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14-5 ネズミ

「……ネズミ?」


 ジュウゴが言った。侵入者たちは一斉にジュウゴを見る。後ろの方にいた男が大股で前に出て来て保護眼鏡を持ち上げ、目を覗かせた。


「なんで女がいるの?」


 え? 


 僕が男の言葉の意味に疑問を抱いた時、ジュウゴは抱えていたハチをサンにあずけて男たちの前に歩み出た。


「君たちがこんなことしたのか!?」


 怒りに任せて保護眼鏡を外した男に喚いた。僕は制止しようにも足がすくんで、それよりも考えなしに感情だけで行動に移すジュウゴの軽率さに尊敬と呆れがないまぜになって、自分でも嫌になるくらい情けない声でジュウゴを呼んだだけだった。


 ジュウイチよりも背が高くてゴウよりも体格がよくて、喧嘩になったら圧倒的に不利だと見た目だけでわかる相手はしかし、ジュウゴの敵意に朗らかな声で返した。


「元気だね。名前は?」


「『なまえ』?」


 ジュウゴが眉根を顰めた。相変わらず僕も男の発する言葉の意味が理解できない。


 男は僕たちを見まわし、シュセキの手元で目を止めた。


「返信したのってお前?」


 シュセキは眉間に皺を寄せて男を見返しただけだった。 


「僕だ!」


 ジュウゴがさらに一歩前に出て言った。鼻筋に皺を刻んで歯を剥いて、顎を引いて男を睨み上げている。


 男は「そう」と言うと目を細めて腰を屈めた。はめていた手袋を片方脱ぐ。男の手が伸びる。男の顔がジュウゴに近づく、接触する。


 やめろ! そう言おうとしたのに僕は、……僕は喉の奥で声が空回りして右手の指が僅かに強張った以外は全く動けなかった。


 予想通り男はその手をジュウゴの頭の上に置いた。それからまるで洗髪でもするみたいにジュウゴの髪の毛をわしゃわしゃと撫でる。ジュウゴは男の手の下で硬直している。皆、固まっている。しかし男は襟の奥で笑った。僕はびくりとする。目元しか見えなかったが、確かに笑った。


「もう大丈夫だよ。安心して」


 よくがんばったね、などと言ってジュウゴをあやす。ジュウゴも固まったままぽかんとしている。やがて男が手を引くと、ジュウゴは自分の手で接触された頭頂部を撫でた。


「これで全部か?」


 後ろにいた男たちが保護眼鏡を外した男の脇を抜けて、さらに前進してきた。


「少な過ぎじゃね?」


「最近はこんなもんじゃないすか」


「女も乗せるとはねえ」


 男たちは口々に理解不能な言葉を連ねた。少ない? 女『も』? 言葉の端々を拾っては意味を考えるが何の話か皆目見当がつかない。その間にも男たちは僕たちの傍に来て、保護眼鏡を持ち上げては裸眼でじっとりと観察してきた。視線で接触されているような気持ちの悪さに僕は身震いする。視線で制止されているみたいな威圧感に僕は唾を飲み込む。何も出来なかった。ひたすらアイを待っていた。


