ジュウゴが返事をして僕に振り返った。「行こう?」


「随分打ち解けたんだな」


「え?」


 ジュウゴの黒目がちな丸い目が、さらに僕の苛立ちを増幅させた。



 *



 立ち上がって促されるままにネズミたちの方に歩み寄ると、隅で呆けているジュウイチに目がいった。声が聞こえないと思ったら憔悴しきっていたらしい。あれだけ癇癪を起した後だ、当然かもしれない。


「そっとしておこう」


 シュセキが言った。


「先から無反応だ。時間が必要だろう」


「感染しているんじゃないのか!?」


 ジュウゴが思い出したように目を見開いて声を上げた。


「あんなにたくさん接触されていたんだ。もしかしたらジュウイチも見えていないだけで感染で損傷しているかもしれないじゃないのか!?」


「感染って?」


「だから……!」


 怪訝そうなネズミの視線を受け取って、ジュウゴは僕を見た。ネズミへの説明を求めてくる。だが僕は答えあぐねる。 

 

 確かにネズミが来て以来、僕たちは接触されまくっていた。感染しているはずだ。だが、発症しているのだろうか。僕だって痛いことは痛い。しかしそれは…、


「本当に『感染』なんてあるの?」


 ネズミたちに食ってかかっていたサンが言った。ジュウゴが目を見開いて振り返る。僕は彼女と同じことを考えていたと知って嫌になる。でも、


「それは僕も考えていた」


 シュセキが床に向かって呟いた。ジュウゴは今度はシュセキに振り返る。


「え? でも、接触したら感染してって…」


「感染したらその後どうなるとアイは言っていた」


「発症、……だよね?」


 ジュウゴは側頭部を掻きながら答えた。


 そうだ。接触すれば感染し、やがて患部は発症する、そうアイは言っていた。発症は痛みを伴い、適切な処置を施さねば患部は損傷し始め、やがて損壊すると。


「でもジュウシは現に損傷しているし、ハチだってあんなに痛そうだったじゃないか」


 ジュウゴがハチを指差した。


「君だってひどく痛がっていただろう?」


 ジュウゴに言われて僕は困った。痛いことは痛い。間違いなく損傷した。けれども、


「ジュウシが損傷したのは小銃で撃たれた時だ。ハチに至っては接触以前の損壊だ」


 シュセキが言った。


「でもその後でネズミにいっぱい接触されていたよ?」


 ジュウゴがシュセキに尋ねる。シュセキは顔を上げて僕を見た。


「それは認める。だがもし接触によって感染し、その後損壊に至るならば彼は左腕だけでなく今頃ほかの部位も損傷しているはずだ」


 そうなのだ。左腕を固定された時、僕は腕と言わず手も首も頭皮も頬も露出している肌という肌全てで接触を受けていた。けれども痛みの感じているのは左腕の『撃たれた』部位だけだった。


「接触の仕方次第?」


 ジュウゴが呟いた。僕は振り返る。ジュウゴは右耳を覆われた布を指差して目を見開き、


「僕だってこれの時、ハツに接触された。でも発症していない。ハツの手は優しかったんだ。けれどもジュウシは勢いを伴って出血させられていただろう? だからじゃないかな」


 君はそれ以外にも何度もハツカネズミに頭を接触されているじゃないか。僕はジュウゴの記憶力の欠如を指摘しようとしたが、ふと気付いて止めた。もし言ってしまえば、それはつまり完全に彼の意見を肯定することになる。そしてそれは、


「アイが嘘をついていたということよね」 


 考えたくない可能性を示唆することに繋がる。

 サンの言葉にジュウゴが目と口を開けたままで固まり、僕は俯いた。


「お前飲み込み早いな」


 よく喋るネズミ、確か『ジャコウ』と呼ばれていたから『ジャコウネズミ』が正式名称だろう、がサンを褒めて肩を擦った。途端にサンが「触らないで!」と接触を拒む。


「サン、どういうこと?」


 硬直が解けたジュウゴがサンを呼び、サンはジュウゴに向き直った。


「アイは私たちに嘘をついていた、つき続けていた。そういうことでしょう?」


 僕は慌てて反論する。


「感染することもあるし、しないこともあるということだろう? その差異が難しいから大事を取って『感染する』としておいたんだ。そうすれば接触そのものを回避することになるし万が一の感染を防げる。だからアイは…」