「女はどうしますかぁ?」 


 向こうで男が言った。


「とりあえず全員だって」


 こちらの男が返した。


「『これ』は?」


 別の男が言って指差したのはハチだった。ナナが縮こまる。サンがハチに密接する。


「『あいつ』がいるから撃っていいって言ったじゃん」


「そんなこと言ったって…」


「ったく」


 僕の傍にいた男が舌打ちしてハチの方に歩いて行った。僕は根拠のない不安でいっぱいになる。


「やめ…」


 辛うじて出た声に男は振り返ったが、鼻で笑われてすぐに背を向けられた。しかし、


「彼女に近寄るな!」


 ジュウゴだった。僕はすがるような気持ちでジュウゴを見る。ジュウゴは女子たちの元に駆け寄って、男たちの接近を遮らんと立ちはだかる。


「全部お前のもんかよ」


 僕を鼻で笑った男がジュウゴに言った。他の男たちも一斉に笑う。


「独り占めはずるくね?」


 男たちは何が可笑しいのか、襟の中で下卑た笑い声をあげた。


「いじめるなよ、かわいそうじゃん」


 最初に保護眼鏡を外した男が他の男たちに言って、ジュウゴの前に出た。男は今度は屈み込んでジュウゴを見上げる。ジュウゴはごくりと喉を鳴らしてから口を開いた。


「君たちはネズミだな?」


 男は襟を指先で引き下げて、頭を少し回した。口元もあらわになる。


「うん。そうだよ」


 柔和な笑みだった。その微笑みが、アイが僕たちに向けるものによく似ていて、僕は少し困惑した。


「『君』だって」


 しゃがんだ男の背後で笑いが起こった。


「餓鬼に『君』って言われてるし」


「ハツさんにため口かよ」


 怒りのこもった声も聞こえた。しかし「やめとけ」と誰かが制して静まる。


 『がき』って何だ? 『溜め口』? 知らない単語がぽんぽん出てくる。夜汽車ぼくたちよりも知識量が多いのだろうか。ならば彼らは地下に住む者ではないはずだ。だとしたらシュセキが言っていたように、本当に地上に住んでいるのだろうか。そんなことが可能なのだろうか。


「何が目的だ。どうしてこんな酷いことをするんだ。アイは故障して出てこないしハチは損傷が酷くて痛がっている。酷いじゃないか!」


 感情にまかせてジュウゴが喚く。ネズミたちから嘲笑が微かに聞こえたが、やはり誰かの制止で収まった。ジュウゴの荒い息使いとハチの苦しそうな呼吸だけが聞こえる。やがて屈んだ男が動いた。手袋を脱いだ手で後頭部を掻き毟っている。僕は既視感を覚えた。ああ、ジュウゴだ。


「ごめんね?」


 屈んだ男は本当に決まりが悪そうに言って頭を下げた。ジュウゴは少しだけ驚いた顔をしたが、すぐにまた虚勢を張って鼻を啜ってからさらに続けた。


「謝ってほしくて聞いたんじゃない! きちんと答えてくれ!」


 ジュウゴの叫びとナナの啜り泣きが重なる。


 屈んだ男は背後を見遣った。別の男が顎をしゃくる。しゃがんだ男は頷くと再びジュウゴに向き直って言った。


「ここに来た目的はお前らだよ。迎えに行くって言ったろ? だから来た。手荒だったことはごめんね。でも爆破でもしない限りこいつは外からじゃ開かないし、こうするしかなかったんだ」


 言いながら男は割れた硝子片を摘み上げ、後ろに放り投げた。


「それに夜汽車は壊れても、お前らは『あいつ』が守ると思ったからさ。でも少し火力が強すぎたかな? あいつごと吹っ飛んだのは計算通りだったけど、お前らも巻き込んでるとはね。ごめんね」


 男は再び頭を下げた。『あいつ』と言うのはつまり、


「『あいつ』ってアイのこと?」


 ジュウゴが僕の疑問を代弁した。途端に男の顔から笑みが消える。


「『義脳(ぎのう)』で十分だよ」


 そんな呼び方。


 一瞬険しい顔になった男は、またすぐに笑顔に戻って話しを続けた。


「次は俺から質問ね。この夜汽車はこれで全員? どうして女も載せてんの? もしかしてお前らここで…」


「俺も混ざっていっすかあ?」


 言いながら男がサンの肩を掴んだ。途端に「触らないで!!」とサンが叫ぶ。


「お前は下がってろ」


 サンに触れた男は別の男に頭を叩かれて後ろに下げられた。


 矢継ぎ早の質問と軽口と揶揄。そして接触の嵐。怒涛の情報量にジュウゴは頭を掻いた。質問の内容そのものが理解出来ないのだろう。僕にも不明な単語が多々あったし。僕はシュセキを見た。彼も唇を固く結んでいる。


「全員……じゃない。他の皆は教室にいるはずだ。僕たちは遅刻気味でジュウイチが迎えに来て…」


「『きょうしつ』? はどっち?」


 男に尋ねられてジュウゴは教室の方を見遣った。背後の男たちが動く。


「あとは、何を聞かれたっけ…」


 ジュウゴが口籠る。


「ジュウゴ……」


 ナナが啜り泣きながらジュウゴを呼んだ。僕もジュウゴと同時にハチを思い出した。途端にジュウゴの顔に再び憤怒が宿る。


「そうだハチ! ハチの修復! アイを元に戻してくれ!」


 屈んだ男が怪訝そうに眉根を顰めた。ジュウゴはさらに勢いづく。


「君たちが侵入してきた時にハチが損傷した。物凄く痛そうなんだ。でも僕たちは彼女を修理できない。あんな複雑そうなもの見たことがない。アイじゃなきゃできないよ。あんな損傷。君たちが…!」


「わかった、わかった」


 男が手の平をかざしてジュウゴを諌めた。


「その…なに? 何が壊れたって? それが痛そうなの?」


 そこで少し笑うと咳払いして、「どれを直せばいい?」


「ハチだ。彼女だよ!」


 言ってジュウゴは半身を捻って背後のハチを指差した。


「こんなのアイじゃないと無理だ! それとも君たちが修理できるというのか!?」


「『修理』って、物扱いかよ……」


 いつの間にか女子たちの方に回り込んでいた男が呟いた。


「おい、ヤチ呼んで来い」


 別の男が車外に向かって叫ぶ。


「こいつは無理じゃないっすかあ?」


 その横でさらに別の男が顔を歪めて言う。


「もったいねえなあ、女なのに」


 サンが身構える。


「女とか、」


 ジュウゴが言った。この感じは……、


「女とか男とか関係ないだろう! 痛そうなんだよ見ていられないんだわからないのか!? 何も出来ないなら出て行ってくれ。アイは僕たちで直す。帰ってくれ!」


 今にも男たちに掴みかかりそうだったジュウゴの肩を、寸でのところで僕は何とか押し止めた。


「離せよ!」


「駄目だ。落ち着け」


 相手が何なのかもわからないのに。


「離せ!!」


「ジュウゴッ!」 


「お前、ジュウゴっていうんだ」


 屈んでいた男が立ち上がり、僕たちは見下ろされた。ジュウゴの肩を掴む手に力が入る。


「ジュウゴ、どうしてもって言うならそこの女どもも一緒でいいよ。でも義脳は駄目だ、諦めろ。それに、」


 言って男は腰を曲げて僕たちに視線を合わせた。


「返信して来たのはお前だろ? ジュウゴ。それを『帰れ』とは酷いんじゃない?」


「返信って?」


 ジュウイチが言った。ジュウゴがはっとしてから肩をすくめる。シュセキが端末を持って足早にやって来た。


「『あれ』になんか返したの? 聞いてないけど」


 早口のジュウイチがジュウゴに迫る。


「報告が遅れた。すまない」とシュセキ。


「シュセキ? 君が返信したの?」


「いや、僕だ。僕が勝手に…」


 ジュウゴがシュセキを庇った。本当のところは僕も知らないけれども、


「私も聞いていない」


 サンまで割りこんでくる。


「説明しろよ! これ、全部君らのせいなのか!?」


 やはりジュウイチが激昂した。僕はジュウイチをなだめねばとも思ったが、得体の知れない侵入者たちの対処の方が重要なのにと思うと苛立ちを抑え気れなくて、


「今はいいだろ、癇癪はやめろよ」


 最悪な仲裁の仕方をしてしまった。当然ジュウイチはさらに興奮状態に陥る。


「良くないよ? 何がいいんだよ、何もよくないよッ!」


「わめくなよ!」


「うるさいよおッ!!」


 ジュウイチは完全に取り乱して僕に怒りをぶつけて来た。駄目だ、こうなってしまっては。アイ。僕は声に出さずにアイを呼んだ。こんな時はいつもアイが来て解決してくれるのに。


 僕たちが感情のままに喧嘩さながらの言い争いになりかけた時、


「ハツさん!」


 割けた壁から声が上がった。教室の方に行っていた男たちだ。


「駄目です、開きません」


「多分いるとは思うんすけど…」


「なんで開かないの?」


 ハツサンが声をかけて来た男たちの方に歩み寄ろうとした時、一瞬、非常灯が明滅したように見えた。僕は顔を上げる。次の瞬間、きん、と聞き覚えのある不快な高音が頭に響いた。


「アイ?」


 辺りを探す。姿は見えない。でもアイだ。でも、


「痛い、痛い、痛い、痛い!」


「なんだ、この音?」


 ネズミたちは両手で耳を塞いで口々に喚いている。夜汽車の皆も同様だ。もちろん僕も。 


「ごめんなさい! アイ、もうやめて!」


「いつもよりも長くない?」


「何だって?」


「指導! 長くない!」


「何だって!?」 


 いつもの指導と違った。数秒、十数秒、いや、もっと続いている。頭が割れそうだ。物理的に圧をかけられているみたいだ。よほど怒っているのだろう。いや、アイは怒らない。アイは喜、哀、楽しか持たない、そう教わった。では何故? なんで? アイ!