「だったら感染しない接触の方法も教えられたはずよ」


 サンは真っ直ぐに僕を見つめる。


「できたのよ、初めから。知っていたのに教えなかった。いいえ、嘘を教えていた」


「なんでそうなるんだよ!」


 僕の声でシュセキが顔を上げた。ジュウゴが僕とサンの間に入ろうとして来たが、僕はジュウゴを避けてサンに歩み寄る。


「どうして君はそうなんだ! なんだってそんなに穿った見方ばかりする?」


「あなたこそどうしてそんなにアイの味方をするの? 冷静になって考えて。事実をちゃんと受け止めて精査すればわかるはずでしょう!?」


「冷静だよ!」


「どこがよ! 本当に冷静だったらアイのついてきた嘘がわかるはず…!」


「お前随分飲み込み早いな」


 勢いづいてまくし立てたサンの後ろで、ジャコウネズミが感心したように呟いた。サンはびくりとして口を噤み、居心地悪そうに視線を泳がせた。


「その女の言うとおりだよ」


 ハツカネズミが静かに言った。


「義脳はお前らが思っているようなもんじゃない」


「僕たちが思っているようなものじゃないって?」


 ハツカネズミの言葉を丸ごとそのまま復唱してジュウゴが尋ねる。ハツカネズミはジュウゴを見た後で後ろを振り返った。ハツカネズミの視線を受け取って、にやけ顔の男がおもむろにやってくる。


「じゃ、始めるか」


 男が腰に手を当てて首を回しながら言った。


「始めるって何を?」


 ジュウゴがわざとらしく大声でネズミに尋ねる。僕とサンをちらちらと見ながら。


「ネズミになるためにお前らには勉強してもらう」


 別のネズミが答えた。僕たちは同時に振り返る。ネズミに『なる』?


「変なことを始めないで! それよりも…!」 


 サンがまたいきり立って怒鳴ったが、


「これから授業を始めるのか?」


 シュセキが質問した。「『じゅぎょう』?」とネズミたちは首を傾げる。


「『勉強してもらう』と言ったのは君たちだ。君たちの誰かが教鞭を取り、僕たちに何かを学習させようということではないのか?」


「その前にさ、」


 僕も言う。 


「ネズミに『なる』って? そもそもネズミって何なの? 地下に住む者とは違うのか? 君たちは『地上に住む者』? なんで僕たちは夜汽車を降りなければいけなかったんだ?」


「お? いいこと聞くな、お前」にやけたネズミが答えた。「俺たちはな…」


「おい、夜汽車。せめてカヤさんには敬語を使え」


 にやけたネズミの後ろから大柄なネズミが言った。「立場をわきまえろ」


「立場?」僕は首を傾げる。


「年上だろう、どう見たって。年長者は敬う! 夜汽車じゃそんなことも習わないのか」


「『としうえ』って?」


「長く生きてるってことだよ!」と小柄なネズミ。


 『いきてる』って?