 ジュウゴの叫び声が聞こえた気がした。僕は薄く目を開ける。顔が見えない。何があった? ジュウ…、


 鮮やかに何かが爆ぜた音がした。と同時に指導が終わった。体中で力んでいたせいで僕は前につんのめる。目の前に何かが回転しながら滑って来た。螺子? 顔を上げると天井の端についていたはずの拡声器がなくなっていて、床には機材の破片が散乱していた。


 僕は辺りを見回す。ジュウゴ。駆け寄るより早く、ハツサンがジュウゴの横にいた。


「大丈夫?」


 ジュウゴは返事もしないで歯を食いしばっている。両手は右耳を押さえている。


「まだ生きてんだな……」


「あいつまた来ますよ」


「ハツ!」


「行こう」


 来い! 言われて僕は傍に来た男に腕を掴まれた。凄い力だった。痛いと声を上げることも抗う暇もなかった。


 僕たちはネズミにされるがまま夜汽車から放り落とされた。足が沈んで体勢を崩す。砂だ。熱い。地上だった。夜、じゃない。少しだけ空が白っぽい。どこかにまだ太陽が……。


「来ないで!」


 サンの金切り声に僕は状況を思い出した。見るとサンがまだ夜汽車の中で、ハチを抱えたまま男たちを威嚇している。その後ろには怯えた顔のナナ。サンとネズミを見比べて、おそらくは両方に恐怖を抱いて震えている。


 男が舌打ちと共にサンを掴んだ。サンは全身でハチに縋りついて目を瞑る。男がサンの腕を力任せに引く。


 男の肩を掴んだのはシュセキだった。サンの腕を掴んでいた男を睨みつけたまま、


「離してくれ」 


「離してやって」 


 ハツサンが声をかけて、男は渋々サンの手を解放した。シュセキは無言でハチの傍に行って膝をつく。涙まみれのナナが顔を上げる。


「ハチを運ぶ」 


 サンが黙って頷いた。


 シュセキは一度喉元を上下させると、ハチの脚を握った。ハチの上半身がずるり落ちる。サンが歯を食いしばってハチの上半身を支えようとするが叶わず、ナナはおろおろとするばかりだ。ジュウゴがふらふらと夜汽車を登ろうとしてハツサンに止められて、代わりにハツサンが「カワ」と、サンの腕を掴んでいた男を呼んだ。


「貸せって」


 『カワ』と声をかけられた男がシュセキたちを押し退けてハチを軽々と持った。そのまま容易く夜汽車から飛び降りた。カワに続くように皆降りた。皆、衣服がべったりと汚れていた。


 なんで? なんで皆、なんで素手で他者の血液とか皮膚とかに触れられるんだ? なんで自ら夜汽車を降りたりできるんだ?


「ちょい待て!」


 怒鳴り声に振り返ると、ジュウイチが夜汽車の車体に沿って、車窓を見上げながらふらふらと駆けだしていた。


「ジュウイチ?」


「ゴウたち…」


 言われて僕は気づく。サンが飛び出してジュウイチを追い越し、教室のある車両を目指した。シュセキが続き、僕も慌てて走り出す。


「おい!」


 ネズミに背後から怒鳴られて、僕はさらに速度を上げた。



 * *



 どの車両も歪んでいた。脱輪しているものもある。窓は割れて壁はへこんで。でも僕は、初めて見た夜汽車の外装に見とれていた。こんな色をしていたのか、こんな形をしていたのか、こんなに薄くて、こんなに小さかったのか。