「すでに授業が始まっているということだろう」


 シュセキが教えてくれる。


「そのネズミはアイみたいなものってことか」


 僕は納得する。


「違う、違う! どうしてそうなる」


 小太りのネズミが呆れ声を上げる。


「ジッちゃん、いいよ。俺から説明する」


 にやけたネズミ、カヤ……ネズミか? が言った。


「説明ではなくて授業だろう」


 シュセキが訂正する。


「どっちでもいいよ、もう」


 壁にもたれて腕組みをしたネズミがため息をついた。


「ちょっと待って!」


 ジュウゴがさらに遮った。


「ナナは? ナナを探しに行こうって話じゃないの?」


「そうよ!」


 サンも便乗した。


「あなたたちの勝手な授業なんて後回しにして! 今はナナを…!」


「ワシは無理だって」


 壁際で腕組みしていたネズミがぼやいた。


「『ワシ』って何?」


 ジュウゴが尋ねる。


 ハツカネズミは「そいつを撃って来たさっきの地下」と言って、顎で僕をしゃくった。地下に住む者の別称だろうか。


 ハツカネズミは初めに会った時のようにジュウゴの目線まで腰を屈める。


「地下の中でもワシはやばい方なんだ。でかいしね。駅までならともかく地下までは俺たちでも潜れない。気持ちはわかんないでもないけどあの女は諦めよう。ね?」


「諦めるってどういうこと?」


 目付きの悪いネズミが面倒臭そうに横を向いて息を吐いた。その後ろから「だからぁ」と別のネズミがしゃしゃり出て来たが、ハツカネズミが視線で制止した。それからジュウゴに向き直り、


「あの女は探さない」


 ナナは探さない。


 ナナを探さない。


「ふざけないでッ!!」


 サンが何度目かの激情でハツカネズミに詰め寄った。その騒音の後ろで、僕はハツカネズミの言葉を反芻する。未消化のまま呑みこみ損ねて失敗して噴き出した。場違いな僕の笑いにシュセキもジュウゴもサンまでもが怪訝な顔を向けてきた。僕は皆を見遣って、


「帰ろう、夜汽車に」


 真っ当と思われる提案をした。


「はあ?」


 カヤネズミが呆れた時のジュウイチみたいな声を出した。僕は無視してジュウゴとシュセキに向き直る。


「地面を歩いただろう。地下に住む者とも対面しただろう。もう十分じゃないか、満足だろう? それともまだやり残しが?」


 シュセキが口籠る。


「なら戻ろう、夜汽車に」


「何言ってんだ、お前…」


 ネズミの方を向きかけたジュウゴを呼びつけ、


「戻らないつもりか? 夜汽車に。君はずっと地上にいるつもりなのか?」


「それは……」


 ジュウゴが半歩後退する。 


「こうして通信相手とも直接会話できたし、やることはやったじゃないか。もういいだろう」


「おい、夜汽車!」


「大体なんでここにいるんだよ。何の理由があって彼らと行動を共にしているんだよ」


「それは、」


 ジュウゴが口を開いた。


「彼らが僕たちを助けてくれたからじゃないか」


「は?」


 何を言っているんだ? 


「君は倒れていたから見ていないかもしれないけれども、ワシの地下が襲撃して来た時にハツが僕たちが撃たれて君みたいに損傷しないようにと銃弾を受けてくれたんだ。タネジネズミは誰よりも早く君やシュセキを迎えに行ってくれたし、ドブネズミが君たちを僕たちが乗っていた四輪に導いてくれたのは君だって見ていただろう?」


 見ていない。でも、


「誰かに怒鳴られて靴底で蹴り飛ばされたのは覚えている」


「それはお前らが…!」


 外野を制止したのはやはりハツカネズミだった。しかし代わりにジュウゴが反論する。


「やり方は乱暴だったかもしれなかったけれども、彼らがいたから僕たちはここにいられるのは事実だ」


 その言い方はおかしい。


「『彼らが来たために僕たちはここに来てしまった』だろう?」


「なんでそんな言い方するんだよ!」 


 ジュウゴがいきり立った。僕は努めて平静に話そうとした。


「彼らが来なければ夜汽車は損壊しなかった。ハチだってあんな風にならなかった」


 ジュウゴが口を噤んでハチを見遣る。


「アイだってあんな指導をする必要はなかったし、君が耳を損傷することも僕がこんな痛い思いをすることもなかった」


「だから義脳はぁ…!」


「夜汽車さえ壊されなければ地下が襲撃してきても僕たちに銃弾が届くことはなかったし、ナナが持ち去られることもなかったし、他の皆とはぐれることもなかった」


「けど…!」


「そもそも、」


 息を飲み、声を張った。


「ネズミが来たからこんな事態に陥っているんだ!!」


「お前ッ!」


 酷い形相のネズミが近づいて来て右肩を物凄い握力で握られた。


「俺たちがどんな思いで迎えに行ったと思ってんだよ」


「タネジ!」


「ジュウシ!」


 押されるな。


「僕は迎えに来てほしいなんて言ってない!! 君たちが勝手に来たんだろう!?」


 右肩の圧力から解放されると同時に、左の頬に重みが衝突して僕の体は吹き飛ばされた。また接触だ。この接触の仕方は完全に感染している。頬も痛かったが左肘が床について僕は喉の奥から声が出た。痛みと痺れに歯を食いしばって右腕だけで起き上がる。


「ジュウシ…」


 駆け寄って来たジュウゴを肩で払いのけた時、


「ジュウシの言うとおりだよ」


 ジュウイチが口を開いた。


 全員が驚いてジュウイチに注目した。ジュウイチは焦点が定まった顔を上げて立ち上がり、僕たち夜汽車に訴えかけてきた。


「夜汽車に戻ろう。アイを修理して夜汽車を直してもらおう」


 初めてジュウイチと意見が一致した。


「あんな瓦礫に戻ってどうすんだよ」


 ふきでものだらけの顔のネズミが吐き捨てるように言った。瓦礫にしたのは誰だ。


「アイが直れば何とかしてくれるはずだ」


 僕の意見にジュウイチが大きく頷いた。


「その前にナナよ。ナナを先ず連れ戻さなきゃ」


 忘れては困る、と言わんばかりにサンが言う。

ジュウゴは気遣うようにハツカネズミと僕を見比べていた。シュセキは黙って床を見つめている。


 ハツカネズミが息を吐きながら頭皮をがりがりと掻き毟った。目付きの悪いネズミの視線に片方の手の平を見せる。制止された方は肩を落として視線を逸らし、それ以上何も言わなかった。


「あんなぁ、夜汽車、」


 口を開いたのはカヤネズミだった。


「お前ら、線路がどんな形してっか知ってる?」


 当然だ。何を言い始めるんだ、突然。


「円環だ。一周をおよそ二十八日かけて夜汽車は運行している」


 シュセキが答えた。ジュウゴでも答えられそうな問題だった。


「ばっか」


 誰かがぼそりと何事かを呟いて鼻で笑った。


「おめでたい奴ら」


 別の声も聞こえる。


「『ばっか』って何?」


 ジュウゴがネズミたちに尋ねた。ネズミたちは互いに顔を見合わせて一斉に噴き出した。「な、なに?」と戸惑うジュウゴを尻目にげらげらと声をあげる。僕は腹が立つ。


「お前ら黙れ」


 目付きの悪いネズミが低い声で言った。笑っていたネズミたちがぴたりと静まる。僕も息を飲んだ。


 カヤネズミが咳払いをした。僕たちはカヤネズミを見る。


「お前らが言ってんのは線路の中でも『本線』の方だ。でも線路は本線だけじゃない。現にお前らが今いるのはト線の外れだしな」


「『とせん』?」とジュウゴ。


 カヤネズミは床にかがみこみ、埃の上に指先で円を描いた。


「これが本線だとするだろ?」


 カヤネズミがちらりと僕を見た。僕たちは誰ともなくカヤネズミの方に首を伸ばし、床の上の円に目を凝らした。


「そんで、これが塔」


 言ってカヤネズミは円の中心に小さな丸を描いた。その丸から線を引いて線路の円と繋げた。それは知っている。僕は黙って頷く。カヤネズミは僕たちの反応を確認してさらに続けた。


「……で、これがさっきお前らが降りたト線」


 そう言ってカヤネズミは、円から外側に一本の長い線を引いた。円環が平仮名の『の』の字のようになる。払いが真っ直ぐすぎて形が悪い。


「女の夜汽車は『培地』になる頃に塔に行って、男の夜汽車はト線に入る。でもお前らは男女混合の珍しい奴だったから女もまとめてト線に入った、と」


 ばい? 混合? 珍しいって他の夜汽車は??