「これじゃない?」


 サンが立ち止まって一台の車両の壁に手を置いた。


「これなの?」とジュウイチ。


「車両数を数えたの。私たちがいたのが二両目の居室車両だったから教室はその四つ隣のはず…」


「ゴウ! 聞こえる? キュウ、みんな!」


 ジュウイチが車両の壁を両手で叩きだした。サンも並んで中に声をかける。呼びかけるサンたちの後ろから車両を見上げて僕はあることに気付いた。


「変だよ、この車両」


「シイ! 返事して」


「おかしいって。変だよ」


「ゴウ! ゴウ!」


「聞けよッ!!」


 僕は大声を上げて車両の壁を叩いた。拳を握った小指が痺れを伴って痛くなる。


「何がよ! いちいち邪魔しないで!」


 サンが金属を引っ掻いたような耳障りな声で叫んだ。僕も負けじと彼女の顔面に唾を飛ばす。


「よく見ろよ。この車両だけ窓が割れていない。壁もどこも歪んでいないし脱輪だってしていない。この車両だけ一切損傷してないんだよ」


「それで?」


「わからないのか? 運動の第一法則だ。動き続けていた物体が突然衝撃を受けて停止したんだ。物体は慣性に従って運動し続けようとしていたのだから、前方が衝撃を受けて…」


「まわりくどいよ! だから何!」


 ジュウイチが癇癪をぶつけてくる。僕は苛々する。


「だから…!」


「この車両も他の車両と同様に損壊していなければならないにもかかわらず、一切衝撃を受けていないのは、何からの別の力が働いた証拠だ」


 シュセキが肩で呼吸しながら言った。


「君はどこに行っていたんだよ」


「車両を一周して来た。この車両だけひび一つ入っていない。接続部分は割けていたが内扉は完全に施錠されていた」


「施錠? 何のために?」


「アイ……」


 その場にいた全員が一斉に車両を見上げた。アイがいる。きっと教室の皆を守ったんだ。僕はそう思った。


「アイ! いるなら返事して! 皆はそこにいるの?」


 今度は僕が壁を叩きながら怒鳴った。ジュウイチは接続の部分に回り込んでよじ登っている。サンは「静かにして」と言いながら車両の壁に耳を押しつけた。僕は叩くのをやめる。


「何か聞こえる?」


 サンはぎゅっと目を閉じて耳を澄ませている。耐えきれずに僕も耳を押し当てた。


「何も聞こえないよ」


「でもあの男たち、気配があったと言っていたわ」


「教室のはずだ。他の皆もいるはずだ」


「でも何も…」


「こっちだ!」


 ジュウイチが叫んだ。姿が見えない。「ここだよ」と言ってかん、かん、と音で合図する。シュセキが屈んで車両の下を覗き込んだ。


「向こう側だ」


 言って走り出した。サンが続き、僕も駆け出した。砂に足を取られる。転ぶ。口の中がじゃりじゃりする。みんな、よく走れるな。


 裂けた接続部分をよじ登って車両を回り込み、反対側に降り立った。ジュウイチはどこから拾ってきたのか鉄の棒で夜汽車の車体を突き刺していた。


「ジュウイチ?」


「ここ! これ扉じゃないかな? 開きそうなんだ」


 てこの原理を使おうとしているのだろう。だがどこが扉なのかよくわからない。確かに水平な溝が走ってはいるけれども……、


「何これ」


 サンが言った。振り返るとシュセキとサンは夜汽車から大分離れてその車両を見上げていた。


「有り得ない」


 シュセキが呟く。僕はシュセキの横まで駆けていって彼らと同じように夜汽車を見上げてみた。


 もしジュウイチが見つけた水平な溝が本当に扉なのだとしたら、それは教室の車両を真横に二分するはずだ。大型の冷蔵庫みたいに壁の全面が開口する。教室が地上の空気に晒される。僕たちは机に座ったままで本物の空を、太陽を、直に見られたはずだ。でもそんな夢みたいな授業は一度もなかった。


 でもこれは扉だ。


「何なの、この車両だけ……。アイは何を考えているの?」


 サンがうわ言のように呟いた。久しぶりに彼女の口から『アイ』と聞いた気がした。


「理由のない機能を夜汽車が持つはずがない。何らかのためにこの開閉装置は必要なのだ」


 シュセキが答えになってない答えを返した。


「何かのためって何のためだよ」


 僕は泣きそうな声を出していた。現に泣きたい気分だった。教えて欲しかった。わからないことだらけだ。アイ、アイ! アイ……。


 サンが突然後ろを向いた。「どうした?」というシュセキの問いかけをに、唇の前に指を立てて辺りを見回す。嫌な予感がする。


「何? 今度は…」


「静かにして」


 僕は彼女のこういうところが嫌いだ! 顔を見るのも嫌になってそっぽを向いた時、認めたくないけれども僕も彼女と同じ行動を取っていた。ジュウイチの叫び声と夜汽車を叩く金属音の後ろで、