「アイは僕たちは皆、塔に行くと言っていた」


 シュセキが反論した。カヤネズミは首を横に振る。


「そりゃ嘘だ」


 嘘。


「『とせん』の先には?」とジュウゴ。


「お前ら見ただろう? 地下だ」壁に凭れた男が言う。


 地下?


「ど、どうして僕たちが地下の近くに?」 


 ジュウイチが一歩踏み出して来て、声を裏返らせて言った。


「そりゃお前…」


「おい、夜汽車!」


 目付きの悪いネズミが突然声を上げた。授業を中断して今度は何だ、と僕は苛立つ。目付きの悪いネズミはいつの間にかハチの横にいて、べたべたと接触していた。


「ちょっと!」


 サンが声を荒らげてネズミに駆け寄った。ハチへの接触を咎めようとしたのだろう。なんだ、結局サンだって接触を恐れているんじゃないか。僕は彼女の矛盾に目を細めたが、サンはハチのそばに膝を突くと、目付きの悪いネズミと同じようにハチにべたべたと接触をし始めた。そしてぼろぼろと涙を落とした。


 僕はぎょっとする。サンはやがて声もなく号泣する。しゃくりあげて息を吸う音とひゅーひゅー喉を鳴らしながらハチの横に蹲った。


「なに? 何なの?」


 ジュウイチが動揺を口にする。シュセキがサンとハチに歩み寄るが何も言えずにいる。僕はサンとネズミとハチを何度も見比べる。


「駄目だった?」


 ハツカネズミが言った。目付きの悪いネズミが頷く。


「薬は?」


「駄目だ」


「ヤチぃ、」


「女に試したことないじゃん。もし反作用でも出たらどうすんだよ」


 ハツカネズミは唇を尖らせて頭を掻いた。


 ネズミたちのやり取りを観察していても何一つ理解出来る部分がなかった僕は、「何の話?」というジュウゴの質問に期待を寄せた。だがハツカネズミから返ってきた答えは、


「ごめんね。死んだみたい」


 やはり理解不能なものだった。


 ジュウゴが困った顔をする。首を傾げて側頭部を掻きながらハツカネズミを見つめるが、「死んでるって」と別のネズミに似たようなことを言われて、それ以上の授業を諦めた様子だった。


「どうしたの?」


 ジュウゴはサンに尋ねる。サンはそれがきっかけだったかのように声を上げて泣き始めた。ジュウゴは困ってしまってサンから身を引いて頭髪を掻く。それからハチに顔を近づけて耳元で話しかけた。


「ハチ、起きてよ。サンが……なんか変なんだ」


 サンの泣き声が一層激しさを増した。


「だから死んでるって」


 ネズミが諭すようにジュウゴに言ったが、僕もわからないから当然ジュウゴもわからない。ジュウゴは即頭部を掻いて完全に困っている。僕は息を吐いてからジュウゴの横に行った。


「眠っているんだ。静かにして休ませてあげよう」


 ジュウゴに提案する振りをしてサンに暗に注意した。しかし、


「違うの」


 サンが泣きじゃくりながら言った。なんだか先からずっと彼女には否定され続けている。僕は彼女を無視して屈みこみ、ハチに語りかけた。


「ごめんねハチ、うるさいだろう」


「やめて……」


「そうだよサン、眠っているんだし静かにしてあげよう?」


「おいちょっ…、夜汽車?」


「そうだ! ハチを向こうに運べばいいじゃないか。少しでも静かなところでゆっくり静養すれば…」


「やめて! もう動かないのッ!!」


 サンの金切り声が反響した。僕たちは戸惑い、ネズミたちはひそひそと小声で何かを話している。


「止まっちゃったの…、止め……おとおさぁん…」


 意味不明なサンのうわ言がやけに耳についた。


 ジュウゴが困り果てて僕を見た。見るなよ、僕だってわからない。ジュウゴはシュセキに助けを求めるも同様に突っぱねられて、最終的にネズミたちに助けを求めた。


「カヤ」


 ハツカネズミがカヤネズミを呼ぶ。


「無理だって」


 カヤネズミが唖然とした顔で首を横に振る。


「カヤぁ、」


「無理むり俺無理ハツやってよ。こんなのどっから説明しろって言うんだって」


 カヤネズミが呆れた顔でぼやいて背を向けた。


 ジャコウネズミがサンに近づく。サンは肩を一瞬びくりとさせたが、ハチの体を覆った布にしがみ付いたままそこから動くことはなかった。


 サンに構ってもらえなかったジャコウネズミは、次に何故か僕を見た。僕は屈みこんだまま彼を避けようと半身を引いたけれどもジャコウネズミの握力の方が強かった。左肩を掴まれて撃たれた部分に鋭い痛みが走る。僕が顔を歪めているのもかまわないでジャコウネズミは僕の耳元で言った。


「あの女、いつからお前らの夜汽車に乗ってる?」


 僕は首を回してジャコウネズミを見た。そんなの、思い出せないくらいずっと前の初めから…、


 ……あれ?


 ジャコウネズミは僕の顔色を見つめた後、さらに僕を引き寄せて耳元で囁いた。


 僕はジャコウネズミを凝視した。ジャコウネズミはサンを睨みつけた後で僕をもう一度見た。


「心当たりあるか?」


「『こころ』?」


 ジャコウネズミは横を向いて舌打ちすると、真顔になってからさらに顔を近づけて来て、


「あの女、気をつけとけよ」


 僕に言い含めると立ち上がってハツカネズミのもとに行った。


 僕はサンを見つめる。サンは肩を震わせて泣いている。その横にいたジュウゴと目が合った。めちゃくちゃ訴えかけて来るが、どうしろと言うんだよ。僕はシュセキを見たがシュセキはサンを見下ろすばかりだった。その視線の先のサンが動く。


「……ぃかなきゃ」


「え? なんて?」


 ジュウゴの呼びかけを無視してサンは立ち上がり、目元を拭って踵を返した。


「サン!?」


 ジュウゴが呆気にとられる。ジュウゴだけでなく僕も、ジュウイチも。ネズミたちさえ押し退けてサンは瓦礫の階段を駆け上がる。


「なに? サンはどう…な……」


 頭も舌も回らなくなったジュウゴが側頭部を掻いた時、地上から聞き覚えのある重低音が聞こえてきた。僕は天井を見上げる。ネズミたちの一部が動揺し、一部が舌打ちと共に駆け出し、それにシュセキが続いた。ジュウゴも走りだしたからジュウイチに遅れて僕も皆の後を追った。


「サンッ!?」


 ジュウゴの叫び声が聞こえる。息を切らせて僕も地上に這い出る。ネズミやシュセキたちの背中の間から見えたのは、ネズミの乗り物に跨って砂の上を走り去っていくサンの後ろ姿だった。


「サンはなんで!?」


 ジュウゴが叫ぶ。


「おそらく地下だ、『ワシ』という地下を目指したのだろう」


 シュセキが息を切らせながら答える。


「どうして? 場所もわからないのにどうやって?」


 ジュウゴは彼方とシュセキを交互に見遣る。


「先の授業の何を聞いていた。線路を辿ればやがて地下に着くとカヤネズミが話していただろう」


「線路に行くの? 何のために?」


「だから…!」


「ワシって何!?」


「ナナを探しに行ったのだッ!!」


 ジュウゴの理解力の低さにシュセキも叫んだ。


「サン……!」


 サンを追いかけようとしたジュウゴはしかし、大柄なネズミの片腕で腹部を抱えられるようにして止められた。


「俺、行ってきます!」


 小柄なネズミがジュウイチのそばにあった乗り物に乗りこみ、原動機を起動させる。しかし、


「いいよ、ヤマネ。あれはもういい」


 ハツカネズミだった。


「ハツ?」


 ジュウゴがネズミの腕を押し退けながらハツカネズミに言った。


「何? もういいって。どういうこと?」


 ハツカネズミは僕たちの方を向かずに、虚ろにさえ見える表情で答えた。


「あれはいらない」


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