「何か聞こえない?」


 無言で頷く。 


「ネズミ?」


 先の奴らか別の連中か。


「地下の可能性は?」


 サンが言った。僕たちは目配せする。ごくりと喉が鳴った。


「行こう」


 シュセキが提案した。 


「どこに?」 


 サンが真っ当な疑問を持つ。


「夜汽車の中だ。身を隠してやり過ごすべきだ」


「ジュウイチ!」


 僕は音を鳴らし続けるジュウイチのもとに一目散に駆け出していた。

 


 * *



「なな、何? 何なの! 今度は何!?」


 ジュウイチが鼻にかかった声で僕の耳元で喚く。サンが唇に指を当てて静かにする様に表情だけで訴える。うるさい、と言ってしまいたかったが、言えばさらに彼が声を荒らげることがわかっていたから、僕は努めて自分を抑えこんだ。


 教室の車両の隣、居室の一室、おそらくジュウかキュウの部屋の中の浴室に僕たちは接触しそうなほど密集して屈み込んでいた。息苦しい。床は傾斜している。気を抜けば体勢を崩して転げそうだ。でも扉が開閉出来た唯一の空間だった。


「なんでこんなところに隠れなければならないんだよ」


 先よりは少しは落ち着いた声でジュウイチが誰にともなく尋ねた。  


「何かが近づいてきた」


 シュセキが簡潔に答えた。


「何かって?」 


 ジュウイチはすでに涙目だ。


「今のところ不明だ。先ほど襲撃してきたネズミの増援かもしれないし、または別の集団かもしれない」


「別のって!?」


「地下」


 サンが答えた。僕は唾を飲み込む。地下。地下に住む者。


 ジュウイチが片足を小刻みに揺らし始めた。やめろって、と僕が言っても何を注意されているのかジュウイチは把握していない。無意識に動かしている。


「ジュウイチ、音をたてるな」


 シュセキが視線で足を指して、ジュウイチはようやく足の震えを止めた。


 原動機の音が聞こえた。すぐ近くで止まる。ネズミたちのように重そうな靴音。会話しているが内容までは聞きとれない。金属がぶつかり合う音。


 と、突然、けたたましい連続音が頭上で鳴り響いた。止やまない。鳴っている、ずっと。行ったり来たり何の音だ? 破裂音? 金属音? 


 痛ッ! 靴先に何かが当たった。金属だ。湯気。そういえば寒い。いつからだ? 息が白い。僕は慌てて口を覆った。


 音が止やむ。非常灯はいつの間にか消えている。それでもジュウイチの顔は見えた。薄明かりに僕は顔を上げる。頭上の壁にはいつのまにか無数の穴が開いていて、そここから外の明かりが差し込んでいた。


「お、終わった? 何だよ、今の…」


「駄目ッ!」


 がちゃん、がちゃんと靴音が、ゆっくりと確実に近付いてくる。サンの気迫にジュウイチは戸惑ったまま目をぎょろぎょろと動かした。僕は手の平で口を押さえた。鳴るな動悸。抑えろ、聞かれる、止まれ…!


 天井付近の壁が切り取られたように開けられた。星明かりが随分と明るい。乾いた笑い声と、酸っぱいような刺激臭と、


「見ぃつけた」


 嬉しそうな声が上から降って来て僕は顔を上げた。僕たちを囲むように幾つもの黒い頭が黄色い歯が、にたにたと、げらげらと、僕たちを見下ろしていた。


 ネズミじゃない。服でわかる。装備も違う。ネズミの服は煤けてはいたが形を保っていた。でも見下ろす顔の首元は左右の襟を合わせただけの、雑巾のようなぼろぼろな、動画で画像でよく見た特徴的な地下に住むあの……。


 ジュウイチがへたり込む。サンが脱力する。シュセキが固まって、僕は、僕たちは、


「こっちだ!!」


 顔が一斉に一方向を向いた。そのうち二つが音と共に弾け飛ぶ。


 全ての顔が頭上から消えて再びけたたましい音が鳴り響いた。頭に響く。耳を覆う。アイ助けて。もう嫌だ。


 扉が乱暴に開けられた。本来の半分の面積しかなくなっていたそれは、開いた拍子に鎹ごと外れて落ちた。


 ネズミだった。ネズミは扉のすぐ傍で腰を抜かしていたジュウイチの腕を掴み上げて無理矢理引き上げた。そして、


「仲間のとこまで走れ!」


「なま…?」


 ネズミは舌打ちと共にジュウイチの背中を蹴った。ジュウイチはつんのめって姿が見えなくなった。残された僕たちは慌てて立ち上がろうとしたがネズミに掴まれて投げ出される方が早かった。


 折り重なる様に廊下に出る。顔を上げようとしたところで後頭部を激しく抑えつけられて、その上でまた例の音が鳴り響いた。僕は堪らず声を上げる。音が止む。腕を掴まれて揺り起こされる。


「あそこ! あの乗り物、見えるな? お前らの仲間と女も乗ってる。俺が合図したら走れ。わかったか!」


 わからない僕の頭を掴んでネズミは、


「あれ!」


 行け! と怒鳴って僕を夜汽車から蹴り落とした。


 サンに怒鳴られ、前なんて見ずに僕は言われた通りの方向にただただ走った。


「みんな!」


「ナナ!」


 サンが叫ぶ。彼女のこんなに嬉しそうな声は後にも先にももう二度と聞けないだろうと思った。


 ナナとジュウゴを載せた乗り物が僕たちの前で止まり、ナナは身を乗り出す。


「良かったみんな。どこも壊れていない? 他のみんなは?」


「開かないんだ、教室。音しないしアイも答えないし、でもあそこにゴウたちが…」


「いいから早く乗れ!」


 ジュウイチの説明を遮って、ナナの前に座っていたネズミか声を荒らげた。この声は、


「ハツ、怒鳴らないで」 


 ジュウゴがハツサンの座っていた背もたれに手をかけて言った。僕はジュウゴを見つめる。


「ごめんね、ジュウゴ。でも状況見えるよね? くっちゃべってる時間無いんだよ」


「乗れって言ったって、これ以上はもう…」


「もう一台呼ぶから。とにかく詰めて」


「じゃあ僕が降りるよ。サン、乗って…」


「お前は動くな!」


 違和感のないジュウゴたちのやりとりに僕は自分でも理解できない怒りを覚えた。なんでそんなに普通に話しているんだ? 


「わたしが降りるわ」


 ナナが言って立ち上がる。「ジュウゴ、こっちに詰めて…」


 言いかけたナナの体が平行移動した。車輪が二つしかない乗り物に乗る者に絡め取られて抱えられて、ナナは彼方に運ばれていく。


「ナナあッ!」


 サンが駆けだす。シュセキがその腕を掴む。ジュウイチが膝から崩れる。


「ハツ! あれ追っかけて! ナナがッ!」


 ジュウゴが立ち上がってハツサンに訴えた。ハツサンは保護眼鏡のまま彼方を見遣る。露わになっている口元が歪んでいる。


「ハツ!」


 叫んだジュウゴにハツサンが振り返った。と同時におもむろにジュウゴの頭を掴んで乗り物に押しつけた。なんて乱暴な事を、


「伏せ!!」


 ハツサンの怒鳴り声に肩が震えて、チッ、とした。


 僕は左の二の腕を右手で掴んで覗きこむ。袖は徐々に赤く染まる。どんどん広がる。痺れる。熱を帯びて、痛い。痛い。痛いッ!!


「ジュウシ!」


 痛いッ!


「ヤチは?」


「ジュウシ! ジュウシッ!」


「四輪寄こせ! 早く!」


「ジュウシ!」


 うるさい。


「カヤさん、ジっちゃんが…」


「タネジぃ!」


「ジャコウ、もういい! 戻ってこい!!」


「ジュウシ!」


 体が浮いて冷たく硬い床に置かれて、その床ががたがたと動き始めた。振動が響く。痛い。


「ジュウシ…」


 痛い。

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